『小さな』幸福。

    
 1月も終わり2月にさしかかった週末、渋谷といえば『ハチ公』というそこに行ったことがなくても

日本人なら誰もが知っている有名な待ち合わせ場所に希理子は立っていた。

「ねえ、カノジョ、待ち合わせ?ずいぶん待ってるみたいだけど連れ、まだこないの?」

 突然ほぼ斜め後ろから掛けられた声に希理子はうっとおしげに肩をすくめた。そして振り返りもせず

にその場から離れようとする。

「待ってよ、すっぽかされたんだろ?だったら俺達とカラオケでもいかない?」

 その希理子の進路を遮るように一人の男が立ちふさがった。そしてその言葉が指した『複数形』を示

すように希理子の両脇を固めるように2人の男が距離を詰めた。

「奢るから、さ」

 その内の片方が馴れ馴れしくそっと希理子の二の腕の辺りをうながすように触った。その動作に希理

子は反応する。

「なれなれしく触んじゃないよ。あたしはあんたらなんかに付き合うつもりはないね。他当たんな」

 その手を バシッと払いのけながらいつもの自信に満ちたいじわるな笑みを浮かべる。

「まっ、今どき、そんな手口のナンパしか出来ない男に付いていく女はいないだろうけど、運がよけれ

ば一人か二人はひっかかるだろ」

 けらけら笑いながら言ったその言葉に男達が反応する。

「そんな言い方ないんじゃないの?」

「あんただってフラれたか、すっぽかされたかなんかでここに立ってんだろ?」

「気取ってんじゃないよ」

 『矢部希理子』という人間がまさにとげを持ったバラのような女であることを知らないこの男達は、

幾分気分を侵害されながらも、なおも食い下がろうとする。

「あと10秒」

 だが希理子は男達の言葉に再び肩をすくめるとすっと左手のそで口を下げ、手首にしていた腕時計に

目をやった。そしてその言葉を宣言した。

「?」

 何がなんだかわからない突然の言葉に男達は希理子の様子を伺う。

「10、9、8、7、」

 カウントしながら希理子は駅の方に目をやる。

「6、5、4、3、」

 その視線の方向に男達も目をやる。

「2、1、0。はい、『到着』」

「すみません、遅くなりましたか」

「うんにゃ、2時かっきし。相変わらず時間に正確だね、小林」

 そう言いながら希理子はあっけにとられまだ自分を取り囲んでいる男達を無視しながらそこにあらわ

れた恋人に対して笑いかける。

「──その人たちは?」

 近寄ってくるまで希理子の姿しか目に入っていなかった小林は希理子の周りを不自然に取り囲んでい

る男達に目をやる。もともと怖い顔に怪訝そうな表情が浮かんだ為、3割り増し怖く見える。

「ああ、コイツら?」

 希理子は面白そうに笑うと簡潔に説明した。

「あたしをナンパしようとした『命知らず』」

 その言葉に小林の表情がますます厳しくなっていく。タレ目なのにするどいというある意味かなり矛

盾した瞳に剣呑な光が宿る。

「まだ、何か用が?」

 小さなぼそっとした声だというのにその響きはそこから半径5メートル程の空気を凍り付かせた。人

通りの激しいこの雑踏の中だというのに、そこだけしーんと静まりかえった。

「いっ、いえ……」

「…なぁ…」

「…ああ…」

 小林に見回すようににらみ付けれた男達はまさにヘビに睨まれたカエル状態で、真冬だというのに冷

や汗がだらだらと背筋をつたった。

「じゃっ、じゃあ俺達は……」

 そこから一歩でも早く逃げ出したいのか男達は半分小走りで一目散に駆け出していった。その様子を

希理子がおもしろそうに見守り小さく手を振っている。

 そしてその男達が完全に見えなくなると希理子はすぐそばに立つ背の高い恋人の顔を見上げた。

「さっ、そろそろ行こうか?こんなとこで突っ立っててもなんだし」

 希理子の言葉に促されて小林は並んで歩き出した。目的地はセンター街の中心から少し離れたところ

にある。そちらの方に向かっていつもの感じで希理子が一方的に話し掛け、そして小林が相づちをうっ

ている。

 だがいつものように世間話をしていたのに希理子が交差点の信号待ちの時に突然話題を変えた。

「んで、いつまで『怒ってる』わけ?」

「えっ?」

 覗き込むような視線の希理子の顔を小林が凝視する。 

「あんたの顔、怖いまんま。気が弱い人間が見たらショックで死んじまうね」

 その言葉に小林はむすっと顔をしかめる。

「もともとこんな顔ですよ、俺は」

 だがその言葉に希理子は首を横に振る。

「あんたの顔はギネスに認定されてもおかしくないくらい『正直』な顔なんだよ?下手な言い訳もウソ

もつきなさんな。どうせすぐにばれちまうんだ、この希理子さんにかかればね」

 そのきっぱりとした言葉と自信に満ちた表情に小林は小さく目を見開く。そして今度はバツが悪そう

に表情を変えた。

「言ってみな?まさかあの男達のことまだ怒ってるんじゃないだろ?」

 信号が変わったので前に歩きながら希理子はそう問いかける。

「……何も……」

 だが小林は何か言いたいことがあるのだがそれを口には出来ない、といった様子でそれだけを口にす

る。その様子に希理子は表情を厳しく変える。

「小林!あたしが中途半端で言いたいことも言えないような男はキライだってこと知ってるだろ!男だ

ったら思ってることハッキリ言いな」

「だから!……」

 希理子の厳しい言葉を受けて小林が言い返す。交差点が終わったところで一瞬立ち止まり、希理子の

方をじっと見つめる。

「……何でそんな格好なんすか?」

「はあ?」

 小林のその言葉を受けて希理子は自分の格好を見下ろした。黒のロングコートの下にパステルピンク

のセーター、膝下までの長さのかかとがないブーツを履いていた。ただスカートは膝上のミニと言って

も間違いではないような微妙な長さのものだが、その変わりと言ってはなんだが厚手のタイツを履いて

いる。周囲を見回しても派手どころか地味な格好だ。今年はやりのもこもこも付いていなければラメが

入っている訳でもない、ごくシンプルな装いだ。

 そんな希理子の疑問にも気付かず小林は言葉を続ける。

「そんな格好してるからあんな軽薄そうな男達に声を掛けられるんです。もっと服装を考えてくださ

い」

「……あんたねぇ、この程度が派手だったらこの街を歩いてる女の子全員派手だってことになっちまう

よ?」

 盛大にため息をつきながら小林の言葉に反論する。

「…………」

 小林も希理子の言葉が正論であることがわかっているが故に言い返せない。ただそんな当たり前のこ

とさえ気にしてしまうほど狭量な自分に恥じ入るだけだ。

「まっ、わかってくれたらいいさ。あたしのことが好きで好きでたまらないからこんなつまらないこと

にまで口出ししたくなるんだもんね」

「!!!!!!!!!!!!!!!!!」

 小悪魔めいた、魅惑的な表情で言われたその言葉に小林は頭のてっぺんまで真っ赤になる。

「まっ、今日はあんたの言う通りこの格好にして失敗だったかとは思ってる。『店』に付く前にロング

のタイトか何か買って着替えて帰ろっかな?」

 小林の様子をクスクス笑いながら希理子が言う。

「えっ、何で……別にいいっすよ」

 自分を気遣ってそう言ってくれたのだと思って小林は希理子の言葉を否定する。だがその言葉に希理

子は横に首を振ってみせた。

「違う。そうしなきゃなんないの」

 希理子はそう言ってにこりと笑うとするりと小林の左手に抱きついた。

「!!、えっ、あっ、その……」

 その希理子の突然の行動に真っ赤になっておろおろとしながら、気持ち良さそうに自分の方に身体を

すり寄せている希理子のことを見下ろす。

 希理子はその小林に向かってにこりと微笑むと謎掛けのような言葉を口にした。

「ゆとりがあるのに変更しなきゃね。お店の人に相談しなきゃ」

「はぁ?」

 『お店』が今向かっている目的地だとは理解出来ても、すべては理解出来なかった小林はその言葉の

意味を伺う。

「あんまり締め付けが激しかったりしたら身体に悪いだろ?それに細みのやつが入るかどうかもわかん

ないし」

「えっ、あっ……」

 まだ希理子の深意が理解出来ない小林に向かって希理子は上手くいったとばかりに満足そうに微笑ん

だ。

「だからね、『二人用』に変更すんの。あたし一人でドレス着れなくなったみたいだから」

 そう言うと希理子はゆっくりと大切そうに自分のお腹の辺りに両手を重ねた。

「……!!」

 小林は一瞬の沈黙のあと、大きく目を見開く。希理子の言葉とその仕種が示した『真実』が小林の中

で大きく膨らみ、そして優しく全身を満たした。

「──抱きしめていいですか?」

 震える声で小林が希理子にそう問いかける。

「嘘つき」

 希理子はいたずらめいた表情で笑うとこつんと小林の頭をたたいた。

「抱きしめるどころか抱きあげてるじゃないか」

 その言葉の通り、希理子の身体は宝物を扱うようにふわりと太ももの辺りで支えるように抱えあげら

れていた。小林はその自分が抱え上げた希理子の胸と胴の間あたりに顔を埋めている。

 希理子はその小林の頭を優しく包みこみながらそのつむじに軽く口付けを贈る。

「ぜったい落とさないでよ。あたしはともかくお腹の子供はまだ頑丈じゃないんだから」

「はい──」

 小林はそう頷くとますますぎゅっと、だけど世界でたったひとつの壊れ物を扱うかのように希理子の

身体を自分の方に抱き寄せた。渋谷のセンター街のど真ん中、街行く人々が二人のことを振り返り、い

ささかあてられたかのように頬を染めているがそんなこと二人には関係なかった。


     

 その日はもう小林の卒業、そしてその次の日の結婚式まで残すところあと丸一月を切っていた。

   

   
                               THE END.


【作品解説】
 
ゆーきえみさまのリクエストの『希理子をナンパする男を小林が目だけで追い払ってほのぼのラブラブ』を何とか形にしようとした結果、こんな恥ずかしい話になってしまいました。人生と生活に疲れた人には活力剤になるかもしれませんが、健康な人には劇薬すぎて身体に害があるかもしれません。どうぞ我慢しないで大量の砂を吐いてやってください。


                        
 2001/1/28  日向葵


    




      
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