books on the table - 2003 |
黄泉がえり/梶尾真治;2003.10.10
さらりと読めた。良質のジュブナイル小説を読んだようで、後味が良かった。ただ、わたしの好みでいえば、もっと、ドロドロしたものが出てくるほうが好きなので、物足りない気がした。構成がいびつになっても、もっと追いつめられる人を書いてほしかった。
思う人と思われる人の気持ちのズレを、もっと突っ込んでは良かったのではないか。思う人の気持ちがあったから、死者が黄泉がえった、という設定で、戻ってきてくれて喜ぶ人々が中心にかかれている。だから、黄泉がえっても、やっぱり自分勝手なおじいちゃんに、おばあちゃんがキレてしまうシーンとか、不完全にくっついたまま、黄泉がえった双子の子供たちのエピソードとかが印象に残る。ラストは、わたしはもっと切ないラストを勝手に頭の中で、作っていたため、サラッと流された感じがした。(ふ)
天女/唯川 恵;2003.10.10(病む月/集英社文庫;所収)
ドジョウ、冷ややっこ、ドジョウ、冷ややっこ・・・くり返される、日常。普通の主婦として、あたり前のように「奥さん」と呼ばれる日々。昔の男に会った日から、女にとって、普通の生活の中にいる自分は、耐えられないものになってくる・・・
なんで、タイトルが「天女」なんだろうと、ずっと考えていました。これは、逆天女なんですね。最後は、自分のいるべきところに、羽衣を着て、帰っていく。
この作者は、表題といい、タイトルの付け方が秀逸ですね。(ふ)
夏の少女/唯川 恵;2003.10.10(病む月/集英社文庫;所収)
このおはなしだけ、この「病む月」の中では異質な感じです。主人公が、あまりに静かにすべてを受け入れているから?故郷に帰ることで救われる気持ちや、夫のことを許して受け入れる気持ちには、正直、納得できないとこもあります。
救いを救いと受け止めるかどうかで、この作品への評価が別れるような気がします。読後感は悪くないです。なにか、ジョナサン・キャロルの作品を読んだ後のような、せつない気分になりました。どちらも、自分の内面に深く潜り込んでいくような、感じをうけるからだと思います。(ふ)
夏の少女/唯川 恵;2003.09.04 (病む月/集英社文庫;所収)
あたたかい故郷。待ってくれている両親と、もうひとり。これ以上は言えません。
・・・でも、言おう。壊れかけた夫との関係を、つなぎとめたのは皮肉にも不幸な出来事。それでも、夫の気持ちを信じられる妻の、ぎりぎりの決意。それを支えようとする、肉親たち。これを読んで想像するのと違って、静かに、静かに物語は進みます。聞こえてくるのは、梟の声と、ないはずの声だけ。全てを受け入れて、妻は歩きはじめます。そんな、お話です。(す)
このお話しは、きのこさんにお勧めいただきました。
きのこさんは、このお話が、いちばんふー姉さまの気に入るだろうと言われた由、お聞きしました。読み終わって、きのこさんがふー姉さまを、とても優しい目で見て下さっていることがわかりました。本筋とは関係ないけど、とてもうれしいです。
偶然ですが、能登の夏の生牡蛎も、今年、食べてきました。牡蛎とは思えないような肉厚で、濃厚な味でした。普通だと、2ー3個食べても物足りないのに、一個で充分堪能でき、ふー姉さまも、ぜひまた、食べにこようと言っていました。うちは宿屋で食べたのですが、海水浴場の浜茶屋でも食べられるほど、ポピュラーなようです。試みられて損のないものです。機会がありましたら、ぜひどうぞ。うちが食べたのは、柴垣海岸というところです。
玻璃の雨降る/唯川 恵;2003.09.04 (病む月/集英社文庫;所収)
途中でネタは割れたが、泣けてしまった。これは、リミッター外しのお話ですね。女は、あくまで自分が買われたものとして扱われようとして、魅かれる気持ちを自分からも隠し、男は自分の気持ちを抑えてしまう。双方が、自分のため、相手のためと信じてリミッターを設定し、取り返しがつかなくなってから、初めて相手の本当の心に気付き、リミッターが解除されてしまう。リミッターを解除された女は、もう感情を抑えることが出来ない。自分自身にリミッターを設定していなければ、そこに在ったはずの信頼と理解は、もうけして手の届かないところに行ってしまった。やわらかに包み込んでくれる雨も、もう女にとっては癒しにならず、鋭いガラス片のように女を刺し貫く。ガラス片に貫かれ続けて、女はずたずたになって、地面に崩れ落ちるだろう。静かで、壮絶な、喪失の物語である。(す)
このお話しは、きのこさんにお勧めいただきました。
愛される女/唯川 恵;2003.09.04 (病む月/集英社文庫;所収)
親子でありながら、どうしても理解しあえない二人。共通の思考基盤すらなく、最後まで理解しあえない。さらに、残されたものには・・・というお話だが、実は同テーマで、もっとわかりやすいお話を読んでしまっている。三原順の「夢の中、悪夢の中」だ。漫画だが、見事にこの世界を描き切っている。ぜひ一度、目を通して欲しい。(す)
このお話しは、きのこさんにお勧めいただきました。
女装する者/エリカ・クラウス;2003.09.05(いつかわたしに会いに来て/ハヤカワepi文庫;所収)
人間が、自分が本当に欲しているものを得るのがどんなに難しいか。どんなに自分を理解してくれている者の言葉でも、他人の言葉は一番深いところには届かない。自分の欲しているものは、あくまで、自分で見つけなければならないのだ。それを、なんとも鮮やかに、こちらに示してくれる。
常識の、世間の、友人の、家族の、歪みと、偏見と、偽りと、虚栄と、あらゆる殻に包まれて私たちは生きている。女装、男装というのはその殻のひとつであり、女性がしても、女装は女装なのだ。その女装を女装と感じたときに、初めてその殻は破ることが出来る。そのように感じるまでは、殻は殻として、意識さえされてはいない。出発点にさえたっていないのだ。殻を意識できたときに、初めて人は、自分自身の可能性のひとつを、自らの手の中に納めることができるのだ。
この物語は、それを実に分かりやすく、きちんと盛り付けて、こちらに提供してくれる。こちらは工夫を凝らした味付けを楽しんでいくだけで、ごく自然にそれを理解することが出来るのだ。優れた作者の力量が伺える。(す)
このお話しは、きのこさんにお勧めいただきました。
マインド・イーター/水見稜;2003.09.03 (ハヤカワ文庫JA;所収)
84年に出た作品だが、けっこう気に入っていて、何回も読み返している。
6つの話が集まって、一冊になっているが、実は辻褄が合っていない部分もある。それでも、何か表現しようという気持ちが伝わってくるのがうれしくて、くりかえし読んでいる。ME(マインド・イーター;宇宙空間にある、彗星、小惑星のようなもので、自律的に移動する。人間の精神を損なう作用があるらしい。)の意味付けを、無理に出さなければ、もっと面白くなったのにと思う。
こちらの琴線に触れるイメージが溢れている。「野生の夢」の、(おそらく、生物としての誇りを持って、)あくまで代謝を続けよう(生きよう)とする、かつて人間だった核酸の結晶。「憎悪の谷」の、「なぜおれなのか---おまえじゃなく、おれなのか」と叫びながら、憎しみを持って死んでいったらしい現生人類の祖先。「リトル・ジニー」の、死にきった海の映像を見ている自閉症児の「オサカナ、いるよ」「でも・・・・・・ママが開けちゃだめって言ったの」という言葉で、自閉症児の、心の扉の中から現れるME。創作意欲が衰えたときに、ふと読みたくなるお話である。(す)
玻璃の雨降る/唯川 恵;2003.09.02 (病む月/集英社文庫;所収)
心に残ったシーン。男のために、手料理を用意して、食卓を整え、待つ女。でも女は男がくる前に作った料理を捨て、替わりにデリバリーの料理を並べる。がっかりする男をみて、女は安心する。男との関係を、お金だけのものとして、自分の中に位置付けて自分を保とうとする女。この女の気持ちが、このエピソードで良くわかった気がした。ラストで降る雨が、鋭く、せつなく、女にとっては救われる雨なのではないかと思った。(ふ)
このお話しは、きのこさんにお勧めいただきました。
puzzle(パズル)/恩田 陸;2003.09.01
パズルは期待外れだった。せめて、もうひとひねりを期待して、読み続けたのに・・・最後の章はなんのためにあるのだろう。解答篇というには、お粗末だ。トリックらしいトリックもないから、あとはキャラクターで引っぱるしかないのに、登場人物を描こうとしていない。舞台の島の廃虚にも魅力を感じられない。(ふ)
puzzle(パズル)/恩田陸;2003.08.31
最近、恩田陸を続けて買っている。「6番目の小夜子」からなのだが、話が妙に気もちいいのだ。この気持ち良さが気持ち悪くて、少し追っていたのだが、この作品で、気持ち良さの原因がつかめたようだ。徹底した仲間意識、排他性さえ感じさせる仲間意識が、それらしい。この作品については、できの悪いホームズと、学生時代の友人と、久しぶりに会ったときに感じる連帯意識の合体で、わたしは評価できない。(す)
|
menu |