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「あっ、そうそう。言うの遅れちまったけどさ、あたしがPAだってことゆかりちゃんにバレちゃっ
たんだ」
希理子は修一と何やら桜井にはわからない、でも希理子にとって非常に嬉しいことに関するやり取
りをした後、ペロリと舌を出しながらそう告白した。
「そのせいでゆかりちゃんの具合が悪くなっちまったんだ。やっぱこれって『契約違反』だよねぇ」
冗談めかせた、軽い口調の言葉であったが、その言葉や表情とは裏腹に希理子がそのことを深く思
い悩んでいることは明白だった。
ウソが上手な希理子だが、こと自分に対することに関しては希理子はあまりウソがつけない。それ
ゆえにその動揺が瞳の中に現われていた。
「いいんですよ」
「えっ─────」
その実にあっさりとした返答に希理子は思わず目をしばたかせた。
「こう言っては何ですが、これからゆかりちゃんが生きていく為にはむしろ騙されたまま手術を受け
るより、ずっと大きな実りになると思うんですよ」
修一は希理子をなぐさめるように穏やかな口調でそう言った。
「でも、今回は助かったけど、死んじまってかもしれないんだよ?」
「そうですね」
その言葉もあっさり肯定する。
「だけどゆかりちゃんは生きた────生き残った。これは彼女の運命ですよ」
「はっ」
その言葉を希理子が鼻で笑う。
「医者のあんたが何言ってんのさ?!かりにも人の命を預かって、それを延ばす為に存在するあんた
がそんなこと言ってたら医者なんてモン存在する価値ないだろう?」
「そうですね」
修一は再び肯定する。
「ですが、医者だからこそ運命を信じてるんですよ」
「?」
ワケがわからず瞳で問いかける希理子に対して、修一は何かを回想するようにゆっくりと語り出し
た。
「私達医者は患者さんの命を1分でも────いえ、1秒でも長くするために全力を尽くしていま
す。それこそ世界各国何万という医者が、その一つの目標の為に死力を尽くしているのです。だけれ
ども『死』はやってくる────私達がどんなに足掻いてもそれは必ずやってくるんです。突然に、
残酷に、無惨に、でも時には幸福に─────」
「────それが『運命』?」
「はい」
修一は頷く。
「『生きた』、そのことが紛れもない彼女の『運命』なのです」
人間の科学にも医術にも限界があって、ときに命はその領域を超越したところで支配されている。
助かるはずがないと医師から見放された人間が生き残ることもあれば、どうしてだかわからないほ
どささいな原因で死に至ることもある。
「ねえ矢部さん、私は思うんですよ。医師というのは────医学に携わるものすべては愚かな人間
だけにつくことが許された聖職だと。だって『死』が訪れることはわかってるんです。生まれたこと
と死ぬことだけはどんな人間にも平等に与えられた、人種も生別も貧富の差も関係ない、たった2つ
だけの共通のものなんです。でもそれがわかっていても私達医者は諦められない────何時の日か
『死』を克服し、生きたいと願う命を、生きて欲しいと願われてる命を1分でも1秒でも長くするこ
とを諦めきれないんです」
そこまで言って修一は笑った。とても静かに────小さく笑った。
「その1分1秒を求めることが神に逆らうことを意味したとしても────」
それは不遜な笑みだった。言葉では神の存在を────運命の存在を肯定しながらも、自らの意思
でそれを完全に否定する、とても強い笑みだった。
「────よかった」
修一からのその言葉を────笑みを受けて希理子も笑った。
「診てもらってる先生がそんだけ諦めが悪けりゃ死にたくてもゆかりちゃんは生かされるだろ」
「はい」
希理子からのその悪戯めいた、からかうような賞賛の言葉に修一は心から楽しそうに笑って頷い
た。
「今日はまだちょっとですが、明日か明後日にはゆかりちゃんの容態も安定しているでしょう。会い
に来て────ゆかりちゃんを元気づけてやってください」
その言葉に希理子はさらに笑みを深くする。
「あたしが見舞いに来ちゃゆかりちゃんもう一回発作起こしちまうかもね?」
それを受けて修一は医師としてはいささか不適切な、だけどゆかりを心から気づかう希理子を勇気
づけるように冗談めいた言葉で返した。
「まあいざとなればここは病院ですから、きっと何とかなるでしょう」
「ハハッ」
普段の希理子なら確実に激昂しそうな台詞だったが、希理子もまた修一からの気遣いを感じ取った
為高らかに笑った。
「それはよかった。だったら心おきなく決着つけにくるよ」
そして今度は一変表情を変え、真正面から見据える瞳で次の言葉を口にした。
「だからあんたももう一つ、あたしとした『約束』守ってよね」
「はい、わかってます」
その言葉に修一は大きく頷いた。そのことに希理子の顔がほころぶ。
「じゃ、もう行くさね。早くしないと朝メシ喰いそこねちまうよ」
「はい、行ってらっしゃい」
そんな簡単な挨拶をして希理子はさっさと歩き始めた。
「おっ、おい待てよ」
慌てて桜井はその後に続く。
「──────」
小走りで歩いて希理子の横に並んだ後、桜井は後ろを───父の姿を振り返った。修一は希理子に
対峙した時と同じ穏やかな優しい笑みを浮かべていた。
そのことが桜井の胸をつく。
父修一とは表面上はともかく実際はかなり冷めた関係が続いている。
病院の医院長として、また脳外科のスペシャリストとして多忙な父とは一緒に暮らしていた時から
すれ違いばかりの生活をしていた。それゆえにゆかりの家族などと行われる食事会以外の時には一緒
に夕食をとることさえ稀であった。そんなわけだから会話らしい会話など物心ついたときからした記
憶など一切ない。なさぬ仲のはずの義母とのほうがまだ多くの言葉を交わしている程だ。
だけど内なる想いから────『桜井家』という自分にとっては価値のないものの為に母を犠牲に
し、その死際さえ看取ろうとしなかった自分にとって憎しみの象徴である父が、こんなに穏やかな表
情で笑っているそのことが奇妙で、そして悲しかったのだ。
だって自分は見たことがなかったのだ、こんなに穏やかな父の表情など。修一は医師として常に患
者を勇気づける為に終始笑ってはいるがそれは桜井の他人から自分の内なる感情を悟らせないために
浮かべている笑み同様にただのハリボテでしかないはずだったのだ。
なのに今父は本気で笑っている─────穏やかな笑みを浮かべている。それは『希理子』の存在
ゆえか、そうでないのか─────。
「なあ希理子」
「ん?」
「『あれ』って何なんだ?それに『もう一つの約束』って」
さきほどの希理子と父修一の会話からそこにすべての真実が隠されているような気がして桜井は思
わず問いかけていた。
そこには桜井自身ほぼ無意識だったが、自分が知らない希理子の望みを修一が知っているというこ
とに対する嫉妬も多分に含まれていた。
そんな桜井からの問いかけに希理子はほんの少し瞳をキョロっとさせ、そしてニヤリと小さく悪戯
めいた笑みで微笑んだ。
「『秘密』」
「えっ、『秘密』って───」
あまりにあっさり返されて桜井は目をしばたかせた。それに対して希理子はますます笑みを鮮やか
にさせながら幼子にレクチャーするように、ピッと一瞬指先を唇に当てた人さし指をピンと立たせて
指し示しながら次のような言葉を投げかけた。
「だって今のあたしの御主人様はあんたじゃなくてあんたの親父さんだもん。勝手にその依頼内容と
契約条件をバラしちまうなんざ許されるわけないだろう?」
「『御主人様』って─────」
その言葉が『依頼人』と同意義だとわかっていても微妙に多感になっている桜井の耳にその言葉は
いささか卑猥でスキャンダラスに聞こえた。
「だってそうだろ?」
だけど希理子はそんな桜井の心の葛藤には気付かずに、別の意味として桜井の言葉を受け止めてい
た。
「あんたとの契約は昨日終わったんだ。もちろんゆかりちゃんへの後始末はちゃんとつけさせてもら
う。でもあたしがPAだってバレちまった以上、これ以上あんたと恋人同士演じても仕方がないだろ
う?だったら掛け持ちしてたもう一本の仕事の方に集中させてもらう、それだけのことさ」
「───っておい、それってもしかして、親父がお前を───『PA』としてのお前を雇っていた、
っていうことなのか?」
希理子の言葉の端々から拾い集めたキーワードをつなぎ合わせるとそうとしか取れなくて、桜井は
大きく目を見開いた。
「あれ?」
希理子はその桜井の過剰な反応に不思議そうな顔をして目をぱちくりさせながら上目遣いに問いか
ける。
「あたし昨日言わなかったっけ?」
「言ってない……」
そう答えてから桜井は思わず盛大なため息をついた。
これで少なくとも───そう、希理子が何度か桜井の父と密会し、お金を受け取っていた理由が少
し判明した。
愛人だとか援助交際だとか淫らで涙ぐましい想像をしてしまっていた桜井としては幾分心が軽くな
ったというものだ。
「で、何を依頼されてるんだ?」
桜井としては当然の問いかけだったが、それに対して希理子は心底イヤそうな、馬鹿にしたような
表情をした。
「あんたさ、あたしの言葉ちゃんときいてたの?『依頼内容』をたとえその息子とはいえ本人の承諾
無しに言えるわけないだろう?」
「そ、それは当然なんだろうけど…………」
仮にもプロである希理子の言葉の正統性は認めるが、割り切れない想いが断ち切れなくて、桜井は
その言葉の語尾を思わず濁した。
そんな桜井の様子に希理子は肩をすくめながら大きくため息をつくと、これだけは、と前置きを置
いて一言だけ付け足した。
「ま、ただ一つ言えることはあんたは自分が思っている以上に何にも知らない、っていうことさ」
「!──────」
その言葉に桜井は一瞬で時をとめる。希理子はその桜井が時を止めた意味に気付かぬまま、同じ意
味の言葉をくり返した。
「あんたが知ってる『真実』は本当はもっと違う形のものかもしれない───そういうことさ」
その時、希理子はやけに真剣な───どこか哀れむような瞳で桜井を見つめていた。哀れみなが
ら、それでもうらやましがるようなそんな瞳で見つめていた。
だけど今度は桜井がその瞳に気付かない。『真剣』に見つめられた瞳に隠されたその想いには気付
かずに、希理子の言葉によって、希理子自身はまったく知らない葛藤に苛まれはじめていた。
いわく自分が何も知らないこと──────『希理子』の何も知らないこと。
互いが互いに気付かない。その小さな───些細なすれ違いに気付かない。
ウソから始まった関係の終わりがすぐそこに切ないまでの痛みをともなって立ち尽くしていた。
TO
BE CONTINUED・・・
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