3rd. double  
01/07/05up

  

  

  店を出た希理子は近くにあった洋服屋に入った。6月も中旬のこの時期、どんな店でも扱う商品は

すでにどこもかしこも夏物一色である。そんな店内で希理子は七分袖の白っぽいカーディガンを買っ

た。季節外れの特価品、1900円の商品だった。

 だが品物は特価品であっても最近の洋服屋、特に渋谷や原宿などの繁華街、そして今いるお台場な

どの人気スポットの店は実際の季節よりも2、3か月先行した商品を扱っているのがほとんどであ

る。それゆえに希理子が買ったそのカーディガンも梅雨の時期ゆえにまだ時折半そででは肌寒い日が

あるこの季節では今着ていてもぜんぜんおかしくない、そんな代物だった。実際に行き交う人々を見

ると希理子がたった今買ったのとおなじような品物を着ている女性も多々見受けられる。

 希理子はその買ったばかりのカーディガンの値札を歯で噛み切りながら、その希理子の突然の行動

に唖然としている桜井に向かって話し掛けた。

「これからあんたを『最低な男』にしてやる」

「えっ?」

 意味がわからない。

「だからこれからあんたを『最低な男』にしてやるって言ってるのさ」

 やっぱり訳がわからない。

 希理子は自分の、希理子自身のPA───『プライベートアクトレス』としての能力を見せる為に

一緒に食事をした店内を出たはずだった。それなのに自分を最低な男にするとはどういうことなの

か、察しは良い方だと思っていたのだが、まったく意味が理解出来ない。

「どういうことだ?」

 だから素直に問いかけた。すると希理子は面白そうに、どこか企んだ瞳を浮かべながら桜井に向か

って説明してきた。

「あんたとあたしはこれから『恋人同士』だ。どこにでもいる、オシャレなデートスポットで夜景を

楽しむそんな『バカップル』だ。だけどあんたはこんなに綺麗な彼女がいるっていうのに、二股かけ

て女を泣かせても平然としてる最低な男って設定だ」

「・・・・はぁ?!」

 余計に訳がわからない。思わず口をぽかんとあける。そんな桜井にむかって希理子はニヤリと笑い

かける。

「あんたは何もする必要はない。ただあそこまであたしを連れて歩いていって、一緒に夜景を見て、

その時にわざとらしくならない程度に髪や腰に触れてくれたらいい」

 そう言いながら希理子は待ち合わせ場所だったテラスデッキの一角を指し示した。そこにはすでに

桜井らと同じように食事を終え、夜景に酔いしれている恋人同士があちらこちらに佇んでいる。

「あたしはその話の途中でトイレに行く、あんたはその場であたしを待ってる。そしたら別の女があ

らわれる、それだけの話さ」

「『別の女』、『それだけの話』って───おい?!」

 希理子は桜井の問いかけを無視して買ったばかりのカーディガンを腰に巻き付けるとさっさとそち

らの方向に向かって歩き始めた。

「だからあんたは何もする必要はない。ただ『その場』で仕事の話だけはしないでおくれ」

 そう言うと今度はニコリと笑って自分に続くようにうながした。桜井は慌ててその背中を追う。

 なんとか横に並ぼうとしたのだが人込みのあまりそうすることが出来ず寄り添うように後ろについ

て歩き始めたのだが、希理子はまったくわけがわからずにただ後をついてくる桜井を時々振り返りな

がら、暑いねとか人が多すぎるとかぶつぶつ文句をつぶやいている。

 その様子はいつもとなんら変わらない、普段の希理子そのものだ。 だが何かおかしい。心が変にざ

わついている。

「……?───」

 わけがわからず目をしばたかせるが何かが違う。

 そんな桜井の戸惑いに気付いているのかいないのか、希理子は何ら変わらぬ様子でそのしなやかな

肢体で人込みの中を泳ぐようにすり抜けていく。歩く度にゆれ、少し出てきた風になびいたつややか

な美しい黒髪がやわらかで華やかな薫りを桜井の元に届けてくる。その甘さが何故だか全身にまとわ

りつき桜井の心を落ち着かなくさせる。

「わっ、綺麗」

 やっとたどりついたデッキの一角で希理子は眼前に広がる夜景のその美しさを求めるかのように少

し身体を前のめりにもたれ掛かりながら、振り返って桜井に向かって同意を求めるかのように微笑ん

だ。

「!!───」

 思わず顔が赤くなる。見なれているはずの笑顔が綺麗で、本当に綺麗で、別人のようにしか思えな

い。

 確かにそこにいるのは希理子で、希理子のはずなのに、希理子とは思えない。まるで希理子とまっ

たく同じ顔をした、まったく違う人間───。

「えっ!!───」

 思わず漏らしてしまったその声に希理子はたしなめるように小さく微笑んだ。

「ふふっ、変なヤツ」

 そう言いながら軽く桜井を小突くと再び身体ごと向きをかえ、夜景の方を嬉しそうに見つめてい

る。

 桜井は思わず息を呑んだ。やっと希理子が何をしているのか、何をしようとしているのかわかって

きた。自分の心がざわつくのも、落ち着かないのも道理だ。

 今、自分の横にいるのは『希理子』ではない。少なくとも自分の知っている乱暴で、暴力的で、お

おざっぱで、不器用で、そのくせ変にお人好しで優しい一面を持った『仲間』である『希理子』では

ない。

 ここにいる『希理子』は自分に恋し、週末のデートを心から楽しんでいる『恋する女』なのだ。時

折振り返った際に向けてきた視線も、今浮かべている微笑みもすべて『恋する女』のもの、───

『恋する女』の『笑顔』。

 それに気がつくと周囲の視線がひそやかに、こちらの様子をうかがうように注がれているのを感じ

た。

 その長身ゆえに人に注目されることに慣れてしまっている桜井だが、今注がれているそれはいつも

のモノとはまったく違うものだとわかる。それは妬み、羨み、そして憧れ───美しく可憐で愛らし

い恋人と甘い時間を過ごしている『理想の恋人達』をうかがう視線。

 誰がいったいこれを『演技』だと思うだろうか?───少なくとも希理子は、本当の希理子は自分

に恋などしていない。それはこれまでの丸2年あまりの歳月を共にしてきた桜井自身がよく知ってい

る。なのにここにいる少女は明らかに自分に恋をしている、───恋をしていると周囲に『思い込ま

せて』いる。

 『現実』は誰もが知っているものだからTVや映画、舞台なんかより『演技』するのは難しい、と

くにありふれた関係であるのならなおさら難しいのだと桜井が会った、希理子が社長と呼ぶ男は言っ

ていた。

 事実そうだろう。男女2人が仲が良さそうに歩いていても『恋人同士』と『兄妹』は自然と区別が

つく。そこには顔が似ているとか似ていないとかそんなことは関係ない。間にただよう空気の色で、

雰囲気でそれとなくわかるものだ。

 『タダのトモダチ』と『恋人同士』でも少し見れば結構簡単に区別がつく。よく見る、誰もが知っ

ている関係であるがゆえにその微妙な関係を見誤るものなど数少ない。

 なのに今や自分達2人を見るものの中に自分達を『トモダチ同士』だと認識しているものはひとり

もいない。希理子は何処から見ても恋人同士としか見えないように身体を密着させたり、甘い言葉を

言っている訳ではない。それなのに周囲は自然に希理子と自分を恋人同士だと認識している───い

や認識させられている。これがPA<プライベート・アクトレス>───『日常』を舞台に現実に実

在しない人間を演じ『存在』させてしまう究極の《演技者》。

「ちょっとゴメン、ここで待ってて」

 希理子はそう自然な仕種でその場を離れようとした。だが隣にいたカップルの男の方にぶつかって

しまい、手にしていたポーチを落としてしまう。

「あっ、すみません」

 希理子は小さく頭をさげた。

「いえ」

 希理子にぶつかられた男は微かに頬を染め、希理子の落としたポーチを拾い上げた。

「ありがとうございます」

 希理子は小さく会釈してその場を離れるとその男は隣にいた恋人にギッとつねられた。

「いてっ」

 自分以外の女に気をとられた恋人に腹をたてたのであろう。拗ねた表情でぷいっと横を向いてしま

う。

 桜井はそこで先程の希理子の言葉を思い出した。希理子は先だってトイレに行く間待つように指示

し、その間に『別の女』があらわれると言っていた。どうやらこれからがその言葉の実現らしい。

 桜井は希理子がしていたようにデッキにもたれ掛かり、ぼーっと夜景を見ながらその言葉の意味を

考える。

 だがどういう意味だろう?希理子は別の誰か───例えばPA仲間でも喚んだとでもいうのか?だ

が今の今までずっと側に居て、電話を掛けたり誰かと連絡をとった様子のないことは桜井自身、自分

が一番よく知っている。それならこうなることを予測して前もって誰かに依頼しておいたのか?

 そう考えて頭をふる。そんな単純なことではないような気がする。

 希理子はこの演技を始める前、いつもの自信に満ち溢れた悪戯めいた表情で自分に対して笑ってみ

せた。

 あれはとんでもない悪戯や意地悪を考え付いて実行する時に希理子がいつも周囲に見せるのとまっ

たく同じ表情だった。破天荒でまったく何をするか凡人には想像もつかない、とんでもないことを実

行するときに彼女が常に浮かべ、周囲の人間を震え上がらせてきた時とまったく同じの───。

 ということはまさか─────、桜井がとんでもない『答え』にたどり着いた時、突如鈍い痛みが

後頭部をおそった。

「信じられない!!」

 その言葉と共に小さな紺色の物体が自分の後ろ頭を強襲していた。

「なっ?!、え……あっ?!!───」

 突然の攻撃に頭をかばうようにしながら後ろを振り返ると白いカーディガンを着た少女がそこに立

っていた。

 必至の形相で涙を堪えながら、先ほど桜井の頭にぶつけられたであろう紺色のポーチを持って桜井

を睨み付けている。

「信じられない!」

 その少女は再びその手にしているポーチを思いっきり振り回した。

「イテッ」

 桜井は顔を目掛けてくり出されたそれを左手を上げてかばいながらその少女が誰か確認した。

「!!」

 信じられなかった。

「ちょ───……!!」

 思わず言おうとしてしまった言葉をのみ込む。

「信じられないっ!!」

 尚もそう言って手にしているポーチを振り回している少女は先ほどこの場を離れたはずの希理子だ

った。ただ少しだけ格好が変わっている。

 腰にまいていたカーディガンをきちんと身につけ、後ろに流していた髪を首の付根で一まとめにし

て三つ編みにし、そのくくったところに派手なハイビスカスのバレッタを留めていた。そしてスッピ

ンだった口唇に今年流行のオレンジの口紅をさしている。

 希理子はそんな驚いてどう反応していいのかわからない桜井を尻目になおもポーチを振り回して桜

井を殴りつけ続けた。その様子に周囲はその突然始まった修羅場を遠巻きにしながら見物し、やがて

その反応が一つの方向へと動き始めた。

 いわく二股かけた男を本命か2番手かはわからないがそのどちらかがその現場を目撃し、殴りつけ

ているのだと判断し始めたのである。

 そのためぼそぼととつぶやく周囲の声にはこの二股男、つまり桜井に対する侮蔑の言葉が数多く含

まれている。

「バカッ!!もう信じられない!!」

 希理子がこれが最後とばかりにしたたかに桜井の頬を空いていた左手で平手打ちにすると、その高

く乾いた音が周囲に響き渡った。

「帰る!!『ついてこないで』!!」

 希理子はそう桜井を怒鳴り付けると足音も高らかにその場から立ち去っていった。そのあまりの剣

幕にその光景を見物していた人々は退場していくその希理子を避け、自然と通り道が出来てしまっ

た。

 桜井は呆然と、音が派手だったわりにはまったく痛くない殴られた右頬を押さえながらその去って

いく希理子の背中を目で追う。混乱した頭でその後を追うべきかどうか悩んだのだが、希理子の残し

た捨て台詞がひっかかってその場で待つことにしたのだ。

 周囲もあまりじろじろ見ていては何だと思ったのか直接的には見なくはなったが、それでも突然繰

り広げられた修羅場の主人公をあざ笑うかのようにこそこそとウワサしあっている。

 その雰囲気にいたたまれなくなり思わず逃げ出したくなったのだが逃げ出すことも出来ず、周囲の

視線から目をそらすように再びデッキにもたれ掛かり夜景の方に視線を向ける。

 それから約3分、でも桜井にとっては信じられないほど長く感じた時間が経過した時、再び周囲が

ざわつき始めた。

「ゴメン、待った?」

 その言葉と共に冷たい感触が頬を濡らした。

「!」

 振り返るとそこには希理子が立っていた。手にはいささか水滴のついた缶ジュースを持っている。

「トイレ結構込んでてさ、別のトイレ探してたら遅くなっちゃった」

 希理子はその手にしていたジュースを一口飲んで、その残りを桜井に向かって差し出した。その様

子に周囲のざわめきはますます高くなる。

 再び戻ってきた希理子は最初この場を離れた時と同様に髪を背に流し、カーディガンを脱いで腰の

所に巻き付けていた。塗っていた口紅は拭き取られていたが微かに端に残っており、塗っていたとい

う痕跡をうっすらと残していた。だが、この薄暗い場所ではよく見なければそんなことなどわからな

い。

「あれ?どうしたの、ほっぺた赤くなってる」

 希理子はそう言いながらすっと手を伸ばした。指先だけが微かに頬の上をなぞり、いたわるように

その上を滑った。

「!!」

 桜井は思わずその指先から逃れてしまった。目の前にいる少女───希理子が信じられない。

 自分で、それこそあんなにしたたかに殴りつけておいて、それなのに希理子はそれをまったく何ご

ともなかったかのように桜井の腫れ上がった頬を不思議そうに、痛そうに見上げてくるのである。

 そしてそれ以上に信じられないことが周囲で起こっていた。

「ん?───何か見られてる?」

 希理子はそう言いながらぐるりと周囲を見回した。だがこちらの様子をうかがっていた人々はさっ

と素知らぬ顔をして、それでもこちら側に意識を残してそっぽを向いてしまった。その様子は明らか

にこれからまた始まるであろう修羅場を期待するものだった。

 それも先程の続きではない、新たな修羅場を期待する、明らかに興味本位の他人の色恋のごたごた

を娯楽と考えている底意地の悪い意識があちらこちらに充満しているのである。

「何だかヤな感じ、行こっか?」

 そう言って希理子は桜井を促した。そうやって歩き出した時、希理子は先ほどぶつかった恋人同士

の片割れと目が合い再び小さく会釈した。その様子にその男は再び頬を染め同じく会釈すると、その

次に希理子の後に続いた桜井と目が合った。するとその男はいささかバツが悪そうに、でもしっかり

とあざ笑うように桜井に対して笑みを漏らしたのである。

「!」

 その瞬間、桜井は希理子のしたことすべての意図を理解した。思わず希理子の方に視線をやると希

理子はそれがわかっていたかのように小さくニコリと微笑んだ。

「さっ、行こ?」

 希理子はそう言ってすっと腕を絡ませ桜井に歩みを促した。絡み付くようなあざ笑う視線が満ち溢

れているそのテラスデッキを通り抜け、そのまままだ開いている店々の前に過ぎ去り、ほとんど誰も

いない人気のない駐車場のエリアまで歩き続けた。そこまでたどり着いて初めて希理子は口を開い

た。

「わかったかい?」

 その声に先程までの甘さなど微塵もない。落ちてきた髪を左手で掻きあげながらそう言う姿は毅然

とした女王然とした姿であり、そこに『恋心』などかけらも存在しない。

 いつもの『希理子』───いや、桜井の知らない『PAとしての希理子』がそこに居た。

 思わず息を呑み、桜井はすっかり乾ききってしまった自分の口唇を潤した。信じられないがそうと

しか考えられない、先ほど導きだした推論を言葉にして確認する。

「わざと、か───?」

 希理子はその言葉に小さく笑みを漏らした。それが何よりの肯定だった。

「だから言っただろ?あんたを『最低な男』にしてやるって」

 あっけらかんとした、まるで何ごともなかったかのように響くからかいの言葉。

「カネさえくれるのならあたしは何でも演じてやる、どんな人間だって騙してやる」

 そう言いながら自信ありげに婉然と微笑んだ。

「だってあたしにはそれが出来るんだもん」

 桜井はそうやって微笑む希理子に畏怖を感じた。

 言っている内容や言葉が怖いのではない、その言葉が虚言でも華飾でもないことが怖いのだ。たっ

た今、イヤと言うほど見せつけられたその真実が桜井の意識をのみ込んでいる。

 先ほど、トイレに行くフリをして自分の元を離れる時、希理子はわざと自分達の横に居た恋人同士

にぶつかったのだ。そしてポーチを拾わせ自分の顔を印象づけた。

 さらにあろうことかその拾わせたポーチを振り回して暴れまわってもう一人の架空の女を演じ、戻

ってきてもう一度顔をはっきりと見せてもこの2人が、周囲の人間に笑い者にされた希理子いわく

『最低の男』をめぐる2人の女が一人の人間による芝居ではない、まったくの別人であると思いこま

せたのだ。

 桜井だとて希理子をよく知っていなければ、希理子が自分から離れた際にある程度推論をたててい

なければ、この時現れた自分を罵り殴る女が希理子だと気付かなかったかもしれない。

 ただカーディガンを着ただけ、髪をくくっただけ、口紅を塗っただけ、そんな単純な変装しかして

いない、持っているものさえまったく同じのよく見れば誰だって同じ人間だと気付いたはずの格好し

かしていないのに、希理子は『恋する幸せな女』から『裏切られた女』を演じ、そして再び『恋する

幸せな女』に戻ってもあれだけの視線を集めていたというのに誰一人として気付かせないほど完璧に

『2人の女』を演じて分けてみせたのだ。

 さきほどの男はこの希理子の実力の証明のためにまんまと利用されたのだ。たとえ顔を見られてい

てさえ別人だと信じ込ませられるほど自分に演技力があるという証明の為に。

 こんなこと普通の人間に出来るはずがない。たとえ初対面の相手でもこんな無謀なことをしてそれ

とわからぬわけがない。それなのに希理子はそんな不可能を文字どおり可能にしたのだ───声色さ

え変えずに、ほんの少しの変装だけで。

 これを畏怖せずにいられようか?人に───人間にこのようなこと出来ようはずがない。だとすれ

ば目の前にいる自分がよく知っているはずの少女は神なのか、それとも悪魔なのか────。

「で、どうするの?」

 思わず凍り付いたように希理子を見つめてしまっていた桜井に向かって希理子は問いかける。

「やっぱりあたしじゃダメ、気に喰わない、嫌だってんのなら他の人斡旋してもらってやるけど」

 そして付け足す。

「まあ、でもあたし以上の『凄腕』はなかなかいないと思うけど」

 そう言ってくすくすと笑う。

 表面上は自分のよく知っているいつもの希理子と何ら変わらない。でも別の顔を持った希理子を知

ってしまった今、その笑顔が恐ろしくて仕方がない。こうやって笑っているその笑顔の下で希理子が

何を本当に考えているのかわからない。

 想像していたのを遥かにこえる演技力───何が、どこまでが現実なのかわからなくさせられるほ

ど完成された『虚実の世界』。

 禁断の扉を叩いてしまっていたのかもしれないが、それでもその力が今の自分には必要だった。

「力を貸してくれ」

 桜井は震える身体を押さえ込み、真正面から希理子を見つめる。

「正式にお前を雇いたい」



 湿った、この時期特有の風の向こうで何かが確実に動き始めていた。

 

                                 

                               TO BE CONTINUED・・・

    

    

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