| 10月の発見 |
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入ってくる風が気持ちよかった。グラウンドで流されている体育祭らしい曲がその風と共に響いて きているが、普段ならうっとうしく思うそれも今日は何だか許せる気がした。 希理子は今保健室のベッドの上に寝そべっていた。その希理子の身体のうえで小さな光の雫が風が そよぐごとに小さく揺れている。グラウンドに面している窓の向こうには小さな垣根がある。そのた め、光が差し込んでくるはずの光がそれらの木々に遮られて木漏れ日となって降りそそいでいるのだ。 希理子は風と木々がつくり出している光の海の中で小さくまどろんでいた。だがその静寂を柔らか く、気遣いを持って壊す声がした。 「────誰かいますか?」 「……ぁん?」 希理子はその声に反応するように身体をごろりとその声のする方向に動かした。するとその声の主 も希理子のその反応に気付いたのか希理子の方を向いてきた。 「あれ、どうしたんだ希理子?」 保健室の入り口に立って居たのは桜井だった。希理子は慌てて、だがわざと面倒臭そうにゆっくり と身体を起こす。桜井はその希理子の方にいささか慌てたように近寄ってくる。 「気分でも悪いのか?どっか調子が悪いのか?」 心配そうな瞳で覗き込んでくる。その主人の異変を察知して不安げな様子を見せる犬のような様子 に希理子は少しからかいたくなった。 「生理痛」 「ふぇ?」 桜井は希理子の簡潔な解答に目を白黒させる。 「だから生理痛だって言ってンの」 希理子はもう一度そう繰り返した。桜井は時間にして3秒程掛かってその言葉の意味を消化し顔を 微かにあからめた。 「あっそう」 平然を装いながらそう言い返してくるが内心の動揺は隠せていない。この年頃の少年というか青年 というか、とにかく思春期の男にとって女性の性についての言葉はタブーだ。どんな爆弾を投げ込ま れるより効果がある。 希理子はその様子をケタケタ笑うと靴を引っかけながら立ち上がって立ち尽くしてしまった桜井の 肩をポンポンと軽く叩いた。 「冗談だよ。さぼりに決まってンだろ?どうせさぼるんなら美保ちゃんに保健室でさぼってろって頼 まれてさ、だからこうやって寝ててお客さんを待ってた訳」 「白石先生が?」 「うん、美保ちゃんはテントの下で救護室やってるだろ?だけどそっちじゃなくてこっちの方に来ち ゃう人間もいるだろうし、日射病で運ばれてくる人間もいるだろうからその人間を介抱してやってく れってさ。ほらあたし、いちおう介護とかテーピングの心得があんだろ?だからさ」 希理子が言う『美保ちゃん』と桜井が言う『白石先生』は同一人物でこの上南高校の保険医である。 そしてついでにいうならバスケ部の副顧問だ。さっぱりとした気性で希理子とは気があっている。 「それであんたは?」 希理子はすたすたと歩いて治療用に置いてある机の方に向いながら肩ごしに振り返りそう声を掛け る。 「ああ、ちょっと切っちまってさ」 桜井はそういうと自分の左ほっぺたの辺りをさすった。よく見るとそこには赤い筋が4センチほど の大きさですっと浮かび上がっている。 「どうしたんだい?そんなとこ」 普通の状態ならそんなところにそんなふうな傷がつくわけがない。 「棒上旗取りで守り手やってたら引っ掻かれたんだ。ほっといても直るっていったんだけど周りの連 中がうるさくてさ、取り合えず消毒だけでもしてこいって言われてね、それできたんだ」 その言葉に希理子は納得する。棒上旗取りは3年男子全員参加の競技だ。その激しさときたら他の 競技とは比べ物にならない。毎年ハリキリすぎてけが人が続出する種目だ。進学校なのにこの大事な 時期にこれ程危険な競技をさせるとはどうかとも思えるが、暴れまわれる分ストレス発散になるとい うことで生徒からの要望で毎年続けられている。 「で、何でこっちにきたんだい?それぐらいの傷ならテントの下で救護室やってるの知ってただろ?」 希理子は素朴な疑問を桜井に向かってぶつけた。その問いかけに桜井はどこか恥ずかしそうに答え を返してきた。 「そのことすっかり忘れてたんだ」 「ハハッ」 やはりどこか抜けている、そう思ってしまい思わず笑みがこぼれる。桜井はその希理子の様子にま すます気恥ずかしさを覚えて視線をさまよわせる。 希理子はそんな桜井の様子ににやりと笑うと丸い背もたれのない椅子を指し示した。 「座りなよ」 「?」 桜井が疑問の瞳を希理子に向ける。 「やってやるってんだよ、傷の手当て。消毒と薬ぬる程度ならここにあるので間に合うから」 薬品棚の扉を開きながら希理子はテキパキと必要な道具を取り出し始める。 「いいのか?」 「何が?」 「面倒じゃないか?テントの方に行っても良いけど」 気遣うように桜井が希理子の様子を窺ってくる。 「あたしの手当てじゃ気に喰わないってのかい?」 桜井のその思いを理解した希理子はわざとからかうような言葉でこたえる。その言葉に桜井は慌て て首を振った。 「めっそうもございません、女神サマ」 「もしかしてあんたあたしのことバカにしてる?傷口に塩すりこんでやろうか?」 「そんなことございません、大御所サマ」 その言葉にくすくす笑いながら希理子はタオルを桜井に向かって投げ付けた。 「まず顔洗って。汚れてたんじゃ何の意味もないかんね」 桜井はその言葉に従い、治療用のテーブルの上にメガネを外すと流しでじゃばじゃばと顔を洗った。 そしてそれを拭いながら希理子の立つテーブルのところまで戻ってくると置いたメガネを再び掛けよ うとした。しかしその動作を希理子が制する。 「待って」 「?」 「傷口がこんなとこに出来ちまってるのにメガネ掛けられてたんじゃやりにくいよ。終わるまで外し てな」 「わかった」 その言葉に納得すると桜井は言われるままに丸イスに腰掛けた。希理子は桜井の顔を覗き込むよう にその傷口のぐあいを確かめると手にしたティッシュで傷口の辺りを綺麗に拭った。その行動にさす がに痛かったのか桜井が微かに顔をしかめる。 「もうちょっと優しくやってくれよ」 その抗議に希理子はぷっと顔を膨らませる。 「どうやってこれ以上優しくしろっていうんだい?文句があるならもうやってやんないよ!」 「ゴメンゴメン」 桜井はひいたほうが得策とばかりに即座に謝った。希理子はその態度に幾分機嫌を直したのか再び 桜井の方を向く。 「結構切れてるよ、この傷。下手したら跡が残るかもよ、……まあ大丈夫だと思うけど」 顔という部位は切れても出血が少ない場所なのでわかりにくかったが結構深く切れていた。場所に よればまさに裂けたという感じで傷口の腫れもあるのだろうけれど1ミリ半程の深さに達している。 「別にいいさ、俺は嫁に行くわけでもないしちょっとぐらい傷が残ったとしても」 桜井は再び左頬を、今度は傷口の少し下辺りをさすりながら返事をする。 「それに男は顔じゃないだろ?」 その笑いを誘うような言い方に希理子はぷっと吹き出すように小さく笑うと、すました顔を作りな がら桜井に向かって言い返す。 「あんたの『中身』に引っ掛かってくれる奇特な女がそう居るかねぇ?外ヅラがそのニコニコ顔だか ら中身が自己中の極悪根性悪策略師のあんたにみんな騙されてくれてんのに、そうじゃなくなった極 悪ヅラのあんたにそれでも引っ掛かってくれる女なんかおいそれといやしないよ」 「ひどいな」 さすがの桜井もここまで面とむかっていわれれば苦笑するしかない。 「事実だろ?」 だが希理子は平然と言い返す。 「自分の評価を自分でしてもそれは他人様はだれも認めちゃくれないんだよ。自分以外の誰かの評価 しか世間には通用しない。だけど今の自分が気に入ってて、それでいいっていうんなら他人の評価な んか無視すりゃいいんだよ。それがもとで自分が孤立していってもいい、ぜったいに今の自分を変え たくないってんのならそれを覚悟で自分の意志を貫けば良い。それが世の中の真理ってモンだよ」 その希理子の言葉に桜井は目を白黒させて希理子を見上げている。 「何?」 そのまじまじと見つめられる瞳が恥ずかしくて希理子は視線をそらしながら桜井の様子をうかがう。 「いや、結構哲学者なんだって思ってさ、希理子が。いっつもそんなふうに考えてるんだ」 感心したように言われて希理子は真っ赤になる。それをごまかすように手にしていた消毒液をピッ とすかさず振り掛けた。 「わっ」 桜井はその突然の攻撃ならぬ治療に目を臥せる。 「馬鹿なこと言ってないでそのまま目を閉じてな。薬が飛んで入っちまうかもしれないからね」 希理子はそういいながら桜井の傷口をめがけて消毒液を振り掛けながら、そのこぼれ落ちてくる雫 を反対側の手でティッシュを使って拭き取っていく。その間ふたりとも何も言わない。その結果、先 程希理子を包み込んでいた優しい静寂が二人の間にも満ち始める。グラウンドに流れている音楽が風 にのり微かに聞こえてくる。だがその音楽に何か気がついたのか静寂の中の沈黙を護っていた桜井が 再び口を開いた。 「お前、ダンスにいかなくていいのか?」 「ああ」 グラウンドから微かに聞こえてきたのはこれまでのいかにも体育祭といった音楽ではなく、テンポ のよいダンス音楽だった。 上南高校の伝統で男子が棒上旗取りをするように3年の女子は創作ダンスを踊る。週3時間ある体 育の授業のうち、内1時間はずっと創作ダンスをするのが上南の伝統だ。その集大成ともいえるのが この体育祭での発表で、3年女子全員がテーマにそった衣装を身に付けて全校生徒の前で披露する。 その為、体育祭の前どころか、2学期に入った直後から女子はみんな昼休みには体育館に赴いて自主 練習をしいられるほど本格的なものなのだ。それにはもちろん体育の評価に大きく影響がある、とい う理由もある。 「あたしに踊れるわけないだろ?あれって結構激しいんだ。20分も動いちゃカラダがもたないよ」 希理子はそう苦笑混じりにいった。体育教師がダンス好きな為振り付けもかなり複雑で高度な動き を要求される。しかも長い。一通り踊り終わればみんな汗だくになってしまうような代物なのだ。 「……ゴメン」 「気にしてんじゃないよ。別にあんたの所為じゃない」 「だけどゴメン」 桜井は目をあけて希理子の表情を窺う。希理子はその様子に小さく首を横に振った。 「だから気にしてない」 そして桜井の傷口に軟こうを塗りながら話を続ける。 「それにあんたがそうやって気遣えば気遣う程、あたしはみじめになる。一生誰かに気遣われて暮ら さなきゃならないのかと思ってゾッとする。だから止めとくれ」 希理子のあっさりとしながらも内心をさらけだしたその言葉に桜井は軽く目を閉じた。 「……やっぱりゴメン」 希理子にそんな言葉を言わせてしまったことに対して桜井はそう詫びた。その真摯な様子に希理子 は再び小さく首を振ると軽くため息をついた。 「止めよう、暗い話は苦手なんだよ。悪いと思ってンのならこんど何かおごっておくれ、ねっ?それ でチャラにするからさ」 明るくしようとする希理子のその声に桜井は同じく苦笑し、そして希理子の思惑にのせられるべく 小さな質問をする。 「何がよろしいでしょうか、お姫さま?」 その態度まで作った仰々しい言い方に、希理子は小さく笑いながら桜井の傷口をぺちりとたたく。 「イテッ」 桜井が顔をしかめる。だがその様子を見ながらも希理子はしれっとした様子で言い返す。 「やっぱ、その減らず口が減らせるように傷口に青酸カリでもすり込んでやればよかった」 「……それって減らず口も減るだろうけど、それ以上に俺の命も減らないか?」 「人類と地球の未来のためだ、あたしも喜んで手を汚すから、あんたも喜んでこの世から消え去って おくれ」 「……頼むから喜んで手を汚さないでくれ」 その情けない言い種に希理子はプッと吹きだし、続いてお腹を抱えてケタケタと笑い出した。その 楽しげな様子に桜井も思わず笑みがこぼれる。 「あっ」 そうしていると希理子が何かに気がついたのか嬉しそうに桜井の顔をまじまじと覗き込んできた。 その顔どうしが接近する感覚に、メガネを外している為にほとんど見えないながらも桜井は顔が赤く なる。 「よく見るとあんたって奥二重なんだね!あたしずっとあんたのこと一重目蓋だと思ってた」 希理子はその小さな大発見にこれ以上ない程満足げな満面の笑みを浮かべる。その様子に見えない ながらも20センチほどしか離れていない希理子の笑顔を思って桜井の鼓動は速くなる。 「知り合って2年以上にもなるから、あんたのことなんか何でも知ってると思ってたけどこんなこと 見落としてたなんてね。全部わかるのには何年かかるんだろ?」 何気ない、だけど未来を示すその言葉に桜井は嬉しくなる。だから思わず笑ってしまう。 「なっ、何?何かあたし、おかしいこと言った?」 突然声を立てて笑い出した桜井の瞳を希理子はいぶかしげに覗き込む。 「────たよ」 「ふぇ?」 笑い声混じりの言葉が聞き取れずに希理子は桜井の言葉を問い返す。 「俺もね、メガネを外してみた方が希理子のことがよく見えた、って言ったんだ」 その言葉に意味がよくわからず、希理子は目を白黒させている。その様子を見て桜井はにこりと笑 ってさっと立ち上がる。 「さっ、そろそろ昼ご飯だ。学食でよければおごるけど?」 「それで済まそうっていうのかい?」 先ほどの言葉を示しながら希理子はわざと作った物足りなそうな様子をしながら桜井の方をきっと 小さく睨み付ける。 「ダメ?」 その様子をくすくす笑いながら桜井は問いかける。 「まあいっか。ただし一番高いA定食だよ」 「はーい」 そう言い合いながら保健室をあとにする。二人が立ち去ったあとのその部屋にはやはり優しい静寂 が満ちていた。 Fin
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