12th. solitude 
01/10/25up

  

  

 今日はインターハイ東京都予選第6回戦、強敵安井高校との試合だった。すでに選手全員、着替え

もウォーミングアップも終え、後は試合開始の合図を待つだけになっている。

 そんな興奮と緊張に満ちた空気の中、希理子はいつものようにベンチの特等席で長い足を組んで座

っていた。その傍らにはいつものように後輩である今川がやや緊張した面持ちで控えている。

「それにしても『マメ』だねぇ……」

「はい?」

 希理子のその前置きも脈絡もない言葉に今川はすこし首をかしげた。それに対して希理子は綺麗な

ラインを描いている頤をくいっと動かして前方少し上空の辺りをさししめした。

「もう、今日で連続6日だよ?」

「ああ!」

 今川はその希理子の仕種とセリフで何を指していたのか理解する。

「ゆかりさんですね」

 そう言って今川があげた視線の先には今日は制服ではなく、上品なサマードレスに身を包んだゆか

りが今まさに始まろうとしている試合を見学しようと、いつものスリーメンズフープの面々と共に伽

藍の所からコートを見下ろしていた。

「ホント、よく続いてますよね」

 そう言って笑う今川のカオには感心というか呆れというか、とにかく一言では表現しにくい感情が

現れている。

 先週の同じ日、今日と同じように試合があった日にゆかりは初めて上南メンバーと知り合ったわけ

なのだが、それから日曜をはさんでこの一週間、ゆかりは毎日上南高校に姿を現わしていた。

「恋する乙女は無敵というか、なんというか……」 

「そうですね」

 その言葉に今川も頷く。希理子が何を言いたいのか正確に理解したからだ。

 この数日で判明したことなのだが、どうやらゆかりは男嫌いの気があるようなのだ。

 そもそも生まれつき心臓が悪く過保護に育てられ、幼稚園の頃から超お嬢様学校に通っていたゆか

りにはあまり男性と関わった経験がない。そしてごくわずかの『経験』も同じくお坊ちゃん学校との

共同文化祭とかいったごく限られた環境での、『出来た』男達とのかかわりしか持ったことがなかっ

たのだ。

 そのため、この上南バスケ部のような、ゆかりの言葉でいうならば『下品』で『信じられない』男

達ばかりに囲まれることはかなり苦痛なようだった。

 ゆかりがバスケ部の練習に来た当初、そのことがわからなかった面々はここぞとばかりに自分を売

り込もうとしたわけだが、びくびくと怯え、ほとんど無反応になってしまったゆかりのその様子に2

日目の終わりにはさじを投げ出してしまったほどだ。

 それでも毎日毎日側に寄られるのさえ不快に感じてしまう面々のもとに通ってくるゆかりのその行

動に部員達は全員ゆかりの目的が『桜井だけ』なことをすぐさま悟った。それ以後は───裏にまわ

ったところで希理子が脅しをかけていた、というのもあるのだが───ゆかりが桜井以外眼中に入れ

る意志がないと知ってから後にはゆかりにそういう意味で接近しようという輩はいなくなった。そし

て同時にそのけなげさに部員達の中にはだんだんとゆかりの恋を応援しようという面々が現れ、ひそ

やかに今上南バスケ部の中ではその動きが活発化しているのだ。

 はっきりいってインターハイ予選中の大事なこの時期にそんなことに意識を回している場合ではな

いはずなのだが、それでもそういったことにも熱中出来るのがこの部の良いところかもしれない。

 そんな気持ちがあるから、今川はついつい希理子の言葉に納得し笑ってしまう。

 乙女心全開で桜井だけを見続けているゆかりも、そしてそれをこの大事な時期に迷惑がりもせずに

あたたかく見守ってしまうメンバーも今川は大好きだ。

 だがその一方、それだけゆかりに思われている桜井に対しても疑問が募る。

「でも桜井さん、あれだけゆかりさんに好かれてるのに何ともないんでしょうか?」

「さあ」

 当然の今川の疑問に対して、その答えを持っている希理子は曖昧に言葉を濁しただけで返事を返し

た。

「ほら、『開始』だよ!」

 そしてごく自然に、実際に試合が開始されたことに合わせて今川の疑問を霧散させる。

 今川のことは人間としてかなり信用しているが、ちょっとしたことで『今の』桜井と自分の関係が

知られたら後が厄介だ。だからゆかりにだけ『恋人同士』に見えるように部の中で振る舞う、という

のが今回桜井と希理子が計画し、実行していることだった。あくまで自分達はごく自然に振るまい、

そして『恋する乙女』であるゆかりの嫉妬心だけをあおることように希理子は細部にまで気をくばっ

ていた。

 結果、ゆかりはやたらに希理子に対して警戒心、嫉妬心、敵対心を見せるようになった。だがそれ

でもそのゆかりの様子に対して奇しくも端で見学させられることになったバスケ部の面々は普段から

の希理子と桜井の関係を熟知すぎているがゆえに『希理子(さん)なんか気にすることないのにぃ

〜』という感情、率いては『ゆかりちゃんって可愛いなぁ』という所に行き着いてしまっている。

 今日も今日とてゆかりは希理子と目があった瞬間にぷいっと横を向いてしまった。そして今現在も

希理子の座っている位置から少し斜め前方、伽藍のところでゆかりはゲームを見つつも希理子に敵視

の視線を送っている。

 希理子はそんなゆかりの様子に気付かれないようにそっとため息をつくとふいっと視線をゆかりの

方にやった。すると案の定、ゆかりはゲームではなくて自分を睨み付けていたようだ。瞬間ぷいっと

そっぽを向いたしまった。そんな様子を見ているとやはり可愛いと希理子も心底思ってしまう。

 恋は───その中でも特に初恋は特別なものだという。それも幼い頃からずっと抱き続けて来た、

それこそ命がけのこのゆかりの恋は本当に特別なものなのだろう。だから出来ることならばこの恋を

成就させてあげたいとも思ってしまう。

 だが今回の場合、希理子はそうは『思って』もそう『《協力》する』わけにはいかない。ゆかりの

恋の相手が今希理子を動かしている依頼人であり、そしてその依頼人がこの恋を拒絶しているから

だ。

 いくら『好き』でも妹として───家族として愛してきた少女を1人の『女』として愛せというの

はやはり酷なことだろう。そう考えると桜井がゆかりの気持ちを拒絶したいという思いを否定するこ

とは出来ない。

 どっちもどっち、どちらも正解───中途半端を嫌う希理子だが、人の心だけは結局どうしようも

なく一つの方程式、答えに当てはめるのは難しい。百人百様の答えがあって、おそらくそのすべてが

正解なのだ。

 でもだからといって『すべて』がわからないわけでもない。今の状況で───桜井がゆかりを『愛

せない』この状況で2人が結ばれればその先に待っているのは『虚無』という取り返しのつかない大

きな代償だろう。

 確かに人間はいい加減で、何ごとも『時』という無敵の存在がすべてを曖昧に、どちらが是でどち

らが非かとかいったことは曖昧にしてくれる。愛情がなく結ばれた人間同士だとて、よほどのことが

ない限り相手に愛着や執着を持ち、『恋愛』という形にまでは行き着けないかもしれないが『同志』

として相手を大切に思うことだってよくあることだ。

 だが『桜井』という人間を知っている希理子としてはその未来が桜井とゆかりの先に存在しないこ

とが手にとるようにわかっている。この状況で2人が結び付けられれば桜井の中に存在するのは『責

任』だけだし、逆に結ばれてしばらくのあいだは幸福な夢に酔えても、いずれゆかりの中に存在する

ことになるのは『贖罪』の意識だけだろう。誰よりも愛する人を命をたてにして手に入れた、そんな

女としてある意味屈辱的な罪の意識だけだろう。

 だからこそ綺麗な幕引きをしてあげたいと希理子はそう思うのだ。もう一度誰かに恋してみたいと

心底思えるような素敵な幕引きをしてあげたいと希理子はそう思うのだ。

 今の自分にとって『誰か』を自分と同じぐらい───もしくはそれ以上に大切に思うことなど出来

ない相談だが、ゆかりのように純真で純粋な人間には誰かを愛し愛されるということは、たとえそれ

が未来という仮定の話でも活力になるはずだ。

 『生きてさえいれば何でもできる』───その言葉が誤りであることは自分が一番知っている。だ

けど生きてさえいれば『何とか出来る』かもしれないのだ。諦めることさえしなければ───自分の

夢や願いを自分自身で諦めることさえしなければ『何とか出来る』かもしれないのだ。

 その『可能性』を信じてほしい────それが今回桜井から依頼され、希理子自身も納得して描き

出そうとしているシナリオだ。

 たいていの人間が生きていくうちに諦めて、真剣にそれを夢見る人間をバカにするようになってい

く本当の意味での『綺麗事』だ。だけどだからこそ生きる『価値』が出てくる───誰かにすがり、

誰かが犠牲になってくれなければ生きてこれなかったと思い込んでいるゆかりにとって、それは本当

の意味での希望になるだろう。

 そんなことをつらつらと考えている内にいつの間にか試合は残り1分を切っていた。80対81で

上南あやうしのピンチである。

 たしかに相手の安井高が強豪であることも要因だろうが、ここまでの試合はこびから考えるとやは

り上南の総合力不足が目立っている。

 いくら桜井と小林、そして澤村が都でも屈指の実力者でもいかんせん他が今一歩ぱっとしない。ミ

スとはいえないような小さな積み重ねがどうしても結果として大きく足を引っ張っている。特にチー

ムの要となっている桜井が少しでもコートから抜けようものならそれが瞬時に明らかになってしま

う。これが『桜井だよりの上南』と評されてしまうゆえんでもあった。

 そしてこの言葉の通り、最後の最後、逆転の3Pを決めたのもやはり桜井だった。これにより上南

は都大会第7回戦、宿敵四谷鵜の原との対決をむかえることになった。

 そんな帰り道───ここ数日で恒例になったように最寄り駅まで集団で向かい、そしてそこから先

は別れて桜井がゆかりを送って帰るという道筋をたどろうと会場となった高校の正門のあたりで上南

メンバーはたむろしていた。主将である馬呉と今川が今回の会場を提供してくれた学校側にその使用

報告終了済み報告にいっているのをここでこうやって待っているのだ。

 その間にも男として相手はしてもらえないとはわかっていても今日の試合の勝利の余韻から抜けだ

せないガン達がゆかりに誉めてもらおうと熱心に話し掛けている。

「見てくれた?前半入ってスグの角度0からのミドルシュート!」

「それなら後半真ん中のおれの3Pも!」

「あっ、俺のノールックパスもすごかったでしょ!?」

 こんな風な感じで熱心に話し掛けてはいるが、持病のせいで体育の授業に参加したこともないゆか

りにはバスケのルールや試合でのことなどちんぷんかんぷんだ。わかっていることといえばゲーム開

始の段階で並んでいるのとは反対側の陣地にあるゴールにボールを入れたら得点になるといった程度

のことだ。だから自然に返事も曖昧に、というよりもむしろ適当にといった感じの返答になる。

「はあ…」

 その様子に自分達が使用した専門用語とも言えないバスケ用語が難しかったのかと思ったガン達は

次々にバスケに関する内容をレクチャーしはじめる。

「『角度0』っていうのはね───」

「『3P』ていうのは───」

「パスするタイミングってね───」

 ───などというふうに思い思いに言葉を紡いでゆかりの反応を覗き込んでいる。

 だがその熱心さも興奮もゆかりにとってはおびえさせるというか迷惑なだけで、ゆかりの目は真ん

丸になってすっかり宙をただよってしまっている。

 さすがのその様子に桜井が助け舟を出す。

「おいおい、そんなにいっぺんに言われたんじゃ聖徳太子みたいな耳でもしてないかぎり全部聞き取

れるはずないだろう?」

「お兄様」

 いつもの困った笑顔でそう肩をすくめながらそっと間に入った桜井にゆかりはほぅと息をついて安

堵の表情を見せる。

 だが興奮がまだ治まっていないところで一方的ではあったが『会話』を中断されたガン達はむくれ

た表情を浮かべた。

「だってさ、ゆかりちゃんにいいトコみせたくて俺達頑張ってたんだぜ?!」

「そうそう」

 その言葉に齋藤が相づちをうつ。

「だってさ、昔の俺達じゃとても安井高校なんか勝てる相手じゃなかったじゃないか。それが勝てた

のはゆかりちゃんっていう天使が俺達を見守ってくれたからだと思うのさ」

「そうそう」

 そしてあらん限りの興奮を握った拳を振り上げながら2人顔を向かい合わせて力説する。

「本物の『天使』が俺達を『悪魔』の魔の手から救って勝利を導いてくれたんだ!」

 その感動の言葉に周囲のギャラリーもとい後輩達は諸手をたたく。

 だがその歓声もたった一言で綺麗さっぱり霧散した。

「───で、誰が『悪魔』だって?」

 女性にしてはちょっと低めの、音楽の旋律めいた口調の言葉がその場に居たほぼ全員の身体を硬直

させる。

「ゆかりちゃんが『天使』なのは認めるけど、いったい誰が『悪魔』なんだい?」

 その声は別に大きくもない普通の音量、音声で、声にも顔には怒りは微塵も滲んではいない。それ

どころかカオは満面の笑みをたたえている。

「ほら言いな?いったい誰が『悪魔』なんだい?」

 しかしそう繰り返した希理子の瞳は決して笑ってはいなかった。絶対零度の怒りがそこには確かに

存在し、すべての物をなぎ倒し破壊する迫力と力があった。

「いっ、いいえ、別に…………」

 ガンを中心に南極の寒さに耐える為にペンギンが一ケ所に身を寄せあうように、すこしでも自分に

やってくるだろう希理子の怒りから逃れる為に部員達は小さくコンパクトにまとまっていった。

 そして何とか会話をそらそうと唯一希理子の怒りを恐れる存在ではない桜井の方に話題を振る。

「だ、だ、だけど、ホント2年前の俺達じゃ、安井に勝てるとは思わなかったよな、お前なんかホン

トボロくそに下手っぴだったし」

「そっ、そうそう」

 その言葉に桜井は不服そうな表情で言い返す。

「たしかに俺は下手っぴだったけど、そんな言い方はないだろう?」

 そこからそんなふうにして桜井達が部に入部した当時から今日に至るまでの数々の『逸話』が部員

達の間で会話され始めた。

 帰ってきた馬呉や今川も合流して数々の試合での自慢話や失敗話、練習中や練習以外、さまざまな

『バスケ部』で巻き起こった過去の思い出話に全員が華を咲かせる。

 そんな会話をゆかりはずっと桜井の横に寄り添いながら聞いていたのだが、最初は興味深げな様子

でいたのだがその顔がだんだんと曇っていった。

「?」

 その様子をそっと気付かれぬように希理子が伺う。別にじっと立っている様子や顔色から見ても身

体の調子がおかしくなってしまったとかいうのではないらしい。

 だが会話が進むにつれゆかりの表情はますます翳り、最後の方には本人すら気付いてはいないのか

もしれないが憎しみにでも似た感情がその瞳にうっすら浮かび上がって来ていた。

「───だからね、今の俺達ぐらいまで強くなることが出来たのさ!」

 それまで熱心にこれまで取り入れてきた地獄のようにキツい練習内容について語っていたガンはと

りあえず一段落つくといった感じでそう言葉を締めくくり、その逸話の感想を聞くべくゆかりの顔を

覗き込んだ。その表情にはあきらかにおせいじでもいいから誉めて欲しい、認めて欲しいという感情

が浮かんでいる。

 だが返ってきた反応はガンや周囲の期待をまったく裏切るものだった。

「───どこがなんですか?」

「えっ──────」

 思わぬ言葉とやっとゆかりの表情が暗くこわばったものになっていたことに気付いたガン達は目を

見開いてゆかりの顔を凝視する。

「私、バスケのことなんて全然わからないけど、皆さんお兄様の足を引っ張ってただけじゃない、お

兄様がいなきゃ今日の試合だって負けてたはずじゃない」

「ゆかり!」

 その言葉に思わず桜井が厳しい口調を飛ばす。しかしその叱責すらも一旦堰を切ったゆかりの感情

を押しとどめるどころかますます加速させる結果となって、ゆかりはつぎつぎとその唇に辛らつな言

葉をのせては吐き出す。

「自分が失敗してヘラヘラ笑ってごまかしてお兄様を見て、そしてお兄様に続きを何とかしてもらっ

てた。何だってお兄様まかせでご自分達は楽な、美味しいところだけ満喫して、お兄様のおかげで勝

てたのに自分達だけで勝ったみたいに言うなんておかしいわ!自分が恥ずかしくないの?」

「ゆかり!!」

「だってそうでしょ?!」

 だがゆかりはとまらない。興奮のあまりうっすらと目に涙の幕さえ浮かべて力説する。

「本当ならお兄様はこんな学校に来る人じゃなかったのよ。中学の時のまま、そのまま通ってた学校

の高等部に進学してたらこんなに苦労しないで試合にだって勝ててたはずだわ!お兄様の通ってらし

た学校、体育科が有ってほとんどの運動部が全国大会クラスの学校だったのですもの、設備がきちん

と整った、コーチとかもちゃんといる学校にそのまま通い続けてらしたらもっと楽に勝ち進めてたは

ずだわ。それなのに───みんなお兄様のおかげなのに才能もやることもやっていないくせに自分の

ことみたいに自慢して!」

「ゆかり!!────────────!?」

 そのゆかりの毒舌に桜井は何とかやめさせようとますます声を荒げようとした。しかしその前にそ

の言葉を遮る出来事が起こった。

「─────────えっ」

 一瞬、ゆかりには何が起きたかわからなかった。ただ頬が熱かった────自分の左頬がやけに熱

かった。

「それ以上言ってごらん、あんたの心臓が勝手に止まる前にあたしがこの手であんたの息の根止めて

やる」

 そう言ってゆかりの前に立ちふさがったのは希理子だった。その右手首を怒りの衝動を少しでも押

さえるように左手で握りしめながら刺すような瞳でゆかりを睨み付けている。

 ゆかりの頬が───左頬が熱いのは怒りに任せて希理子が手を振り上げた為だった。

 それは希理子のポリシー───自分より弱い女子供には決して手をあげない、特にハンディキャッ

プがある相手に対しては絶対に暴力はふるわないという、希理子にとっては絶対の決まり事をやぶっ

ての行動だった。

 だがその希理子のポリシーどころか希理子自身をあまり知らないゆかりからすれば何故自分が殴ら

れたのか理解出来ない。───そもそも殴られたことさえ初めて経験だ。それゆえに頬の上に残る

『熱』が痛みであることさえあまり認識出来ていない。

 ただ自分が何故この女に殴られなければいけないのかという怒りだけがすっと満ちてくる。

 だがその前でゆかり以上の強い感情───明確な殺意を持って希理子はゆかりを睨み付けている。

何とか自分の怒りを自らのポリシーゆえに抑えようとはしながらも、それでも止められない感情に震

えながらゆかりに向かって相対している。

「あんたがコイツらの何を知ってるって言うンだい?!たかが数日練習見ただけで全部わかったよう

なことお言いでないよ!コイツらが───桜井も含めた全員がどれだけ毎日練習して、どれだけ汗を

流して、どれだけ悔し涙を流してここまで来たと思ってるのさ?!」

「希理子──────」

 自分達の為に───自分達のかわりにゆかりに対して怒ってくれようとしてくれているその姿にガ

ンがポンとなだめるように肩を叩く。

「うるさいっ!!」

 だがその手を希理子は払いのけた。どうしても押さえ切れない思いがあって───言っておかなけ

ればならないことがあって、だから希理子は感情にまかせて大声で叫ぶ。

「確かにコイツらは下手っぴさ!桜井に比べれば遥かにレベルが劣ってるかもしれない、だけどそん

なことどうでもいいんだよ!そりゃ勝ちたいけど、『上手い』とか『下手』だとかそんなんじゃなく

て、一緒にやりたいんだよ───『みんなで』一緒にやりたいんだよ!」

 そう叫んだ勢いで希理子の頬に細く水の道が出来た。だがそれにも気付かずに希理子は言葉を続け

る。

「だから笑うんだ!失敗したって落ち込んでるの顔に出したら周りが心配するからわざと笑って、み

んなを信頼してるから無理しないで周りに助けてもらって、そんなふうにしてこれまでみんなでやっ

てきたんだ!それなのに部外者で───たった数日見ただけの人間にコイツら全部を否定されたくな

い!!コイツらのこれまでを否定してもらいたくない!!」

 そこまで言うと希理子がぐいっと自分の袖で興奮のあまり流れ出た涙を拭った。

 そして言う。

「『お兄様』しか見えてないあんたにはコイツらの良さもすごさもわかりゃしないよ!もう2度とコ

イツらの前に顔を見せないでおくれ」

 そう言うと流れた涙を恥じるように希理子はさっときびすを返して凍り付いた重い空気を振り払う

ように去っていった。

 その背中の───流れる髪の清廉さに誰も後ろを追えず、声も掛けられない。────それはいつ

もからかわれ、希理子自身からもバカにされ続けてきていた部員達が希理子から初めて『本心』を受

け取った瞬間でもあった。

 『本当』を決して希理子は口にしない───裏返しの愛情しか希理子はいつだって示してはくれな

い。だから『本心』は本当にわかりにくい。だけど自分達の為に怒ってくれたその『気持ち』も流し

てくれた『涙』も絶対に本物だった。───偽らざる希理子の『真実』だった。

「わたし────」

 その希理子の怒りに触れて───心に触れてゆかりは冷静さを取り戻していた。自分がどれだけひ

どいことを言ったのか、どんなにひどいことをしてしまったのかやっと気付いたのだ。

 震えが止まらない───がくがくと足が、ひざが悲鳴をあげて今にもその場に崩れ落ちてしまいそ

うだった。後悔だけが津波のように心の中を打ちつけて、自分のしてしまった罪の大きさに心同様に

身体が悲鳴をあげている。

「ゆかり───」

 そんなゆかりに桜井は正面にまわり込むようにして優しく声をかける。

 その姿からもう充分ゆかりが反省していることがわかっているからあえて反省を促すような言葉は

口にせず、自分の気持ちをゆっくりと言い聞かせる。

「俺はね、この学校に───上南に来たことを後悔したことは一瞬だってないんだよ?それどころか

これまでした人生の選択の中で一番成功したのがこの学校に来たことだって思ってるんだ」

 そっとゆかりの肩に手を添え、昔を懐かしむように言葉を紡ぎ出す。

「高校に入学した当初はね、ホントに俺は下手っぴだったんだ。それこそ目もあてられないような、

幼稚園児でもマシだろうっていうくらいドリブル一つ出来ない男だったんだ。だけどここにいるメン

バーは───希理子も含めたメンバーはみんな、そんな俺を見捨てずにいてくれた。口ではぎゃあぎ

ゃあ言いながらもみんな練習につきあってくれたり、コツとか惜しみなく教えてくれたんだ。それま

で何処にいっても競い合うことだけが強いられてきてたから本当に嬉しかった────本当に本当に

嬉しかったんだ」

 そう感謝の表情で馬呉やガン、齋藤といった同学年の同志達の顔を見つめ、そして自分を慕ってく

れている後輩の顔を見回す。

「今の俺がいるのはみんなのおかげだ────みんなが俺を支えてくれたから俺はここまで来れたん

だ、俺がみんなに助けてもらってるんだよ」

「わたし……─────」

 その言葉にゆかりはハラハラと涙をこぼし始めた。

「ごめんなさい……私、わたし……───」

 償いの言葉さえ見つからない。

「……悔しくて……私の知らないお兄様を知ってる皆さんのことが憎くて、悔しくて……だから、だ

から…………」

 嗚咽で言葉がほとんど声に変わっていない。だけど懸命に自分の今の気持ちを───心からすまな

いと思うその心を伝えようと泣きじゃくりながら顔をあげる。

 言った言葉は確かに心の一部ではあったが『本心』ではなかった。バスケはわからないがプレイを

楽しんでいるその姿は何もわからない自分にもしっかりと伝わってきていた。

 だけど同時にまったく運動することが許されていない自分とは正反対に走り回れる───走り回っ

ても壊れない心臓を持っているその身体がうらやましくて仕方がなかった。自分が誰より尊敬し、愛

している人間と一緒にプレイ出来ているそのことがうらやましくて仕方がなかった。そしてそんな感

情が消せないままの状態で自分が知らない桜井を周囲が語り始めてしまった。

 そうすると疎外感が───自分だけが取り残されてしまっている悲しみや悔しさにどうしても歯止

めが掛けられなくて、気がつくととんでもない言葉を口にしていた。

 殴られたのだと気付いた時には殺意にも似た怒りを希理子に対して感じていたが、今となっては希

理子が殴ってくれなければ自分はどれだけの罪を犯していたのだろうと身体の震えが止まらなかっ

た。───自分が許せなかった。

 だがそんな罪の意識で飽和状態にあるゆかりに対して思わぬ言葉が投げかけられた。

「───俺らの方こそゴメンな」

「……えっ──────」

 涙で視界が歪んではいたが、それでも何とか捕らえることが出来たその視線の先では本当に申し訳

なさそうに肩をすくめている男の姿が映った。

「ゆかりちゃん放っぽって、自分達だけが思い出話にうつつを抜かしてたんだもんな、ゆかりちゃん

が怒っても仕方がないよ」

 そう言って微笑んだのは一番怒っているはずの───怒ってていいはずのガンだった。

「ホントにゴメンね、ゆかりちゃん。もう2度と仲間はずれにはしないからさ、俺達を許してくれ

よ」

 そう言いながらガンは小さく───だけどハッキリしっかりと頭を下げた。そのガンの言葉に引き

続き、ゆかりを取り囲んでいた面々がそれぞれに詫びの言葉を口にしながらゆかりに向かって頭を下

げていく。

「皆さん────」

 ゆかりには目の前の光景が信じられなかった。明らかに悪いのは自分───自分の方なのに、自分

が傷付けてしまった人々が自分を思って頭を下げている。───心からの後悔と反省を示してくれて

いる。

「……どうしてそんなに…………」

 優しさが胸に染みた────涙が次から次へとあふれて止まらない。こんな優しさが、こんなに深

い誰かを思い遣る心があるのだとゆかりは初めて知った。───その優しさが自分を満たす感覚を初

めて知った。

「だからさ、希理子のことも許してやってくれよな?」

 それだけはどうしても、といった懇願の表情でガンがゆかりの表情を覗き込む。

「怪力のアイツに殴られて痛いとは思うんだけど、悪いのは俺達で、アイツは俺達を思ってゆかりち

ゃんにあんなひどいことしたんだと思うから───許せないっていうんなら俺がかわりに殴られても

いいから、希理子のこと許してやってくれよな?頼む───頼むよ」

 そしてますます深く頭を下げる。そのガンの姿に周囲も続く。

 その姿に妥協も打算もない、ただ純粋に───純粋に『仲間』を心配し、信頼する姿があった。ゆ

かりの知らない上南バスケ部の真実の姿があった。

「……ごめんなさい……ごめんなさい……」

 涙がますます止まらなかった。───止めたいとも思わなかった。

 
 


「どうしてあたしは──────」

 一方、ゆかりを殴ってしまった希理子は後悔に苛まれていた。

 もちろん自分が間違ったことを言ったとは思ってはいない。もしも時間を戻すことが出来たとして

も自分は同じ言葉を言うだろう。

 しかしそれと暴力をふるうことは別だ。

 最近ハヤりの───と言えば語弊があるけれど、『しつけ』と『虐待』のように同じ行為でも違う

意味合いを含むケースがある。

 しかし今回の相手はか弱い、自分より年下の、それも心臓病を煩っている少女で、しかも周囲の会

話から自分はゆかりが不安定な心持ちに変じていたことに気付いてさえいたのだ。なのにそれをいい

方向に変えてやることをしようともせずに、それによって導き出されてしまった結果に激怒して暴力

をふるってしまった。

 もう少し気を遣ってやれば根は本当に素直で純真なゆかりならあんな言葉をいうことなどなかった

はずだ。あんなに悲しい顔をして、言葉を刃にすることなどしなかったはずだ。

 なのに自分はその努力を怠った───挙げ句の果てに殴って、謝りもせずにその場から立ち去って

しまった。───自分は犯してしまった罪から逃げたのだ。

「なんであたしなんかが生きてるんだろ────」

 嗚咽にも似た言葉が夏の風にくだけた。


 
 

 その言葉の意味を知る者は今は希理子自身だけで、少し離れた場所から華奢な身体を自分への怒り

に震わせて佇んでいるそんな希理子の姿を一心に見つめている青年の耳にもその言葉は届かなかっ

た。

                                 

                               TO BE CONTINUED・・・

    

    

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