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「で、あたしは『誰』をだませばいいわけ?」
まず口を開いたのは希理子のほうだった。
今、2人の手元にはそれぞれロシアンティーが置かれていた。
互いが互いに思いもしなかった相手が『雇い主』もしくは『依頼先』として登場した為、呆然とす
るあまり何も考えられなかったのだ。
とりあえず落ち着いて現状を整理しようと夕食を取ることにしたのだがどこもかしこも混雑してお
り、それならばいっそのことということで合言葉にもしていた為、何となくそういう気分にもなって
いたロシア料理を食べることにしたのだ。
一人3000円のコースでこのロシアンティーにたどり着くまでに、2人は前菜、肉料理、ボルシ
チにピロシキといった定番中の定番のロシア料理に舌鼓をうった訳だが、その間かわされる会話は互
いが何故ここにいるのかではなくて、部や学校生活といったいわゆる世間話ばかりだった。
だがもう料理のほとんどを平らげ、残るはロシアンティーとロシア菓子特有の甘過ぎるほど砂糖を
使った焼き菓子にアイスクリームを添えたデザートだけになったところで、もう逃げていても仕方が
ないと開き直りが早い希理子の方が先に口を開いたのだ。
重厚感がある木材をふんだんに使った全体に暗めの色調の店内に、それぞれのテーブルには白と赤
のテーブルクロスが重ねて掛けられている。そのそれぞれのテーブルの上にはデザートと同時に小さ
なキャンドルが運ばれてきており、幻想的な雰囲気をかもし出していた。
なんでも店員がいうことにはお客が選んだロシアンティーに入れる甘味に合わせたキャンドルをサ
ービスしているそうで、希理子がロシアンティーに入れる甘味に蜂蜜を選んでいた為、2人が向かい
合っているそのテーブルの上には生成っぽい色をした蜜ロウが運ばれてきていた。他のテーブルには
ピンク色のキャンドルや林檎の形を模したものも置かれているので店員がいうとおり実際に合わせて
置かれているのだろう。
2人の間に灯されたそのキャンドルはその名のごとく蜂蜜から作られたものなのでほのかに希理子
のカップからただよってくるのと同じ甘い薫りを2人の間にたゆろわせている。
希理子はそのカップを所在なげに綺麗な指先でもてあそびながら桜井に向かって話し掛ける。
「社長から───あっ、あんたが会ったあのオヤジのことね───から聞いた話じゃさ、あんた自分
の名前も何も話さなかったらしいじゃん。とにかく言ったことは『恋人役をしてくれる女性を探して
る』ってのと『人の命がかかってる』ってことだけでまったく要領得なかったって。その上あのバカ
オヤジしくじりやがって、いつもなら隠し撮りして依頼主の写真撮ってるのにデジカメの電源切れて
たかなんかで、あんたの写真さえあたしは貰ってないんだ。ただ言われたのはバカデカい、善人ヅラ
してるけどウラに何か隠してそうなタイプの男だったってことだけ」
そして笑う。
「だからあんたが現れて驚いた。まさか今回の『お客さん』があんただってわかってたら、あたしは
この仕事降りさせてもらってたんだけどね」
いつもと変わらぬズバズバした、歯に衣着せぬ物言いで桜井に向かって言う。
「まっ、ここまで来たら仕方がないから引き受けるかどうか確認する為にあんたの話、あんたの事
情、そしてあたしが何をすればいいのか聞かせてもらうけど、とにかくあたしみたいな女───PA
を雇おうってんだから切羽詰まってるっていうのはわかるんだけど、そんだけの情報とも言えない情
報だけじゃさすがのあたしもお手上げだよ」
普段の希理子と変わらぬ表情、変わらぬ口調───なのにキャンドルの向こうから投げかけられる
瞳はどこか違う。
「そもそもあんた『PA』───『プライベートアクトレス』ってどんなもんだか解ってて雇おうっ
て思ったのかい?」
決して嘘を許さぬ、見逃さぬ視線がそこに有る。
桜井はよく知っているはずの少女の見たことのないその『カオ』に小さくつばを呑み、そして口を
開いた。
「カネさえ払えば舞台とかTVとか映画の中じゃなくて、日常生活の中で『個人』の為にどんな人間
でも演じてくれるって噂で聞いた。恋人でも家族でも───ときには死んだ人間さえも演じてくれる
って」
「正解」
その言葉に希理子は大きく頷く。
「あたしたちは『現実』の中で雇われた人間の望む未来を描く為にどんな『人間』も演じてみせる。
もちろん遺産がらみとか明らかに犯罪だってのに手は貸さないけど、ほとんど犯罪すれすれのコトだ
ってする、ハッキリ言っちまえば詐欺師の出来損ないみたいなもんだ」
希理子はそう言いながら手にしていたカップをテーブルの端に寄せ、テーブルの上で腕を組むよう
にしながら体重をその上に掛けた。
「じゃあその理由は? ───それを解ってて『あたし』を雇おうとしてるその理由は何なんだい?」
真正面から重ね合わされた瞳が瞳の奥のその奥の桜井自身の心を覗き込むように注がれている。
「品行方正、成績優秀、誰からも好かれてる人気者の桜井クンならわざわざ高いカネ支払わなくても
幾らでも恋人役引き受けてくれる女はいるだろうし、そうじゃなくても恋人なんざそれこそ山ほど出
来るだろ?なのにどうしてわざわざPAなんか雇うわけ?わけわかんないよ」
希理子はそう肩をすくめてみせた。
やはり冗談めかした言葉と態度───だが相変わらず瞳だけはまったく違う色を示している。
「じゃあ希理子は何でそんな仕事してるんだ?」
桜井のその言葉に希理子は小さく笑みを漏らした。一見艶やかだが、それは表面上のことだけで、
普段の希理子からは想像出来ないような渇いた、冷たい笑みだった。
「どうだっていいだろ、そんなこと。あたしが何で、何のためにこんなことしてるかなんて『あんた
のこれから』に関係ない」
声も表情も何処か面白そうな、からかうようなものであったが、その瞳に存外に込められた感情は
明らかにすべてを拒絶、そしてそれ以上の追求を拒否していた。
「先に言っとくけど、せっぱつまってンのも困ってンのもあたしじゃない、あんたの方だ。今はまだ
あんたの手の内にしかないカードを見せてくんなきゃ手の貸しようもない。わかったらさっさと吐い
ちまいな」
ニコニコと笑ってピラピラと手を振る。『他人の不幸は蜜の味』、そんな言葉がまさにしっくりく
るような余裕綽々、悠然とした態度である。
そんな希理子に対して桜井は瞬時のためらいと決断を持ってきっぱりと返答する。
「───言えない」
「えっ?」
思いもかけない言葉に希理子は思わず目を見開く。
「真剣に人ひとりの命と俺の人生が掛かってるんだ」
「何だいそりゃ」
その言葉に希理子は顔をしかめる。
「『あたし』じゃ役不足だっていうのかい」
「そうは言ってない」
桜井は即座に否定する。
「ただ真剣に人ひとりの命が掛かってるんだ」
繰り返されたその言葉に希理子は一瞬思案げな表情になる。重ねあわせた瞳の奥にその答えを探
り、やがて一つの答えを導き出す。
「───つまりは、だ、『あたし』じゃダメなんじゃなくて、『あたしだから』ダメなんでもなく
て、『あたしでいいのか』を知りたいってこと?」
「ああ」
ゆっくりとした確認の口調で紡ぎだされた一見意味不明な言葉の羅列、しかしそれを向けられた桜
井はその意味を正確に理解し、簡潔に頷くことでその言葉を肯定した。
最初の『あたし』は桜井がもっていたPAのイメージと実際に待ち合わせ場所に現れた『PA』と
しての希理子が違っていたのかという疑問、次の『あたしだから』は2人が顔見知りの関係であるか
らダメなのかという推量、そして最後の『あたしでいいのか』は希理子の技量───つまりPAとし
ての能力の高さを疑問視するもの。
「了解」
そして即座に立ち上がる。
「希理子?!」
余りに唐突なその行動に怒らせてしまったのかと桜井はその様子をうかがうが、その桜井の予想に
反して希理子は婉然と微笑んでいた。
「来な」
希理子はくいっと首を横に動かすことで外に出ることを示す。
「あんたに『あたし』を───『PAとしてのあたし』を教えてやる」
その表情に桜井は思わず息を呑む。室内なのだから風などあるはずないのにテーブルの上に置かれ
ているキャンドルが何故か揺らめいて見えた。
「あんたに『あたし』を教えてやるよ」
蜂蜜の甘い薫りのたゆろうなか、桜井を見下ろし笑う希理子は桜井の知らない別の女の顔をしてい
た。
TO
BE CONTINUED・・・
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