| 6月の言い訳 |
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そう声をかけられて希理子は驚き半分気まずさ半分でその声のした方向に顔を向けた。案の定そこに立 っていたのは桜井修司その人だった。 「どこで何してようがあたしの勝手だろ?」 そう言い返しながらも希理子は決まりの悪い思いを味わっていた。よりにもよってという思いがある。 どうも自分はこの男に格好の悪いところを見られてしまう運命に生まれついてしまったかのようだとさえ ほんの少しだけ思った。 桜井はその場に立ち尽くしたままの希理子の姿をしげしげと見やるとのほほんという口調で問いかけて きた。 「もしかして傘、持ってきてないのか?」 ギクッ、まさにそういう思いで希理子はそしらぬ顔を決め込もうとしたが結構長い付き合いになってき ている桜井にはその行動は通用しなかった。 「馬鹿だなぁ、今日は昼から降水確率100%だって昨日の晩からずっと天気予報で言ってたじゃないか」 そのとおりだった。 希理子は今もっとも正門に近い出入り口のところに立っていた。朝の間は何とかもっていた天気も昼か らは完全に崩れてしまい昼すぎからはどしゃぶりになってしまっていた。だが希理子はこんな天候にも関 わらず傘を忘れてきてしまったのだ。 というのも昨日一日天気予報を見ていなかったということと、今朝寝過ごしてしまって遅刻ギリギリで 家をとびだしたために、すっかり雨が降るということを頭に入れていなかったのだ。しかも矢部希理子と いう人間は置き傘をするようなマメさをもっている人間ではない。 ちょっとの雨なら駅まで走るなり、歩いて5分のところにあるコンビニに寄れば良いがそれこそバケツ をひっくり返したような今の大雨では確実にそこに辿り着くまでにびしょびしょになってしまう。そのた め希理子は何とかもう少し小降りにならないものかと途方にくれていたのだ。 「駅まで入れてやろうか?」 「えっ」 突然そう言われて希理子は一瞬何を言われたのかわからなかった。 「そこに突っ立ってても当分雨は止まないと思うぞ。小雨になるの待っててもいつ帰れるかわからないだ ろうし、それだったらせまいけど入っていかないか?」 桜井はそう言って自分の持っていた大きな紺色に赤のラインの入った傘を希理子の方に示した。 希理子は一瞬躊躇したが見上げた空はどんより曇りまくっており、その桜井の言葉の通りいつ止むかな ど検討もつかない。それに普段ならこれ幸いとばかりに桜井の手から傘をふんだくって帰っただろうがこ れほどの大雨でそれをするのはさすがの希理子にもためらわれた。 「じゃあ近くのコンビニまで入れてよ。そこで傘買うからさ」 それが希理子の出した妥協案だった。 桜井は頷くとその持っていた大きな傘を広げた。希理子はその桜井の右側に並ぶようにその傘の中に入 り、二人並んで駅の方に向かって歩き出す。 最初、校門を出るぐらいまでの間、希理子は自分が微妙に桜井の差す傘から遅れがちになってしまった。 希理子の歩くいつものペースが桜井の歩くペースと噛み合わなかったのだ。 桜井はさほど足を早く動かしているわけではないが背がずば抜けて高い分歩幅が希理子より若干大きい のだ。希理子はそのことを苦情として伝えようと口をひらきかけた。だがそう言葉を発するよりも前に桜 井は何も言わずに希理子に歩調を緩めたことを意識させないように、ごく自然に希理子が一番歩きやすい 速さまで速度を遅めていた。 「どうした、希理子?」 横を歩く希理子が自分の顔を見上げているのに気が付いて桜井は不思議そうに希理子の顔を見やった。 「ううん、何でも」 希理子はそう言うと再び正面を向いて桜井の隣を歩き始める。 見上げた桜井の表情からは速度を合わせたという煩わしさやあえてそうやっているのだという恩着せが ましさは一切感じられなかった。それどころか見上げた時に希理子の目に映った希理子の歩いている方の 反対側、つまり桜井の左肩の方は荷物ともどもびしょびしょになりつつあった。 希理子は桜井に気付かれないようにちょっとだけ視線を傘の方にやり、桜井の傘の差し方を見た。案の 定、傘は大きく希理子よりに傾けられそのどしゃぶりから希理子のことを守っていた。 希理子は桜井と同じように左肩の方に掛けていた鞄を右肩の方にかけなおした。そしてそのために出来 たスペースよりもさらに10cm分ぐらい桜井の方に身体を近付ける。そうすると2人の身体はほとんど 擦れ合うかどうかという瀬戸際ぐらいまで接近する。 「希理子?」 桜井は希理子が突然自分の方に接近してきたことに対して疑問を持ったようで、歩きにくかったのか、 それとも何か別の要因があったのか問いかけるべく瞳を希理子の方に向ける。 「バッカじゃないの、あんた」 希理子はそれだけほとんど聞こえるか聞こえないかと言うような小さな声でつぶやくとほんの少しだけ 歩調を速めてすたすたと歩き始めた。そのため、今度は桜井の方が取り残されるかたちになってしまう。 「おい、待てよ」 桜井はその希理子の背中に追い縋る。だが希理子は速度を緩めようとはしなかったのでこれまで横に並 んで入っていた傘が今度は希理子が前で、桜井が後ろという形になった。 そうやって歩いているうちに目指していたコンビニが見えてきた。 希理子は駆け寄るようにその中に入ると入り口近くにある傘のおいてあるところにむかった。だが買う つもりだった一番安いビニール傘が売り切れてしまっていた。そのかわりに紺色や黒色といった無難な色 彩の長い傘や折りたたみ傘がいくつかポールにかけられていた。 希理子はそのうちの一番安そうな傘を手に取り、その値札を見やった。値段は980円。消費税を込ん で1000円ちょっと。そして手にしていた財布と一瞬見比べた。希理子はしばし考え込むそぶりを見せ ると傘をその場に戻し桜井が待っている外に出た。 「なんだ、買わなかったのか?」 希理子が何も手にしていないのを見てそう声を掛けてくる。 「ビニール傘なら買えるんだけど、今日あんまりお金持ってきてないの忘れてた。悪いんだけどやっぱり 駅まで入れてよ」 「金、貸そうか?」 桜井はそう言って自分の鞄の中に手を伸ばしかける。だがその動きを希理子が制する。 「いいよ。あんなダッサい傘に1000円も掛けるなんてやだもん。それにあんなの差して帰りたくない し」 その傍若無人なわがままな言い方に桜井は思わず苦笑する。 「じゃ、帰るか」 桜井は希理子に向かって傘を差し伸べる。 「うん」 希理子は先ほどと同じように桜井の右側、体温を感じてしまいそうな程擦れ合うような距離で歩き始め る。 そのコンビニを出てから5分。二人は最寄りの駅まで辿り着く。 「あっ、俺、今日定期買うんだ」 桜井が思い出したかのように希理子にそう言う。 「じゃああたしはそこのコンビニで傘を買ってくるよ」 ここまで一緒だったのだ。今さら別れて一人一人帰るより乗り換えまで一緒に帰るということで取りあ えず一旦、二人は各々の目的の場所に向かう。 希理子は駅構内のコンビニに向かい、入り口に山のように置かれていた透明のビニール傘を一本手に取 ると今度はぐるりと店内を見渡すと生活雑貨のおいてある棚に向かった。そこでビニールに入ったタオル を一つ手に取りレジに並ぶ。 「714円になります」 商品のスキャンニングを終えたレジ係が合計金額を伝えてくる。 「はいよ」 希理子は無造作に財布のなかから一枚お札を取り出し店員にわたす。 「はい、4286円のお返しになります。ありがとうございました」 希理子は商品を受け取り、改札に戻る。するともう切り替えを終えた桜井が真新しい定期券を手に希理 子のことを待っていた。 「はいよ」 「えっ」 桜井は希理子が無造作に差し出した買ったばかりと判るタオルに目をやる。 「ずいぶん濡れさしちまったからね。うちのエースに風邪ひかしちまったとあればマネージャー失格だか らね」 わざとぶっきらぼうな口調でそう言う。桜井はその希理子の表情と言葉に嬉しそうに微笑むとそのタオ ルを受け取りながら希理子に問いかける。 「お金、足りたのか?」 「ギリギリね」 希理子はそういうといたずらめいた表情で笑った。 「ふーん」 その意味ありげな笑みに桜井は目を細めながらもぬれた自分の身体をごしごしと拭いている。希理子は その桜井の様子を見ながら嘘つきな自分を小さく笑った。 「みんな雨のせいだかんね」 そう小さくつぶやいた言い訳めいたセリフは桜井の耳には届かなかった。 Fin 2000/5/8 UP
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