「くそっ、また、俺の負けか!」
  “海鷲”の落ち着いた店内の一角で、悔しそうな声を漏らす。
 ”ふぅ”と、ため息をつくと、男はカードを机の上に放り投げた。
  コルネリアス・ルッツである。帝国軍大将の地位にあり、戦場では、全くと
 言って良いほど、“負ける”ということを知らない彼だが、何故か、カードゲ
 ームには、殆ど、勝った試しがない。
  大抵、1番負けるのが、ルッツだった。
  今も、同僚たちと、ポーカーをやっていたのだが、自分に良いカードが回っ
 てきて、勝負をしようと思うと、何故か、皆、勝負を降りる。
  逆に、自分に役が揃っていない時に限って、勝負を賭けてくる。
  全く、どうしてこうも、手の内が読まれているのか・・・・。
  また、1つ、ため息が漏れる。
  「悪いな。貰って行くぞ。」
  同僚で、同じく大将の地位にあるワーレンが声を掛け、ルッツの賭けたコ
 インを手元に引き寄せる。
  ルッツは、もうどうでも良いとばかりに、手をヒラヒラさせると、スッと
 立ちあがり、カウンターの方へ歩きだす。  
  「どうした。今夜は、もう終わりか?」
  そう上機嫌な声を掛けたのは、ビッテンフェルトだった。
  「・・・そうさせて貰う・・・」
  ルッツは、オレンジ色の髪をした僚友とは、対称的な不機嫌な声で応じる
 と、その場から、離れていった。



  その日、ミュラーが“海鷲”を訪れたのは、同僚たちより、かなり遅れた
 時間だった。
  先程まで、ポーカーを興じていたワーレンたちは、既にいなく、ルッツが
 ただ1人、カウンターで飲んでいるだけだった。 
  ミュラーは、ルッツの姿を視界に認めると、カウンターへ歩み寄った。
  「よう、遅くなったな。」
  ルッツは、近づいてくるミュラーに言葉を掛けると、隣の席をすすめた。
  「仕事がたてこんでおりまして。」
  ミュラーはすすめられるままに、隣の席に座る。
  「もう、ビッテンフェルトたちなら、帰ったぞ。」
  そう言ったルッツの声には、常に無い硬質な響きがあった。その声を聞い
 たミュラーは、先程までここで何が行われていたのかを、正確に把握したが、
 穏やかな表情を崩さぬまま、そうですか、とだけ答えた。
  正直、ミュラーには、ポーカーなどどうでもよかった。この隣にいる、年
 長の僚友と、言葉を交わしていたかっただけだから。
  ミュラーが、ルッツの事を兄のように慕うようになったのは、要塞戦で、
 重傷を負ったミュラーに、ルッツが見舞いに行くようになってからのことで
 あった。

  要塞戦は、全兵力の9割を失った帝国軍の圧倒的敗北で幕を閉じた。
  総司令官たるケンプは戦死し、副司令官であったミュラーも、肋骨を折る
 などの全治3カ月の重傷の身となってしまった。にもかかわらず、僚友たち
 がお見舞いで病室を訪れた時、彼は、穏やかな表情を崩すことはなかったの
 である。
  しかし、同僚の中で最も若い彼が、かなり落ち込んでいるということを、
 ちょっとした言葉の端々や、しぐさのなかに、窺い知ることが出来た。
  そんなミュラーを救ったのが、ルッツだった。
  彼は、なにも、やさしい言葉を掛けた訳ではない。
  ただ、ミュラーの頭をくしゃくしゃっと撫でただけである。
  そんな、無骨な慰め方だったけど、触れられた指先からルッツの不器用な
 暖かさが伝わってきて、凍りかけていたミュラーの心を溶かし始めた。
  同時に、ミュラーの砂色の瞳からは大粒の涙がこぼれる。
  心を凍らし、閉じ込めようとしていた思いを、ルッツが開け放ったのである
 。
  ルッツは、ミュラーが涙を流し始めても、驚く様子はなく、ずっと、年少の
 僚友の頭や背中を、その大きな手で撫で続けた。涙が乾ききるまで・・・

  そんなことがあって以来、ミュラーと、ルッツの親交は深まっていった。
  ルッツにしても、ミュラーは弟のようで、かわいくて仕方がない、といった
 感じであった。
  
  飲み始めて1時間もたったころだろうか、真剣さと苦々しさをブレンドした
 ような表情を浮かべながら、ルッツは、ミュラーに言葉をつないだ。
  「どうして、こうも、カードが弱いんだろうなあ・・・。」
  ほとんど、独り言の部類にはいる口調だった、答えなど期待していなかった
 のかもしれない。隣にいたのが、ミュラーだったから、漏らしてしまったのだ
 ろう。他の僚友たちの前では、絶対言わない、言えない台詞であった。
  ミュラーとしても、返答に窮していた。それは、この敬愛している僚友が、
 何故弱いのか、理由を知っているからである。
  また、同時に、他の僚友から、本人には絶対話すなと、口止めされていた。
  その、口止めされるほどの理由とは、“瞳の色が変化する”ということであ
 る。
  最初、ミュラーが聞いたとき、とても信じられなかった。瞳の色が変化して
 しまうなんて聞いたことも、見たこともなかったからだ。

  中将に昇進したばかりのあの日、新しい僚友として迎えて貰った年長の提督
 たちに誘われるまま、ポーカーの席に着いた。
  ミュラーより3歳年長のワーレンは、名だたる提督たちに囲まれ、少し緊張
 気味のミュラーの後ろを陣取ると、同じく、ポーカーの席についているルッツ
 に、さりげなく目をやり、
  「いいか、あいつの瞳の色が変わったら、勝負は降りるんだ。」
 と、耳元でささやいたのである。  
  「そんな馬鹿な。瞳の色が変わるなんて・・・」
 と、思っていたミュラーだったが、2つ3つと、勝負をしていくうちに、ふと
 ルッツの瞳を覗き見ると、確かに変わっていたのである。瞳の色が。
  深い蒼色から、落ち着いた藤色へと。
  ミュラーは、いつの間にという気持ちと同時に、その藤色の瞳に、魅せられ
 てしまった。
  今度は、見逃さないと心に決め、注意深くルッツの瞳を覗き見続ける。
  もう、ポーカーなんてどうでも良くなっていた。ただ、瞳の色の変化する、
 瞬間がみたいだけだった。
  その後、何勝負しただろう。ミュラーが諦めかけたその時、ルッツの瞳に、
 再び変化が起こり始めていた。
  ルッツのポーカーフェイスは変わらない。微かに、顔が紅潮したかな、とい
 う程度である。
  だが、瞳は、顔が紅潮したのを受けるかのように、深い蒼い瞳に、紅い色が
 浸透していく・・・・・
  ミュラーは、息をひそめて、その光景を見つめていた。
  視覚以外の感覚をなくしてしまったかのように。
  時が止まってしまったかのような感覚のなかで、ルッツの瞳だけが、確実に
 時を刻む。
  鮮やかに変化していくその瞳に、心を奪われる。
  今のミュラーには、自分とルッツだけが確かな存在だった。
  瞳が変化し終わっても、藤色の瞳から目を離すことが出来ない・・・
  「・・・・ラー、・・ミュラー。・・」
  名前を呼ばれていることに気づき、はっと顔をあげる。
  気が付けば、僚友たちは、皆、自分の方を向いていた。
  「どうした、俺の顔に何かついていたか?」
  負けこんでいるルッツに、少し不機嫌な声で言われ、慌てて
  「何でもありません。」
 と、だけ答えると、自分のカードを見るためにうつむく。
  鼓動は、まだ、高鳴ったままである。ミュラーは、早く、鼓動が治まって
 くれるように、軍服の胸の辺りをギュッと握り締めた。
  それからというもの、ミュラーはルッツがカードをしているときには、仲
 間には入らず、近くで見ていることが殆どだった。
  あの、藤色に瞳が変わる瞬間を見たいが為に・・・・・

  「・・・何を笑っている?・・・」
 「卿も俺が負けるのが、そんなに嬉しいのか。」
   ルッツの声が低音になる。
  ミュラーは、はっと気づくと、慌てて、ルッツに自分の非礼を詫びた。
  「すみません。少し、昔のことを思い出していまして・・・」
  「昔のこと?」
  砂色の瞳を持った青年提督は、”ええ”とだけ答え、曖昧に言葉を濁すと、
 非礼をかけたお詫びにと、軍服の内ポケットから、紙袋に入った物を、ルッ
 ツに差し出した。
  「これは・・・?」
  「カードゲームに、“負けない”お守りですよ。」
  穏やかな表情に笑みをのせ、ミュラーは答える。
  “開けてもいいか?”というルッツに、“構いませんよ”と答え、ルッツ
 の動作を見守る。
  ガサガサを音をたてて取り出したものは、なんの変哲もない黒のサングラ
 スだった。
  本当は、もっと早くに渡したかったのだが、藤色に瞳が変化していく様が
 見れなくなる、ということや、なかなか2人きりになるチャンスに恵まれず
 いたということから、今まで、しまいっぱなしになっていた物である。
  しばらく、それを手に取り、眺めていたルッツだったが、ミュラーの真意
 を図ることが出来ず、砂色の視線に、自分のそれを合わせる。
  ミュラーは、ルッツの意図を読み取り、微笑みながら、説明していく。
  「提督は、良いカードが揃ったとき、“顔”に出てしまうんですよ。」
  「俺は、そんなにニタついてたのか?」
  ルッツは、大きな手を顔にあて、半ば隠すようにして言った。
  「ポーカーフェイスには、自信があったのにな・・・」
  「いえ、口元にではありません。“目”に表れてしまうんですよ。」
  ミュラーは、言外に、“瞳が藤色になってしまうんです”と含ませたつも
 りだった。
  だが、当の本人には、伝わっていなかった。
  ミュラーに言われたことを、小さく反芻しながら、じっと何事かを考え込
 んでいたが、いきなり、店内中に響き渡るような声をだした。
  「そうか、わかったぞ!!」
  ルッツは、立ち上がると、不意の攻撃にびっくりしているミュラーの肩を
 がしっと掴み、嬉しそうに揺らして言った。
  「奴ら、俺の目に移ったカードを読み取ってるんだな。だから、あんなに
   ぴったりと、勝負を賭けたり、降りたりすることが出来たんだ!!」
  ミュラーは頭がクラクラしているのを自覚した。
  もちろん、ルッツに身体を揺すられた為ではない。その台詞に対してであ
 る。
  (どうして、そんな発想が出てくるんだ!!そんな器用なことが出来るも
   んか!!・・・・・)
  頭痛のしかけた頭を支え、がっくり落としかけた肩を、上機嫌のルッツに
 叩かれた。
  「だから、卿もポーカーにはあまり参加しなかったんだな。お互い、薄い
   色素の目を持つと、苦労するな。」
  (違う!! 何かが違う!!)
  ミュラーは、脱力しかけた身体を立て直し、それは誤解だと言おうと思っ
 たが、妙に納得顔をしているルッツを見ていると、何も言えなくなってしま
 った。
  しかも、瞳は、ミュラーが魅了されてやまない藤色になっているのだ。
  (まあ、こんな一面を発見出来ただけでも、よしとするか・・・)
  そう思うと、急に笑いが込み上げてきた。
  「どうした、ミュラー?」
  肩で、笑いを堪えているアドバイザーにルッツは不思議そうに尋ねた。
  「いえ、何でもありません。それより、カードでのご武運、心より祈って
   ますよ。」
まだ、僅かに肩を震わせながら、相談者に返答する。
  「おうっ、まかせとけ!!勝ったときには、おごってやるからな。」
  「楽しみにしてますよ。」


 
  ミュラーが、ルッツに“負けないお守り”を渡してから1週間ほどたった
 頃、元帥府の長い廊下を歩いていると、自分を呼び止める声が聞こえた。
  振り向くまでもなく、声の主はわかっている。先日の“相談者”であった。
  「ミュラー、やったぞ、勝ったぞ!!」
  ルッツは、ポーカーに勝てたことが、よっぽど嬉しかったのだろう、走っ
 てきた勢いのまま、ミュラーを抱き締める。
  「ルッ、ルッツ提督!!」
  慌てたのは、ミュラーの方である。あまりの勢いに倒れそうになる身体を
 寸前の所でささえた。
  そんなミュラーの苦労を、知ってか、知らずか、今度は、ミュラーの背中
 を、バンバン叩いている。
  「すっすみませんが、離して頂けませんか?苦しいのですが。」
  肩の辺りから聞こえたその声に、ルッツは“すまん、すまん。”と笑いな
 がら開放してやる。
  「卿のお守りがきいたぞ!!今夜は約束どおり、おごってやる。」
  少々、興奮気味の“相談者”は、やはり、藤色の瞳をしていた。
  「それは、よかったですね。私もお守りがきいて、ほっとしてますよ。」
  ミュラーも満面の笑みを浮かべる。
  「帰り、卿の執務室に迎えに行くからな。待ってろよ。」
  「そんな、別に・・・」
  ミュラーが断ろうとする前に、ルッツは、別の通路で自分の執務室に戻っ
 て行ってしまった。
  実は、ミュラーは既に、昨夜、ルッツがポーカーで勝ったことを知ってい
 た。
  一緒にポーカーをしていたのだろう、ワーレンや、ビッテンフェルトに、
 今朝から、問い詰められていたからである。
  “ルッツに、サングラスを渡したのは、卿であろう”と。
  ミュラーは、その問い詰めには、曖昧に笑ってごまかし、逆に、
  「これで、正々堂々と勝負が出来て、良いじゃありませんか。」
 と、言ったのである。

  それから、ルッツが、あの“お守りを”常時携帯するようになった。
  それは、皇帝の随員として、ハイネセンに行くことになったときも例外で
 はなかった。
  ブリュンヒルト内の与えられた1室で、その“お守り”を見せられた時、
 凄く、気恥ずかしかったのを覚えている。
  「本当に、携帯されているんですね。」
  「ああ、なんせ、“お守り”だからな。」
  そういうと、ルッツは、顔を紅くさせている、年少の主席随員にウィンク
 し、軽くからかうと、“お守り”を軍服の内ポケットにしまった。
  最期のときまで、“お守り”は、彼と共にあった。


  「・・・閣下。ミュラー閣下。」
  誰かの自分を呼ぶ声に、はっとすると、ミュラーは顔をあげた。
  どうやら、自分は、長いこと物思いにふけっていたらしい。
  先程、自分を呼んでいた声は、いつの間にか入室してきた副官のものだっ
 た。
  「閣下、大丈夫ですか?御疲れなのでは?」
  「いや、大丈夫だ。それより、どうかしたのか?」
  ミュラーは、副官を呼んだ覚えはなかったから、何事か緊急のことが、あ
 ったのだろうと考え、先を促した。
  「はい。ミッタマイヤー主席元帥からの通達で、“艦隊編制の件で、協議
   したいことがあるから、明日の朝1番に、執務室の方に来てほしい“
   とのことです。」 
  「明日の朝で良いんだな。」
  ミュラーは念を押した。 
「はい。」
  その、澱みない返事にうなずくと、真っすぐ自分の方を向いていた副官の
 視線が、机の片隅においてある物に注がれていることに、気が付いた。
  「閣下、それは、サングラスですか?」
  副官が尋ねる。自分の上官とサングラスという組み合わせが、何か不思議
 な感じをもたらしたからだ。
  なんの変哲もない黒いサングラスだが、高熱にでもあてられたのか、少し
 変形していた。
  「“お守り”だよ。」
  ただ、それだけいうと、“お守り”を引き出しにしまい、副官に、今日は
 もう帰っていいと伝える。
  「閣下は、まだ、仕事をされるのですか?」
  「ああ、もう少し、艦隊編成案を煮詰めていこうと思う。」
  「わかりました。それでは、明朝、いつもの時間にお迎えにあがります。
   ミュラー元帥閣下。」
  「ああ、頼む。」
  副官が、完璧な敬礼をすると、退室していった。
  ミュラーは1人きりになると、窓辺に寄り、入ってくる風に身を晒す。 
  秋の気配を感じさせる風は、身体に心地よかった。軍服についているマン
 トも、満足気に風をはらんでいる。
  日の傾くのも早くなり、既に、空の半分以上を闇に明け渡していた。
  だか、西の空に少しだけ、ミュラーが魅了されてやまなかった彼の人の瞳
 の色を映し出していた。
  砂色の瞳の提督は、その色が闇に飲み込まれるまで、ずっと空を眺め続け
 ていた。
   

  Ende



                  

Wonderful Days