WILD LIFE
       

  


 この話は『愛のままに我が儘に僕は君だけを傷つけない』の続編です。単品でもお楽しみいただけるとは思いますが、気になる方は『実験室』にて御参照ください。


「『38度9分』、完全に風邪だね」

 普通のサイズでははみだしてしまうのでキングサイズのベッドに横たわる桜井の口元から体温計を

抜き取ると、希理子は心底イヤそうな顔でその文字盤に記された数字を読み上げた。

「いい歳こいた男がこのクソ寒いのに外で夜明かしするから風邪なんざひくんだよ!自業自得、今日

一日ちゃんと寝ときな」

 そう言って希理子はすこしめくれ上がっていた掛け布団を桜井の顔まで隠れるように押し付けた。

「わぷっ」

 突然のその希理子からの親切というか攻撃というか、とにかくかなり手荒なその行動に桜井は布団

に埋もれて窒息してしまい、慌てて布団の波間から顔を出した。

 その顔は真っ赤でありながらどこか青ざめた感もあり、どんぐり眼は熱によって潤み切っていた。

本人が言うにはのどは痛いが咳きはなく、鼻がずるずるとまらないのだという。それに加えて荒い息

も額に浮かび上がっている玉のような汗もあきらかに風邪の表情を示している。

 希理子は台所でコップに水を汲み、一緒にリビングに置いてある救急箱を持ってくるとサイドテー

ブルの上に水をおいてからがさごそと救急箱をひっくり返しはじめた。

「それで結局星はみえたのかい?」

 目線は薬箱の方に意識を残したままベットに横たわる桜井に問いかける。

「TVでは結構みんな見えたって言ってるみたいだけど」

 昨日の晩というよりも今日の早晩、しし座流星群とよばれる世紀の天体ショウがあったのだ。肉眼

でも見えるということで天文好きだけではなくミーハーな一般人もここ数日話題にのぼらせていた出

来事だ。

 綺麗なものは好きだがそれ以上に寒いのや努力を強いられることが大嫌いな希理子は『どうせ次の

日にTVで見れる』と決め込んでさっさと布団に入ったのだが、子供の頃には天文学者になりたいと

思った経験もある桜井にとってはまたとない機会で、大学の友人数人と郊外に天文観測に出かけてい

たのだ。

「うん、見えたよ。ホントに星が手に届くみたいで、降ってくるかと思った」

 その時の感動を伝えるように桜井はベッドに横たわったまま、つい数時間前にしていたようにそこ

にはない大空に向かって手を伸ばした。

「バカ、ちゃんと布団着とく!!」

 だがその手を希理子はペシャリと叩くと首のところまでしっかりくるように布団を再び掛け直し

た。

「まあ、医者の卵が風邪ひくのわかってても見ちまうくらいなんだから綺麗だったんだろうとはわか

ってるけどね」

「ははっ」

 まあ言われても仕方がないことだとは思いつつも、希理子の手厳しいイヤミに桜井は苦笑いする。

「でもね、ホントに綺麗だったよ。希理子にも見せてあげたかったな」

「!!、バ〜カ!」

 いつもとは違う潤んだ瞳で真摯に見つめられ、希理子は思わず真っ赤になった。それを隠すように

桜井の頭を小さく小突くと、救急箱の中をがさりがさりとひっくり返した。

「やっぱり切れてるよ、風邪薬」

 解熱剤とか胃腸薬はあるのに肝心の風邪薬の姿が見当たらない。そもそも健康優良児な桜井は滅多

なことでは風邪などひかないし、希理子もここ数年薬にたよらねばならぬほどの風邪などひいたこと

がなかったので置き薬が切れてることに気付いていなかったのだ。

「どうしよっか?あたし今から出かけなきゃならないし、お義父さんに電話して往診にきてもらおう

か?」

「いいよ」

 希理子からの問いかけにベッドの上で首を振る。

「寝とけば治るだろうから、悪いけど希理子、帰りに父さんのとこに寄って風邪薬もらってきてくれ

よ」

「ヤだ」

 だがその言葉を希理子は即座に否定した。

「あたしが帰ってくるまでにちゃんと風邪治しといてよ。うつるわけにはいかないんだからさ」

「ははは」

 情け容赦なく言い切られて桜井は思わず乾いた笑みを浮かべる。結婚して一緒に暮らし始めてもう

1年以上になるが希理子はあいもかわらず万事こんな調子だ。

「無茶いうなよ。治せるものなら治すけど、そんな半日で治せなんていうのは無茶苦茶だよ」

 そう言い返しながらも桜井は希理子の我が儘ぶりが可愛くて仕方がない。結構付き合いが長くなっ

て来ている桜井には希理子の言葉が『早くよくなりな』といういたわりの言葉としてちゃんと響いて

いるので、他の人間からすれば情け容赦なく聞こえるその言葉を浴びせられても全然OKなのだ。

 だが今回に限ってはどうやらそうではないらしい。

「無茶でも何でもいいから治すの!絶対あたしにうつさないでよ!」

 希理子はその桜井の返答に険しい顔で言い返すと再びリビングに取って返し小さなくすりビンをと

って戻って来た。そしてそのビンから3錠ほど薬を取り出すと先に出してあった解熱剤と共に桜井の

方に押し付けた。

「はい、これ飲んで寝る!」

「えっ」

 だるい身体を半身希理子の方に向けて起こしながら水とその薬の粒を受け取ると、桜井はメガネを

外したままの虚ろな視力で手渡されたそれをまじまじと見直した。

「これって『ビタミン剤』じゃないか?」

 後から希理子が持って来たそれは桜井がいうとおりビタミン剤だった。希理子がお肌のためにと毎

晩寝る前に愛用している代物である。

「そうだよ」

 希理子はその問いかけにきっぱりと頷く。

「風邪薬がないから代用にね」

「代用って……」

 思わずあっけにとられてしまった桜井に希理子は不平そうな顔を向けた。

「なにさ、あたしの親切が気にいらないっていうの?!」

「いえっ!!」

 慌てて首をふって否定するが、桜井が納得していないことは希理子には見え見えのようで、そんな

桜井に対して希理子は説教を始めた。

「もとはといえばあんたが風邪なんざひいて帰ってくるのが悪いんだろ?だったら責任とってそれで

も飲んで風邪治してご覧よ?それに確か医者が出す薬の中にもあるんだろ?ホントは全然悪くない患

者が調子悪いっていってくるのに対して、気休めの薬だしてごまかすってヤツ」

「ああ、『プラセーボ』ね」

「そう、その『プラセーボ』!」

 それでやっと納得がいった。どうして突如希理子がビタミン剤など持ち出して来たのかわからなか

ったが、そのワケがやっと理解出来たのだ。

 『プラセーボ』とは希理子が言ったとおり医者が患者の気休めで出す薬のことだ。『良く効く薬だ

から』とか説明して手渡すのだが実際のところただのブドウ糖の錠剤を渡したりするのである。

 だが人間というのは単純な生き物だから医者から良い薬だと言われれば信じてしまい、薬自体には

何の効力もなくてもそれを服用することで痛みや症状を押さえてしまうのである。つまり人間の思い

込みを利用した治療法で、このことを医学用語で『プラセーボ』もしくは『プラセーボ効果』という

のである。

 以前桜井がこのことを大学で勉強した際に感心し、食卓の話題として希理子に教えたことがあった

のだ。そのことを希理子が覚えており、今回実践したのだろう。

「でもね、民間療法だけどさ、多い目にビタミン採ってると風邪ひかないし、風邪ひいててもすぐに

治るんだってさ。だから効くと思えばちゃんと『効く』んだよ」

 自分の言葉に桜井がちゃんと耳を傾けてくれているのに満足げな表情を浮かべながら希理子はそう

解説を終えた。

「うん」

 桜井は希理子が自分との会話をちゃんと覚えておいてくれ、そして何よりそこまで考えてそのビタ

ミン剤を手渡してくれてのだとわかって嬉しくなって満面の笑みで頷いた。

「よし」

 希理子は桜井のそんな表情に自信に満ちた笑みで微笑むと側においてあったコートに袖を通し、通

学用のカバンを手に取った。

「じゃああたしガッコウ行ってくるから、帰りにお義父さんトコ寄って薬貰ってきたげるから、ちゃ

んと寝とくんだよ」

「わかった」

 熱っぽい手を振って了解の意を示す。希理子はその様子に満足そうに微笑むといつもの颯爽とした

様子で部屋を出て行こうとした。だがその扉を閉める矢先、くるりと振り返ってちょうど薬を飲み下

そうとしていた桜井に再び声を掛けた。

「ホントに早く風邪治してよね、『お父さん』」

 微かに頬を赤く染めながら希理子はそう言ってにこりとはにかんだ笑みで微笑むとかちゃりと扉を

閉めてそのまま出て行ってしまった。

「─────えっ?」

 思わず何を言われたのかわからなくて桜井は目を丸くした。誰のことを、というより何のことを言

っているのだろうといぶかしんで思わず首をかしげた。

 そもそも今日の希理子は少し変だった。昨日まで調子が悪いと言っていたのになんだか今日はとて

も機嫌が良く、そしてその上何だかそわそわしていた。何か言いたげで、だけどそれは決して負の方

向のものではなくて、逆にとても良いことがあったような────。

「!、まさか」

 先程までの会話でもやけにひっかかった言葉とニュアンスが桜井に一つの推理を想像させた。

 希理子は『うつさないで』と共に『うつるわけにはいかない』と言っていた。そして何より頬を赤

く染めての最後の言葉が何よりの証拠だと確信した。

「やった!」

 桜井は思わず両手をはずませた。

「わっ!!」

 その拍子に手にしていたコップから水がこぼれて床にこぼれ落ち、あわててそれを側に出してあっ

たタオルで拭った。

 熱でふらふらしているはずなのに、それ以上の興奮が全身を包み込んで踊りだしたい気分だった。

 だけど希理子と約束したから一刻も早く風邪を治すべく、希理子から受け取った愛情のこもった

『風邪薬』をわずかな水と共に飲み下した。そして布団に潜り込む。その布団の中で桜井は指折り数

えて未来を予想した。

「今が11月だから、早くて5月遅くて7月かなあ」

 そうつぶやいてから桜井はベッドの中から手を伸ばし、サイドテーブルに置いてある卓上用のカレ

ンダーを手に取った。だがまだ来年用ではないカレンダーは12月の分までしか書かれておらず、そ

こから先はわからなかった。

 でも幸福な未来が確実にやってこようとしているのはたしかなことだった。

「早くやってきておくれ、俺達の『天使ちゃん』」

 そう呟いて桜井は幸福な眠りにおちた。




 その日は偶然桜井の21回めの誕生日だった。 


 

                             Fin.
 

    

     

 これは『21歳』の誕生日を想定してます。桜井は大学2年、希理子は3年目です。いちおう『愛のままに《中略》傷つけない』の続編ですが単品でもOKのつもりで書いてます。
 『医学ネタ』がらみというリクを以前にいただいていたのでやってみたのですがいかがでしょうか?

                        2001/11/20  日向 葵。

 このときちょうど獅子座流星群が旬のネタだったので使ってみただけなのですが、後から見ると何故星?!状態ですね。…まあ、たまには流行を取り入れてみたということにしておきましょう、うん。                《2002/05/23》

  

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