古典と日時計
Sundials in Japanese Literature


 まだ十分ではありませんが、日本の古典の中の日時計の記述で、現在確認できたものだけを載せました。新たに見つけることができれば、付け加えてゆく予定です。

1)「江戸参府紀行」 シーボルト著 斉藤信訳 東洋文庫 平凡社 1967年 p.22
 シーボルトは1823年(文政6年)、オランダ東インド会社の医師・博物学者として長崎に来日、1826年、商館長スチュルレルに従って、江戸参府を行った。そのときの記録である。その中に次のような記述がある。
 「日本では、道路地図や旅行案内書は必要で欠くことのできない旅行用品の一つである。・・・・・・海陸の旅行に好都合なようにできていて、旅行用地図や道程表のほかに日本人旅行者にとって有益なことがらの要点がのっている。すなわち旅行用品の指示・馬や人夫の料金・通行手形の形式・有名な山や巡礼地の名称・気象学の原則・潮の干満の表・年表などである。そのうえ現行の尺度のあらまし・紙捻(こより)を立てるとでき上がる日時計までついている。 日時計の楽しみ(1)-3 江戸時代の紙日時計

2)「通俗三国志」 湖南文山著 有朋堂文庫 明治45年(1912年) 上巻 p.310
 江戸期1689年(元禄2年)に著されている。玄徳、関羽、張飛などが活躍する痛快中国軍談物。江東の雄孫策が太史慈を生け捕り、彼の言に従ってその忠誠の証として、敗残の兵を集めて翌日の定刻までに陣に帰って来るように命じたところ、取り巻きの諸大将は彼を一端解き放てば再び戻ることはない、と諫めたことに、孫策は言う。
 「太史慈は州の名士、信義を以て重しとす、必ず詐は有まじとて、次の日竿を立てて日影を見せしむるに、案の如く太史慈千餘騎を引て日中に囘り來る。」
 
3)「百姓伝記」 近世科学思想(上)日本思想大系所収 古島敏雄校注 1972年 岩波書店 p.11
 元禄初期頃(1690年頃)著されたとされる、地方農業事情を記した農書の一つ。それぞれの季節の心得を記した冒頭に、四季の移り変わりを知る方法を記している。
 「春秋二季の彼岸日ざしを拝み、四季に出るほしをおぼへ、十二月のうち日月は何れの山より出させられ、西の山の端に何月何日の月日は、何時に入らせらるるとしり、我々が屋敷のうちに、寸尺の定たる竹木のすぐなるを、直に立置、昼夜の長短を日月の御影にて覚よ。

4)「昆陽漫録」 青木昆陽著 日本随筆大成第一期第20巻 1994年 吉川弘文館 p.198
 甘藷先生、青木昆陽による随筆である。1763年(宝暦13年)の序がある。
日時計を阿蘭陀にソンネウエイスルと云ふ。其製一ならず。今その一図を載す。阿蘭陀は昼一二時、夜一二時、昼夜二四時、一時六十刻、昼夜千二百刻(ママ)なり。阿蘭陀の東西南北と、一より十二までの文字を知りて時を計るべし。」
 日時計は、現在のオランダ語では Zonnewijzer、ドイツ語では Sonnenuhr。象牙製の方位磁石付携帯日時計は、当時ヨーロッパの貴族・有産階級の間では広く用いられていた。そのような日時計がオランダから将軍家への献上品の中にあって、知遇を得ていた大岡越前守忠相を通じて甘藷先生の目に触れたことは十分考えられる。残念ながら確証はない。


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