CANON

    


  

「はい、たのまれてたヤツ」

 桜井はそう言って希理子に向かって小さな包みを差し出した。

「おっ、悪いね」

 希理子はそれを受け取りながらそのビニール袋をあけて中身を確認する。そこには一枚

のCDが入っていた。

「これに『カノン』が入ってるんだね?」

「ああ」

 希理子が手にしているそのCDのジャケットの裏面を指で指し示す。

「これがそうだよ。だけど意外だな、希理子がこの曲知ってたなんて」

「どういう意味さね?」

「別に」

 希理子の鋭い視線を受けて桜井はあいまいに言葉をごまかす。だがそう言われても仕方

がないという自覚がある希理子としてはそれ以上つっこめない。

 だからそれ以上言わずに桜井の疑問に答えてやる。

「この曲さ、合唱コンクールで歌ったんだ」

「合唱コンクール?」

 桜井はその希理子の口から出たとは思えない健全なイベント名に次の言葉をうながす。

「中学のときにあっただろ?文化祭とかでクラス対抗とかで課題曲と自由曲決めて全校生

の前で歌わされるヤツ。3年の時の自由曲がこの『カノン』に歌詞をつけて合唱曲にして

る『遠い日のうた』っていう曲だったんだ」

 その言葉に納得する。桜井の中学でも同じようなイベントがあった。他自共に認める音

痴である桜井にとっては限り無く嫌で、苦痛なイベントだった。担任とかがやたらに張り

切って朝練をしいられたり、放課後にも残って練習をさせられた記憶がある。

「この曲さ、最初の何フレーズかしか歌詞が付いてなくて、後はずっと『ランラララン』

とかハミングだけなんだけどパートが4つに別れててさ、微妙にリズムも違ってて、メチ

ャクチャ難しいんだ。それこそ毎日毎日2時間ぐらい練習させられて今でもその歌詞とか

覚えてるよ」

「じゃあ、思い出の曲なんだ」

「そうだね」

 希理子はその言葉に頷く。だけどその様子が明るい方向に向いた回想ではないようで、

桜井はその様子が気になり、希理子に向かって問いかける。

「でも何で突然『カノン』を聞こうと思ったんだ?」

 希理子は桜井の自分に向けた瞳から自分が暗い様子を見せてしまったことを感じ取って

小さく笑った。その様子はらしくない自分を恥じているようだった。

「今なら正しい評価が出来るかと思ったんだ」

「正しい評価?」

「うん、あの時はとにかくあのみみっちぃ歌詞とかすれ違ってばっかりの旋律がやけに引

っ掛かってうっとおしいとしか思えなかったんだ」

 合唱コンクールは文化祭のイベントの一つとして行なわれたものだったから11月の頭

に発表会があった。その為の練習は選曲を含めて9月の中ごろから始まっていた。それは

ちょうど希理子が本当の意味で右ひざをいためてしまったがゆえに自分が出来ていたはず

のものが出来なくなったことを自覚せざるを得ない時期だった。

「歌詞にね『いつの日にか呼び掛ける遠い日のうた』っていうのがあってさ、その曲を歌

ってた時はバスケをやってた頃のことばっかり思い出さされて、それが終わったら今度は

その旋律を聞くとこの曲を歌ってたころの嫌な自分を思い出して後ろ向きになっちまって

たんだ。だからはなから嫌いって決め込んでて本当は本当にこの曲が好きじゃないのかわ

からなくって、ただそこからイメージされることが嫌いなだけだったのかな、って最近思

うようになってさ。すっきりさせたくて記憶の中のその曲じゃなくて本当の『カノン』を

聞いてみようって思ったのさ」

 希理子は手にしたCDを撫でるような動作をしながら強い意志を瞳に込めた。表情自体

は憂いを帯びてさえみえるのにその瞳は限り無く強い。

 希理子にとって『カノン』を聞くということは自分にとっての思い出したくない過去と

向かいあうということと同じだった。それを桜井はその瞳から理解した。そして自分の過

去から、自分自身から逃げ出さずに向かい合おうとするその希理子の心の強さに桜井は引

き付けられた。だからこう言った。

「いっしょに聞こうか?」

「えっ」

 希理子は桜井からの突然の申し出に眼を見開く。桜井はそのあっけに取られている希理

子の手をとると引っ張るように歩き始めた。

「部室にCDラジカセあったよな。なんか俺もひさしぶりに聞きたくなってきた」

「ちょっと……」

 希理子はその桜井の強引な様子に一瞬顔をしかめるが、桜井のその強引さが自分を気づ

かってのものだと気が付いたので結局桜井の手を振払うことが出来ずに部室まで連れ込ま

れてしまう。

「ほら」

 希理子の手からCDを受け取ると桜井はほこりをかぶっているCDラジカセにそのディ

スクをセットする。ちょっとの間、起動音が流れると緩やかな旋律がその狭い空間を満た

しはじめる。

 希理子は椅子の一つに桜井と向かい合うように腰を掛けていた。だがその『カノン』が

始まると一瞬目をふせ、そして小さく頷くと顔を上げた。

  

“人はただ風の中を 祈りながら 歩き続ける 

       その胸にいつの日にか呼び掛ける 遠い日のうた”

  

 気持ちの良い伸びやかなメゾソプラノで希理子はラジカセから流れるカノンの旋律に合

わせて歌いはじめる。本当に歌詞がついているのは最初だけで後はずっと『ラ』ばかりの

歌だった。特に希理子が歌っているのは主旋律ではなくメゾのパートだから余計に物悲し

く、『カノン』という元の楽曲名にふさわしく主旋律を追い掛け、そして追いこして決し

て完全に重なりあうことのないメロディーだった。

 桜井はただ希理子がそうやって歌っているのをじっと聞いていた。やがてもともと『カ

ノン』からとった曲だった歌の方が先に終わってしまい、希理子は歌い終えると目をふせ

てその曲に聞きいっていた。そしてやがてその曲も終わり、連続して次の曲が始まってし

まう。桜井は停止ボタンを押してその音楽を止めた。希理子はそのカチッという音に合わ

せて目をあける。

「やっぱりみみっちぃね。……だけど嫌いじゃない」

 ぼそっとした口調でそう言うと桜井に向かって小さく笑った。桜井はその言葉に頷く。

「もう一回、聞く?」

「うん」

 希理子は小さく頷いた。桜井は再び再生ボタンを押す。

 再び流れ出したその曲を今度は希理子は黙ったまま聞いていた。その表情は確かに憂い

の色は完全には消し去られてはいなかったが穏やかで何かをふっ切ったようだった。

 桜井はその希理子の様子にそっと微笑むとテーブルの上に置かれた希理子の手に自分の

手をそっと重ねた。希理子は閉じていた目を開いて桜井の表情をうかがう。

「またこうして聞きたいね、いつか──」

 桜井はそう言うと先ほどまでの希理子と同じように目を閉じた。

「……そうだね」

 ラジカセから流れ出るメロディーに打ち消されてしまう程小さな声で希理子はそう言う

と目を閉じながら自分の手に重ねられた桜井の手にその指先をそっとからめた。

 永遠にくり返される追いかけっこ、重なりあえるのはほんの一瞬だけ。その貴重な時間

を一瞬でも長くつなぎ止められたら、そんな想いが互いのからみ合った指先から交換され

ていく。

 不器用で素直になれない自分達、だけど今は確かに重なりあっていた。

  

                           FIN



       

    何か、プレゼント用の小説なのに暗くなっちゃいました。『守りあう』とか『かばいあう』
   んじゃなくて、『認めあう』関係を話にしたかったんです。そしたら二人とも別人になって
   しまいました。作中の『カノン』はパッフェルベルの『カノン』です。そして『遠い日のう
   た』も実在してます。ただし歌詞は私の記憶から引っぱりだしてますので間違ってるかも。

   希理子に作中で言わせてるように本気でやるのなら合唱するには難しい曲です。何ていった
    って作中でも引用してる2行分とそれに男子のパートの2行分、つまり4行分しか歌詞が無
   いので音程のごまかしがきかない。クラス合唱でこんなのをやらされたこっちの身にもなっ
   てくれってなかんじでした。すみません、ホントに暗くって。今後精進します。

                         2000/5/20 日向 葵

  追加の後書き

    今見直してみてもホントに最悪の作品です。ホントはこんなのお目に掛けたくないんです
   けど更新が滞っていたので代わりにといっちゃなんだけど発表することにしました。
    今見るとさらに出来の悪さが目について気分が悪いです。でも直しようもないので結局こ
   のまま……。読まなくていいです。どうぞ記憶から消去してやってください。
         

       

   

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