小鳥たちの囀りが耳に心地よいまだ早朝とも言える時間、新しく編成された
ミュラー艦隊の執務室の一角で一人、既に戦闘状態に入っている者がいた。「書
類」との戦いである。
「ない!ない!・・どこにしまったんだっけ・・・」
まだ誰も出仕してない静かな執務室で、泣き出しそうな声で呟いてみても答
える者などなく、むなしく部屋に響いては消えていくだけである・・・・・
「・・どうしてこんなにも書類があるんだよう・・・・・」
探す手を止め、ため息ひとつ。
割り当てられた自分の机を見遣って、ため息二つ・・・
ドレウェンツの視界には、「書類」や「ディスク」に占領された机が入ってくる。
士官学校時代、艦隊シミュレーションでミュラーのことを知ってから憧れつ
づけて早数年。彼と一緒の艦隊に所属できれば・・と淡い期待を抱いて様々な
努力をしてきた。
それが、こんなに早くしかも実現するなんて、祈ったこともない神にキスし
たいくらい嬉しかった。辞令を受けたときに何度も何度も確かめたほどである。
すでに、中将となり一個艦隊の司令官となったミュラーと顔を合わせたとき
には、夢心地でほとんど記憶にのこってないくらいであった。
“これから一緒に仕事が出来るんだ”
と心躍らせる実感を味わうまもなく、書類戦争が勃発されてしまったのである。
「はぁ〜〜〜。」
情けないため息がまた漏れる。こうしていても書類の方から出てきてくれるわ
けではなくて、諦めたように書類を捜し始める。
「どうしたんだ一体?」
背後からいきなり声をかけられ飛び上がりそうに驚いた。振り返ってみれば自
分の父親ほどの年齢の男が立っている。参謀長のオルラウであった。
「はい・・あの・・今日提出期限の書類が・・どうしてもみつからなくて・・・・」
こんなところを見られてしまって恥ずかしく思う気持ちと、副官としてまだま
だ未熟だということをはっきり示されているのを悔しく思う気持ちで、言葉を
詰まらせる。
オルラウは戦場となっている机を見遣り苦笑するしかなかった。
どうやって積んだんだろうと思うほどに資料が山に積んである。下手に触っ
たら崩れてしまうことは間違いない。
机がこんなになってしまったのは、彼の整理整頓能力が欠けてたと一言では
終わらせられないだろう。新しい司令官は他のどの司令官よりも若い。必然的
に副官も年齢が若くなる。そういった経験の少ない者が出立前の書類戦争に巻
き込まれて、無事に済むはずがないのだ。
とくに、新しく編成されたこの艦隊では書類の数も段違い的に多くなる。今
まで無事に進んできたことが、この者の副官としての能力が高いということを
示しているといっても良い。まあ、もうちょっと整理能力が長けていれば・・・
と思うのは否めないが・・
「どの書類がないんだ?」
苦笑を浮かべながら、話し掛ける。焦りをといてやるかのように。
「はっ。補給に関しての書類です。今日閣下に目を通して頂いて、後方事務に
提出しなければならないものでして・・・」
頭を伏せたまま答える若者の頭に手をおいて、ポンポンと軽く叩きながら
「それは、重要な書類だな・・二人で探せば見つかるだろう。」
というなり、少しずつ机の山を床に下ろし始める。
「参謀長、自分で探しますから!」
情けなさと申し訳なさですぐに止めようとするが、年の功には勝てず一言でピ
シャリと押さえつけられた。
「この書類は卿だけの問題でなく、艦隊全体に関わってくるからな。それに、
自分で見落としたところを他人が見てくれることが多いにある。」
怒るわけでなく、多少の笑みを浮かべて言われるのが、ドレウェンツにとって
はますますつらい。
「はっ・・申し訳ありません。」
そう答えるしかなく、二人は黙々と探し始めた。
しばらく書類やファイルをめくる音しか聞こえず、静寂と緊張の入り交ざった
時間が部屋を支配していた。
「どうしたんだ?何かないのか?」
唐突に破られた空間に副官がびくっと身体を震わせ振り向くと、敬愛している
上官が怪訝そうな表情を浮かべ、二人を見ていた。
「閣下・・あっ・・おはようございます・・」
「おはよう。何か探しているのか?」
「はっ・・あの・・・」
「補給関係の本日提出期限の書類をどこかにはさみこんでしまったらしく、探
しております。」
答えられない副官に代わり参謀長が、手短に答える。
「そうか・・それは大変なことだな・・」
しばらく腕組みをし考えていたミュラーだったが、すぐに腕を解くと悲惨な戦
場に歩み寄った。
「私も手伝おう。3人でならいくら手強い相手でも、長時間抵抗してられまい。」
微笑を浮かべ、書類に手をかけ始めた。
「そ、そんな閣下にまで迷惑をかけることは出来ません。閣下はご自分の仕事
をなさってください。」
ドレウェンツが止めようとするのを、片手で静止しながら
「その書類は今日提出期限のものだ。最優先で探さなければいけないだろう。
それに卿がこのことに掛かりきりになっては、他の業務が進まない。それで
は私も困る。皆で探してさっさと片つけてしまおう。今日もまだ片つけなけ
ればならない書類が山のようにあるしな。」
「申し訳ありません・・・」
ますますうなだれる年少の副官に
「こんなこともあるさ。」
と笑いながら、気にすることはないさと山となっている書類を攻略し始めた。
3人がそれぞれ分担をして、たった1枚の書類を相手にしている。それは情
けないと言えばそうなのだが、相手が補給関係の書類である以上、やむを得
ないことである。
艦隊の生命を握る補給をおろそかに出来るわけがない。
改めて作成するにしても、あの書類はドレウェンツが今までの会戦の資料を
元にしてあらゆるシミュレーションを重ねて補給船から補給物資の数値をたたき
出した、努力の結晶であり、今更作り直す気力はなかった。
その数値をどれかのディスクに保存したような気がして探してみたけれど、
見つけることは出来ず、やはりプリントアウトした書類を捜す他なかったのである。
「家に持ち帰っているということはないだろうな・・?」
探す手を止めることなく司令官が問う。
「いえ。書類は一切持ち帰ったことはありません。」
「この部屋以外に、どこかで書類を作成したことは?」
「全て、この部屋で作成しております。」
「資料に挟まったままのを気づかず、資料を返却してしまったということは・・?」
「・・いえ・・まだ資料は借りっ放しのままでして・・・」
「そうか・・・・」
あらゆる可能性を考えてはみるが、やはりこの中に埋もれている可能性が濃厚
であった。
机の上から全てのモノを降ろし、一つ一つ確認していく。ドレウェンツが確認した
ら、オルラウが。オルラウが確認したらミュラーが・・と3人で探していっても見つけ
ること出来ずにいた。
「ないな・・・」
なかなか手ごわい敵にミュラーが額に手を当てながら、ため息のように言葉
を漏らす。
「申し訳ありません・・もう1度作成し直しますので・・・」
ドレウェンツ自身も半分諦めかけていて、確認を進める手がゆっくりになっ
てきていた。
「しかし、かなり時間をかけて作った書類だろう?」
ミュラーも知っていた。あの書類をどれだけ時間をかけて、この年少の副官
が作成していたかということを。ただでさえ、残業の毎日であったというのに、
その日の分の書類の整理をし終えてから、一人残り資料とにらめっこしていた
のである。
それゆえに、評価してやりたいと思うし、そのたたき出した数値にも興味があっ
た。
「無くしてしまった小官が悪いですので・・・・・んっ・・?」
もう1度作成しなおそうと覚悟を決め、手を止めようとしたとき、同じ大き
さの書類の束の中に微妙に指先に段差を感じた。
「もしかして・・・!」
逸る気持ちを抑えながら、一枚一枚書類をめくっていく。
何かに気づいたらしいドレウェンツの様子に、ミュラーとオルラウも固唾を
飲んで見守っていた。
一枚捲る度に大きくなる緊張と諦めの空気。昂まってくる鼓動。それらを自
覚しながら指先に思いを込めながら捲っていた。
「・・やっぱりないのか・・・・・」
数十枚確認し残り後僅かという枚数になったとき、ひらりと一回り小さい紙
が書類の中から舞い落ちてきた。
視界の端で舞った書類を見逃すことなく掴み取る。その大きな動作のために、
今まで捲っていた書類の束で床が白く染められても、お構いなしだった。
“がばっ”と身を寄せ、恐る恐る小さい紙に目を通す。
ミュラーたちの方からは、書類の内容は全くわからなかったが、若い副官の
泣き出しそうに垂れてしまった眉がますます垂れてきて、きゅっとかみ締めら
れていた唇がほころんでくるのを見れば、聞かなくてもわかるというものであ
った。
「・・あったあ〜〜〜・・よかったぁ・・・・」
気が抜けたような声で呟くと、緊張の糸が切れたのかへなへなと床に座り込
んでしまった。
「ホントに探したんだぜ・・・どこに挟まってたんだよう・・・」
まるで、我が子を心配するようかの口ぶりに年長者の二人は苦笑押するしかな
かった。
「閣下・・ありました・・見つけましたよお・・・」
喜び満面で書類を高く持ち上げる。
子供が自分の大切なものを得意そうに見せるようなしぐさに、微笑んで頷い
た。
「よかったな。見つかって・・・では、見せてもらおうか。」
柔わかな光を称えていた視線が鋭く厳しいものに変わる。それに気づいたドレ
ウェンツははっと気づき、書類を差し出した。
「はっ。お願いします。」
書類を見つければ終わりでなかったのだ。“艦隊司令官”に見て頂いて修正し
てもらわねばならないのだ。
「卿の努力を見せてもらうぞ。」
厳しい彩を称えたまま視線は書類へと移る。一通り上から下へと数値を眺めて
いき、そのまま微動だにしなくなる。頭の中でシミュレーションが繰り返されてい
るのだろう。
そこには、『穏やかな青年提督』の姿はなかった。若いながらも艦隊司令官と
しての威厳を兼ね備えたドレウェンツの知らない青年が立っていた。
“これが、艦隊司令官の姿なのか・・・・”
畏敬にも近い感情が、若いドレウェンツを包み込む。なんだか、ミュラーに書類
を見てもらうのがひどく恥ずかしく感じられてきた。
手を抜いて作ったわけではもちろんない。「副官」という地位についたからこ
そ、閲覧できるようになった資料は全部目を通した。会戦記録にも目を通し、
実際の場合の数値も参考にした。
その上で細かく数値を刻み、ミュラー艦隊が最も効率よく動けるようにシミュレ
ーションしていき数値を決定していったのである。
士官学校時代にも補給のシミュレーションは何度もやったし、レポートで提出
もした。
そのときは教官に見てもらったのだが、今のような感情は全く沸かなかった。
“これが実践というものなのか・・・・”
無意識のうちに軍服の胸元を握り締める。
“自分がやれることはやったんだ。修正があって当然なんだ。”
知らず知らずのうちに全身に力が入る。緊張も最高潮に昂まってきた頃、ミュ
ラーが書類から眼を離し、ドレウェンツを真正面から見据えた。
「よく出来ている。私の考えていた数値とほぼ一緒だ。」
「はっ、でも小官はまだまだ未熟で経験が不足しておりますゆえ、修正個所が
あると存じますが・・・」
思いがけない言葉に驚愕するが、このまま修正なしでは良い訳がない。
「いや、わが艦隊にはまだ実戦経験がない。あればまた変わってくるだろうが、
現時点ではこれがベストだろう。・・・・・よく頑張ったな・・・・・」
最後の言葉は微笑と共に向けられ、年少の幕僚は胸が熱くなる思いがした。
「はっ、ありがとございます。」
深々と頭を下げる部下に、顔をほころばせる。
「さあ、提出してきなさい。後方の事務の者たちが待ちくたびれていることだ
ろう。」
「はっ。行って参ります。」
元気よく返事をし敬礼すると、執務室を駆け出していった。
その元気のよさに、ミュラーからくすくすと笑いが漏れる。
ころころと表情も変わって、見ていて飽きない。
しばらくの間、笑いつづけていた司令官に参謀長が現実的な意見を述べる。
「閣下、この問題はなんとか解決しましたが、“これ”はどうしましょうか?」
と、足元の凄惨なる戦場を指差す。
「それはやはり、戦争を勃発させる原因を作った本人に責任を取ってもらわね
ばな。」
微かに人の悪い笑みを浮かべながら、さも当たり前のように答える。
「それは確かにそうですね・・・」
参謀長もあまり深く追求はしなかった。どのみちこのままでは仕事は出来ない
ことは、本人もわかりきっていると思っているだろうからである。
ドレウェンツが執務室に戻ってきたときには、既にミュラーはもう1つ奥の
司令官専用の執務室で書類に目を通していた。
自分もいつものとおりに、決済の済んだ書類を預かろうとミュラーの元に赴
いたら、やんわりと遮られた。
「閣下・・・?」
怪訝そうな顔をする副官に、笑みを浮かべる。
「今日は卿には、別の仕事をやってもらう。」
「・・別の仕事・・とは・・?」
ますます不思議そうに首をかしげる部下に、“ついてきなさい”と声を掛ける。
自分の執務室の入り口に立ち、オートドアが開くと同時に見える、先ほどの
戦場を指差した。
「卿には、戦場の後片付けをしてもらおうと思う。」
「えっ・・?・・しかし・・書類の方は・・?」
「卿に変わってオルラウにやってもらう。」
「・・は・・・わかりました・・」
いきなり自分の机の掃除を言い渡され、ミュラーからの信頼をなくしたかと
思うとシュンと落ち込んでしまいそうだった。
自業自得なのはわかっているけれど、沈んでいく気持ちはどうしようもない。
自分に背を向け、とぼとぼと掃除のために歩いていく姿を見ながら、
“本当にわかりやすい奴だな・・”
と失笑してしまいそうになるのをこらえながら、背に声を掛ける。
「もたもたしている時間はないぞ。タイムリミットは今日の就労終了時間15
分前までだ。それまでに、綺麗にしておきなさい。整理の仕方は卿に任せる。
その机もその場所も、“卿”のものだからな。自分がわかりやすいように、使い
勝手の良いようにすれば良い。」
落ち込んでいた表情が、ミュラーの言葉にみるみる明るくなっていくのがはっ
きりわかる。
「15分前には、オルラウの方から今日決算した書類のコピーを全て渡しても
らう。目を通しておきなさい。明日からはまた通常どおり仕事に復帰してもらう
からな。オルラウにも仕事があるから、そうそう卿の代わりをやってもらうわけ
にはいかない。」
「はっ。承知いたしました。」
先ほどまで落ち込んでいた姿はどこへ行ったのか、もはや完全復活した戦争勃
発人は、意気揚揚と掃除を開始した。
その姿を見届け自分の執務室に戻った彼の上官は、ドアが閉まるのを音で確
認すると、防音であることを良いことに、こらえていた笑いがこぼれ始めた。
本当に見ていて飽きないな・・・あれほどまでに表情がころころ変わる人間
は初めてだな・・・と肩を震わせながらしばらくの間、くすくす笑っていた。
“そろそろだな・・・”
終了時間が近づき椅子に座ったまま背伸びをすると、砂色の髪の司令官は執
務室を後にした。
オートドアが“シュン”と音と立てて開き、副官たちがいる執務室へ足を踏み入
れると朝の戦場が夢であったかのように、綺麗に片付けられていた。
当の本人は、ちょうどオルラウから書類のコピーを受け取りながら、説明を
聞いているところであったが、ドアの音の気づきミュラーの方に向き直ると敬
礼をする。
「綺麗になったな。」
「はっ。頑張って整理いたしました。」
誉められたことが嬉しいのか、あまりにも雑然としていたことが恥ずかしかっ
たのか、少し顔を紅らめて頭を垂れた。
「どういう風に整理をしたんだ?」
「・・はい・・いろいろと考えたのですが、結局アルファベットごと分けるこ
とに致しました。」
「というと?」
“・・もしや・・”という気持ちが脳裏を掠めるが、続きを聞いてみることにした。
「はい。“A”の頭文字の書類はこのファイルへ。“B”の頭文字の書類はこち
らのファイルへという具合にです。ディスクも同様に致しました。」
“・・やはり・・”予想は全く外れていなかった。単純明快な整理の仕方がい
かにも彼らしい。まだ、『副官』という地位にも書類の整理の仕方にも慣れて
いない彼にはこれが一番の方法かもしれない。
あまりに“彼らしい”整理方法に知らず知らずのうちに笑みが浮かんでくる。
「もう大丈夫だな?」
「Ya,どの書類がどのファイルにしまってあるか、把握しております。」
判り易くなって得意満面に答える部下に、“よし”と頷くと
「明日からまた頼むぞ。」
と声を掛け元帥府を後にした。
それから出立までの間、さらに多くの書類の山に格闘する毎日であったが、
戦争が勃発するようなことはなく、無事船の人となったのである・・・・・・・・・・
・・が・・・・
「ない!ない!・・どこにしまったんだよう・・・」
内戦も終了し少しの合間の平和が訪れたはずの彼が、再び戦争状態に陥ろうと
していた。
あれほど綺麗にした机はどこへやら、再び資料とファイルとディスクの山に埋
もれていた。
「・・今度は何の書類がないというんだね?」
やれやれ・・という感じでオルラウが問い掛ける。
「はっ・・人事関係の書類でして・・今日中に閣下にサインを頂いて軍務省に
提出しなければならないんです・・・」
“何故、またそんな重要な書類を・・・”
思わず口にでかかったのを飲み込み、極めて優しく話し掛ける。
「アルファベットごとに書類はしまってあるのではないのか?」
そう思っていたからこそ、机の上がファイルや資料だらけになっても、敢えて
ほっておいたのだ。しかし、今回はそれが裏目に出たようである。
「はっ・・あの・・あまり同じ文字に書類が集中したため、自分でわかるよう
に名前をつけて、ファイルにしまったつもりですが・・・その名前を忘れてしまって
・・どこにしまったのやら・・わからなくなってしまいまして・・・その上、他の書類も
どんどん増えてきてしまって、整理が追いつかなくなってしまいまして・・・・」
半泣きに答える息子ほどの年齢の副官の姿に、額に手を当て天井を仰ぎ見るこ
としか出来なかった。
同盟のものならばこう呟いたことだろう・・・
「・・Oh,My、God!・・」と
広大な銀河の小さな片隅で、ドレウェンツの戦争が始まる・・・・
das Ende