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きょうは一週間ぶりのデートの日。私が待ち合わせの喫茶店の前にきたときに、比呂が向こうから歩いてきた。比呂ったら、もう私に気づいていたらしく、顔中で笑ったまま私のほうに歩いて来た。私もつられて微笑んでしまう。うう、羞ずかしい。でもうれしい。とてもアンビバレントな気分になる。自分で思うほど他人は見ていないものだけど、この状態は私の美意識に合わない。とても貴重な時間を無駄にしてくれた課長の愚痴を思い出して、顔を引き締める。 「フー姉さま、何か怒ってる?」引き締めた顔を見て、比呂がいらない心配をする。 「いいえ。ちょっとした美意識の問題なの。まったく気にしないで。」変な言い回しで、比呂はよけいにあらぬ心配を抱え込んだらしい。これだからA型って奴は。下を向いて、何か自分のやったことで、まずそうなこと一覧の棚卸しをしているらしい比呂の頬を両手で包み、私のほうを向かせた。 「会いたかった。」有無を言わせず唇を押し付ける。比呂が一瞬身を引こうとするのを感じたが、相手が信頼できる時は、引く相手に無理やりするくらいの方が楽しい。でも、あまり長くはできない。私だって恥ずかしいから。比呂を突き放して伸びをする。一週間ぶりか...道端で人目もはばからずキスするってのは、私の美学に反してるんだけど、比呂の顔を見たら、我慢できなかったんからしょうがない。我慢は身体によくないんだから、恥ずかしくてもした方がいい。 「さて。どうしようか。」比呂を振り返ると、比呂は植え込みにもたれてぐったりしている。軟弱者、と思ったら、どうやら身体の一部が軟弱じゃなくなったために起き上がれないらしい。まあ、武士の情けで気づかないふりをしてあげよう。でも、せっかくの時間がもったいないな。 「ねえ、比呂。きょうはあまり一緒にいられないの。」 「ええっ!」比呂は起き直って迫ってくる。まあ、そんなに迫っちゃ...すてき。 「どういうことですか?」私は比呂の鼻をぺろリと舐める。混乱して身を引く比呂。 「どうする?これから。」 「で、でも、いま、今日はあまり一緒にいられないって。」 「ああ、うそ。」 「うそ?嘘にはついていいうそと、悪いうそがあって...」 「今のはいい嘘よ。」 「なんでっ!」なかなか勢いのある、いい突っ込みだわ。 「だって比呂がいつまでも植え込みと仲良しにしてるから、ショックを与えようと思って。」 「ショック?ショックには与えていいショックと、与えてはいけないショックがあって...」 「今のはいいショックよ。」 「なんでっ!」 「だって今、手をつないでいるじゃない。」私はいつの間にか比呂の手をとっていた。 「で、どうする。」私は比呂の眼を覗き込んで言った。比呂は疲れきったように手を振った。 「さよなら?」 「違うわいっ!...とりあえず、ここに入ろうって、受け取って欲しい...」比呂の顔からはさっきまでの幸せそうな雰囲気はまったくなくなっていた。まあ、これくらいの方が恥ずかしくないかな。 と、言うことで、今この落ち着いた、いい雰囲気の喫茶店には、落ち着いた、いい雰囲気のカップルが、いい感じで向かい合っている。もちろん、私たちのことである。 「で、これから?」 「フー姉さま、さっきからそればっかり。」 「だあってえ。これからどれくらいのスピードで、親密度を上げていけばいいのか、わかんないんだもん。」 「どれくらいのスピードでって...どういうこと?」 「だって、さっき出会い頭にキスしたら、いきなり戦闘モードに入ってるんだもん。それはそれでもいいけど、戦闘に入るまでの時間をどうするの?いきなりどこかでお休みする?」 「おおおおやすみっっっ」 「恥ずかしいわね。大きな声で騒がないでよ。まだ、そういう時間じゃないと思うのよ。だからどこかでインターバルをとって、少しずつ盛り上がっていくようにしないと、つまんないでしょ。」 「いや、個人的には、あっという間に盛り上がっても、まったく問題はないというか、盛り上がることにやぶさかではないのですが...」 「そういうこと言ってると、振るわよ。女の子はね、盛り上がるまでの段取りを楽しみたいものなの。いくら私が即OKの中でも、そこらへんは踏まえて付き合って欲しいのよね。」 「あの、さっきから言葉のはしばしに過激なことばがちりばめられていて、どうにも戦闘モードに入りがちな感じになってしまうのですが...」 「前戯だと思いなさい。とにかく、当面は抑えること。」 「また、なんか過激なんだけど...了解しました。きょうは映画を観るつもりだったんだけど。」比呂はようやく自分のリズムを取り戻したみたい。このほうが大人っぽくていいわ。 「どんな?」 「フー姉さまが観たいって言ってた、たぶん恋愛物の映画。」 「ああ、あれ。批評が面白かったんで観たいと思ったのよね。ええ、いいわ。行ってみましょう。」批評では、時代を越えて燃え上がる不滅の恋とか言っていたんだけど、SFっぽい話みたいで、ちょっと惹かれたのよね。そういうメロドラマを比呂と見るのも、面白いかも。 「すぐ行きます?」 「もうちょっと、ここにいましょう。映画館に入ると、隣どうしでしょ。もうしばらく比呂の顔を見ていたいから。」比呂は照れている。何で照れるのかしら。わたしの顔は見ていたくないのかしら。後でいじめてあげよう。照れている比呂を見て楽しみながら、私はこれからの時間、比呂と一緒にいられる時間、永遠に続くように思われる、至福のひとときのことを考える。たぶん、明日までだけど、今、この瞬間には永遠に続くように思われる時間。たぶん私は、今この地球上でいちばん幸せな人間だ。 |
2003.03.28 |
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