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02/04/13 up

  

  

「らしくないほど卑怯だね、奈緒子。そんなのまったく君らしくない」

 それがどうして逝かせてくれなかったのかと────死なせてくれなかったのかと声を荒げた希理

子に対し返された返答だった。

 だが続いて出てきた言葉はそれまでの会話から掛け離れた、『病人』とそれを見守るものの会話だ

った。

「さっ、飲んで。脱水症状を起してるんだ、一気にとるのはもちろんダメらしいけど何か飲ませてお

くようにってお医者さんから言われている」

 そう言って嘉弘が差し出したのは水ではなくレモン水のようだった。

「はちみつも少し落としてある。少しエネルギーになるものもとらないといけないと思ってね」

 常温でしばらく放置されていたらしくすっかりぬるくなってしまっているが、起き上がったばかり

の希理子にはその方がちょうどよかった。

 一瞬、それを受け取ろうかとろまいか真剣に悩んだが、のどの渇きはかなり激しいものが合ったの

で、希理子はそれを奪い取るように受け取り、それを一気に流し込んだ。

「ぅっ……ごほっごほっ」

 急激な水分の摂取を身体が受け付けなかったようで、希理子は半分程グラスを空けたところでむせ

返ってしまった。

「大丈夫?ゆっくり飲んで。飲み過ぎはよくないけどまだあるから」

 そう言って希理子を見る目は包み込むように優しい。そんな風に会話をしているととてもつい半日

程前にあんなふうにして別れた関係には見えない。

「…………」

 希理子はその自分の背を優しく撫でてくる嘉弘の姿にいささかの違和感とそしてそれ以上の安心を

感じながら、とりあえず問い返し、言い返しておかなければならない言葉について蒸し返すことにし

た。

「で、あたしのどこがらしくないっていうのさ?!」

「?、ああ」

 一瞬嘉弘は何を言われたのかわからなかったらしく、いぶかしんだ表情を浮かべたがすぐさま大き

く頷いた。そして至極あっさりと、簡潔に言い返した。

「だってそうだろ?ぜんぜん君らしくないよ。君はたとえどんなことがあろうと命を粗末にする人じ

ゃなかった。ましてやそれが自分が逃げる為に死を望むような人じゃなかった。それって卑怯なこと

じゃないのかな?」

 まっすぐに希理子を見つめながらなおも言う。

「きみの身に何があったかは察しがつくよ。でもだからといって嘉幸のもとに逃げるのは────死

に逃げるのは、精一杯、全身全霊で生き抜いた嘉幸の生きざまを誰よりも側で見てきた君には絶対し

てほしくない」

「!────────」

 その言葉にはっと我に返り希理子は自分の身体を見下ろした。着ていたはずの制服はぬがされて男

物のパジャマを着せられている。意識を失っている間に石畳の上に直に寝転がっていたゆえに汗にし

どろに濡れて汚れてしまった制服を脱がされ、着替えさせられていたのだ。

 恥ずかしさというよりも絶望で希理子は自分の身体を抱き締めるように自分の二の腕を逆の手で強

く掴んで抱え込んだが、もう時はすでに遅い。全身に桜井によって幾つも刻み付けられた愛撫という

にはあまりにも残酷な行為の痕は見られてしまっている。それを恥ずかしいと思う意識はなかった

が、それがもたらすかも知れない未来を思って希理子は恐怖に震えた。

「心配しなくていいよ」

 だがそんな希理子の内心をさっしてか、嘉弘は安心させるようにまた笑った。

「誰にもいうつもりはないし、そのことをネタにきみや────そうあの少年を困らせるつもりはな

い。だってきみは本当にイヤな相手になら身体を許してしまう前に舌を噛み切ってでも死んでしま

う、そんな人間だろ?だから医者にも警察ざたにするのはやめてくれって言っておいた」

 ただ不審がっていたから後できみに説明にいってもらうとは言っておいたけどね────そう嘉弘

は付け足した。

 一般に医者には守秘義務があるといわれているが幾つか例外がある。明らかに暴力───両親から

の虐待や一般的にドメスティックバイオレンスと言われている夫、恋人からの暴力によってケガをし

ていると思われる場合、そして性的暴行───いわゆるレイプ犯罪が行われた形跡がある場合には警

察への通報義務があるのだ。

「あ、ありがとう……」

 ゆえに希理子は素直に礼を言った。今さら自分が周囲にどう思われようが関係ないが、今回のこと

で桜井が加害者扱いされることだけはどうしても出来ないことだったのだ。

「どういたしまして」

 嘉弘は希理子からの礼にそう答えると、改めて話を戻した。

「だからどうこう言うつもりはないし、少なくともきみにとって僕はもう関係がなくなった人間だか

らこんなこという立場じゃないかもしれないけど、きみ自身が受け入れて、ある意味のぞんだ関係の

責任を死ぬことで逃れようなんて卑怯すぎることだとは思わないかい?僕はきみを誰よりも愛した嘉

幸の兄として───いいや、きみを愛した男の一人として絶対にそんなことして欲しくない」

 揺るがずに、そらさずに、視線を重ね合わせられたままのその言葉に希理子は頷くしかなかった。

 確かにそうなのだ、このまま死ぬのは卑怯すぎる。自分はまだ何一つ終えられていない───桜井

からの依頼を完了することも、桜井の父からの依頼を完了することも、そして自分自身と自分自身に

ありのまま生きることを教えてくれた嘉幸に対して誓った約束もまだ果たせてはいない。このまま死

ぬわけにはいかないのだ。

 でも、だけどそれでも現実は辛すぎる。引き裂かれつつある心の痛みと悔恨にどうしようもなく苛

まれてどうしていいのかわからない。

「───ねえ、嘉弘さん」

「ん?」

「『あたし』って何なのかな?」

「えっ───」

 その言葉に嘉弘は目を見開いた。

「今ここにいるあたしはさまったくの『偽者』なんだ。嘉幸と出会って本当の自分を取り戻す為にこ

れまでいろいろやってきたけど、だけどまだあたしは本当の自分に戻れてない。なのに『今』のあた

しを好きだっていう───『今』の『偽者』なあたしを必要としてくれてる人が結構いて、だからそ

の度にあたしは苦しくなる」

 希理子は泣き言を言っているのでなくて、ただ純粋に今の自分の心境をそんな言葉で話した。

「だけどもうすぐ消えるんだ───みんなが必要としてくれた『あたし』は消えるんだ。まだあんま

りよくわからないけど、『本当の自分』に戻ったあたしと『今』のあたしは絶対違う───なのに好

きになられても困るんだ、必要とされても困るんだ。なのにそうされると何故だかメチャクチャ嬉し

いんだ───」

 純粋な、魂から出たウソ偽りない言葉だった。

 ガッコウに通っていたのも、部でマネージャーなんてしていたのもただのカモフラージュでしかな

かった。『本当の自分』を取り戻す為の資金や足掛かりを得る為の時間潰しでしかないはずだったの

だ。

 だけど何時の間にかに本当に楽しくなっていた。恐れられつつも慕われているその感覚がとても嬉

しくて、深くかかわり合うつもりなんてなかったのに、いつしかのめり込んでいた。

 そしてそんな中で桜井という少年に出会った。出会った瞬間からなんだか不思議な程に気になっ

た。

 本人は上手くごまかしているようで、周囲もそれには気付いていなかったが、希理子は桜井の中に

ある不安定さと危険さにすぐさま気がついた。ゆえに目が離せなくなっていた。

 そうしている間にいつしか『少年』は『男』になり、自分が気付かぬ間に自分に対して恋心を寄

せ、そして求められるまでになっていた。

 しまった、と思った。しくじった、と思った。こんなことになる前に距離をおくなりなんなりして

手を打っておくべきだったのに、すでに桜井が自分に寄せる想いはもう戻れないところまで来てしま

っていた。

 それでもPAとしてそれなりの場数をふみ、そしていろいろなケースを見て来ていた自分なら上手

く立ち回れるはずだったのだ。なのに自分は『役者』に徹しきれなかった───桜井に思われてしま

った『希理子』の部分がぬけ切れないまま、桜井に接し続けてしまった。

 その結果が今日のこれだ。桜井の想いから逃げ続けていれば────もっと違う形になるように導

いていけばこんなことにならずに済んだのだ。だけど自分はそれを怠った。心の何処かに桜井から寄

せられる愛情を嬉しいと思う自分が確かにいて、それゆえに今日の仕儀に至ったのだ。

 それなのに自分は消える。もうすぐここから───桜井と過ごした『日常』から消える。本当の自

分に戻る為に自分はこの穏やかで心地が良かった空間から抜け出していかなければならないのだ。

「ねえ奈緒子」

 そんな希理子に嘉弘はゆっくりと声を掛けた。

「僕にはどう言えばいいのかよくわからないけど、きみは『戻る』のかな?」

「えっ──────」

 思いもかけなかったその言葉に希理子は目を見開いた。

「覚えてる?きみの口ぐせ、『どんなにあがいても過去には戻らない。無駄なことしてるヒマがあっ

たら前だけ見て進んでろ』って。───それなのにきみは戻るの?戻れるの?」

「それは───」

 確かに嘉弘の言うとおりだった。元には戻れない───どんなにあがいたって過去には戻れない。

「それにね、どうしても『今』を消さないといけないものなのかな?僕は思うんだけど未来は過去の

積み重ねの上にしかない、それなのにそれをなかったことにして未来だけ作っていけるものなのか

な?」

「だけど、だけど…………」

「わかってる」

 口どもった希理子に向かって嘉弘はゆっくりと頷いた。

「きみは『いなくなる自分』を好きになってもらうのは悪いと思ってるんでしょ?だけどそんなこと

きみ以外の人間との関係でだってよくあることじゃないか」

「??」

 その言葉に希理子は小首をかしげた。性格はともかく生き方を偽って暮らしている自分と比較出来

るような例がそう多くあるとは思えなかったからだ。

「考えてみて?出会いがあれば別れもある、春になれば卒業とか転勤やらで旅立つ人間だって多いで

しょう?そこで夢に向かって羽ばたく為に別れを告げてくる人をきみはひどいと思うのかい?最低の

人間だと思うのかい?」

「それとこれとは─────」

「一緒のことだよ」

 違うことだと言おうとした希理子の言葉を嘉弘は打ち消した。

「人間は誰だって変わるんだ、成長するんだ。プライベートとそれ以外とじゃ顔を使い分けるのだっ

て当たり前だ。なのにどうしてそうすることがきみだけは許されないの?それともきみは『特別』な

人間なの?」

 まっすぐに視線を重ね合わせながら言う。

「きみだけが『特別な人間』なの?」

「───!」

 言葉を失った。

 希理子は自分自身を『例外』だとみなしていた。嘘つきで、卑怯ものゆえに他の人間と一緒にして

はいけない『例外』だと。

 しかし言い換えれば『特別』扱いしていたのと同じことだったのだとやっと気がついたのだ。自分

だけが特別で、それゆえに他の人間とは違い、他の人間と交わってはいけないのだと思い込んでいた

勝手な自分に気がついたのだ。

 思い上がりも甚だしかった。そんな自分に吐き気すらした。

 『弱者扱い』されることが大嫌いな自分、たとえどんな相手であろうとも常に平等でありたいと願

い行動していたはずの自分がまっ先にボーダーを引いてしまっていたのだ。

「僕はね、奈緒子───いいや、矢部希理子さん、今回きみに再会する前にきみのことを調べたって

言っただろう?そのときにね、僕以外のきみの『依頼人』とか『ターゲット』とか、PAがらみの人

間に何人か会ってるんだ。きみがいったいどうしていたのか知りたくて、本当のきみがどういう人間

なのか知りたくていろいろ訪ねてみたんだ」

 もちろん希理子のPAとしての仕事は極秘ゆえにその関係者を見つけだすのは大変だった。しかし

知りえた何人かにはすべて直接会いに行った。

「みんなね、それはとてもいい顔をしてきみの事を話してくれたよ。『感謝してる』って、『もう関

係ないだなんて言わないで会いに来てくれ』ってみんなそう言ってた。中には今だからはなせるけど

って前置きをして、きみが自分を騙そうとしているのを本当は知ってたけどあんまりきみが一生懸命

だからそれにつき合おう、それでいいって思ってたって人もいたよ」

 その言葉に希理子は過去を思い出す。

 恋人を永遠に失って傷心している息子を慰めて欲しいと依頼してきた夫婦、病気で死に逝こうとし

ている妻に最後の思い出を与えてやりたいとかけおちして行方知れずの娘が産んだ孫になって欲しい

と頼まれたこともあった。

 中には本当に馬鹿らしい、自業自得な依頼もあったけれど、PAなんて特殊な仕事を依頼してくる

ぐらいの人間達だから本当に切羽詰まっているケースが多かった。それゆえに人助けだなんて思って

いたわけではないけれど、ついつい仕事を忘れてのめりこんでしまうケースも多かった。

 その度に希理子は思ったのだ。本当に自分がしていることは正しかったのだろうかって────依

頼人やターゲットに『逃げ』を提供してしまっているだけになっているのではないかって。

 だけどそんな希理子の内心を読み取ったかのように嘉弘は言葉を続けた。

「きみは演じてるときの自分は特に偽者だっていうかも知れないけど、全部が偽者の、いいかげんな

形だけなんだったらあれほどきみは慕われることにはならなかったと思うよ?裏打ちされた、きみの

中の相手に対する本当の気持ちがあったから、だからこそきみはあれほどまでにいろんな人に慕われ

ることになったんだ。だから偽者だなんて思う必要無い─────自分を卑下する必要なんて絶対な

い」

 そんなことするのはこれまできみに関わったすべての人に対する最大級の侮辱と一緒だよ────

─そう言って嘉弘は小さく笑った。

「さあそれでこれからきみはどうするの?今までのきみが全部偽者だったなんて馬鹿らしいことは僕

が間違ってるって証明してあげた。それなのにきみはまだ偽者だなんて言い張って逃げるのかい?─

──嘉幸のもとに逃げ込むのかい?」

 そんなことは絶対に許さない─────そう瞳が語っていた。そしてそれを正確に理解したがゆえ

に希理子は大きく首を振った。

「うんにゃ、もう逃げない─────泣き言は言わない。たしかにあたしが間違ってた、こんなあた

しのままで嘉幸の元へなんて絶対にいけない」

 希理子はそういうとガバリとベッドから立ち上がった。

「……っ!!─────」

「まだ無理だよ!」

「大丈夫」

 急に立ち上がったことで襲っためまいに希理子はふらついたが、嘉弘の微かな支えをうけてそれで

も希理子はまっすぐに立った。 

「やっと全部わかったよ───今やるべきこと、今やらなきゃいけないこと、全部、全部わかった。

だからあたしは闘いにいく」

 そして嘉弘に向かって小さく笑った。

「嘉幸は応援してくれるよね?」

「もちろん」

 その言葉にますます笑うと希理子は自分が向かうべき場所へと向かい一歩を踏み出した。なんだか

んだいって逃げてしまっていた自分と決別する為に最初の一歩を踏み出した。

 決着をつけなければならない────本当の自分に戻るのではなく、望む自分になる為に、自分の

愚かさが生み出してしまった『今』を修復しなければならない。

 
 

 希理子が向かったところは場所ではなく人────自分に本当の自分を知る為の機会をくれた人、

桜井の元へと希理子は確かな歩みを刻みはじめた。

                                 

                               TO BE CONTINUED・・・

    

    

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