ドイツの日時計(1)
Sundials in Germany (1)


 今回のドイツ日時計訪問旅行でお世話になったドイツ計時学会日時計部会(Arbeitskreis Sonnenuhren in der Deutschen Gesellschaft fur Chronometrie)のラインホルト・クリーグラー氏(Reinhold Kriegler, Bremen在住)とは1999年1月、北米日時計協会(North American Sundial Society)のフレッド・ソイヤー氏(Fred Sawyer)を介し、Eメールを通じて知り合いになった。クリーグラー氏は1999年3月に来日、関西を中心に日本の日時計を見て回られたが、その詳細は北米日時計協会の会誌(The Compendium)2000年第1号に掲載されている。氏の日本訪問は、2000年3月25日岐阜県美並村において設立された「日本日時計の会」の発足実現の強い契機となった。

1)けいはんなプラザ、京都府、水平型、1993年。
 クリーグラー氏が京都のけいはんなの日時計を訪れた時の写真である。後藤晶男氏とクリーグラーご夫妻である。氏の日本訪問には、とくに後藤氏には大変お世話になった。押田榮一氏、小野行雄氏、箕原真氏(けいはんなの日時計の設計者)にも大変お世話になった。本誌を借りてお礼申し上げる。
 今回のドイツの旅は、クリーグラー氏の強い勧めと、同行していただいたデザインの専門家であり、数々の美しい日時計を製作しておられる小野氏の強い誘いにより、実現することになった。1999年10月14日成田を発ち、ロンドン・ヒースローからミュンヘンに入り、空港でマイヤー氏(Maier)の出迎えを受けた。マイヤー氏はクリーグラー氏の紹介により、ミュンヘンを案内いただいた方である。以下はドイツで見た日時計の印象記である。3回に分けた内の第1回である。

 Arbeitskreis Sonnenuhrenはドイツ計時学会の部会の一つであるが、他の技術・学術部会、塔時計部会と同じく事実上独立した組織として活動しており、再統一後のドイツ国内唯一の日時計愛好者組織である。一般にヨーロッパの日時計団体は天文学会や時計学会の部会であることが多い。

 ミュンヘン泊の翌日最初に訪れたのがランドスート(Landshut)である。 ニーダーバイエルン(Niederbayern)の県都であり、歴史のある美しい街並みの中に多くの日時計がある。なおLandshutの日本語表記をランドスートとするのはクリーグラーご夫妻の指摘によるもの。私の手元にある地図、百科事典ではランツフートになっている。

2)職業訓練校、Landshut, 複合型、1974年
 静かな石畳の校庭の一角にある日時計である。苔むして必ずしも美麗ではないが、現代の複合型日時計(Multiple Dial)として興味深い。手前に水平型と南面垂直型があり、幅広のノモンを共用している。30分ごとの視太陽時の時刻線である。垂直型にある曲線は、日時計面上に何の表示もないが、筆者の試算によると冬至線である。水平型のほぼ対象の位置にある曲線は夏至線である。残念なことに、太陽の経路を指示するノーダス(Nodus)が消えて無くなっている。なおノーダスとは日時計面上で太陽の経路を示すために、ノモン上に突起、切り込み、ピンホール、球などで特別な点を印したものである。
 後ろは極向型(Polar Dial)である。中央の直線は春秋分線、上部の曲線は冬至線、下部には夏至線がある。冬至線と夏至線の間の時刻線は中央ヨーロッパ標準時との経度差補正がされている。正午の線を中心にしてアナレンマがあり、ノーダスの示す影の辺りについて読み取った均時差を加減すると、標準時を読み取ることができる。冬至線と夏至線の外側は視太陽時の時刻線が入っている。夏至線の外側にはサマータイム期間の読み取りを考慮して、1時間進んだ時刻が刻印してある。

3)マーチン教会、Lnadshut、垂直型3面、1500年頃
 教会はランドスートの中心街にあり、石畳の街路とパステルカラーの町並みの中ほどで直下から仰ぎ見る教会の尖塔は、堂々たる高さを誇っている。機械時計は尖塔の中ほどの4面にそれぞれ設けられており、日時計は機械時計の下に北面を除いて3面ある。
 写真は南面と東面を同時に写すために、本通りから少し入った所から撮ってある。方位が示す通り、これらの日時計は真南、真東、真西を指しているわけではない。北面タイプの日時計は設けられていない。北向きの垂直型日時計と言うと奇異に聞こえるかもしれないが、ヨーロッパでは珍しくない。例えば夏至の日、東京の北緯35°30′あたりでは、日照時間中の約半分の間、太陽は東西線の北側に位置し、北面のみに日が当ることになる。かくして、北面型日時計は東西面型日時計と共に、南面型日時計を補う役割を持つ。
 教会や市庁舎などに公共用の機械式大時計が設けられるようになったのは14世紀頃からである。この当時、日時計は機械時計の調整に用いられていた。機械時計によって平均時を維持することは難しく、日常生活は、それぞれの地方視太陽時によって営まれていたためである。精度の高い機械時計の出現は19世紀になってからである。

4)シトー会修道院、Landshut、垂直型、1734年、1996年修復
 修道院が運営している小学校の壁面にある日時計である。フレスコ技法による美しい壁画に目を奪われる。山吹色のパステルカラーの壁を背景に、華やかで明るい色使いである。キリスト教に関わる場面をモチーフにして、時刻表示と共にフレスコ画を描いた日時計には、ランドスートでもう一個所、さらにミュンヘンの眼科大学の中庭でも見ることができた。ここに紹介するものは、その中でもとくに輝くような美しさが際立っている。ランドスートの2つはいずれも17世紀初期に描かれている。眼科大学のものは不明だが、同一年代の頃と思う。
 この頃、このように街の各所に見られた日時計の用途については、ジャック・アタリ著の「時間の歴史」(蔵持不三也訳, 1986年, 原書房, p.178)の次の記述が参考になる。   …1750年、カサノヴァは『回想録』にこう記している。≪庭には沢山の人がいたが、彼らは皆じっと空を見上げていた。空に何か素晴らしいものがあるのだろうか。実は(太陽の)南中に注意していたのだ。誰もが手にした時計を正午に合わせようとしていたのである。≫。…
16世紀頃より普及を始めていた懐中時計は、1日に20分余の狂いが生ずるのも珍しくないという有り様で、毎日調整する必要があった。左図(Bedos Celles、 La Gnomonique Pratique、1790年、口絵)では3人の紳士が正午計(Noon Mark)を見上げている。手に持った懐中時計を調整するためである。

5)市街中庭、Landshut、垂直型、1997年
 ほぼ東を向いた日時計である。午前中のみ用いることができる。図柄が明快であり、現代の日時計として時刻の読み取り易さに配慮が行き届いている。ランドスートの中心街から少し離れた通りの中庭にある。西向きに作る場合も、向きは異なるが同じような形になる。上限の曲線は冬至線、中央の直線は春秋線、下限の曲線は夏至線である。ノモンの中央にある、小球からなるノーダスの影の位置から読み取ることができる。アナレンマの位置から見てすでに時刻線に経度差補正が入っていることがわかる。アナレンマは標準時を示す位置に描くのが原則だからである。上方のギリシャ数字は経度差補正済みの視太陽時、下方のアラビア数字はサマータイムを示している。時刻線が、上限の冬至線のさらに上方の一点に向っていることがわかる。真東あるいは真西を向いている日時計の場合の時刻線は平行線になる。午後に訪問したため晴天ではあったがノモンの影はない。
 アナレンマを日時計面上に描くことで、標準時を読み取るための均時差の値を視覚的に知ることができる。標準時の正午を示すためのアナレンマのみを描いた正午計もある。また日時計に付随して日時計面とは離れた位置にこのような正午計を設けることもある。

6)トラウスニッツ城、Landshut、垂直型、1524年
 城は丘の上にあり、周囲は回廊に囲まれている。深い堀に掛けられた橋を渡って門を入る。日時計は中庭に面した二階回廊にある。この日時計はランドスートでは最も古いもので、ドイツの数学者で宇宙誌家として知られるペトルス・アピアヌス(Petrus Apianus)の作である。残念なことに、後になって回廊を増設したため、現在では冬の一時期わずかに陽光があたるに過ぎない。ノモンはない。
 絵には鮮やかな彩色が施され、それぞれのラインも色分けがなされている。日時計面本体のラインは実に7種に及ぶ。視太陽時(Apparent Solar Time)の線、不定時法(Temporary Time)の線、イタリア時法(Italian Hour、日の入を日始とする定時法)の線、バビロニア時法(Babylonian Hour、日の出を日始とする定時法)の線、黄道12宮(Zodiac)の境界の線、太陽高度(Altitude)の線 、太陽方位(Azimuth)の線。上部には7惑星の絵表示がある。土星、木星、火星、太陽、金星、水星、月、の当時の順に従って描かれている。右側には黄道12宮を示す絵と符号が描かれているが、不完全なもので、回廊増設時に不用意に消されたようである。
 このように数種の時法を描いた日時計は比較的多い。一日の始まりは、地域によって日没であり、日の出であり、また太陽の南中とするところもあり、長きにわたって地域により様々だったからである。


 本文は東亜天文学会の会報誌「天界」に「ドイツの日時計(1)、(2)、(3)」と題して投稿し、2000年7月、8月、9月号に掲載された内の7月分です。一般向けに配慮して若干削除・変更してあります。

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