1月の復讐
   

  
  
「うわっ」
   
 希理子は思わず身体を震わせた。手にしていたシャワーの水の温度がまだ上がりきっていなかっ

たのだ。

「希理子?」

「大丈夫、ただ水が冷たかっただけ」

 扉一枚隔てたところから聞こえてきた声に希理子は即座に対応した。そして付け足す。

「わかってるね、のぞいたら『死ぬ』から」

 その言葉に笑い声半分、恐れ半分、といった様子でそう言われた人物、桜井が問い返す。

「それってやっぱり俺がか?」

「他に誰がいるんだい?」

 あっさりとしたその言葉に桜井は扉の向こうで笑った。

「使い勝手わかるか?シャンプーとかなかったら上の戸棚の中だけど」

 その言葉にシャワーの水がお湯になったのを確認しながら希理子は言い返す。

「ああ、ありがとよ。貸してもらったので充分だから」

 毛先からお湯で濡らしながら希理子はそう頷いた。

 ここ、希理子がいるのは桜井邸の洗面所でそして桜井はその扉一枚隔てた廊下に立っている。

 お正月に呼び出された希理子は着物を着て桜井の家にやってきたのだが、煮え切らない態度の桜

井に羽子板で勝負を挑んだ希理子は振りそでであばれまわったため乱れまくったこともあって、結

い上げていた髪をほどいてしまったのだ。

 桜井の家は金持ちの家らしく豪邸で、まるでモデルルームのように洗面台にシャワーまで付いて

いた。そのため、きっちりスプレーで固めていた髪は当然のごとくバリバリになってしまって、結

い直そうにも難しく、またそのまま帰るにも桜井の家から自宅まで約2時間もかかってしまう為、

格好が悪いということで希理子は洗面台を借りて髪を洗わせてもらうことにしたのだ。

 だが問題点もあった。その洗面台はトイレと浴室に繋がる共用スペースにあり、その為今希理子

と桜井の間にある扉にはカギがかからなかったのだ。

 さすがに髪を洗うだけとはいえ、着物のままではもちろんのこと洋服を着ていても希理子ほどの

ロングならどうしても濡れてしまう。だから上半身だけでも脱ぐ、もしくは薄着になる必要があっ

た。

 そこでトイレを借りにきたり、のぞこうとするであろうふらちな者どもを追いかえさせるために

希理子が先程した羽子板の敗者である桜井に罰としてその扉を護る役目を押し付けたのだ。

 そしてそれは同時に希理子なりの桜井に対する復讐でもあった。

 希理子はもう桜井が自分のことを好きだということは知っている。そして桜井がそれを自分に告

げようとしていることも知っている。しかし桜井の態度は煮え切らない。中途半端で、思い切りが

ない。

 しかもどこか桜井は自分が桜井のことを好きだと当然のように思っている節がある。だから焦っ

ていない。次があると当然のように思っているからひどい言葉でいうなら余裕をかましているの

だ。

 そこが気に入らない。確かにそのとおりなのだが、自分のことをナメている。イライラする。本

当にイライラする。だからこの罰を、復讐を思い付いたのだ。

 普段、沈着冷静で大人ぶった余裕をかました態度をとってはいるが桜井とてただの男、それもま

だ十代の男だ。扉の向こうに全裸まではいかないが薄着の、おそらく下着姿の女がいるとしって平

静でいられるはずがない。それも自分の惚れた女が、だ。だとすれば当然のこと、若いがゆえの欲

望がわき上がってくることだろう。

 もしも扉を開けて覗いてくれば思いっきり『ドスケベ!変態、大っ嫌い!』と叫んで張り手を喰

らわせてやれば自分もスッとするし、桜井も傷付く。そして覗いてこなくても今日一日ぐらいは自

分の裸を想像して悶々とした生活を送らされることになるだろう。どちらに転んでも希理子からみ

れば『ざまあみろ』な結果だ。

 これまで自分は桜井の煮え切らない、中途半端な態度の所為でそれこそ両手、両足で足りないく

らい眠れない夜を過ごさされてきたのだ。

 どうせ自己中の桜井なら覗いて張り手を喰らわされても次の日にはヘロっとして『テレてるんだ

な』などと都合の言い様に解釈するだろうし、後者にしても同じようなものだろう。

 かなり長い付き合いになってきている希理子にはそれぐらいのことお見通しだ。だからこれぐら

いの復讐などかわいいものなのだ。本当はもっとこてんぱんに、あの余裕かましたニコニコ顔の仮

面を剥ぎ取ってやりたい。焦って、なりふりかまわず振る舞う様を見てみたい。だけどハッキリ言

って認めたくはないのだが、何をやっても桜井の方が上手のようで、上手くいった試しがない。だ

からこの程度のささやかな復讐から始めることにしたのだ。

 そんなわけで扉一枚隔てたところに意識を残しながら髪を洗っていたわけだが、結局桜井は覗い

てこなかった。いささかつまらんと思いながら希理子は出してもらっていたバスタオルで濡れた髪

を絞るようにくるりとくるむと、扉を開けた。

「ねえ、ドライヤー貸してよ」

「わっ」

 いきなり扉をあけられ、そこからバスタオルに包まれた頭だけ出されて桜井は驚きの声をあげ

た。焦って数歩後ずさったその桜井の様子を開けた扉の間から希理子は面白そうに笑った。

「なぁに焦ってんのさ?ドライヤー貸してよ、ドライヤー」

 そうやって見上げた桜井の顔が微かに赤くなっているのを希理子は見逃さなかった。そのことを

ほくそ笑みながら希理子は桜井に向かって手を出した。

「あっ、ああ、それなら洗面台のしたの扉のたしか右側……」

「あっ、そう」

 桜井の言葉に頷くとバタンと扉を閉める。言われた通り洗面台のしたの扉を開くと、ちゃんとそ

こにドライヤーがあった。コンセントにそれを差し込み乾かしはじめる。

 ヘアスプレーを落とす目的での洗髪だったし、人ン家をかりてのことだったのでシャンプーしか

しなかったのだが、希理子程のロングへヤーでリンスもトリートメントもしなければかなり軋んで

しまう。そのため、やっぱり手抜きせずにリンスも借りればよかったといささか後悔しながら扉越

しに希理子は桜井に話し掛けた。

「ここんちいいねぇ。やっぱあんたも朝シャンとかするの?」

 ドライヤーの音に負けないようにいささか強い口調と大きめの声で話し掛けると、同じように桜

井も言葉を返してきた。

「まさか。そんなヒマがあれば寝てるよ」

「だろうね」

 その言葉に納得し面白そうに笑う。もともと長髪でくせがある髪質の為わかりにくいことをたて

にして、桜井はときおり平気で寝癖のついたままの頭で登校してきたりしていた。そんな桜井が朝

シャンするとは思えない。

「でもせっかくのこんな豪華な洗面台がもったいないねぇ。ぜんぜん使ったりしないの?」

「普段は、ね。風邪ひいてお風呂に入れない時なんかには重宝してるけど」

 その言葉に希理子は顔をしかめる。

「それってあたしに対するイヤミかい?」

「まさか!」

 即答で返ってきたその言葉に希理子はますます顔をしかめる。

「ふん!あんたなんかあの時風邪こじらせて死んじまえばよかったんだよ!」

「ひどいなぁ」

「どっちがだい!」

 希理子は扉越しにあかんべーをした。扉の向こうで希理子のその行動を予測してかくすくす笑っ

ている声が微かに漏れ聞こえてくる。 

 それにますます腹をたてながら希理子は乾かしている最中の自分の髪ごと頭をブルンと大きく振

った。

 希理子がいい、桜井が理解した『あの時』とは先月の暮れ、希理子が桜井が誘ったコンサートを

すっぽかし、結果真冬の野外で待ちつづけた桜井がひどい風邪をひいた時のことを指していた。

 さすがにそれに関しては希理子も悪いと思って埋め合わせにクリスマスイブに食事をしようとこ

ちらから『誘ってやった』のだ。それなのにまだ根に持っているとは許せない。

 今日だって、そのデートとは認めるわけにはいかないが、クリスマスイブの食事の時だって希理

子は桜井にチャンスをやったのだ。自分に『告白』するチャンスを。

 他自共に認める素直じゃない、ある一定の面においてだけ極度の恥ずかしがり屋の希理子にとっ

て、埋め合わせという大義名分があっても自分から相手を誘うなど後から考えると全身が真っ赤に

なってしまうほど思いきった行為だ。よく出来たモンだと自分でも感心する、自分から告白しない

と誓っている希理子にとってそれは精一杯のアプローチでもあったのだ。

 なのに桜井はそれに気付かず曖昧に終わらせてしまった。夏以降桜井が自分に接触し、告白しよ

うと試み、失敗───しかも半分自爆───した回数はすでにおそらくそうだったのだとわかるも

のをカウントしただけで今日を含めて5回にも及ぶ。その度に希理子は肩すかしを喰らわされつづ

けてきたのだ。

 桜井の方は自分的に納得がいっての玉砕だから簡単に次の機会を待てるのだろうが、その告白を

待っている希理子の側としては中途半端で納得がいかない。まさにヘビの生殺しだ。

 いっそ綺麗に捌いてくれたら自分だってまな板の上の鯉のように覚悟が決められるというのに桜

井はそうしてくれない。腹が立つ。ホントに腹が立つ。

 希理子はぶり返してきた怒りに乱暴にドライヤーを引っこ抜くと元あった場所に片付け直した。

そして借りたバスタオルなどを洗濯機に放りこんで荷物を持つと思いっきり乱暴に扉を開けた。

「イテッ」

 ゴチンという大きな音と共に桜井が声をあげた。外に出ると桜井が涙目になりながら頭を抱えて

いる。額のところを強かに打ちつけたらしくかなり痛そうだ。 希理子はそれをいい気味だと内心

笑いながら澄まし顔で謝罪の言葉を口にした。

「あっ、ゴメン」

 表情を見ていたなら希理子がまったく反省していないことがわかっただろうが、下を向いていた

桜井にはそれがわからなかった。

「もういいのか、って────あれ?」

 扉をぶつけられた痛みを堪えながら顔を上げ、出て来た希理子を見て桜井は目を丸くした。

「何でお前洋服着てるんだ?」

 それに対して希理子は鼻を鳴らした。

「そんなの、着替え持ってきてたからにきまってるだろ?」

「そりゃそうだろうけどさ……着替えなんてどこにもってたんだ?」

 当然の疑問である。着物を着ていた希理子がいきなり洋服に着替えているのだ。桜井の家をやっ

て来た時、希理子は小さなきんちゃく一つしか持っていなかったはずだ。それが上から下まですっ

かり洋服に着替えてしまっているのだから驚かない方がおかしい。

 希理子はその桜井の問いに対して異論の余地がない程きっぱりと言い返した。

「乙女の秘密を聞き出そうなんざ百万年早いんだよ」

「……ごもっともです」

 桜井はそのとりつく縞のない返答に苦笑とも納得ともとれる表情を浮かべると大きくこくんと頷

いた。

「おーい、希理子ぉ!そろそろ帰るぞぉ」

 そこに皆が集まっている和室の方から馬呉の声がした。それに引き続いて帰り支度を始めるがや

がやした音が聞こえてくる。

「はいよぉ」

 もうすでに6時半をまわっていた。正月ダイヤいつもより電車の台数が少ないことを考えれば、

高校生の帰宅時間とすれば少し遅いぐらいだ。希理子も帰れば9時頃になるか、とざっと予想をた

てて小さく肩をすくめた。

「んじゃ帰るわ」

 すでに玄関に向かいつつあるメンバーの一人、根っからの世話焼き体質である今川からこれまた

何所に持っていたのかコートとバックを受け取るとコートに袖を通しながらひらひらと手を振っ

た。

「ちょっと待って」

 桜井はそういうと慌てて自分の部屋の方に駆け出していった。そして何かを手にしながら急いで

戻ってきた。

「これを」

 そう言いながら桜井はふわりと希理子の首にモスグリーンの肌触りのいい、おそらくカシミアの

マフラーを巻き付けた。

「髪の毛洗ったばっかりでこの寒空に外出ると風邪ひくから」

 希理子はそう言った桜井の顔を見て目を白黒させる。

「じゃあおやすみ」

「ああ、おやすみ」

 掛けられた別れの言葉に呆然としながら応えると他のメンバーに続いて桜井の家を後にした。閑

静な高級住宅地を駅へと向いながら希理子は首にまかれたマフラーにそっと手を伸ばした。

 自分を見る目が優しかった。1月の寒さから希理子を守るこの大きめのマフラーのように、包み

込むように優しかった。自分への愛おしさがその目に満ち溢れていた。

「───希理子さん?」

 隣りを歩いていた今川が希理子の様子をいぶかしむ。

「なっ、なんでもない!」

 希理子は慌てて首に巻き付けている借り物のマフラーをまくしあげた。

 自分でも暗闇で見ても明らかに異常だと思われてしまう程真っ赤になっている自覚がある。心臓

が暴走し、薄着気味だというのにコートを脱ぎたいくらいに全身が熱くなっている。

「ならいいんですけど……」

 明らかに不審な様子の希理子に今川はそう言葉を返してきた。それもそうだ。目から下をマフラ

ーに顔を埋めるように見えないように覆い隠してしまったのだから変な目で見られても仕方がなか

った。

「───ちくしょう、またヤラれた……」

 希理子はそのマフラーの内側でそうつぶやく。何だかんだいっても結局いいようにあしらわれて

しまっている自分に気が付いたのだ。だけど怒りきれない、憎みきれない。

「覚えてろ、こんちくしょう!」

 思わず希理子は大声で叫んでいた。その様子に周りを歩いていたバスケ部一同が何ごとかと希理

子の様子をうかがってくる。

「何じろじろ見てンだい!さっさと帰るよ!」

 大股で歩いて一番前に行き、早足で駅へと向かって歩きはじめる。その突然の希理子の行動に全

員目を白黒させながらも、またかと呆れの笑みを浮かべながらため息をつき、希理子の後ろについ

ていく。

 若干の下り坂の為、繁華街の光を下にたたえ前方に広がった1月の空はやけに澄んで沢山の星を

戴いていた。

                                 Fin

                            2001/3/15up


 結局、何が書きたかったんでしょう、私は?……てなもんですね、はい。
 ただ原作のお正月があんまりだと思ったので少しでも希理子ちゃんに幸せになってもらおうと思っただけなのにこんなふうになってしまいました。果たして希理子ちゃんの復讐は効果があったのでしょうか?それが問題です。

 
    

     
   
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