2月の勇気
       

  
   

「おっ、希理子、今帰りか」

 嬉しそうな顔をしながら桜井は少し前方を行く希理子の方にとことこと近寄ってきた。

「ああ、今からガッコに行くようにみえるかい?!」

 少し不機嫌気味に面倒くさそうに言い返しながら希理子は振り返ったその顔を一瞬でぷいっと進行

方向に戻した。

「つれないなぁ、誰もそんなこと言ってないだろう?」

 歩幅の広い桜井はすぐに希理子に追い付いた。背中には最近愛用のデイバックと手に大きな紙袋を

下げていた。

 今日は2月14日、バレンタインデーだった。桜井の手にしているその紙袋の中には学校の行き帰

りや休み時間などに貰った沢山のチョコレートが入っていた。

「一緒に帰らないか?どうせ道一緒だし」

 希理子の右側に並ぶようにしながら桜井は顔を覗き込む。桜井はその紙袋を希理子の視線から外す

ようにごく自然な仕種で、だけど少しは気にして欲しいかのように左手から右手に持ち替えた。

「イヤだっていってもどうせ道同じなんだから結局一緒のことだろう」

「ハハッ」

 いつもよりかなり毒の強い言葉だというのに桜井は一向に気にした様子も見せずいつものように笑

った。

「最近カオ合わせなかったけど希理子はどうなってんだ?噂では専門学校に合格してヒロミ先輩のお

店で働いてるって聞いたんだけど」

 その言葉に希理子は面倒くさそうに頷く。

「まあね、試験っていっても教養問題に中学レベルの問題ばっかだったから楽勝だったよ。ただあん

まり入学金とか授業料が高いから全部親に出してもらうわけにもいかないんで、入学金と交通費、そ

れに自分の小遣いぐらいは自力で稼ごうとバイトに勤しんでるよ。やっぱ現場にいるとそれなりに勉

強にもなるし」

 そう言いながら希理子は桜井を見上げる。

「で、あんたは?だいたい普通は今日ぐらいまで私学の一般入試があるんじゃなかったっけ?もう全

部終わったのかい?あとは本命の国立だけ?」

 希理子のいうとおり、大体今日ぐらいまでが私大の入試真只中だった。もちろん学部や大学によっ

て日程にばらつきもあるが、すでに合否通知が出されているところもある。

 その希理子の言葉に桜井は小さく首を横に振る。

「というか、俺、私大受験しなかったから」

「あっ、そう、私大受験しなかったんだ……?私大受験しなかったって、えっ!」

 あんまりあっさり言われた言葉だったので右から左に聞き流そうとしていたのだが、その衝撃の告

白に希理子は唖然とする。

「……無謀」

「ハハッ」

 希理子の呆れ返った表情とつぶやきにも桜井はまるで他人事のように笑った。

「やっぱり私大の入学金とか授業料ってさ鬼のように高くて、希理子じゃないけどとてもじゃないけ

どこんな大金だして貰うわけにはいかないって思ってさ、国立1本に絞ったんだ。下手に『すべり止

め』手に入れたら集中力が落ちる気もして」

 自分を追い詰めてみたんだよ───そう言ってにこりと笑った。その言葉にさすがの希理子の言葉

を失う。

 確かに桜井の言うとおり、私大の、しかも医学部の授業料ともなれば膨大だ。卒業するまでに1億

かかると言われている学校さえある。だが国立なら自宅生だと教材費を含めても1000万弱ぐらい

で6年間の過程を終えられる。それゆえに国立医学部は難関中の難関だ。現役で1発合格出来るよう

なものではない。

「まっ、好きにすれば。あんたの人生だ。後悔するのも、すっごく後悔するのも自分自身で選んだ道

だ。『誰かが止めてくれなかったから』なんかバカなこと言わないようにさえしてくれたらあたしに

はどうでもいいよ」

「おいおい、俺には『後悔する道』しか残されてないのかよ……」

 さすがの桜井も苦笑してみせた。希理子のキツい言葉に慣れているとはいえ、その内容が怒りでも

侮蔑でもなく無関心に傾いたものであることがキツかったのだ。

「そういえば、馬呉に聞いたんだけど部の方で俺たちに義理チョコというか応援チョコ用意してくれ

たんだって?メチャクチャ驚いたけど嬉しかったって言ってたぞ」

 話題をかえようと桜井はそう話を振った。

「なあ、俺の分は?ガンや齋藤も貰ったって言ってたから俺の分もあるんだろう?」

「欲しかったの?」

 うらやましい、というよりも、恨みがましいその桜井の言葉に希理子は淡々と言い返した。

「あんたの分はないよ。先着3名分のお金しか余んなかったから今日朝から会った順にやっちまった

よ。だからあんたの分の『義理チョコ』はない」

 その余りに素っ気ない言葉の中にあった奇妙な言い回しに桜井は疑問の表情を浮かべる。

「カネが『余らなかった』ってどういうこと?何か他に使ったのか?」

 希理子はバレンタインにバスケ部の後輩から受験する3年に勇気づけてやって欲しいということで

チョコレートを買って渡してやって欲しいと3000円ほど預かったのだった。桜井は今日偶然会っ

た今川からそのウラの事情も聞いていたので、疑問に思ったのだ。

 だからそれゆえに出た桜井の疑問の言葉に希理子は大きく頷いた。

「どうしても買いたいものがあったから、その費用に使わせてもらったよ。外国じゃバレンタインっ

て女から男にって限定じゃなくて、親しい人同士が日頃の感謝と親愛を込めて贈り物をしあう日なん

だろ?だったらあたしだって貰っていいハズじゃん。んで、それ買ったらお金あんまり余らなかった

から、3つ分買うのが精一杯だったわけ」

 希理子はそう言うときっぱりさっぱり先程の言葉を繰り返した。

「だからあんたの分はないよ、あんたに渡す『義理チョコ』なんかね」

 そう言う間、希理子は一切桜井の方に顔を向けなかった。ただひたすらに進行方向の方を向き、何

ごともないかのようにひたすら足を運んでいる。

 普段の希理子らしからぬその様子に桜井は希理子の様子をいぶかしむ。

「何だか今日の希理子は機嫌が悪いな、イヤなことでもあったのか」

「別に」

 そのますます素っ気ない返答に桜井は目を見開く。

「あんたが変にうかれてるだけなんじゃないの?あたしはいつもと同じだよ」

 淡々とした言葉と態度だったが、希理子の瞳が一瞬桜井が手にしてい紙袋に注がれたのを桜井は見

逃さなかった。それ故に慌てて言葉を紡ぐ。

「ちょっ、ちょっと待てよ。俺は本気で浮かれてなんかないぞ。これだってどうしても受け取ってく

れって言われたから受け取っただけで嬉しくもなんとも……」

「へー、誰がそんなこと聞いたッけ?」

 言い訳するように紙袋を前に突き出した桜井に対して希理子は冷笑を浴びせる。

「それにそれをあんたに渡した子たちと同じ女としてその言葉は見すごせないね。あんたは『受け取

る』ことが誠実だって思ってンの?ちょっとでも迷惑に思われてるんだったら受け取ってなんか欲し

くなんかないモンなんだよ、女はね。無神経すぎんじゃないの、あんた」

 その言葉はとても冷たかった。怒りにも満ちていた。だがそれだけではなかった。決してそれだけ

ではなかった。

「あたしたち女をバカにしてんじゃないの?!」

 そう言った希理子の顔には朱が散っていた。目のふちにはうっすら涙が浮かんでいた。

「希理子……」

 その希理子の様子に桜井は息を呑んだ。

「もしかして嫉妬してくれてたのか……?」

「だっ、誰が……!」

 その言葉にますます希理子の頬に朱が増した。

「気分が悪いよ、帰るっ!」

 希理子は歩く速度を早めた。だがそれを黙っていかせる桜井ではない。

「待てよ、待ってくれよ、希理子」

 そう言って去っていこうとした希理子の二の腕をわし掴んだ。だが次の瞬間、桜井の頬の上で乾い

た音が鳴った。

「……希理子───」

 桜井が掴んだ反対側の左手で希理子は桜井の頬をぶっていた。利き腕での攻撃ではないがゆえに威

力はたいしたことはないが、限り無く痛い。

「調子に乗るのもいい加減にしなよ!あんた自分が何様だと思ってるのさ!?」

 そう吐き出した希理子の目からはすっとひとすじの涙がこぼれ落ちていた。

「あんたさぁ、今日何て言ってた?!あんたのこと真剣に好きだって言って来てたコになんて言って

た?!『悪いけど、付き合えない。俺にはもう決まった人がいるから』ってそう言ってたよね!?」

 希理子のその言葉に昼休みの中庭での光景を思い出す。2年の髪の長い女の子から震えるような手

と声で好きだという告白とチョコレートを受け取ったのだ。そして確かに自分は希理子が口にした言

葉そのままで彼女の告白を断ったのだ。

「あたし、あんたから何も聞いちゃいないよね?!あたしから何も言っちゃいないよね?!なのに何

でそんな顔してるのさ?!」

 希理子の言葉が胸に突き刺さってくる。

「どうしてあたしが嫉妬して、あんたにチョコ渡して当然ってカオしてるのさ?!」

 言い返す言葉がないとはこのことだった。

「あんたあのコに謝ってた、ゴメンって謝ってた。どうして謝るのさ?!どうしてあんたが悪いの

さ?!一人の人間が一人の人間と出会って恋をして、結ばれる場合もあればフラれる場合もある、当

然のことだよね?!なのにどうして謝るのさ、男のあんたのほうが女のあのコより上な訳?上なもん

だからあのコに情けの言葉一つも掛けてやった訳?!」

 希理子の瞳は真直ぐに桜井の瞳を見つめていた。

「あたしのこともそうだよね?!自分の方が『上』だって思ってるから、自分に惚れてて当然って思

ってるからそんなこと言えたし、そんなカオしたんだよね?!冗談じゃないよ、何様のつもりだい!

あたしはあんたのモノじゃない!あんたの『上』でも『下』でもない!」

 視線を全くそらそうとしないまま希理子は桜井に向かって叫んだ。

「あんた何様のつもりだい!あたし、これまで生きて来てこんなに悔しかったことなんかない!こん

なにバカにされたことなんかない!」

 希理子の目からはらはらと涙がこぼれ落ちた。

「こんなモンやるよ、あんたにやるよ!」

 希理子は自分のカバンの中から小さな何かを取り出して桜井に向かって投げ付けた。

「!」

 その小さな硬い何かは涙まじりで目をつぶったまま投げ付けた為、桜井の額にカツンと当たって地

面に落ちて転がった。

「まったく無駄なモン買っちまったよ!あんたなんかの為にあの子たちがくれた貴重なお金なんか使

うんじゃなかった!」

 希理子はそう言うと振り返りもせずに走り出していった。桜井にはその後が追えなかった。追うこ

とが出来なかった。

 無意識とはいえ自分は希理子の言うとおり希理子が自分を好きでいてくれていることを当然とみな

していた。───いや、無意識であるがゆえにその想いは、その思い上がりは質が悪いのだ。

 初めて希理子に対して自分の想いの一端を伝えてから後、何度か告白する機会があった。結果とし

てその度に邪魔が入って一度たりとも成功しなかったのだが、それでも良いと思っている節もあっ

た。

 希理子がちょっとずつだが自分のことを意識してくれているのをうすうす感じていた。告白すれば

受け入れてくれるだろうと確信を持つのにそんなに時間はかからなかった。それゆえに焦らなかっ

た。ひどい言葉で言えば余裕をかましていたのだ。

 恋人同士として明確な形を作ってしまうのはいつでも出来る簡単なことだろうから、それまでは友

達以上恋人未満としての微妙な甘い関係を楽しんでいたいと思っていた。というよりも、希理子が自

分を意識しながらも意識していない振りをしているその様を見て、いい気になっていたのだ。

 希理子の怒りは当然だった。自分は何も言っていない、希理子に何も告げていない。そして希理子

も何も言って来てはいない、希理子の口から明確な言葉で告げられたことはない。なのに自分は希理

子を『モノ扱い』したのだ。その言葉や感情など自分が理解し、踊らせている人形であるかのように

───。

 自分で自分が情けなかった。希理子に恋をした時に自分は希理子のように優しい人間に、大きな人

間になりたいと思ったはずなのに、自分のしていたことは全く逆だ。狭量で、残酷で、そして愚かな

人間になりさがってしまっていたのだ。

 希理子に自分は相応しくない、こんな汚い人間など希理子に相応しくない───そう想いながら桜

井は希理子が自分に投げ付けた小さな何かを拾い上げた。

 それは口紅だった。まったくと言っていい程化粧などしない、自分を飾ることに興味のない希理子

の持ち物としては異質な持ち物だった。

 希理子はこれを『あんたなんかの為に買うんじゃなかった』と言った。『無駄なものを買った』と

言った。その意味が解らなかった。せめてその意味ぐらい解りたかった。希理子が最後にくれた自分

への『言葉』として───。

「──────!!」

 思わず息を呑んだ。しげしげと角度を替えながら見ていた目と手が止まった。ラベルに刻まれてそ

の文字が桜井の中の何かを大きく揺さぶった。

「───希理子!!」

 桜井は思わず走り出していた。手にした『答え』が自分の中に溶け込んで来た瞬間、走り出さずに

はいられなかった。

 格好つけてる場合なんかじゃない。解り切った振りなんかしてる場合じゃない。すがりついてで

も、どれ程侮蔑の表情を向けられても自分は希理子に伝えなければならない。この想いを───希理

子に対するその想いのすべてを。

「好きだ!!」

 駅前の雑踏の中、微かに震える背中で、それでも前方を見据えて進んでいこうとしているその背中

に向かって叫んだ。

「俺は最低の人間だから、希理子に嫌われてもしかたがない、愛想つかされても仕方がない。だけど

俺は希理子のことが好きなんだ!希理子のことを愛してるんだ!」

 張り裂けんばかりのその大声に周囲の人々の視線が桜井に向かって注がれる。しかしそれでも桜井

は構わなかった。自分を無視して歩き続ける希理子に近づきながら言葉を続ける。

「俺は逃げてた、後回しにしようとして逃げ続けてた、明確な形にしてしまったらそこから先にある

のは別れしかないんじゃないかって臆病になってた。だけど違うってわかったんだ、そんなの間違い

だってやっと気がついたんだ」

 希理子が投げ付けてきた口紅をぎゅっと握りしめながら桜井はゆっくりと希理子に近づいていく。

「『始まり』なんだよな、───本当はさ。何もないところから始めなくちゃいけないからこんなに

恐かったんだよな。だから最初の一歩がこんなに恐かったんだよな」

 その言葉に希理子の足が次第に遅くなり、ぴたりととまった。

「───ありがとう、希理子。この世に生まれて来てくれて、俺なんかのこと、少しでも気に留めて

くれて」

 まわりこんで希理子の手に小さな口紅を握らせる。

「ありがとう、希理子───俺にこんな勇気をくれて」

 ぽたぽたと希理子の目から涙の粒がはじけて落ちた。その次の瞬間、今度は希理子の右手が炸裂し

た。

「バカやろう!」

 そのあまりの勢いに人並みはずれた長身で、しかもバスケで鍛え上げられた身体を持つ桜井が数歩

後ずさり尻餅をついた。

「あんた、頭いいくせにこれぐらいのこと気付くのにどれだけの時間がかかってるんだい!」

 希理子はそう怒鳴り付けながら、手にした口紅のキャップを投げ捨て、くるくると芯をむき出し

た。

「理屈で考えるからややこしいことになるんだよ!心に聞きゃ一発なことだったろう?!」

 桜井の身体をまたいで仁王立ちしながら、その腫れ上がった頬に手にした口紅───『チェリー・

ピンク』色のそれで書き込みを入れる。

「あたしを傷付けた罪は重いよ!一生かけて償わせてやるからね!」

 希理子は怒っていた。怒りながら泣いて、そして笑っていた。

「───了解しました、俺の『女王様』」

 桜井は希理子の手をぎゅっと引っ張った。希理子はその力に逆らわなかった。その結果、希理子の

身体はすとんと桜井の腕の中に落ち、またぐ格好で抱きとめられた。

 その瞬間に周囲から小さく拍手が起こり、そしてそれがあたたかな光になった。突然の出来事にあ

っけに取られていた人々が桜井と希理子が選んだその結末に祝福を与えたのだ。

 その拍手の音で自分達がいる場所が駅前の、それも夕方のもっとも人通りの多い時間帯だったこと

を思い出した2人は急に我にかえらされ恥ずかしくなった。だが同時にその包み込むような優しさに

なんだか嬉しくて仕方がない。

「もう少し、このままでいたい───」

「えっ、ヤだっ!!」

 その優しさに力付けられたかのように、桜井は希理子の身体をぎゅっと抱きしめた。その桜井の言

葉に希理子は顔を真っ赤に変え自分の身体から引き離そうとしたのだが、少し身体が離れたところで

目に映った桜井の顔を見て、ぷっと吹き出して今度は自分から桜井の首筋に抱きついた。

「いいよ、このままでいてやるよ」

 くすくす笑いながらじゃれるような仕種でそう囁く。

「でもどうなっても知らないからね」

 指先で桜井の左頬をつつきながらニコリと笑う。

「これって『落ちない口紅』なんだよね。時間が立つと落ちなくなっちゃうの」

「うわっ」

 その言葉に桜井は慌てて自分の頬をぬぐった。

「ハハッ」

 その様子に希理子は面白そうに声をたてて笑う。その幸せそうな様子に桜井は何も言えなくなる。


 

 桜井の左頬にはお正月に希理子自身の手によって書かれ、結局改ざんされた文字の『大スキ』と記

されていた───。

                              Fin

               2001/4/8up


 ……やっと書けました。どうしても、どうしても原作のあのくっつき方に納得が出来なかった私はどうしてももっと希理子ちゃんと桜井らしいハッピーエンドを書きたかったのです。その結果、思い入れが余りに激しかった為、書いては消して、書いては消して、とこれ一本書き上げるのに4回ぐらいのリテイクを入れました。
 いろんなところで書いているのですが私は夢を語って女を口説く男をすべからく信用しません。そしてそんないい加減な男についていく女ではない、と希理子ちゃんのことを信じています。その想いの集大成がこのゲロアマな作品を作り出したのですが、皆様のお気に召したでしょうか?原作のクールビューティー系な話が好きな人には受け入れてもらえないかもしれませんけど、書けた私は満足です。       

    

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