9月の制裁
     

 

    
      
「やめときゃ良かった……」

 希理子はそうつぶやいて机の上につっぷせた。9月の半ばになったとはいえ、まだ一向に涼しくな

る気配を見せない。その暑さのせいもあって希理子の苛立ちというか疲れというか、とにかくどうし

ようもない不快感がますます蓄積されていく。

 希理子がつっぷした大きな机の上には順序よく並べられた無数とも思える程膨大な枚数の写真が並

べられていた。インターハイの時に撮ったものがほとんどだが、その中には夏の終わりに行った海へ

の1泊旅行の際の写真も混ざっている。これらはすべて焼き回しをたのまれたものだ。小遣い稼ぎに

しようと思って引き受けたことだったがこんなに面倒なことになってしまうとは思いもよらなかった

のだ。

 インターハイに出場したということは上南メンバーすべてにとって記念すべきことだ。メンバー全

員が将来自分史なるものを制作することがあったとしたなら、その中のメインとする人間がほとんど

なほど貴重な経験だろう。希理子とそして希理子によって鍛え上げられた今川のカメラの腕はちょっ

としたものだ。ただの使い捨てカメラや安物のオートフォーカスを使って撮っているとは思えない程

出来がいい。だからその大イベントの記録として試合中の写真などを部員達が分けて欲しいと申し出

て来たのだ。 

 希理子が御用達にしている写真屋では焼き回しが1枚16円、それを部員達に『特別価格』として

1枚40円で販売することをしたのだがこれが結構どころかとてつもなく大変なことになってしまっ

た。

 インターハイ中、それぞれの試合で少なくとも10本以上のフィルムを使っている。それが4回で

試合関係だけで約50本。それに観光の時などの写真と夏の海で撮った写真を含めると合計で60本

分のフィルムを現像したのだ。それがそれぞれ27枚撮りとして普通に現像しただけでも1600枚

以上になるのに、それをいちいちバスケ部のメンバーや西前先生など一緒に札幌にいった人間から頼

まれた分を焼き回しすると1万枚以上にもなってしまったのだ。それというのもガンや斉藤などが親

戚中に配る、などと言って同じ写真を何十枚単位で注文して来たからである。

 フィルム代などの元手が掛かっている分を差し引いて、1枚につき約20円程の利益があるわけな

のだが、それを注文されたリストごとに枚数を数えて小分けしていく作業をしだすととてもじゃない

がその程度の利益じゃ割にあわないほどこまごました面倒臭い作業だった。だが余りに大量の写真を

焼き回しする為に義理の兄であるヒロミちゃんから借りたお金を返す為にもこの作業を投げ出すわけ

にもいかない。そのためいちいち100種類程度を机の上に並べては注文ごとに小分けして封筒につ

めていくという地道な作業をえんえんと繰り返しているのだ。ちなみにこの作業をやりはじめた時に

は今川を手伝わせていたのだが、途中で逃げ出して体育館の方に行ってしまった。

「あーっ、くそ!」

 希理子は再びその面倒くさい作業に戻る。もうすでに3日目に突入してしまっていたその作業もや

っと終わりが見えて来た。あとは海で撮った分を小分けするだけだ。

 広げられるだけ机の上に自分が割り振った番号の順に写真を並べて注文主の名前を書いた封筒に注

文された写真を次々に放り込んでいく。この分はまさにプライベートのものだから撮った数も少なけ

れば注文された枚数も少ないのでこれまでにくらべると楽なものだ。それにあと少しで終わるという

開放感もあって作業をすすめる手も早まった。だがその生まれて来た心の余裕もあって手にしたリス

トの名前を見て手が止まる。お手製の注文用紙の一番上には『桜井』と名前が書き込まれていた。

 気を取り直してその注文された写真を取り分けていくがそのすべての中に当然のことだが桜井が写

っている。そしてそのほとんどの中で桜井はいつもの笑顔を浮かべていた。

 これまではそんなことに気をとめずに淡々と作業をすすめていたのだが気になりだすとやけに目に

つく。そのせいで感情がだんだんと不快の方へと傾いていく。

「この大バカやろう……」

 無意識につぶやいていた。イライラする。この笑顔を見ているとまったくもってイライラする。

 海に誘ったのは、しかも金北戦という大舞台の最中に海に誘って来たのは桜井の方からだった。そ

のときした返事は『勝ったらね』だったが、頑張っていたし自分も海に行きたいという気持ちもあっ

て負けたけど一緒に行くことにした。『ご褒美だよ』、再び誘って来た桜井にそう返事をすると桜井

は『そうか』と言って苦笑をしていたがそれでも嬉しそうだった。

 だから自分的にはそれで満足だった。言い訳がましいかもしれないけれどまだハッキリと形作られ

てはいない自分の中の桜井に対する感情を整理する機会を得る為にも、『友情』なのかそうじゃない

のかハッキリさせるためにも部活を離れた場所で会うのはいい機会だと思った。だけどその約束をし

てから数日後、再び詳しい打ち合わせをする為に掛かって来た電話で希理子は自分の中の時間が一瞬

止まり、そして再び動きだすのを自覚した。

『ホテル、予約しといたから』

 受話器越しに伝わって来たその言葉が希理子の時間を止めた。その言葉のあとに続いていた『その

方が楽だし、ゆっくり楽しめるだろ?』という言葉など聞こえてはいたが耳の中を素通りしてしまっ

た。そのショックのあまり、待ち合わせの内容や行き先を確認して来た桜井に対して『わかった』と

呆然としたまま返事をしてしまった。そして電話が終わり、ふと受話器を置いてから近くに置いてあ

る鏡に映る自分を見た瞬間に希理子はこれまでとは違った方向に自分とそして桜井が動き始めてしま

ったことを理解した。

 男と女、しかも若い男女が1泊で出かけホテルに泊まるということが意味することはそうとしか考

えられない。もしもそうじゃない意味で誘ってきたのならあまりにも自分をバカにしている。女とし

て自分を見てはいないということだ。そして自分は呆然としながらだがその誘いに対して『是』と答

えた。つまり、『そうなること』を『望んでいる』、もしくは『受け入れた』ということだ。

 希理子は自分のことが可笑しくて笑い出した。まったくもってどうかしている。今の今まで自分の

本当の気持ちに気付いていなかったなどおかしくて仕方がない。

 やがて笑いをおさめると自分自身の映った鏡に手を伸ばす。そしてその指先で唇の辺りにそっと触

れた。鏡に映った自分の顔は『女』、それも『恋する女』の顔だった。

 そして迎えた待ち合わせの日、希理子は駅で再び呆然とさせられた。桜井と2人だけのはずだった

のに他のメンバーも勢ぞろいしていたのだから。

 希理子は一瞬桜井が自分のことをただの遊び友達として海に誘ったのだと、だから他のメンバーも

ここにそろっているのだと思ってカッと全身に怒りと勘違い故の恥ずかしさの為の血が昇りつめた。

だが桜井の自分を伺う様子や馬呉たちの口ぶりなどから桜井がついうっかりその日の予定を口から滑

らせ、その為勝手に他のメンバーが乱入して来たのだと理解した。あまりにも桜井らしい間抜けぶり

に呆れ返ってモノも言えないという感じになった。だがそうやって考えるに至ってさらなる疑問が希

理子の中にわき上がって来た。こいつ、何で『誘った』んだ?、それである。

 もしかしたら桜井は自分のことが好きなのかもしれない、そこまではたどり着いている。だが桜井

自身から言葉としてそれを言われていないことに気が付いたのだ。

 今回海に誘われたのは桜井が自分に告白するためだったのかもしれない。だがだとしてもムシが良

すぎる。たとえ告白されたとしても付き合いはじめたその日に『許す』ほど自分は軽い女に思われた

のだろうか?2人きりという甘い雰囲気の中でなら流される女だと思われているのだろうか?

 そう考えて首をふる。いくら何でもそれはない、……と思いたい。それは恋する乙女心の相手を美

化しようとする働き故もあるかもしれないが、そんなふうに自分のことを評価しているとは思えない。

桜井は自分が知っている限りではあるが、モテるわりに女の子と付き合っていたという過去はない。

だから単純に『泊まる』ということが結び付く先をイメージも出来ず、意識もせずに誘って来たのだ

ろう。そう考えればこれ以上なく余りにも桜井らしくて納得が行く。気負いづいていた自分がバカみ

たいに思えて気が抜けてしまった。

 だがそれがまた再び怒りに変わる。いくら何でも桜井が気楽で間抜け過ぎるように思えてきたのだ。

 希理子は『覚悟』を決めて海に行くことを、泊まることをOKしたのだ。返事をしてから実際に旅

立つまでの5日間、どれほど心をなやませ、どれほどの想いをして覚悟を決めてきたと思っているの

だ?

 それを笑ってごまかそうとする、いや、もしかしたら希理子のそんな気持ちにすら気付いていない

かもしれない桜井の無神経さに対して腹が立つ。

 他のメンバーを連れてきたことを謝ってくれたなら、まだそれでも許せたかも知れない。だけど桜

井はただ渇いた笑みを自分に対して向けてきただけで言い訳の一つもしてこなかった。それが余計に

希理子の苛立ちを掻き立てる。

「このやろう……」

 自分が撮った中でも一番出来がいい桜井の写真を手にとる。実物が近くにいないのでその写真をや

ぶり捨てるという八つ当たりをしようと思ったのだ。だが真っ二つにしようとしてぴりっと破きかけ

たところで手がとまる。その写真の中では桜井が夏の日ざしを浴びながら満面の笑みを浮かべていた。

 桜井はよく笑う。というかまぬけなほどに常に笑っている。だけどそれは桜井という人間の本質を

柔らかく包み隠す為のオブラートのようなものだ。うっすら透けて中身が垣間見れても、はっきりと

中身を見ることも出来ないし触れることも出来ない。

 希理子はそのことを知っている。桜井がどれほど計算高く、本当は卑劣で卑怯で残忍な人間かとい

うことを知っている。だから桜井の笑顔は信用出来ない。信じれば痛い目を見るだけだ。

 だけどこの写真の中の笑みは違う。この写真の中の桜井は本気で笑っている。たしかこの写真を撮

った時、自分は桜井を振り向かせる為にこう声を掛けたのだ。

『あたしと居れてうれしいかい?』

 水着姿を自慢する為の言葉だったというのに桜井は一瞬目を見開くとゆっくりと頷き、この写真の

中の笑みを浮かべながらこういったのだ。

『ああ、最高に』

 本当にまぶしそうに、これ以上なく愛しいものを見るように自分のことを見つめていた。

 桜井がこんな笑みを浮かべるのは自分に対してだけだ。いつわることなど出来ないといったような

純粋で誠実な桜井の一番深い部分が前面に出てくるような笑い方をしてくるのは希理子に対してだけ

だ。

 希理子はそれを知っている。それがまぎれもない桜井の真実の姿だと知っている。だから手にした

写真が破れなくなってしまう。自分に対する愛情をこれほどまでに示してくれている笑顔を引き裂く

ことなどどうしても出来ない。

「バカやろう……」

 もう一度つぶやく。いくら態度で示されたって言葉が欲しいのが女心なのだ。それを理解しようと

しない、理解してくれないなど最低だ。

「バカやろう……」

 言い訳ぐらいしてこい、全部理解してもらっているなど思うなどはなはなしい思い上がりだ。調子

にのるにもほどがある。

「バカやろう……」

 好きなら好きって言って来い、誤解をまねくような言動はいい加減にしろ。

「バカやろう……」

 だけど……だけど……。

 希理子はやぶりかけた写真の中で微笑む桜井の顔に手を触れる。そして大写しになっているその桜

井の顔に微かに小さく口付けた。その渇いた感触にくすりと笑うと、そっと胸元に一瞬だけかき抱い

て、桜井用の封筒の中にその写真をぶちこんだ。

 自分からは言ってやんない、希理子は心の中でそう決意する。

 これはバツだ。自分のことを振り回し、覚悟まで決めさせておきながら笑ってごまかそうとした愛

しい大バカ者に対するれっきとした制裁だ。あいつの方から自分に言ってくるまでは自分の桜井に対

する感情は伝えてやんない。微塵たりともみせてやんない。

 そんなことを考えながら写真を袋詰めする作業にもどる。そしてその面倒だった作業も終わり、適

当に片付けて小分けした袋を段ボールの中に放り込む。

 さっさと帰ろうと鞄を手にする前に希理子はガチガチに固まってしまっていた身体を椅子ごと大き

く後ろにそらした。すると全開にしてある窓の外の景色が瞳の中に飛び込んできた。思わず後ろに体

重を掛けた不安定な状態のまま、希理子はその景色に見入る。

 視界に広がったその青空は決意を固めてすっきりとした希理子自身の心をあらわすかのように透明

な、秋を先取りしたかのように透き通った空気に包まれていた。

  

                                 Fin
              
 2000/9/16up


 9月編、いかがなものでしょうか?原作で『海編』を読んだ時にかんじた桜井に対する疑問、怒りを希理子に代弁してもらうような内容になってしまいました。こんなに失礼なことをされても桜井を許してしまう希理子のことを心からすごいと尊敬します。本当にいい女だよね、希理子ちゃんって。

     

   

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