甘い饗宴
       

  



「!!、なんじゃこりゃ……」

 澤村は帰った途端部屋中に満ちている甘い香りに目を見開いた。ある種独特の、懐かしいような、

もどかしいようなそんな香りである。

「ああ、お帰り澤村」

 その声と同時に玄関戸のすぐわきにある扉の向こうから見知ったる、というか半分同棲にも近い生

活をしている2つ年上の恋人希理子が現われた。

「寒かっただろ?今ちょうどお風呂入れたところだから入るといいよ。湯加減ばっちりだと思うし」

 そう言いながら希理子はまくりあげていた袖をするすると降ろした。今希理子が出てきたところは

トイレと風呂場に繋がる扉からである。希理子はさきほど述べた言葉の示す通りお風呂を入れていた

のだろう。ちゃんと拭いていないのか、右手のひじから下の部分が湿り気を帯びたままになってい

る。

「あ、ああ、サンキューな」

 希理子のその言葉に一瞬戸惑い、それでも軽く礼を述べると、続けて解決していない問題について

問いかけた。

「それはそうとな、いったいこれは何ごとなんだ?何でこんなひどい匂いがしてるんだ?!」

「『ひどい匂い』?」

 希理子はその言葉に顔をしかめた。

「あたしは結構いい香りだと思うんだけど」

 そう言って鼻をくんくんひくつかせている。そうしているともう二十歳になって、充分すぎるまで

に大人の魅力を振りまいている希理子が少し幼くみえる。

「どこがなんだよ!」

 香りに大しては不平があるものの、希理子のそんな表情はちょっとというか、かなり好きな澤村は

どことなく気分をよくしながら、それでも言うべきことは言わねばならぬとばかりに希理子に詰め寄

った。

「お前いったい何したんだよ?!なんで部屋中甘ったるい匂いがしまくってんだ?!」

「えっ、『何した』って、お風呂入れただけ」

「うそつけ!!」

 澤村のその剣幕にも希理子はあっさりと言い返した。

「ホントだってば。あたしは『お風呂』入れただけ」

 その言葉は単純明快だが、希理子はどこか面白そうに瞳を煌めかせている。それはいつも希理子が

悪戯や意地悪が成功した時にみせる表情そのもので、澤村はその表情にいささか警戒心をいだきつつ

も、それでも信じられぬその返答にもう一度凄みを交えて押し迫った。

「お前いい加減にしろよ、何で風呂入れただけでこんな香りがするんだ?!」

「ホントだってば!」

 それに対して希理子はにやりと笑うと先程出てきた風呂場へと続く扉を開けた。

「こっち来てみなよ?あたしがウソなんかついてないのすぐにわかるからさ」

 そう言って希理子は2人で入るにはいささか狭すぎるその洗面スペースに澤村を誘った。そして澤

村が警戒心を隠そうともしないその様子で付いてきてるのを確認すると、風呂場の扉をガチャリと開

けた。

「!!、うわっ、なんじゃこれ?!」

 澤村が思わず呻いてしまったのも無理はない。その扉を開けた瞬間にいっそう強くむせ返る程に室

内を満たしていたのと同じ香りが立ち篭めたのだ。

「ほらね、言っただろ?」

 希理子はその澤村の反応を見ながら、何故だか自慢げに解説する。

「『あたしはお風呂を入れただけ』だってね」

 そう言って指し示した希理子の視線の先には、いつもとは違いすっかり泡立っている湯舟がしっか

りとはられていた。

「これね『チョコレート』のバスバブルなんだ。東急ハンズで売ってたの買ってきたんだ。これがあ

んたへの『バレンタインプレゼント』」

 希理子は澤村に洗面台の上に残してあった透明なプラスチックで出来た小さな球体の物体を差し出

した。中には『茶色』というより『チョコレート色』をしたどろどろした液体が入っている。

「あと2回か3回分は残ってるから適当に調整して使いなよね」

 唖然とする澤村の手にそれを押し付けながら希理子は嬉しそうに笑った。『してやったり』、『ざ

まあみろ』とその顔にはしっかり書いてある。

 そんな希理子の様子に澤村は自分を取り戻し、嫌がらせに近いこのプレゼントを押し付けてきた自

分の恋人に詰め寄った。

「てめぇ何考えてるんだ!どうせモノよこすなら喰えるもんにしろよ!」

 だがその言葉に希理子はべーっと舌を出した。

「イヤだ」

 希理子は澤村の剣幕などもろともせずにキッパリハッキリと言い切った。

「誰があんたに『喰えるモン』なんかやるもんか!絶対絶対やんないもんね!」

「?!」

 その希理子の強固さに澤村は疑問の表情を浮かべる。

「いったい俺が何したっていうんだ?!」

 希理子のその反応が自分への怒りであることだけはハッキリしているから、澤村はその原因を追求

しようととりあえずそう問いかけた。

 だいたい、かなり理解を深めているはずなのだが、それでも希理子は澤村からしてみると予想外、

予定外の反応や行動を取ることがある。何にでも他人からすれば大袈裟な程、さまざまな反応を返す

希理子の感情の動きはついていけないときがあるのだ。

「あんた自分が何言ったか忘れたのかい?!」

 今回もそのケースだと思って希理子の怒りの訳を問いかけたのだが、それがマズかったらしい。怒

りながらも冗談が多分に混じっていたその表情から冗談が綺麗に抜け去り、怒りだけがしっかり残っ

た。

「あんたさ、先週言っただろ?せっかく人がチョコ手作りしてやろうって言ったのに『お前の作った

チョコレートなんか食いモンじゃねえ!よこすんなら買ったものにしろ』って。だから絶対喰い物で

やるもんかと思っていろいろ探したんだよ!!」

「そんなことで……」

 澤村からしてみればまさか根にもたれてるとは思わず絶句する。だけれど希理子からしてみれば大

問題だったようで、思い出しただけで怒りがぶり返してきたのか、ますます表情を険しくさせていっ

た。

「どうせあたしは料理が下手ですよ!人間の喰えるもんなんか作れませんよ!だけど、あんな言い方

ないだろう?」

 そう言いながら希理子は微かに涙ぐんだ。感情が豊かすぎる程に豊かな怒りでも何でも感極まれば

涙が浮かんでしまう。

 だけど今回は明らかに怒りではなく悲しみで、傷付いた心それゆえに涙が浮かんでしまったのだ。

「悪かったよ……」

 そんな希理子の様子に半分冗談で言ったつもりだった言葉が深く希理子を傷つけてしまっていたの

だと知った澤村は反省する。

「もう二度とあんな言い方しねぇよ」

「……絶対だよ?」

「わかってる」

 そう言ってそっと、だけどいささか強引に希理子の華奢な身体を抱き寄せると、強ばっていた希理

子の身体が次第にほどけ、優しい感覚に満ちていった。

 自分の腕の中からただよってくる『甘ったるい』のではなく本当に『甘い』その感触に、澤村はそ

っと目を閉じる。自分にとってこれ以上の至福など何処にも存在せず、その優しさも甘さも温かさも

ひとりじめ出来るその幸運にしばしの間酔いしれた。

「じゃあ風呂入るか」

 ずっとその感触を味わっていたい気もしたのだが、自分へのキツい戒めの意味もあるが、せっかく

用意してくれた『チョコレート』を無駄にしたくない思いもあって、澤村はそう希理子の身体を一旦

解放した。

「うん、そうしなよ」

「待てよ」

 うなずいて希理子は出ていこうとしたのだが、それを問屋は降ろさなかった。

「せっかくなんだからさお前も入れよ。時間もガス代も勿体無いし」

「なっ……!!」

 今度は希理子が絶句する。

「だ、誰があんたなんかと!!」

 恥ずかしさのあまり、真っ赤になってしまった希理子は慌ててその場から逃げ出そうとした。だけ

ど再び澤村の腕の中に捕らえられ、奥の方へと引きずり込まれる。

「心配するな。『中』までちゃあんと洗ってやるからさ」

「!!」

 その間にも希理子の衣服は剥ぎ取られ、同時に官能は高められていく。

「覚悟しとけよ?俺は『喰いモン』には意地汚いからな」

 すでに本日のメインディッシュに確定されてしまった希理子の耳もとで澤村が囁く。

 
 

 甘い甘い香りの中、恋人同士の『饗宴』はいつまでも続きましたとさ。



 

                                Fin                                   
 

   


 バレンタイン企画第2作目です。これも去年やろうとして時間がなくてあきらめたものでした。
 『チョコレート』の香りのバスバブルは実際に東急ハンズで売ってます(店鋪によってはないかもしれませんが)。神戸の三ノ宮店には2種類あって、本編中で希理子が買ったものともう一つ、花のタネの袋と同じぐらいの大きさの紙のパッケージに入った粉末が売ってました。とりあえず試してみたのですが、かなり匂います。……まあでも本編中でネタにしたくらいまでは匂いませんので、チャレンジしてみたい方はぜひともどうぞ。

                          2002/02/15 日向 葵 

 イロモノ全開でありますな、こりゃ。澤村よりも私をとめてください、誰か。
                         《2002/5/23》



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