午後の紅茶

 

    
 我が輩は猫である。だからといって名前がないわけではない。

 エドデュアール・モンペリエ・ロクサ−ヌ3世という立派な名前があるのだが、人間と分類される巨

大な動物に何度そう名乗っても、誇り高き我らの言葉を介せぬあの連中は我が輩のことを『ノラ』だの

『デブ』だの失礼な呼称で呼んでくる。……まあ、それでも食事を与えてくれるのでそれぐらいの非礼

は見逃すことにしてはいるが。

 我が輩の住んでいるところは自然の豊かな緑豊かな山に囲まれた高地である。人間達はこの土地に

『八ヶ岳』と呼んでいるらしいが、ここから出たことも出ることもないであろう我が輩にはそのような

こと関係ない。常になにかに飢えている犬どもと違って誇り高き猫族である我が輩は自分の歩というも

のを心得ており、その手に入っているものだけで充分満足することができるのである。

 だが一昨日からこの我が輩の『なわばり』を我がモノ顔で侵す人間がやってきた。……いや、訂正し

よう。一昨日からこの我が輩の『なわばり』を我がモノ顔で侵す人間が『再び』やってきた。前にやっ

てきたのは確か今からちょうど1年前である。


 その不遜な人間は我が輩の顔を見るとにやりと頬をくずしながら「まだ生きてたか、デブシマ!」と

無理矢理我が輩を抱え上げ、グチャグチャになでまわした。どうやら『デブシマ』というのがこの人間

が我が輩に与えた『名前』であるらしい。まったくもって失礼なヤツである。確かにそういう人間はう

らやましいまでにしなやかなスリムな肢体をしているが、だからといって許されるわけではないだろ

う。

 この我が輩を『デブシマ』と呼ぶ人間はキリコという名前らしい。性別はメスで人間の中ではかなり

上玉の部類に入るのだろう。我が輩には人間の美醜はわからないが、昨日駅前の商店の方に買い出しに

来ていたこのメス人間を多くのオス人間どもがうっとりとした目で見つめていた。ああいう目はたとえ

種族が違おうとも発情中のオスには共通するものらしい。まあ、人間という生き物はデリケートな我々

と違って年中発情出来るうらやましい……もとい、浅ましい生き物であるらしいのだが。

 とにかく、このキリコという名のメス人間は不遜にも我が輩のもっとも気に入っている昼の午睡場で

ある『ガッコウ』とやらの中庭にあるベンチを我が輩の許可もなく陣取ってくつろいでいるのである。

 『どけ』といってやったのだがもちろん我が輩の言葉がわかろうはずもなく、このメス人間は「おい

でおいで」と我が輩を手招きしてきた。引っ掻いてやってもやろうと思ったのだが、あんまり嬉しそう

な顔で笑っているので黙ってつきやってやることにした。

「ほら飲むかい?」

 メス人間は我が輩が横に座ると自分がもっていた『ペットボトル』とやらから自分の手のひらを皿の

ように窪ませてその上に琥珀色の液体を受けて我が輩に差し出してきた。なかなか愁傷なことである。

 のども乾いていたことでもあるしその液体をいただくことにしたのだが、一嘗めしてびっくりした。

「美味しいかい?」

 誤解である。美味しいわけがない。人間はまったくけったいな生き物だ。我々猫族だけでなくすべて

の動物は基本的にスッパイもの、苦いものを口にしない。というのもスッパイとか苦いという味はその

食べ物が腐っているとか身体にとって有害であるというサインなのだ。それなのにそんなものを平気で

口にする、それどころか美味しいと感じるなど人間という生き物はやはり何処かおかしいのだ。

「ふわぁ、それにしても気持ちのいいとこだね」

 メス人間は我が輩を撫でながら大きなあくびをした。それについついつられて我が輩もあくびをす

る。

「そうか、あんたも気持ちいいか」

 そう言うとメス人間は嬉しそうに笑うと再び我が輩のことを気持ち良さそうに撫ではじめた。不覚だ

が我が輩も気持ちがいい。このメス人間は昔か今かはわからぬが我が輩ら同族と生活を共にしていたこ

とがあるらしい。実にたくみに我が輩のことを撫でてくる。

 だがその手がとてつもなくゆっくりになりやがて止まった。顔をあげて見てみるとメス人間はどうや

ら眠ってしまったらしい。まあ、こんな穏やかな午後なのだ。眠ってしまっても仕方がないだろう。我

が輩も眠ることにしよう。と、思ったら違う人間がやってきた。

「あれ、希理子さん、こんなところで寝てるんすか?」  

 そう言って近寄ってきたのはタレ目のくせに目つきの悪いオス人間だった。いやに迫力のある、近寄

りたくないタイプの人間だ。

「希理子さん?」

 すぐそばまで来てそのオス人間はメス人間を呼んだ。だがメス人間は眠ったままだった。

「希理子さん?」

 まだ起きない。オス人間は困ったように、だがその中に少しだが笑ったように頬をくずした。メス人

間を見るその目は限り無く優しい。そういう表情をしていると意外にこわくない、というか親近感が持

てる。

 そのオス人間は小さくため息をつくとメス人間が座り、我が輩が横たわっているベンチの上に『ペッ

トボトル』があるのに気がついた。

 オス人間はそれをおそるおそるそっと、メス人間を起こさぬように持ち上げるとそれを一口飲んだ。

そしてそれにもメス人間が気付かぬことを確認すると、色の区別がほとんどつかぬ我が輩の目から見て

も真っ赤になりながらそのメス人間の右頬にそっと唇をよせた。

 博識である我が輩はそれが『接吻』という行為であるということを知っている。しかしメス人間は自

分に触れられたというのにまだ気がつかなかった。鈍感な人間である。

 そしてその接吻やらを行った目つきの悪いオス人間はそそくさと先程以上に真っ赤になりながら立ち

去っていった。その様子はまるで後ろめたいことがあるかのようである。それはそうだろう。寝ている

間にひとの食べ物もとい飲み物を無断で拝借するなど下賤のすることである。誇り高い我が輩にはとて

も出来ぬ行為だ。

 そんなことを考えてうつらうつらしているとまた別のオス人間がやってきた。

「こんな所で寝てやがる」

 先程やってきたオス人間よりは小柄だが、それでも人間の中ではかなり背が高いであろうオス人間で

ある。

 こちらに近寄ってくる足取りは軽く、確かに人間だというのにほとんど音がしない。このキリコとい

うメス人間同様かなり痩せたしなやかな肢体の持ち主だ。まったくもってうらやましい。

「ひとが汗だくで練習してるってんのに気持ち良さそうに寝やがって」

 毒づいた口調ではあるが、先程のオス人間同様目が優しい。

 そしてそのオス人間も『ペットボトル』がベンチの上にあるのに気がつくと先程のオス人間同様メス

人間の許可なくぐいっと一口飲んだ。

 そしてその『ペットボトル』をもともとあった位置に戻し、にやりと笑った。誰が見てもなにかよか

らぬこと、面白いことを考えた顔だった。そして相変わらず眠ったままのメス人間の長い髪を一房手に

取ると身体を少しかがめ、その髪に口付けた。

「今度そんなふうに気持ち良さそうに眠ってやがったら犯してやるぞ」

 どうせなら起こしてから言ってやればいいのに、結局そのオス人間もメス人間を起こさずにさっさと

立ち去ってしまった。先程のオス人間との違いをいうならこちらのオス人間にはまったく悪びれたとこ

ろがなかった、というところか。

 人間社会というのは本当に恐ろしい。ただ気持ち良さそうに眠っているだけでメスはオスに犯される

かもしれないなど、メスは常に起きていなければならないではないか。我が輩はメスではないが人間で

はなくてよかったとしみじみ思う。

 そしてそんなことを考えているとまたまた別のオス人間がやってきた。今度は更に大きなオス人間

だ。

 このメス人間の周りには常にオス人間がいる。昨日、もう一人別のメス人間がやってくるまでは大勢

のオス人間の中にメス一人だった。そしていつ見かけてもこのメス人間に周囲のオス人間は敵わないよ

うだった。

 もしかすればこのメス人間はこの集団のリーダーなのかもしれない。人間はその相手に対して最上級

の親愛を示すときに『接吻』をするらしいから、さきほどのオス人間はどちらともメス人間に『接吻』

をしたのだろう。だがだとしたら意味がないような気もする。リーダーの意識があるときに表意しなけ

れば意味がないではないか?それなのにどうして先程の人間どもは眠っているメス人間にあのようなこ

とをしたのだろう。

 そんなことを考えている間にそのめちゃくちゃ大きなオス人間がすぐ側までやってきた。

「完璧に寝ちゃってるな」

 そう言いながらオス人間はため息をついた。この男はこちらに近寄ってくる間からずっとにこにこと

笑っている。いわゆる『人なつこい』笑みを浮かべているのだ。だが何故か背筋がぞくぞくする。代々

誇り高き自由猫として生活してきた一族だけが持つ勘と言おうか、このオス人間は危険だ。

 言っている言葉や態度などは先程のオス人間の方が、目つきはその前のオス人間の方がずっと悪いの

だが、このオス人間の方がずっと恐い。魂の一番深い部分が警戒音を鳴らしつづけている。

「おいおい希理子、いくら夏だといっても風邪ひくぞ」

 メス人間はまだ寝ている。これほどの危険が近づいていてもまだ寝ているとは人間という生き物は何

と警戒心がない生き物なのだろうか?我が輩は恐くて一歩も身動きがとれない。『死んだふり』ならぬ

『寝てるふり』を決め込んでこの厄災が一刻も早く立ち去ってくれるのを祈るだけだ。

「おい、希理子?」

 何故かこのオス人間も先程のオス人間ら同様、『ペットボトル』に勝手に手を伸ばし一口飲んだ。そ

して平然としながらゆっくりと顔を傾けると、最初のオス人間のちょうど反対側、メス人間の左頬に小

さく接吻をした。

「ぅうん……」

 さすがに今度は気がついたのかメス人間は微かに身じろぎしたが、また何ごともなかったかのように

眠りにおちてしまった。大物である。やはりこのメス人間はこの集団を率いるボスに違いない。

 オス人間はメス人間が目を覚まさなかったことに小さくほっとため息をつくと、先程の男同様に悠然

と立ち去っていった。

 あの恐ろしい人間のせいですっかり目が冷めてしまった我が輩はこのベンチを後にすることにした。

あの人間達が『バスケットボール』とやらをやっているところを覗きにいくことにしたのだ。

 そこにはあの恐ろしい男よりも更に大きくて、しかも頭がピカリと光っている面白いオス人間もい

る。あんなに大きな身体をしているというのにどうやら我ら猫族のことが恐いらしい。我が輩を見ると

怯えた目で後ずさっている。それと同様に犬どものことも恐いらしい。昨日『まるちーず』とかいう種

類の犬どもの中でも我々猫族と差程大きさの変わらぬ小さな犬に飛びつかれて腰をぬかしているところ

を目撃してしまった。結局昼寝が出来なかった憂さ晴らしにあの大きな男をからかってやるのもよいだ

ろう。

 そう思って体育館とやらに忍び込むと先程我が輩の昼寝を邪魔してくれた3人のオス人間を含めてキ

リコというメス人間の一派が全員真剣な様子で『バスケットボール』とやらの練習に打ち込んでいた。

おかげで誰も我が輩がやってきたことに気付いても、そして構ってもくれぬ。

 いささかつまらぬ思いをしているとあのメス人間が凄まじい勢いでこの『体育館』にやってきた。

「どこ行きやがった、あのデブシマ!」

 相変わらず失礼な人間である。

「どうしたんです、希理子さん?」

 ここにいる連中の中で最もこのメス人間と一緒にいる、いつもニコニコのえびす顔をした忠実なオス

人間が問いかける。

 するとメス人間は何かをさっと掲げあげた。

「あのデブシマ、人のレモンティー盗み飲んで逃げやがった!」

 メス人間の手にはあの『ペットボトル』が握られた。

「あたしが寝る前まではたしかに3分の2は残ってたんだよ?なのに今起きたら2分の1しかないん

だ。きっとあのデブ猫が人が寝てる間に盗み飲みしやがったんだ!」

 指で減った量を示しながらメス人間は叫んだ。それに対してえびす顔のオス人間は困ったように笑い

ながらそのメス人間に対して反論する。

「希理子さん、いくらあのデブシマが賢い猫だからっていってもペットボトルに入った紅茶なんか飲め

ませんよ。考え違いじゃないですか?」

 『デブシマ』という呼称が定着しつつあるのはしゃくだが、まったくもってそのとおりである。誇り

高き我が輩がそんな卑劣な真似をするはずないし、それに犯人はちゃんと別に、それも3人もいる。

「そうかな……?」

 自分が言っていることが間違いだと思ったのか、これまでの勢いはどこにいったのか、不安そうな目

でそのペットボトルを見つめている。

「そうですよ」

 赤ん坊をあやすようなその口調に少しだけむすっとしたような顔をしながら、それでもその言葉に納

得したのかメス人間は大きくため息をついた。

「そうかもね」

 メス人間はそう言うと走って来て、大声で叫んだことにのどが乾いたのか、我が輩には旨いとはまっ

たく思えないその液体に口をつけた。

 その様子を我が輩にぬれぎぬを着せるような行いをしておきながら名乗り出なかった3人のオス人間

が遠目に、意識してないふりを装いながらしっかりとメス人間がその液体を飲み下すのを見つめてい

た。内の一人、一番最初に盗み飲みし、真っ赤になっていた人間はやはり真っ赤になっている。

 釈然としない。まったくもって釈然としない。誇り高き我が輩にぬれぎぬをきせたまま平然としてい

るこの輩が許せない。何とかいい復讐方法はないだろうか?

 そう思って辺りを見回しているとあのメス人間が我が輩に気がついて我が輩の方に近寄ってきた。

「ゴメン、デブシマ。犯人扱いしちまって」

 微かに赤くなったその頬とずっと低い位置にいる我が輩に上目遣いをしてくるその表情で本当にすま

なく思っているのがわかる。

 このメス人間は人間にしては珍しく我が輩ら猫族の誇りを理解する者なのだ。この人間になら誇り高

い我が輩であるが『飼われて』やってもよい。

 そう思うと一つ最高の復讐方法が思い付いた。あのオス人間どもはこのメス人間にとって一番親しい

者になりたいのであろう。その座をこの我が輩が奪いとってやる。

「こっちおいで、デブシマ」

 メス人間が手を差し伸べてきた。我が輩はそれに身をまかせてやる。メス人間は嬉しそうに我が輩を

抱え上げるとまるで赤ん坊をあやすかのように胸の辺りに抱え込んだ。

 そこで我が輩は顔をあげ首を伸ばした。目の前にはすぐそこにメス人間の顔があり、我が輩はそのメ

ス人間の唇に我が輩の唇を寄せ、舌でざらりとなめあげてやった。人間どもが最上級の親愛を示す『接

吻』をあの不遜なオス人間の前で堂々とやってやったのだ。

「!」「!」「!」

 一様に顔が歪んでいる。『ざまあみろ』だ。

 メス人間は一瞬びっくりしたような表情を浮かべたが満面の、それこそお日さまのような笑みを浮か

べると気持ち良さそうに頬ずりし、我が輩に向かって話し掛けてきた。

「デブシマはキスが上手だね」

 そう言うと我が輩がしたようにちゅっと我が輩の唇に自分の唇を重ねてきた。嬉しそうに何度も、何

度もである。仕掛けた我が輩の方が恥ずかしくなってしまうほど熱烈な『接吻』である。

 その様子をみて先程の3人はますます顔を歪ませ、唖然とした表情でこちらをうかがっている。人間

どもからしたら『猫ごとき』である我が輩に先を越されたのが悔しいのであろう。メス人間が我が輩に

口付ける度にひくひくと目や鼻や口元など歪ませている。

 我が輩はそれを見てほんの少し、いや、かなり気分がよくなった。ただ一つ不服があるとすれば、メ

ス人間の唇の味がかすかにあのイヤな柑橘系の酸っぱさがあるということなのだが、この際それは無視

することにする。

 

 
   

   
                               THE END.


【閑話休題】

 
キリ番プレゼント用に書き始めた作品なんですけど、どうしても一人でも多くの人に見てもらいたいと思って一般作品としてのせることにしました。おかげでキリ番用のは書き直しになっちゃいましたけど。
 いつもとはちょっと毛色が違う作品でしたがいかがですか?書いてる私はとても楽しかったのですが。


                            
 2001/3/21  日向葵


    




      
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