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『あんたはゆかりちゃんの側に居てやりな』
突然現われた見知らぬ男───嘉弘の登場に困惑し、思わず呆然と立ちつくしてしまった桜井にそ
う告げると希理子はその男とともに病院の外に出ていった。
何だか険悪というよりも緊迫した様子でのことだったので気になったのだが、希理子の完全に第3
者の介入を拒むようなその張り詰めた表情に桜井はただ頷き見送るしか出来なかったのだ。
それにしても、と桜井は思わざるを得ない。2人の会話の端々からつなぎ合わせた情報によると、
どうやら先程やってきたあの男こそが希理子と自分の父親の密会場面を写真におさめ、そしてそれを
ゆかりに手渡した人物に間違いはなさそうだった。
だがその理由がわからない。ハッキリしていることはあの男が希理子のことを特別に思っている、
ということだけでそれ以外のどうしてゆかりに写真を渡し、なおかつゆかりの死すら望むような感情
を自分達に対して持っているかということがいっさい判らないのだ。
いや、違う─────だがそこまで考えて自分の思考経過を否定する。あの男が憎んでいるのは
『自分達』ではない、『自分』だ。『自分』が憎いからそれに組みする存在としてのゆかりが憎いの
だ。
いや、憎むというよりもむしろ排除したいという考えのほうが近いのかもしれない。自分と希理子
を───あの男からすれば『奈緒子』という存在の間を邪魔するものをすべて取り除きたいその一心
で無関係なゆかりまで巻き込んでそれを実行に移したのだ。
以前希理子は桜井に対して『自分に惚れるな』という言葉を言った際に、演じている自分を本気で
好きになってしまう人間が大勢いて、その為に困っているようなことを言っていた。
そのことから考えてみると今回もそのケースの一つのようにも思えたのだが、希理子が言った『依
頼を果たせない』という言葉からすれば『依頼主』は別に居り、それの重要なファクターとしてあの
男の存在が定義付けられているということだ。
とすればその『依頼内容』とは何なのか、そして『依頼主』は誰なのかということが気になってく
るのだが、いかんせん情報量があまりに少なすぎる。あらましさえ分かっていない今、『何』が多す
ぎて憶測推測だらけの結論すら導き出せない。
だけどそれでも希理子の最後の言葉が気になって仕方がない。希理子は『過ちを犯した』と言った
───『あたしたちがおかしちまった』と言った、希理子いわく『1年前』の『真実』が気になって
仕方がないのだ。
そう言えば、と思い返せば今からちょうど1年ほど前に希理子の様子がおかしかったことがある。
何だか上の空で祈るように空を見上げていることもあった。その様子が気に掛かってそのわけを尋ね
てみたのだが、返ってきた返答は『何でもない』の一点張りだった。
いや、違う────確か何度かしつこく問いただした際にたった一言だけぽつりと言葉を漏らした
ことがある。その時確か希理子は『見せてやれなかったんだよ』と言って、そこから先を封じるよう
な透明な笑みで小さく微かに微笑んだのだ。
どうして忘れていたのだろう?あんな表情をした希理子を見たのは後にも先にはあの時1回限り
だ。
その言葉と言うよりも表情の訳があのとき気に掛かったのだ。でもそれ以上問いかけることは何故
だか出来なくて───聞いてはいけないような気がしてその場はそれで満足することにしたのだ。
でもそんなことがあったことさえ、そんな会話をしたことさえたった今の今まで忘れていた。──
─というよりもむしろ忘れようとしていた。
希理子の奇妙な様子がその後2、3日で元通りに戻ったからというのもあるが、もしもその訳を深
く追求すれば希理子が自分から離れて遠く手が届かないところにいってしまうような気がしてしょう
がなかったのだ。
だから自分は問うことをやめた───真実を手に入れることから逃げ出していた。
今になって思えばあのときちゃんと聞いておけばよかったと思うのだが、もう後の祭りだ。今さら
としか言い様がない。
桜井はそこまで考えてそれ以上思考するのを止めた。とにかく大事なのは『今』だ。たとえ『今』
が過去の積み重ねの上にしかないものだとしても、自分には『過去』を手に入れるすべがない以上、
それ以上を求めるのは無駄というものだ。
でも脳裏から『今』の希理子の表情が焼き付いて離れない───まるで追い詰められたかのように
苦しみ、自分を責めるような悲し気な笑みを浮かべた希理子の姿が頭から離れない。
希理子にあんな笑みを浮かべたままにしておきたくなんてなかったのに、あの希理子の表情を止め
させてあげるためにはどうしても『過去』が必要で、『過去を知っている人間』でなければそれを為
すことが叶わないことと何故だか悟ってしまったのだ。
夜の帳の向こうに消えていった希理子が何処に向かい、『何処』に辿り着こうとしているのかわか
らない。───『何処』にあの青年を導こうとしているのかわからない。
でもただ一つわかることは自分もあの男と『同じ』だということだ。もしも自分が同じ立場にたっ
たとしたら───たつ時がくるとしたら自分も同じようにしてしまうだろう。
『希理子』という自分にとって至高の存在を手に入れる為なら無関係な人間さえ巻き込み、そして
その死を願うことすら───死に導くことすら厭わない狂気が自分の中に確かに存在しているのだ。
だってあの男が言った通り、『ゆかりが死んだ方が楽』と考えてしまっている自分がいるのだ──
─もちろんその100倍以上の強さでゆかりの生を望んでいるわけだが、それでも『希理子と自分の
未来』の為に邪魔なら、死すら当然の酬いだと冷たくあざ笑っている自分が確かに存在しているの
だ。
今無性に希理子の笑顔が見たかった。それさえ見ることが出来たならこんな自分───誰にも知ら
れたくない、自分でもおぞましいと思ってしまう程壊れた自分を押さえることが出来るのだ。
でもここに希理子はいない───いないだけでなく、自分が知らない希理子をよく知っている人物
とともにいる。───そう考えるだけで自分の中のどす黒い欲望が怒号をあげているのが嫌と言う程
感じられる。
でもそれをとめるすべはない───少なくとも自分は持っていない。持っているのは希理子だけ─
──希理子が自分に向けてくれる笑顔だけ。
桜井は両方の腕で押さえ込むように自分の二の腕を掴んだ。そうしておかなければどうしても止ま
りそうになかったからだ。
『希理子がいない未来』───その言葉、微かな想像だけで桜井は自分がふるえ出すのを止められ
なかった───止めることが出来なかった。
「変わってないね」
無言のまま希理子が連れ出し嘉弘を導いた場所は意外にも嘉弘の家だった。否、正確に言えば嘉弘
の今は亡き弟の嘉幸の部屋だった。
「うん、そのままにしてあるんだ」
そう言って嘉弘は綺麗に整理されたライディングデスクの上に置いてある小さな写真立てを手に取
った。
「もともとあまり使っていなかった部屋だったけど、それでもいつでも戻ってきてほしいと思って
ね」
その言葉の示す通り、この部屋の持ち主はあまりこの部屋で過ごすことはなかった。その『幸多か
れ』という意味を持つ名前とは裏腹に嘉幸は周囲から見れば不幸かつ不運としかない程一年のほとん
どを病院のベッドの上で過ごすことを余儀無くされていたのだ。
長時間この部屋で過ごしたのはもう余命が数カ月であろうと絶望視され、せめて最後の思い出にと
自分の家に戻ることを許可された時ぐらいだ。
それぐらいこの部屋に嘉幸の思い出も面影もない。ただ一つ例外なのは病院のベッドの上でも愛用
していた、そして今は持ち主のいない部屋で再び開けられることを待っているノートパソコンくらい
だ。
そのパソコンを前にして希理子は周囲に目をこらした。
「あのディスクは?」
具体的な説明は何もない言葉だったが、それで充分嘉弘には通じたようだった。
「『これ』だろ?ここにある」
そう言って側に置いてあったCDラックの中から一枚のディスクを取り出した。
「何をする気?嫌って言う程中身は確認しただろう?」
希理子に手渡しながら嘉弘は怪訝な顔をする。
「わかってるよ」
そう肯定の意味で頷きながら、希理子は同時に否定もした。
「だけどあんたは知らない『真実』もあるんだ」
希理子はそう言ってパソコンを起動させ、そのディスクを差し込んだ。やがて画面が変わり、自動
で開いたフォルダーの中にはたくさんの日付けが記入されたテキスト書類がおさめられていた。
これは嘉幸が病院のベッドの上で綴っていた『日記』だった。体調のいい日にはまるでエッセイの
ように自分の言葉でその時の素直な感情を綴られた日記だった。
だがその日記の中に唯一日付けがタイトルでない書類があった。タイトルの名前は『兄さんへ』─
──それこそが嘉弘に宛てて綴られていた嘉幸の『遺言』だった。
その書類を希理子はダブルクリックし、画面にそのテキストを表示させた。
「見てな、この手紙には本当に隠された真実があるんだ」
希理子はマウスを操作して締めくくりの『幸せになってね 嘉幸』という文字があらわれるまでス
クロールさせると、その下に改行になって出来ていた空白の部分にポインターを合わせた。
「『ドラッグ』っていうんだったかね、これ?───あたしはあんまりパソコン強くなくてよくわか
んないけどさ、こうすれば見えてないものも見えてくるんだって」
そう言って希理子はその白い空白部分を範囲指定した。するとその部分に1列の文字の羅列が浮か
び上がってきた。
「ホントの『遺言』は───嘉幸とあたしの交わした契約や嘉幸の中にあった真実は全部ここに記さ
れてるよ」
そう指さした先には『http:』から始まるアドレス───つまりホームページのアドレスが記されて
いた。
「……ここに?」
白いテキストの上に白い文字で記されたそれは何度も何度も見直した嘉弘に気付かれぬままここに
存在していたのだ。
何度も何度も、それこそ一字一句間違えないでそらんじられる程読み替えしたその手紙に隠されて
いたその真実嘉弘はただただ呆然とした。
そしておそるおそるその文字列を震える手でマウスを動かしてペーストすると、プラウザを一つ立
ち上げて電子の情報の海の中に乗り出した。
使う人がいなくても繋いだままだった電話線のおかげですぐさまそれは目的の場所に辿り着き、開
かれたページの上ではディスクにおさめられている日記同様に嘉幸自身の言葉で書かれた文字の羅列
が掲載されていた。
「─────────これが」
ざっと目を通し嘉弘はその場に崩れ落ちた。
「これが嘉幸が僕に望んでいた『真実』なのか──────」
「そうだよ」
嘉弘と同じように画面を凝視しながら希理子は告げる。
「これがあの子の『真実』だよ」
そう言った画面の先では一見ディスクに記されていた『遺言』と同じようなものだが、明らかに違
う嘉幸の想いが記されていた。
「そしてあたしとあの子が犯しちまった、過ちの真実だよ──────」
希理子の頬に涙が伝う。
「許されないってわかってても、それでもどうしても裏切れなかった────愛し合うことが止めら
れなかった、あたし達の本当の『真実』だよ」
そうして流した涙が希理子を、そして嘉弘を過去へ誘っていった。
もう戻れない────どれほど望んでもどれほど絶望しても戻れない、もう『一人』が生きていた
その時間へと記憶と追憶を導いていった。
TO
BE CONTINUED・・・
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