「じゃあお願いしますね!先輩達には内緒にしてありますから」
そう何度も念を押されたのは今からもう半月近く前のことだった。その日以来、希理子は悩ませ続
けられている。
「……無理だよ、無理。絶対無理……」
鏡台の前でもう何回目、下手すれば何十回目でもすまないかもしれない、すっかり最近くせになっ
てしまったぼやきを希理子は口にする。
「そもそもだいたい、何であたしがこんなこと押し付けられなきゃならないのさ!」
今度は現実逃避的にもやもやした感情を怒りのそれに転化する。しかし現実も過去も変わらない。
希理子は頭を抱えながらもう一度ぼやく。
「……無理だよ、無理。絶対無理……」
小さな椅子の上で膝を抱えながら、不安げに揺れる鏡に映った自分の顔を見つめる。
「……あたしにアイツら4人分のチョコレートを買って来い、しかもそれを『手渡せ』だなんてさ」
希理子の脳裏にその時の光景がよみがえってくる。その日はたまたま余りにギリギリすぎる出席日
数を稼ぐ為に寒さを堪えて学校に登校していた。
「なっ、何であたしが!」
手に押し付けられた3000円を思わず握りしめながら希理子は同じマネで1年後輩の今川に怒鳴
り返した。
すべてのはじまりは気が向いたのでバイトに行く前に可愛い後輩達の練習でものぞいてやろうかと
体育館に足を運んだことだった。最近のイライラを成瀬らを虐めることで解消して、さあはりきって
バイトに行くぞ、としていたところで今川に呼び止められたのだ。
「だってやっぱり『あれ』は女の人から貰った方が嬉しいでしょう?男の俺たちから貰うよりは」
それだけを言うと結構あなどれない後輩は希理子の前から立ち去っていった。
今川が希理子にした話及びお願いはこうである。
現在大学受験に望んでいる先輩達を応援したい、でも単純に学業成就のお護りを渡すのでは味気な
い、だから何がいいかと案を出し合って考えたところ、バレンタインシーズンも近いことだしチョコ
レートを贈ろう、しかも女性の手から贈ってもらおう、ということになり、そのチョコレートを渡す
役目を部で唯一の女性である希理子に頼みたい、ということだった。
今川のいうその理屈も考えも理解出来る。たしかに面倒くさいがこれぐらいのことだったら去年だ
ったら喜んで、とまではいかないが快く引き受けただろう。
しかし今年は勝手がちがう。どうしても引き受けられない、引き受けたくないわけがある。
だからそれから何度も今川の所に断りにいったのだが、いつものニコニコ笑顔で誤魔化されて結局
バレンタインデーまであと2日を残すだけになってしまった。正確にいうなら後小一時間もすればま
る1日だけになってしまう。
「あいつの分だけ渡さないわけにはいかないよね……」
そうつぶやいて大きくため息をつく。4人中1人だけ渡さないわけにはいかない。だけどこんな形
で渡したくない。気持ちは本物なのに『義理』として渡したくなんかない。それも誰かにお膳立てさ
れた形でなど───。
「神様は不公平だよ!なんで女だけがこんな想いしなきゃならないんだよ!」
悩んでも悩んでも答えの見出せない問題に、現実逃避したいという欲望が怒りの方向へと感情を導
く。
「そもそも確かバレンタインデーっていうのは外国では愛する人が愛する人に日頃の感謝と親愛を込
めて贈り物をしあう日だろ、『女から男』って決まりはなくってさ!日本だけらしいじゃん、女から
男って決まってて、しかもチョコレートって限定が入ってるのなんか」
思わず拳を握り締めて立ち上がっていた。
「日本人もいつまでもモロゾフの陰謀に踊らされてちゃダメなんだよ!西洋の風習を取り入れようっ
てんのなら『本物』の文化を取り入れなくちゃ!」
日本に『バレンタイン=チョコレート』という観念を植え付けた洋菓子メーカーを批判しつつ希理
子はなおも力説する。まさに正論なのだがその根底にあるのがやはり現実逃避というちょっと───
いやかなり恥ずかしい理由だったりするのが情けない。
だがそんなことにはまったく気付かず、希理子は自分の口にした言葉に力を得たように闊達に笑っ
た。
「いいじゃん、やってやろうじゃん!この希理子さんがあのバカに本物のバレンタインを教えてや
る!」
その翌日、『あのバカ』と希理子は街で出会った。
「おっ、希理子偶然だな」
受験シーズンまっただ中、世間では私学の第1次募集の一般入試の大詰めを迎え、中にはもうすで
に結果すら返ってきているこの時期に、桜井はひとり渋谷の街を歩いていた。
「わっ!!、ビックリした!」
急に思わぬ方向から声を掛けられて、希理子はそれこそ飛び跳ねるような勢いで後ろに後ずさっ
た。
「なんだ、なんだ、それってヒドイな」
希理子のその様子に桜井は苦笑する。
「まるで俺に会いたくなかったみたいじゃないか」
「うん」
その言葉とその態度に希理子は我を取り戻し、いつもの調子でキッパリと頷く。
「誰がせっかくの休日に、好き好んで『顔見知り』と会いたいもんかね」
「ハハハ」
桜井としてはその小気味が良いまでの希理子の言い様に笑うしかない。だけれどせっかくのチャン
スでもあるので思いきって誘ってみた。
「その『顔見知り』で悪いんだけどさ、せっかくだから時間があるならお茶でもしないか?何だった
ら買い物もつき合うけど」
その言葉に希理子は微かに顔をしかめた。
「あんたの奢りだったら考えてもいいけどさ、あんたそんなことしてて良いワケ?」
「はっ?」
希理子からの問いかけに目を丸くする。
「『受験勉強』────もうすぐ本命だろ?」
そんな桜井の様子を、呆れた顔をしながら希理子は肩をすくめた。
「!、ああ」
その言葉に納得して桜井は頷く。
「大丈夫、今日は息抜き、息抜き。さっきまで予備校で最終の講議を受けてたんだ。ちょっとぐらい
頭も休ませてやらなきゃ、可哀想だろ?」
「そんなあんたに投資してる親の方が可哀想だと思うけど」
桜井のその言い様に希理子は辛口のコメントで返すと、くるりと振り返って先を歩き始めた。
「───来ないの?」
自分の横に桜井が並んでついてきていないことに怒ったような顔をしながら、希理子は言い放つ。
「あたしも暇じゃないんだからさ、ついてくるんならついてきな。用件とっとと済ませるからさ」
「!、ああ」
そのセリフに桜井は嬉しそうに頷き、慌てて希理子の半歩分後ろ横に並ぶ。
女性としてはかなりの長身で、それゆえに歩幅も大きな希理子だが、それでもそれよりも大きく日
本人としての基準を上回っている桜井は並んで歩くとどうしても最初はトテトテとリズムをあわせる
ところから始めなければならない。
そのうち希理子に気付かせないように、(と言っても希理子は実際にはわかっているのだが)、自
然に歩く速度を桜井は合わせてくるのだが、そこまでのタイムロスの時間が希理子は好きだった。
周囲が思っているよりもずっと不器用な桜井のその『合わせきる』までにかなり努力を要している
ようで、希理子自身はみじんもそう思ってはいないのだが、『美男子』で通っている桜井が主人に気
に入られたい子犬のように自分に付き従ってくるその姿がどことなく滑稽でおかしいのだ。
もしもコイツが自分よりもっと背の低い女とつき合うことになったら大変だな、と一瞬思考を巡ら
せたが、その想像に希理子は思わず吹き出した。
「プッ」
「??、なんだ?どうしたんだ希理子?」
突然の希理子のその行動に桜井は目を白黒させる。
その桜井の姿に希理子はますます『コイツは犬だ』と思ったわけだが、それを口にすることはせ
ず、込み上げてきて消えようとしない笑いの衝動を懸命に押さえ込みながら、とりあえずこれだけ口
にした。
「いやね、いろいろ想像しちまってさ、それが面白かっただけ」
「どんな『想像』?」
「『秘密』」
含み笑いをした表情のまま、それでもすました表情を取り繕うと希理子は厳かに宣言した。
「乙女の想像ならぬ妄想に口出しするヤツは極刑モンだよ」
「ははっ」
その希理子の言い様に桜井は笑う。
「『妄想』ってなんだか卑猥だな、希理子って結構スケベなんだな」
「うるさいっ!!」
返ってきたその反応に希理子は一発右ストレートを喰らわせながら再びすたすた歩き始めた。
「さっさと行くよ!時間で金は買えても、金で時間は買えないんだからね!」
「はいはい」
終止ニコニコと微笑みながら桜井は希理子についていく。
「ちょっと待ってて、すぐすむから」
そう言って希理子が桜井を残して足を踏み入れたのはいわゆる雑貨店だった。雑貨店といっても1
0代、20代の若い女性をターゲットにした可愛らしいアクセサリーや小物を扱っているお店で、バ
レンタインシーズンまっただ中ということで店先には色とりどりのラッピングに包まれた個性的なチ
ョコレートが並べられていた。
さすがに一緒に店内に入ろうと思っていた桜井もそのような場所では文字どおり手も足も出ない。
ある種独特の活気に満ちた空間は『男子禁制』とハッキリと明言しているようなものである。
桜井はその店の店先から少し離れて待つことにしたのだが、希理子が出てくるまでに5分少々の時
間を要した。
「お待たせ。レジが込んでてさ」
出てきた希理子のその手には手提げ袋が下げられており、ほんの少しだけ甘い期待に胸をときめか
せながら、とりあえず希理子を促した。
「じゃあ行くか」
そう言ってしばし来た道をもどると一軒のオシャレな喫茶店に踏み入れた。
紅茶の専門店で、だけどケーキもコーヒーも美味しいと有名な店だが、如何せん市価の5割り増し
程もする高級店なのですぐに席につくことが出来た。
「じゃ、『プリンスオブウェールズ』とこのケーキね」
注文を取りに来た店員に希理子はそう告げるとバタリと希理子はメニューを閉じた。
「あんたケーキは頼まないのかい?」
「うん、今日はいいよ」
「カッコつけちゃって」
希理子は笑う。
「無類の甘党のあんたがコーヒーだけなんてちょっとおかしいよ」
「ははは」
桜井としては笑うしかない。
選んだ店が紅茶専門店ということで店内は女性客だらけだった。そんな場所で自他共にみとめる大
男な自分が芸術的なまでに繊細な細工が施されたケーキにパクつけばかなり奇妙な光景が描き出され
ることだろう。それゆえの敬遠もあって頼むのを止めたのだが、そんな心情は希理子にはすっかりお
見通しだった。
しばらくすると桜井が注文したコーヒーと希理子が頼んだケーキ、そして紅茶がポットに入って運
ばれてきた。砂時計もそこに据えられており、スタッフが落ちきってからお飲みくださいと説明して
去っていった。
「旨そうだな」
「あげないよ」
運ばれてきたケーキにそう感想を漏らした桜井を一言で制して、希理子はさらを自分の方に引き寄
せた。
「一口」
「ヤだ!」
お茶代込みで1500円ほども奢らせておきながら、希理子はやはり即答でその懇願を否定した。
希理子が頼んだのは春を先取りしたイチゴとラズベリーを使ったムース状のタルトで、その上には
店名の入った小さなチョコレートが飾られている。金箔まで飾られたその姿は見ているだけで至福の
時を提供してくれているほどだ。
希理子はそのケーキの上から行儀悪くも手でそのチョコレートを皿の隅によけると、さくりとその
『作品』にメスならぬフォークを入れた。
「美味しい〜!」
乙女らしいところなど微塵もないと周囲から認識している希理子だが、ケーキとか甘いモノが好き
なことだけは一緒で、その口福にとろけきった笑みを浮かべた。
「よかったな」
本当は自分も食べたかったのだが、その希理子の笑顔だけで桜井は十分満足だった。
その紅茶のミルクとケーキの甘い香りがたゆろう中で、桜井は思いきって、かなり野暮だと自覚し
つつも、希理子に向かって内心のドキドキを隠しながら平静を装って問いかけた。
「さっきさ、希理子、やっぱりチョコ買ってたのか?」
「うん」
桜井にしてはかなり勇気がいった問いかけだったのだが、希理子はあっさりとそれを肯定した。
「今川からあんたらに義理チョコ買うように頼まれてね、買い出しに出てたトコなんだ」
そういって先程増えた手提げの中からがさごそとテーブルの上に購入したばかりのチョコを並べ
た。
「『義理』って……ホント義理だな」
その内の一つを手に取りながら桜井は苦笑する。
希理子が購入していたのはいわゆるバラエティチョコで、ご祝儀袋を模したパッケージに潔いまで
に堂々と『義理チョコ』の文字が印刷されている。
「あれ?」
そのことで甘い期待を綺麗に撃ち破られた桜井だがふとあることに気がついた。
「3つしかないぞ?」
その言葉の示す通り、テーブルの上には3つしかチョコは鎮座ましましていなかった。その横に綺
麗に折り畳まれた袋があることから察してもこれで全部ということだ。
「うん、予算上3つしか買えなかったんだ」
しごくあっさりと希理子は頷くと続いて説明を加えた。
「当日、つまり明日限定。会った順番の先着順。欲しい方はお早めにどうぞ」
「お前なぁ……」
桜井は思わずため息をついた。
「予算っていくらだったんだ?言っちゃ何だけど安そうに見えるけどさ」
「うん、全部で3000円」
「3000円?!」
どう見ても一つ2、300円の代物を3つ並べているだけなのに、それなのに出てきたその金額に
桜井は目を丸くした。
「だってさ、預かったお金で口紅買ったらそれくらいしか余んなかったんだもん」
希理子は平然とそう主張し、最初から持っていたカバンのなかから小さな包みを取り出した。
「いい色だろ?今年の春の新色の先行発売品なんだ」
もうすぐ高校も卒業することだし、自分への贈り物だと希理子は笑った。
だが、桜井は希理子の先程述べた言葉の言い回しから奇妙な点を見い出していた。
「お前『預かったお金』って言ったよな?」
「言ったよ」
恐る恐る問いかけた桜井の言葉に希理子はやはりあっさりと返答する。
「それってもしかしたら部費からか?」
「そう」
段々と桜井の声が淡白になっていっているのも無視して希理子はまたもやあっさり頷いた。
「それって『使い込み』ってことじゃないのか?」
「違うよ」
桜井にしてみたら当然のその確認を希理子はやはりあっさりと否定した。
「確かにあたしはチョコを配ってくれって頼まれたけどさ、それには『3年全員への感謝の気持ち
で』って言葉がついてたんだもん。だから自分へのチョコならぬ口紅を優先して買っただけだもん。
───それとも何かい?あたしは『3年』じゃないっていうのかい?」
「・・・・・・・・・」
そのあまりに堂々とした希理子の態度と主張に桜井は絶句するしかなかった。
それに力を得たのか、希理子は昨日自分自身へ言い聞かせていたことを桜井に向かって力説する。
「だいたいさ、バレンタインって女から男へとか、チョコレートとか限定はなくて、感謝と親愛の気
持ちを相手に伝えるためのイベントなんだろ?だったらこれが正解じゃん、あたしの言ってることも
やってることもぜんぜん間違ってないじゃんか!」
「!、そうだな───」
欧米での『バレンタイン』について知っていた桜井は希理子のその珍しく正しい主張に感情ではな
く理性で納得し、自分がチョコレートを欲しがっていたことも、そもそも使い込んだかどうだかを話
していたことも忘れて希理子の言葉に頷いていた。
「そうだったよな、バレンタインってそういうもんだったよな」
「うん」
希理子は頷いてにこりと笑った。それにつられて桜井も笑う。
「じゃあ『ご褒美』だ。一つ賢くなったお坊っちゃんにとっておきのプレゼントをあげるよ」
そう言って希理子は皿の端にどけておいたチョコレートを摘まみ上げ、桜井の口元にそれを運ん
だ。
「ほら『あ〜ん』して、『あ〜ん』」
「!!」
希理子の子どもをあやすようなその言葉と自分に向かって差し伸べられた白い指先に、桜井は思わ
ず紅潮するが、その笑顔の綺麗さにつられてまさにぽかんと口を開けた。
「美味しいかい?」
桜井の口にそのかけらと言うにも小さすぎるチョコレートを放り込み終えた希理子はニコリと笑っ
て問いかけてきた。
「あっ、ああ」
慌ててこたえて、でも内心の動揺を知られたくなくて、それを隠す為に慌てて言葉を繋げる。
「でもこれだけ?」
「なんだ、不平があるのかい?」
その言葉に希理子は顔をしかめる。
「日本人の男の悪いクセだよね、欲しいものがあるんだったら自分から取りに行きゃいいのに行もし
ないでさ、結局それを貰い損ねると後からブツブツ不平だけ言うんだ。人から何ざ貰っておいて言い
返す言葉はそれだけかい?」
「あ、いや、ありがとう」
「よろしい」
希理子の言葉に自分の間違いを納得し、素直に過った桜井に向かってすました顔で頷いた。
「まだ欲しいんだったら明日一番にあたしのとこに取りにおいで。そしたらちゃーんとやるからさ」
「うん、そうする」
そう言ってすでに飲み終わり、食べ終わったこともあって二人は席を立ち上がった。
会計を済ませ店の外に出ると、もう家に帰るという桜井と、これからバイトに向かうという希理子
では向かう駅の方向上逆になる為そこで別れることになった。
「じゃあ明日な」
そう言って桜井は自分の使う路線の駅に向けて歩みをすすめようとしたのだが、その背中に希理子
が声をかけた。
「桜井」
「ん?」
その言葉にふり返ると、希理子は続いて問いをぶつけてきた。
「あたし今日口紅買ったって言ったの覚えてるかい?───それから欲しいものがあるんだったら、
ちゃんと自分で取りに行けっていうのも」
「?、うん」
何故今さらそんなことをと問うてくるのかと思ったが、素直にその言葉に桜井は頷く。
「この口紅さ、色の名前『チョコレート・レッド』っていうんだ」
「はぁ」
希理子が何を言いたいかまだわからないが、それでも何か、希理子が思いきって告げようとしてい
ることだけは感じ取れて、その訳を伺うように納得もせぬまま桜井は頷いた。
そんな桜井に対して、希理子は続けてこんな言葉を投げかけた。
「あした当日、先着限定1名様───欲しい人には一人だけ、『あたしごと』さしあげるつもりだか
ら、欲しいんだったら取りにおいで」
「えっ──────」
一瞬その言葉の示す意味がわからなかった桜井はいささか唖然としながら希理子の方を伺ったのだ
が、そんな桜井に向かって希理子はかなり真っ赤になりながら、それでもとても綺麗な笑みを一瞬だ
けうかべると、その場から逃げ去るように早足で立ち去っていってしまった。
「────────────、あっ!……」
希理子の言葉の示す意味を桜井が理解したのは希理子の姿がすっかり人込みに消え去ってから後の
ことだった。
「参りました───」
思わずそうつぶやいて先程チョコレートを投げ入れられ、希理子の指先が微かに触れた唇にそっと
触れた。
それだけで嬉しさとか恥ずかしさだとかいろいろなものが込み上げてきて、桜井は何だか踊りだし
たい気分になった。
「まだこんな時間か……」
腕時計を確認すると現在の時刻は夕方の5時半を少しまわったところ───明日がやってくるまで
にあと残り4分の1強が残っている。
「目覚まし2時間は早くセットしなくちゃな」
そうつぶやいて桜井は笑う。
希理子の言う通り、欲しいものは自分で貰いに行かなければならない───そして世界でたった一
つの、桜井にとっては他にとってかわれるものなどない『限定品』なのだから、それはなおさらのこ
とだった。
「早く明日が来ないかな」
色とりどりのイルミネーションが輝く中、桜井は世界で一番幸福だった。
Fin
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