7つの海
       

  


  

 いつものように義兄であるヒロミの所でバイトをして、疲れた身体を引きずって帰宅した早々、希

理子は母親から一通の封筒を手渡された。

「はい、これ、昼間届いたわよ。桜井くんからのエアメールだって」

「!」

 目を見開いて奪い取るようにしてその手紙を引っ付かむと希理子は慌てて自室に向かう2階への階

段を掛け昇った。

「ゴハンは〜?」

「後で!」

 母親の呼びかけに希理子はすげなく返事を返すと、勢いよく扉を開けて自室に入り、その後ろ手で

ガシャリと鍵を掛けた。そうして出来た即席密室で、まだ桜井と付き合いはじめる前、恋に悩んでい

た時に覗き込んではため息を付いたドレッサーの前に腰を掛けた。そして受け取ったエアメール特有

の赤と青の縞縞の入った封筒を見つめ、盛大にため息をつく。

 ドレッサーの引き出しにも、隣にある昔は勉強机で今は物置きとかしている机の上の鉛筆立てにも

封を切る為のはさみは入っている。

 しかしそれを取り出してその手紙をあけることが今の希理子にはためらわれた。

 理由は今から約10日前、桜井から掛かってきた国際電話に起因する。そのとき桜井はペルーにい

た。


 
 
「ふーん、じゃあ今度はインドの方に行くんだ?」

『うん』

 電波網の発達でほとんど時間差がなくクリアーになった国際電話で桜井と希理子は約2か月振りに

なる会話をしていた。

『今日1日掛けて向こうに渡る手続きとって、それで今度はとりあえずボンベイにいこうと思って

る』

「ふーん、まさに地球半周かぁ。多分普通の人間の一生分の旅行してるね」

『ハハッ』

 電話の向こうで桜井は希理子のその皮肉な言葉に笑った。

『でも普通に旅行してる人より楽に3倍はいろいろ勉強させて貰ってると思ってるよ』

 希理子の耳に聞こえてくる桜井の言葉は充実した今の生活に満足したものだった。

『いろいろ勉強してから世界に飛び出したはずだけどさ、やっぱり現地に行ってみると全然違うんだ

よ。ここリマのスラムだって、TVで映る姿は犯罪の現状ばかりだけど、そんな中でもボランティア

で頑張ったり、現状から抜け出そうと必死に生きている人々はたくさんいる。本当のことなんてその

場に行ってみなきゃ全然伝わっては来やしないんだ』

「ふーん」

 桜井の熱く語るその言葉に希理子はそっけない返事を返した。

 本当は桜井の語る話に興味もあるし、桜井の言葉をもっと聞いていたいのだが、いかんせんテレや

で天の邪鬼な希理子は素直にそうは反応出来ない。

 だからついついこんな言葉を言ってしまった。

「よかったじゃん。だけどそれだけじゃないんじゃないの?」

『えっ?』

 聞き返してきた桜井の声に希理子は意地悪く返答した。

「ペルー人って日本人と顔だち似てるっていうじゃん、だけど日本人と比べて積極的で大胆だって。

そしたらあんた、現地の女の子にモテたんじゃないの?」

『ハハッ』

 希理子のその言葉に電話の向こうで桜井は面白そうに笑った。

『うん、いきなり結婚してくれってプロポーズされたよ』

「えっ!」

 さすがの希理子もそれには驚いてすっとんきょんな声をあげた。

「うそ、マジで?」

『うん、本当』

 電話の向こうで桜井は小さく笑いながらすました言葉で付け足した。

『ご妙齡、若干8歳のリィナちゃんにね』

「なっ……!!」

 その言葉で希理子は自分が桜井にからかわれたことを悟った。

「あんた、あたしのことおちょくってない?!」

『うん。いいや、まさか』

 ハッキリと肯定してから桜井は否定した。そんな例え時差にして10時間分離れていても変わらぬ

桜井のそんな様子に苛立ちにも似た安心を感じながらも、希理子はヤラレタままでは癪なのでそれを

逆手にとって言い返すことにした。

「でもま、今度からは遊ぶんだったら気をつけな。外国の中にはそれこそ10歳とかで結婚認められ

ている国だってあるんだろう?そんなイタイケな花嫁、日本に連れて帰ってきたらあんたはその場で

犯罪者だよ」

 その言葉に桜井は再び笑った。

『そうだな、だけど世界中、7つの海全部渡ったってお前以上に好きになれる人間なんてどこにもい

やしないから、そんなことは希理子の取り越し苦労だよ』

「なっ!!」

 桜井からのあけすけな愛の言葉に希理子は思わず赤面する。

「バッ、バカなこと言ってンじゃないよ、もう!」

 もちろんそこまで言われて悪い気はしないし、嬉しかったのだが、いかんせん希理子は希理子であ

る。例え面と向かってようが居なかろうが恥ずかしくて、照れくさくて何が何だかわからない。

 だから思わず桜井のセリフの中に込められていた言葉の一つに突っ込みを入れた。

「そもそもその『7つの海』ってどこの海だい!地球の海はみんな繋がってるんだから、大きくまと

めりゃ一つだろう!」

 だがその言葉が桜井に思わぬ衝撃を与えたようで電話の向こうで桜井は首をかしげた。

『そうだよな?よく言うけど『7つの海』ってどこだろう?』

 桜井から返ってきたその言葉に希理子も思わず首をかしげた。

「えっーと、大平洋、大西洋、インド洋、それから南極海に北極海───それから何処?!」

 思わず指折り数えてもそこまでしか、5つしか出てこない。

『俺もわからないよ。───でももしかして……』

「んっ?」

 疑問に思ったことはすぐに納得の答えが欲しい希理子は桜井に浮かんだらしい答えを問いかけた。

『いやね、『7つの海』って本当に7つあるんじゃなくて、それだけの地域があるって指してるんじ

ゃないかと思ったんだ』

「?」

 希理子は桜井から返ってきたその返答にますます首をかしげる。だが桜井も自分のその言葉では解

説しきれていないとわかっていたのか言葉を付け足した。

『ユーラシア大陸にアフリカ大陸、南北アメリカ大陸にオーストラリア大陸、それに南極大陸に、こ

れはホントは大陸じゃないんだけど北極大陸、これだけあわせると7つの大陸になるだろう?』

「……あっ、うん!」

 桜井の言葉を復唱して指折り数えるとたしかに大陸と言われているものが7つあることに気が付い

た。

『だからさ、大陸が7つあるんだから、それに合わせて『7つの海』って言ってるんじゃないのか

な?それだったら何とか納得がいかない?』

「うん」

 希理子は素直に頷いた。こういう頭の運動のような問題は希理子が好むところだ。だから桜井への

わだかまりというか、何というか、意地とでもいうものもすっかりと忘れて答えの出た命題に喜びの

声をあげた。

『とにかく俺はどこにいても、7つの海全部渡って、全部の大陸制覇しても希理子のこと一番に考え

てるから───ずっと考えてるから』

 電話の向こうから伝えられた桜井のその言葉に希理子の中の切なさが増した。

 その言葉は本当に嬉しかった───嬉しくて涙が出そうだった。だけど別の意味でもその言葉は希

理子の涙を誘った。

 どんなに思って貰ったって桜井はこの場にいない───遠い海を隔てた外国で桜井は自分の念願を

叶える為に毎日充実した日々を送っている。今日はここにいても次の日は何処にいるかわからない

為、電話も手紙も一方通行───自分に出来ることはただそんな桜井からの連絡を待つしかない。

 日本では夏休みのシーズンだ。小学校、中学校、高校はもちろんのこと、大学や希理子のように専

門学校生も少なくとも8月いっぱいは休みを謳歌している。

 そんな中、希理子は義兄の店でバイトに精を出しているのだがたまの休みには外出することだって

ある。すると街中には恋人との休日を楽しんでいる同じ年頃のカップル達があふれている。

 何も同じようにいちゃつきたいとは思わないけど、せめて声ぐらいはちゃんと聞きたい───自分

の声を聞いて欲しい、そんな恋する女なら当然の欲求が希理子の中には突き上げてきていた。

「会いたい……」

 思わず涙と共にその言葉が口から溢れだしていた。

「あたし、あんたに会いたい……直接あんたに会いたいよぉ……」

 それは桜井が帰ってくるまで───いや、帰ってきても、決して口にはしないと誓っていた言葉だ

った。

 希理子は自分でも自覚があるほど我が儘な女だった。だけど好きになった相手の夢を潰すようなそ

んなマネだけは絶対したくなかった。寂しくて壊れてしまいそうな今だって自分の夢に向かって突き

進んでいる桜井を応援し、その未来がかなうことを祈ってさえいる。

 だけどそれと同時に寂しさだって同じぐらいあるのだ。

 いくら本当だってわかってはいても電話で伝わってくる言葉だけじゃ満足出来ない。自分だけを想

ってくれているとはわかっていても、その瞳が世界に向いているかぎり、自分だけが桜井の中に存在

しえないそのことが、だたの女として希理子には何より辛かった。

『ゴメン……』

 電話の向こうで桜井が頭を下げたのがわかった。

『ゴメン……』

 そしてもう一度その言葉を繰り返した。その言葉で希理子はハッと我に返った。

 責めるつもりも詫びさせるつもりも毛頭なかったのだ。ただ自分のなかのせつなさが勝手に溢れだ

していた。───桜井に対する愛しさが勝手に溢れだしていた。

「……ごめん、忘れて───」

 次の瞬間希理子は思わず受話器を切っていた。

 結果としてどうしようもないとわかっていたのに桜井を困らせてしまったそのことが希理子には何

より悲しかった。

 だけど詫びようにも言い訳しようにもこちら側から連絡をとる手段がない。そうこうしている間に

8月が終わり9月に入った。そしてその電話から10日後にこうやって桜井からの手紙が届いたわけ

だった。

 おそらくこの手紙に書かれているのは自分を寂しがらせていることに関する詫びなのだと察しがつ

いていた。だからどうしてもこの手紙の封が切れない。

 詫びの言葉などみたくない───何より後悔して欲しくないのだ。

 自分が好きになったのは夢に向かってがむしゃらに───それこそ世界一の自己中だと自分に思わ

せるまでにひたすら前に向かって突き進むその姿だった。なのにそんな桜井に足留めさせるような自

分自身の存在が希理子には許せない。

 だけどだからといっていつまでも手紙の封を切らないわけにもいかず、希理子はいささか強引に指

でぴりぴりと手紙の封を切った。中には生成りの便せんと一枚の絵葉書が入っていた。

 おそるおそるその便せんを開くとそこには見なれた、すこし右肩上がりのくせのある桜井独特の文

字で希理子に対する想いが綴られていた。


 
『ゴメン。多分希理子はこう書くと怒ると思うけど、まず最初に出てくる言葉はそれし

か浮かばない。本当は俺だって希理子に会いたいけど、きっと希理子は夢に向かう俺を

好きになってくれたんだって思ってるから、例え希理子を寂しがらせることになってて

も俺は今は離れて頑張っていこうと思っている。

 希理子を泣かせるのはイヤだし、そんなこと絶対許せないけど、でも今はたとえそう

でも自分の夢の為に頑張ることが将来希理子を笑わせることに繋がるんだってそう信じ

てる。

 矛盾だけど、本当に矛盾だけど、こんなことしか希理子が俺に寄せてくれている想い

に応えるすべがわからないんだ。だからもう一度謝っておく。ゴメン、本当にゴメン。

 だけどもう一生謝らないから、たとえこれから先希理子のことを寂しがらせて泣かせ

ることになったとしても俺は絶対に謝らないから今回だけは俺の謝罪を受け取ってく

れ。

 同封した葉書はリマで売っていた絵葉書で、この写真をみた時にボランティア活動を

していた時に地元の長老らしき人から聞いた話を思い出したから同封しておいた。

 『コンドルは飛んでいく』という歌、知ってるだろう?あの歌は単に鳥のコンドルを

指しているんじゃなくて、ペルーがスペインによって支配されていた時代に反乱軍を指

揮していたコンドルカンキという人物のことを歌った歌でもあるそうだ。そしてあの歌

に込められた精神はたとえ己の身がどんな境遇にあろうとも、その心はコンドルのよう

に自由に空を飛び回り、目指す世界に向かって飛び出していく、ということを歌ったも

のなのだそうだ。

 同じように俺の心もお前を目指していつだって飛んでいく。たとえ遠く離れていて

も、お前が言ったように海が一つのものなら空だって一つのものなんだから、結局は同

じ空の下で生きているんだってことになるんだと思う。

 だからこんな勝手なこという俺のことを許せないと思うのなら空に向かって怒鳴って

くれ。そしたらきっとその想いは大空を駆け抜けて俺の心に突き刺さってくるから、少

しは希理子の鬱憤もはれるんじゃないかと思ったりする。

 我が儘と勝手ばかりいってゴメン。あと半年たって帰ったら思いっきりぶん殴ってく

れていいから待ってて欲しい。一番にお前に殴られに行くから』

 

 そういってその手紙は締めくくられていた。

「バカやろう……」

 希理子は思わずつぶやいていた。

「勝手なことばかり言いくさりやがって……」

 涙がこぼれてとまらなかった。自分が思っていた以上に桜井が自分のことを理解し、そして自分の

桜井に寄せる想いを理解してくれており、何よりその夢の実現の為に頑張ってくれているのだとわか

って嬉しかった。

 桜井のいうとおり、たとえ遠く離れていても2人は同じ空と水の星の上で生きている───そのこ

とだけでもう充分だった。

 読み終えた手紙を閉じて絵葉書に目をやると、その絵葉書には雲一つない大空を太陽に向かって飛

んでいるコンドルの写真が映し出されていた。

 そこに桜井は悪戯書きのように書き込みをしており、空を飛ぶコンドルをまるで囲っては『俺』、

そしてそのコンドルが向かって飛んでいく太陽には『希理子』と書き込みがしてあった。

「バカ」

 その単純さに希理子は思わず吹き出した。そして貰った手紙は大切に机の引き出しにしまい込み、

そして絵葉書は机の上においてあるフォトフレームに立て掛けた。

 すると一応高校現役当時のままに並べてあった国語辞典が目に入った。希理子はその辞書を手に取

りペラペラとめくって一つの言葉でその手を止めた。そしてそこに書かれている文字の羅列を読み取

るともう一度笑ってその辞書を閉じた。

「ホントは全然間違ってるじゃん」

 そしてその指先で桜井らしきコンドルを突つく。

 希理子が先程開いたページは『ななつ』───そこにはハッキリと7つの海の正体があきらかにさ

れていた。

 北太平洋に南太平洋、北大西洋に南大西洋、インド洋にそれから南極海に北極海───世界中の海

であることにはかわりはないけれど、桜井の導き出した答えとはあきらかに違っていた。

「まずは嘘を教えてくれた説教からだね───」

 希理子はそうつぶやいてにこりと笑った。その顔は先程までの憂いの表情を吹き飛ばし、明日は見

られるであろう秋の透き通った空同様に晴れ晴れと冴え渡っていた。 


 

                             Fin
 

    

     

 希理子ちゃんと桜井くんらしい話に仕上がったのではないかと自画自賛してますけどいかがでしょうか?一応私的には桜井くんはペルーが3カ国目と設定しています。インドネシア、タイ、そしてペルー、んでインドの順です。まあ、内容には関係ないんですけど。
 ちなみに『7つの海』は実際に調べてみるまで私も5つめまでしか出てきませんでした。読まれたあなたはいかがでしたか?全部わかった人、本気で尊敬します。

                        2001/9/9  日向 葵。

 

  

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