愛のままに我が儘に僕は君だけを傷つけない
       

  


  

「いくよ、希理子」

「……うん」

「ほら、力抜いて」

「わかってるね、桜井?痛くしたらもう2度とさせたげないからね!」

「……そう威嚇しないでくれよ?出来るだけ痛くないように出来るように頑張るから」

「頑張るだけじゃだめ!痛いのヤだ」

「わかった、わかった。希理子が痛くないように全力を尽くす。だからほら、力を抜いて。───い

くよ?」

「うん────」

 プスッ───希理子がぎゅっと目をつぶるのと同時に希理子の身体の一部の上でそう肉のはぜる音

がした。そしてしばしの沈黙。

「───OK、成功。完璧に入ったよ」

 桜井のほっと息をついた言葉に希理子は目を開けた。そして桜井と同じく安心した様子で破顔す

る。

「よかった、失敗されるかと思ったよ」

 そう言って希理子が見下ろした視線の先には希理子自身の左腕があり、その肘の関節近くのところ

には直径2センチほどの注射器が刺さっていた。その注射器を手にしているのは桜井で、ゆっくりと

中に入っている注射液を希理子の体内に注ぎ込んでいる。

 ちなみに先に言っておくがこの中身はけっして麻薬ではない。『グルコース』───分かりやすい

言葉でいえば『ブドウ糖』である。

「あんた結構上手いじゃん。『下手だから練習させてくれ』って泣きついてきた時にはいくら今度イ

タメシ奢るからって言われても断ろうかと思ったもん。これなら試験、合格するんじゃない?」

 桜井が完全に注射をし終え、その針を希理子自身の身体から抜き去るのを確認してから希理子はそ

う言って笑った。

 その言葉に桜井はその注射器を片付けながら苦笑する。

「そうかな?でも俺ホントに下手なんだぞ?これまで練習じゃ3回に1回どころか5回に1回ぐらい

しか成功してなくて、仲間からは『殺人注射の桜井』って言われてるんだぜ?」

「ハハハ、それ最高!あんたの友達センスいいよ!医学部ってオタクと変人の巣窟だと思ってたけど

けっこう茶目っ気あるヤツいるんだね」

「ちなみに俺はその『どっち』?」

 希理子の言葉に何とも複雑な表情をしながら問いかける。仮にも自分が通っている学部の悪口をこ

う正々堂々言われてしまってはさすがの桜井もどう返答していいのかわからない。

「さあ?」

 その桜井の微妙な表情を希理子は面白そうに笑った。

 実は希理子の先程の言葉が示すように『これ』は桜井の注射の練習だった。医者たるもの注射が打

てるというのは当然必要な技術である。その為実技を試験されることになったのだが、何ごとも器用

な桜井だったが血管注射だけはどうしても苦手だったのだ。

 通常、注射とかの練習の際には医学部の学生の仲間同士が互いの腕を練習台にしあうのだが、先程

桜井自身が口にしたとおり、あまりの下手さに『殺人注射』とあだ名されてしまうほど下手な桜井と

組んでくれるものはもう誰もおらず、その為桜井は頭を抱えに抱え、最後には恋人である希理子に泣

きついたのだ。

 希理子はもちろん嫌がったのだが、桜井の度重なる懇願とイタメシ、映画、カットの練習台になる

という誘惑に打ち勝てず、結局おそるおそる引き受けたのだ。そして今に至る。

「だけど、ウソじゃないけどあんた本気で上手いんじゃない?」

 希理子はペタッと血止めの小さな絆創膏を貼られた腕を見ながら桜井に向かって話し掛ける。

「だってこの『あたし』に一発で血管注射成功させたんだよ?あんたのダチみたいな言い方すれば、

それこそ『医者泣かせ』のこのあたしの腕に」

 そう言ってピッと指し示した希理子の細く、白い腕にはまったく血管など見当たらなかった。

 希理子は生まれつき血管が細くて注射の度に血管を浮きだたせる為に思いっきり叩かれたり、熱く

蒸しあげられたタオルをぎゅっと押さえ付けられ、血をせき止める為の縛るチューブでも痕が残って

しまう程きつく結び付けられても必ず1度は失敗されてしまう『極細』の血管の持ち主だったのだ。

 たった一本の注射をうつ為に大病院の注射自慢の看護婦が全員集合し、それでも両手で合計11ケ

所も失敗されて結局看護婦の方が観念して注射をあきらめたという伝説まで持っているのである。

 それを桜井は一発で成功してみせた。失敗されることに慣れてしまっている希理子からすればそれ

は大きな衝撃で、目の前にいる恋人が実はすごい才能の持ち主なのではないかと感心してしまう。

「違うよ、希理子」

 だがそんな希理子の賛辞を桜井は笑いながら首を横に振って否定した。

「俺はホントに下手なんだ、自分が一番わかってる。今回成功したのは注射の相手が『希理子』だか

らだ」

「?」

 その桜井の言葉に希理子は目を丸くする。わけがわからない。

 もしも自分の血管が誰でも見誤ることなどないほどはっきりしている桜井のそれのようなら納得が

いくが、自分のそれは『医者泣かせ』である。なのに相手が自分だから成功したとはどういうことだ

ろうか?

 桜井は希理子が白黒させた瞳に浮かべた疑問符に簡潔に答えた。

「だってさ、俺がお前を傷つけられるわけないだろ?」

「えっ?」

 希理子は大きく目を見開く。そんな希理子に桜井は小さく笑うと、ゆっくりと顔を近付けながらそ

の簡潔すぎる自分の言葉に解説を加えた。

「誰より愛してる『お前』を俺が傷つけられるはずがない。そんなこと出来るはずがない、だから

『お前』が相手じゃ失敗しない───そういうこと」

 その言葉と共に希理子の唇に桜井のそれが重なった。

 何とか言葉を消化しようとしていた希理子はその口付けに一瞬目を見開き、桜井の言葉の意味がわ

かったのと同時に一瞬そっと目蓋を閉じると次の瞬間、桜井を思いっきり突き飛ばした。

「きっ、希理子?!」

 キスを無理矢理中断させられて尻餅をついた桜井は恐る恐る自分の恋人を見上げた。

「このセクハラ医者!神聖な診察室でなんてコトするんだい!」

 希理子の声は大きかったが、口調もその表情も『怒っている』と作っているのが見え見えのものだ

った。その様子に安心して桜井は立ち上がろうとすると、その椅子を掴もうとした桜井の手を希理子

がぎゅっと掴んで引っ張りあげた。

「ありがとう」

 転かしたのは希理子なのに桜井はそう言ってニコリと笑った。そんな桜井に向かって先程とは一変

して、桜井以上の笑顔で希理子はニコリと笑った。

「よかったじゃん」

「はあ?」

 希理子の唐突な言葉にはすっかり慣れっこの桜井だったがこのときばかりは思考回路が繋がらなか

った。

「あんた世界一の名医になれるよ、全部あたしのおかげだね」

「…はあ?!」

 ますます疑問符が浮かんでくる桜井に向かって希理子はすました顔で説明し始めた。だがその瞳は

笑っており、その瞳が表す表情はどこか楽しげというよりも悪戯めいた、からかうようなものだっ

た。

「だってあんたさ、『あたし』だったら傷つけられないんだろ?だったら全然簡単じゃん。これから

診る患者、全員『あたし』だって思えばいいんだよ」

「!」

 その言葉でようやく桜井にも合点がいってきた。希理子が何が言いたいのかやっとのこと理解出来

てきた。

 案の定、希理子は桜井がやっと自分の意図に気がついたことを面白そうに笑うと今度は自分から桜

井の首に腕を巻き付けながら、とどめの一言を紡ぎだした。

「あんたは『あたし』を傷つけられない───だったら注射はもちろんだけど手術も失敗出来ない

し、それにはもちろん誤診も出来ない、これであんたは世界一の『名医』だよ」

 その言葉と共に今度は希理子から唇が重ねられる。

 桜井はそのとき希理子が見せた希理子の笑顔の綺麗さとその優しく甘い感触に希理子の身体をそっ

と、でもいささか強引に自分の方に抱き寄せた。そしてそのまま近くにあった横になる為の診察台の

上に希理子の身体を押し倒す。

「でもね、桜井?」

 希理子は自分に覆いかぶさってこようとする桜井の唇をそっと左手でさえぎるとニヤリと笑ってク

ギを刺した。

「だからっていって『こんなこと』患者にするのはダメだからね?そんなことしたら即刻離婚するか

らね」

 そう言って桜井の唇を封じた左手の薬指───その白い指にしっかりとはめられた銀色のリングを

指し示した。

「わかってる」

 桜井はその手をとってその指に───『永遠』を誓いあったその『証し』の上に唇を寄せる。

「それにこんなことしたいと思うのは本物の『希理子』に対してだけだから、ね」

 そう言って先程の続きとばかりに希理子の細くてしなやかな腰に、足に手をまわす。


 
 結婚してからもうすぐ1年───ぜんぜん厭きない愛情に桜井と希理子は顔を見合わせて笑って、

とにかく今は『夫婦の営み』に没頭することに専念した。
 

                             THE END.

    

     

 2時間弱で書きました。基本ネタは変わらないんだけど、最後で桜井と希理子が勝手に暴走してくれました。やってられるか、ちくしょう!

                        2001/8/13  日向 葵。


 誕生日企画の際の作品です。ホントにページ、サイトにアップする3分前までこの小説書いてました。今となってはいい思い出です。そのうちこの設定の2人の作品をアップしたいな、と計画中です。                  《2001/9/23》

 

  

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