粉雪舞う寒風吹きすさぶ冬休みのある日、本当は誰もいないはずの部室長屋の一角に2人のお掃除
人が居た。
「はいよ、これがラスト」
そういってお掃除人の独り、希理子は一見がらくたに見えるが部員たちにとっては大切なもの…ら
しいものを詰め込んだ段ボール箱を差し出した。
「へいへい」
受け取ったのはその相棒、希理子の2年後輩である澤村である。現在2人は現主将である小林の命
令で部室の後片付けをしていた。
というのもストリートがらみの『パーティ』で問題を起こした罰としてウィンターカップの手伝い
に行かされていたのにそこでも騒ぎをおこしてしまったからである。
そういうわけだから本来なら澤村の相棒は希理子ではなく成瀬だったのだが、イブの晩にスリーメ
ンズ・フープでやったクリスマスパーティーの時に誰かが持ち込んだ酒に悪酔いした希理子が成瀬に
頭からジュースをかぶらせ、その結果成瀬が風邪をひいてしまい高熱で寝込んでしまったので、その
代理というか責任というか、とにかく澤村に『1人で出来るか!』と脅されて希理子が手伝いに来て
いるのである。
「あとはこの中を整理するだけか」
そう言って希理子は電気が付いていてもまだ薄暗い室内を見回した。
2人がいるのは運動部長屋の外れにある第1体育用具倉庫で、老朽化の為新しく出来た第2体育用
具倉庫の方に中の荷物が全てうつされたのを期に運動部が共用で使っているいわば『物置き』であ
る。
「と、いってもここからが大変だけどな」
その苦笑まじりの澤村の言葉に2人は部室から運んできた当分使いそうにない品々を足元に積み上
げてその中をぐるりと見回した。
もともと綺麗とは言いがたいところだが今ではもう足の踏み場もない。それでも一応、部ごとに所
用スペースが区切られているのでそのエリア内に収めておかないと後で他の部から苦情が出るかもし
れないのできちんと片付けねばならなかった。
「とにかくさっさとやっちまおうぜ。こんなクソ寒いところに居たら凍えて死んじまうぞ」
「違いない」
澤村の言葉に希理子は珍しく素直に頷くと身体をぶるりと震わせた。
この倉庫は校舎の陰になるせいで日の光がまったく当たらず、その上すきま風ががんがん舞い込ん
でくるため異常に寒かった。立っているだけでも足元から凍り付いてしまいそうなほどである。
本当なら男女逆の分担なのだろうが、片付け上手な澤村が中で整理し、面倒くさがりの希理子が力
仕事である荷物を運び込みをやって、15分ほどするとあらかた片付け終えた。邪魔だからと一旦外
に出していた荷物ももう中に戻しても平気な程度にはある程度スペースが出来てきていた。
するととうとう寒さに耐えかねた希理子が棚を整理している澤村に声を掛けた。
「もういいよね?扉閉めても」
そう言って開けっ放しにしていた扉のかませに希理子は手を掛けた。埃がたつからと寒いのに扉を
開けっ放しで作業を続けていたのだ。
「───ん?…ああ───」
熱中し出すと他のことにあまり気がまわらなくなるタチである澤村は話半分でそう返事をした。だ
から希理子が何を言っているのか半分以上理解していなかった。
「───えっ、『扉』?ちょっとまて!!───」
だからその言葉の意味を理解した時にはすでに希理子は行動にうつしてしまっていた。
「えい!」
三角形の木のかませを外にけりだして希理子は勢い良く扉を閉めていた。
「ああ!!」
澤村の慌てた声とバタンという音が綺麗に重なる。そして続いてガシャリという金属音も微かに響
いてきた。
「ん?」
希理子は澤村のその反応に驚いて目を白黒させる。振り返った視線の先では滅多に見られない程ポ
ーカーフェイスが崩れ落ちた澤村が立ち尽くしていた。
「どけっ!!」
「えっ?!」
いきなり弾き飛ばされるように押し退けられると、そんな希理子の目の前で慌てて澤村が扉を開け
ようと力強く押し始めた。
だがどれほど押せども扉は開かない。澤村が体当たりをするドォン、ドォンという低く鈍い音が辺
りに響くけれど扉はまったく動かなかった。
「ちくしょう、閉じ込められた」
「ええ?!!」
澤村の口から出てきたその言葉に希理子は目ん玉が落ちるほど目を見開いた。
「バカか、忘れたのかよ?!ここの扉、かませしとかないと勢い良く閉まっちまったら外の錠も閉じ
ちまうって」
「あ……───」
そう言われればそうだった。立て付けが悪いせいなのか、この倉庫の扉の鍵はちょっとした拍子で
掛かってしまう。以前に同じように扉を閉めて中に閉じ込められてしまった生徒がおり、ちょっとし
た騒動になったことがあったのだ。
「ど、ど、ど、どうしよう…………」
さすがのことに希理子も青ざめる。
以前閉じ込められた生徒は翌日の朝まで発見されなかった。あの時は夏場だったので笑い話ですん
だのだが、この冬場に───それも学校が完全に休みのこの期間に閉じ込められてしまったのでは笑
い話ではすまされない。次に扉が開く時には2人の凍死体が出来上がっていることだろう。
「あ、あたし……」
希理子はことの重大さに気付くと力任せに扉に揺さぶり始めた。だが男の澤村がやっても開かない
びくともしない扉が女の希理子の力で開くはずがない。ショックのあまり青ざめ、息を切らせながら
何度も体当たりするがどうなるものでもない。
「やめとけ」
その様子に澤村は扉と希理子の間に自分を挟み込ませるように立ち、ゆっくりと首を横に振った。
「無駄な体力使ったって仕方がねぇだろ?何か方法考えよう」
普段なら怒り狂って希理子を罵倒し倒すはずの澤村のその言葉と態度に希理子はその場に崩れ落ち
た。
「あたし……あたし……」
言葉も出ない。
犬猿の仲であると自他共に認める関係であるが、2人は互いのことを誰よりも認めあっている。─
──少なくとも希理子は憎たらしいやつだとは思っていても澤村の人目には出さない不器用で誠実な
面を誰よりも理解しているつもりだった。
澤村がふざけた、感情に任せた態度や言動を取る時にはまだ余裕があるということだ。そして逆に
こういうふうに冷静になり、落ち着き払う時にはそれだけ問題が深刻だ、ということだった。
自分の不注意さでこんなことになってしまい、その上自分に良い感情を持っているはずがない澤村
に気まで使わせるようなことをしてしまった申し訳なさでどっと涙が溢れてきて、希理子はふるふる
と身体を震わせた。
「泣くな」
そんな希理子を落ち着かせるように澤村は言い切ると、片膝を付くようにしゃがみ込んで希理子の
肩を自分の方に抱き寄せた。
「泣いて解決する問題じゃねぇだろ?!」
情け容赦なくきっぱりと言い捨てられた言葉だが、そこには言葉の字面だけには現れてはいない確
かないたわりがあった。不器用な前面に押し出せない澤村の優しさが確かにそこに存在していた。
「わっ、わかって……る……───」
それがわかってるからこれ以上負担を掛けまいと何とか嗚咽をこらえて涙を止めようとするのだけ
れど、一旦溢れだした涙はなかなか止まってはくれなくて、希理子は懸命にその衝動を抑えようと必
死に音を殺した。
だがそれは完全には無理で、どうしても涙をするる音が衣擦れの音のように悲しくくだけ、余計に
それが情けなくて希理子はそんな自分を恥じた。
そしてそんな希理子の心情を理解したのだろう澤村は、抱き寄せる腕に力を込めると澤村に自分の
顔を見せないようにうつむいてしまっている希理子の耳元にもう一度同じ言葉を落とした。
「泣くな」
だけどその言葉には続きがあり、その言葉はとても優しい戸惑いに満ちていた。
「お前に泣かれるとどうしたらいいかわからなくなる」
小さいがハッキリと言い切られた言葉が2人だけの空間を満たす。その声と抱き寄せられているこ
とによって微かに伝わってくる鼓動という確かな音に希理子は何とも言えぬ安らぎを覚えた。
こんな時にという感がないわけではないが、充実感、充足感、安心感、安堵感────そのどれで
もあって、どれでもないものが希理子のなかにあたたかく満ちてきて、とても心地よく嬉しかった。
「ゴメン」
希理子はもう一度あやまると自分を優しく抱きとめている澤村の身体から自分を引き剥がした。
「泣いててもしゃあないよね?できるだけのことをやろう」
「ああ」
精一杯の笑顔で笑った希理子のその言葉に澤村は満足げに頷くとゆっくりとうながすようにその場
に立ち上がった。
「やれるだけやってみようぜ」
そう言って片付けたばかりのがらくたをがさごそと探り始めた。
この倉庫にはこの鍵のかかってしまった扉の他には天井近くにある空気抜きの窓しかない。そこか
らはとても人間が出入りなど出来そうもなく、だから外部からの手助けを求めるしかないのだ。
そこでまず文字を書けるものをと探し出し、一冊のスケッチブックとマジックを見つけた。それに
体育倉庫にとじこめられてしまったと書き込みをすると一枚づつちぎって、扉の隙間からそれを外へ
と押し出した。
これで運が良ければこの書き込みをしたスケッチブックが風に飛ばされ、目にした奇特な誰かが助
けに来てくれるかもしれないという寸法だ。
とりあえず紙という紙にそういう書き込みをして外に出すと今度は寒さを凌ぐ為の努力をはじめ
た。もともと尋常なく寒いこの空間で、あてもなく助けを待たねばならないのだ。長期戦の構えとし
てどうしても少しでも寒さを抑えなければ、東京のど真ん中で凍死体が2体出来上がってしまうこと
だろう。
そこでがらくたを詰めていた段ボールをひっくり返すとガムテープをとって箱を潰し、それを座る
スペース分だけ何枚か重ねて敷き詰めた。それだけでコンクリートの床に直接座るよりも全然冷たさ
をしのげるのである。
そして更に何か羽織れるもの────カーテンでも何でも良いから布状のものをと探し、倉庫の隅
に仰々しくしまわれていた大きな豪奢な箱を見つけた。
「ま、生徒会の皆さんにはわるいけどこれを使わしてもらおうや」
そう言って澤村が広げたのは体育祭のときになどに使われる学校の校旗である。ビロードに豪奢な
刺繍、金色の縁取りの付いたそれは代々この学校に受け継がれ、応援団部が存在しない上南高校では
かわりに生徒会が管理している由緒ただしい代物だ。
他に何も見つからなかったので澤村は希理子と並ぶようにもう使われてはいない跳び箱を背もたれ
に段ボールの上に座ると、その見つけだした校旗を毛布代わりに半ぶんこずつ伸ばした足の上に着せ
かけた。
「────助け、くるかな?」
「さあな」
もう閉じ込められてから2時間以上経過していた。時計を見るとすでに夕方の6時をまわってい
る。普通の家ならそろそろ夕食の支度に取りかかる頃だ。
そう思うとこのときばかりは普段ほとんど反省しない希理子も自分の生活態度を呪わざるを得なか
った。
なぜなら独りぐらしの澤村はともかく、家族と同居している希理子の場合、あまり帰宅が遅くなる
と家族が心配して何らかの措置をとって探してくれることが期待出来るのだが、出たら出たきり何処
吹く風で、夜中の皆が寝静まった頃に帰宅することもよくある希理子の場合、両親とも『またか』と
思って心配もしないだろう。下手すれば翌朝自分が帰ってきていないことがわかっても『あのバカ娘
は〜!』程度に思われて2、3日は放っておかれるに違いない。
だから今の2人は正真正銘『他力本願』でしか自分達が救出される可能性がないのだ。
「ま、人間2、3日ぐらいなら呑まず喰わずでも生きてられるもんだ。それまでには誰かが見つけて
くれるだろ」
昔、ほとんどこの状態の生活をしていた経験がある澤村はあえて楽観的な言葉でそう返事を返し
た。その言葉に希理子は思わず再び『ゴメン』と言いかけたが、その言葉を慌ててのみ込んだ。言っ
ても仕方がないことだし、余計に気をつかわせてしまうとわかっているからだ。
だからただ黙ってじっと膝を抱えてその場に座り込んでいた。だけど日が落ち、夜の闇が完全に空
を支配する時間になると呼吸が出来なくなりそうな程身体が冷え込み、その寒さに全身が震えだす。
かじかんだ手で全身をさするが、だんだんひどくなるばかりで治まる気配がない。
「これ着てろ」
するとバサリと希理子の膝の上にジャージの上着を投げかけてきた。
「ないより少しはましだろ」
「なっ?!」
その言葉と行為に希理子は目を見開く。
「バカ言ってンじゃないよ!あんたの方が薄着してるのにこんなの借りられるかい!!」
希理子の言うとおり、澤村の方が薄着をしていた。そうでなくても汚い部室と倉庫の整理というこ
とでよごれるのを嫌った澤村はジャージの上下に着替えていたのだ。希理子はといえば面倒くさがっ
てコートを脱いで制服のままやっていたのだが、それでも中に薄手のセーターを着込んでいる為、澤
村よりかは幾分ましである。
「いいんだよ」
だが希理子が押し返そうとした上着を澤村は拒む。
「女子供の方が体温高いんだ。俺は『ガキ』なんだからあんたより平熱が高いんだよ」
「あんた────」
あっけらかんとした澤村のいいように希理子は絶句する。
澤村は何より子供扱いされるのを嫌う。それなのにその澤村から出たそのセリフはあきらかに自分
を思っての、気遣ってのものだ。それがわかるがゆえに希理子は驚きを隠せない。
そしてその結果、ある方向に────以前から己の内に存在してはいたけれど、決して人には、特
に澤村には見せなかった感情が大きく走り始めたのを感じていた。
「────馬鹿」
「なっ」
希理子が小さく呟いたその言葉に今度は逆に絶句した澤村に向かって希理子は無理矢理ジャージを
押し付けた。
「ちょっとこれ持ってて」
そう言うと希理子は勢い良く自分の衣服を脱ぎ始めた。
「な、な、な……」
多少のことでは動揺しない澤村もその希理子の行動には目を見開く。だがそんな澤村の目の前であ
っと言う間に希理子は下着だけの姿に脱皮してしまっていた。そして両手を差し出すように前に突き
出し、澤村に向かって衝撃的な一言を投げかけた。
「抱いて」
「はあ?!」
希理子の口から出た思わぬ言葉に澤村は唖然とする。だがそんな澤村に向かって希理子はもう一度
同じ言葉を繰り返した。
「抱いて」
先程よりもハッキリと、大きな声で言われて澤村は頭を抱える。
「あんたなぁ、何考えてんだよ────」
ここでの『抱いて』の言葉の意味が『寒いから抱きしめて、くっついていて』ではないことは明白
だった。
まっすぐに、瞳の奥まで覗き込まれるように重ね合わされる強い意志と希望を告げる瞳がハッキリ
とそれを澤村に指し示していた。
「俺だって男なんだぞ?!ヤリたい盛りの十代なんだぞ?!」
そう言いながらも澤村は自分の言葉に説得力がないことを誰よりも理解していた。
自慢じゃないけど事実として澤村はモテる。街を歩けばかなりの人間が目配せし、自分を振り返っ
てくる程モテる。バーテンとか夜の仕事をしている関係もあって、年上のお姉様がたから一夜限りの
関係をせまられることなど日常茶飯事のことだ。
だがそれを澤村は受け入れたことがない。受け入れようと思ったこともない。周りからは贅沢だと
かうらやましいとかいろいろ言われるが、自分にとってその行為も誘いもうっとおしいだけだ。
抱くなら────そういう行為に及ぶなら本当に愛しあってる人とだけそのひとときを分かち合い
たい、それが澤村の本心だ。引く手あまたすぎるせいなのか、それとももともと性的な欲求が人より
も乏しい体質なのか、少なくとも欲求に負けて誘いにのったことなど一度もないし、これからもない
だろう。
そしてそのことを希理子は知っているはずだ。これまでの半年あまりの付き合いの中で誰よりも人
間の審美眼、観察眼ある希理子は『澤村正博』という人間の本性を見抜いているはずだった。
なのに希理子の口から出た────決して自分を好きになってはくれないはずの女の口から出た
『一夜限り』に近い言葉に澤村は戸惑いというよりも悲しみを隠せない。
「もっと自分を大切にしろよ。ここは無人島でもないんだし、俺たちはアダムとイヴでもないんだ。
『愛しあわなきゃ』ならない掟はないんだぜ?!」
人間はサバイバル的状況────つまりは命の危機に瀕し、種の保存が困難な状況になると『選
択』をせずに『恋愛』してしまうDNAを持っている。目の前に異性がいれば誰彼かまわず恋に落
ち、その人と身体的に結びつくことで子孫を残そうとしてしまうのだ。
「俺たちは吊り橋の上に立ってるわけでもないんだ────もう少し我慢すればここから出られるん
だ。なのにそんな馬鹿なこと言うなよ」
頭を抱えながら絞り出すように言われたその言葉に希理子は疑問を示した。
「『吊り橋』?」
「そうだよ」
澤村は頷く。
「『吊り橋』だ。人間は馬鹿な生き物だからビビって心臓が踊っちまってるのを相手に惚れたからだ
って勘違いして勝手に解釈しちまうんだ。あんたのもそれとおんなじだ────吊り橋の上とおんな
じだ」
そう言い切ってきっぱり宣言する。
「あんたは今の危機的状況の中で錯覚してるんだ────俺に惚れちまったと勘違いしてるんだ」
その言葉が静まり返った、2人きりの密室の中に冷たく響いた。
「あんたは勘違いしてるんだ」
そう言葉を紡ぎ出しながら、澤村は自分の言葉に自分自身で傷付いていた。
何故なら今この状況で互いの胸でそれぞれ揺れている───振れている胸の振り子が『自分は』以
前から振れていたのに、希理子を求めて振れていたのに相手のそれがそうでないことを自分に言い聞
かせる言葉になったからだ。
わかってはいても────アタマでは理解していてもやはり辛い。自分と希理子は相容れぬ存在
で、顔を見合わせれば喧嘩ばかりだ。相手があまのじゃくだということもあるけれど自分も素直じゃ
ないから希理子にわかる形で優しくしてやれない、そんな自分を愛してくれるはずなんかない───
─そういう想いが心を苛む。
だがそんな内心の苦痛を押し隠した澤村に向かって希理子は小さく否定をした。
「違うよ、勘違いしてるのはあんたのほうだ」
「えっ?」
そう言って手を差し伸べ、冷えきった両手で澤村の顔を挟み込んで自分の方に向けさせる。そして
澤村の揺れる視線がしっかりと自分のそれと重なりあったことを確認するとそのままの体勢ではっき
りと言い返した。
「あたしは『今』がヤバいからって『錯覚』なんかしたりしない────そんなに弱い女じゃない」
そして挑むような強い視線のまま澤村に向かって問いかける。
「あんたはそれを知っててくれたはずじゃないのかい?」
そのままの────決して自分から逃げない、自分が憧れ、恋焦がれた強い瞳のまま希理子は澤村
に向かって問いかける。
「そうじゃないのかい?」
「──────そうだ」
きっぱりと頷く。
「そのとおりだ」
その言葉と共に希理子の身体を澤村はしっかりと抱き寄せた。思っていた以上に冷たく冷えきって
いる様子が布越しに────希理子の頭部が納まって、直接触れあうことになった首筋から伝わって
くる。そしてその冷たさ以上に激しく波打ち、音まで聞こえそうな程高まっている命のリズムも──
──。
「────怖いか?」
「────そうかもね」
馬鹿なことを聞いてしまったと思ったのだが、それに対してしっかりと希理子の返答が返ってき
た。
「これまでついてた嘘も全部さらけだすんだもん、怖くないはずないに決まってるよ」
「『これまでついてた嘘』?」
「そう」
いぶかしんだ澤村に希理子は模範解答を示した。
「『あんたとこんなことしてみたい』とかそんなこと思ってたこと」
そう言って希理子はそっと口唇を澤村のそれに重ね合わせた。その瞬間、冷えきっているはずの冷
たい口唇がまるで火花のように熱く感じた。────いや、口唇だけではない。触れあっている全身
がまるで炎に変じてしまったかのように熱い。
「奇遇だな」
そう言いながら全身を満たし、包み込み始めた『熱』のワケを正確に理解し、澤村は自分自身を笑
う意味も込めていつものからかう笑みを浮かべた。
「俺もあんたと『こんなことしたい』ってずっと思ってたんだ」
そう言って希理子がしてきたのよりもずっと長く、激しく甘い口付けを希理子にほどこす。
「愛してる」
「あたしも」
「愛してた」
「あたしも」
そう言い合って激しく全身をまさぐりあう。
『愛してる』は今から未来へ向かって続いていく言葉、そして『愛してた』は今互いを満たしてい
る感情がこれまでも存在していたことを互いに向かって示す言葉。
誰よりわかりあっている2人だからそれ以上の言葉も、それを飾る形容詞も修飾語もいらなかっ
た。
「これからはずっと────」
そう言って互いの中に溶け合っていく。互いの互いに向けた熱が激しく重なりあって、優しく、狂
おしいまでに激しくすべてを満たしていった。
だからもう寒さなど感じなかった。感じることなど出来なかった。
「ヤバい、かもねぇ────」
そうつぶやいて希理子は自分とたった今結ばれたばかりの恋人の身体を被っている豪奢な布を摘ま
み上げた。
その様子に包み込むように希理子を抱きしめている澤村が肩をすくめながら言い返す。
「でもヤッちまったもんはしゃあねぇだろ?処女だったあんたが悪いんだし」
「下品!」
次の瞬間、希理子の鉄拳が澤村を直撃していた。
「その処女を喰っておいて何言ってるのさ?!」
「まあな」
睨み付け、挑むような視線を向けられても澤村は平然とした様子でぽりぽりと寝癖のついてしまっ
たアタマを掻いた。
希理子と澤村が毛布代わりに使っている学校旗には希理子がつい1時間程前まで処女だった証とし
て鮮血がついてしまっていた。
澤村としてはまさか希理子が正真正銘の処女だったとは思ってもみなかったのでついつい無遠慮に
ヤッちまっちゃったわけで、その為敷物がわりにしてしまったこの学校旗に2人が交わった証がしっ
かりと刻み込まれてしまうなど思ってもみなかったのだ。
「だけどこれで歴史に残るぜ?こんな汚いボロ倉庫で『愛しあっちゃった』生徒がいたってな」
「なっ、……馬鹿!!」
その言葉に真っ赤になって、希理子は再び澤村に向かって手を振り上げた。
「おっと」
澤村はそれを手慣れた仕種で交わし、そのまま半分羽交い締めにする形で希理子の身体を抱き締め
る。
「いいじゃねえかよ、俺とお前が初めて愛しあった記念が形として残ったんだと思えばさ」
それにこの程度の汚れなら染み抜きかければ簡単に落ちるだろうよ────そう付け足して澤村は
幸せそうに希理子の身体に自分の顔をすり寄せた。
「──そだね」
何だかごまかされた気がしないわけではないが、かなり幸せなのでそのまま誤魔化されることにし
た。
「おっ、誰か来るみたいだぜ」
しばらく抱きしめあって余韻を味わっていると遠くの方で微かに自分達の名を呼ぶ声が聞こえてき
た。
おそらくこの声は小林と今川だろう。ちゃんと自分達が掃除をしたか確認をとろうとして連絡が取
れなかったことを気にして探しにでも来たのだろう。
「とりあえずこれは隠して、と────ほらよ」
澤村は血を付けてしまった学校旗を折り畳んで倉庫の隅に隠しながら、慌てて衣服を整えている希
理子に制服の上着を差し出した。
「ボタンかけちがえるなよ」
「誰が!」
自分をからかうその言葉に希理子は手を振り上げるとぽかりと澤村を殴りつけた。
「ここにいるんですか、希理子さん?!」
「そうだよ、助かった、早く開けておくれよ」
聞こえてきた今川の言葉に希理子は大声で返答する。
「わかりました」
ガチャガチャと扉をあける音が響き、この2人きりの密室が解放されていくのを確かに耳にした。
「ねえ澤村」
そんな中、助かったことは確かに嬉しいのだが、何だか少し勿体無いというか、もう少しだけこの
不思議な空間を味わっていたかったというか、とにかく不思議な感傷を感じて希理子は澤村の顔を覗
き込んだ。
「ぅん?」
それは澤村も同じだったようで、嬉しいような悲しいような、嬉しいような寂しいような、そんな
複雑な心中の顔をしている。
「またどこかで密室を味合おうね」
「────!、ははっ」
一瞬何を言われたのか理解できず目を丸くした澤村だが、次の瞬間には弾けたように笑い出した。
「俺の部屋来りゃ何時でも密室だよ」
そう言って少し顔を傾ける。
「!」
その傾けた先には希理子の顔があり、2人の口唇が確かにぴたりと重なりあった。その感触と悪戯
めいた────珍しく年相応の少年の顔になっている澤村の笑顔に希理子は目を見開き、そして魅了
された。
それからたっぷり数秒間、扉が開くまでのその間、2人は互いを味わいあった。
Fin.
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