放出エネルギー250倍

 

   東北地方太平洋沖地震

K-NET,KiK-netが捉えた最大加速度(地表)

 2011年3月11日午後2時46分、東北三陸沖70qを震央とする超巨大連動型地震が発生し、東日本を襲いました。

 「東北地方太平洋沖地震」と名付けられた海溝型地震は岩手県沖から茨城県沖に達する幅200q、長さ450qの震源域を持ち、断層破壊は3分間続き日本の観測史上最大となるマグニチュード9.0の地震エネルギーと超巨大津波を発生し、東日本各地と太平洋沿岸部に大きな被害をもたらしました。

 沿岸部での本震の揺れは、5分間以上続き、長周期地震動は東京だけでなく名古屋、大阪の高層建築も大きく揺らし10分間におよびました。また余震活動は活発で、震度6強 2回、同6弱 2回、同5強 12回、同5弱 37回、同4 199回(2012年9月4日現在)と超巨大連動型地震の全体像はこれまでの想定をはるかに超えるものでした。

 震源域は、大きな断層破壊が、1.宮城県沖、2.宮城県のさらに沖合、3.茨城県北部沖の陸に近い部分の順に3分間かけて起きたことにより10万平方Kmに達したことが観測記録により明らかにされました。放出された本震の地震エネルギーは、阪神・淡路大震災の350倍となりました。

2012年3月11日14時46分18秒に発災した東北地方太平洋沖地震の本震の最も強い揺れは、宮城県、福島県を中心に観測されました。

 宮城県沖を始めとする東北地方太平洋沖は、地震観測開始以来の100年間に、1896年の明治三陸沖地震をはじめ多くの地震を記録してきました。

 観測活動の中で、特定のエリアが地震動を繰り返し、いくつかの強震動域別の観測データーから次回発生をどのエリアでどのような規模の地震が発生するかを予測していました。

 陸側プレートの先端部、海溝縁での地震動観測が無いため、そのエリアはプレートのストレスが無いために断層破壊は無いと考えられていました。

 東北地方太平洋沖地震の詳細な記録の解析により、先端部が大きく動いたことが明らかになりました。

東北地方太平洋沖地震本震震度
   

超巨大津波社会を根底

 

 震災による被害は、人的被害・死者15,873名、行方不明2,744名、負傷者6,114名(2012年9月警察庁調べ)におよび住居被害は、全壊12万9千戸、半壊26万5千戸を超え、道路、橋梁、鉄道軌道、堤防の土木建造物の損壊も各所であり、住民生活を支える物流、通信、上下水道、ガス、電気等のライフラインは設備拠点と共に、広範な範囲でサービス網が寸断破壊されました。

 各地を襲った巨大津波による被害は、港湾施設・設備、市街地、田畑を根こそぎ押し流し、地域社会を根底から破壊するものとなりました。地盤沈下、液状化現象による市街と住宅の被害も記録的なものになり、田畑だけでも東北関東6県で冠水・流出した面積は2万4千haとなりました。

 防災拠点の自治体庁舎等も被災

 長く続いた地震動と津波は、防災拠点となるべき福島県庁舎、釜石市、陸前高田市、郡山市、水戸市、高萩市、須賀川市、大槌町、南三陸町、女川町、亘理町などの県庁、市役所、町役場の庁舎を全壊判定させる被害を与え、警察施設、消防施設、自衛隊基地、海上保安庁保安署、国土交通省各地港湾・道路事務所の一部も被災しました。

  防災担う人員と組織の被害

 超巨大地震と引き続く巨大津波襲来に備え、いち早く地域の中で救護・安否確認・避難誘導にあたった消防団員(196名)、消防職員(27名)、警察官(30名)が住民と共に津波被害に遭いました。南三陸町、大槌町では、防災庁舎や防災対策本部に詰めていた町職員が津波に襲われました。

津波の破壊力を示したコンクリート造り建物の転倒 ことごとく木造家屋が流された街でこの様な事例をいくつも見ることが出来ました

津波の破壊力で転倒したコンクリート建物

宮城県女川町

 

白

ヘリ300機飛ぶ

 

 空前の救助活動

 阪神・淡路大震災の教訓を受け、巨大地震を想定してきた国、都道府県の防災体制は整備と準備が格段に進んでおり、発災直後から初動の救助活動は迅速に行われ、消防、警察、海上保安庁、自衛隊は広範囲に広がる被災地で救助活動を展開し、初動での救出者は2万7,000人にのぼりました。ドクターヘリによる緊急患者搬送ともあわせ、ヘリコプターの初動救助活動での奮闘は、交通網が各地で寸断されている中では大きな力となりました。自衛隊機の200機をはじめ被災地上空を飛んだヘリコプターは、300機を超えました。

 省庁統計による災害動員は、自衛隊 174日間 延べ1,058万人、消防庁 88日間 10万9,900人、海上保安庁巡視船艇 1万5,200隻 航空機4,700機 特殊救難隊2,500人(平成24年5月21日現在)警察庁 100万人(平成24年8月29日現在)ドクターヘリ18機(別に4機がバックアップ)医師 2,720チーム12,385人、保健師 230チーム11,267人

 防災組織拠点庁舎等も被災

 全壊判定を受けた市役所、町役場の庁舎をはじめ、警察施設、消防施設、自衛隊基地、海上保安庁保安署、国土交通省東北整備局各地港湾・道路事務所の一部も被災しました。

 自らが被災しながらも、これらの施設職員は、緊急出動と救助活動、機能復旧活動、地域住民の保護活動にあたり、各地からの救援受け入れを担いました。

 名も無き多数の公務員が大打撃を受けた被災地で未曾有の被害を受けた住民のために献身的な活動を行いました。

 

福島原発事故 汚染水24万トン

 

 複数炉同時メルトダウンの最悪事故  

 

 東京電力福島第一原子力発電所の稼働中の1号機、2号機、3号機は、発災直後に制御棒挿入による緊急停止を行うことが出来たものの、巨大津波により原子炉以外の重要設備と非常用電源線を失い、全電源喪失となりました。コントロールを失った原子炉と使用済み燃料プールからの水素ガスが爆発し、原子炉建屋を破壊して大気中に大量の核汚染物質が飛散、広大な地域を放射能が汚染しました。複数の原子炉が同時にメルトダウンするという史上初めての原子力事故災害が発生し、福島県における地震津波災害からの復興をより困難にする事態となりました。

 大気汚染の拡がりは、風、雨、雪などの気象条件に大きく左右され、半減期の短い揮発性の高い汚染物質が無防備であった多くの避難住民の周辺環境に降り注ぎました。最初の建屋爆発から1週間で、雨と共に降下した核汚染物質が河川に集まり、表流水を浄化処理する東京都、埼玉県、千葉県の浄水場などが取水制限となり、水道が使えないという影響を与えました。

 多くの人々が汚染地域を離れ、福島県全体では16万人(2012年12月現在)の人たちが避難する事態が続いています。

 一部地域では、汚染された土壌の除去や屋根の洗浄などの環境放射能量を減らす作業が行われていますが、山野を含めた放射能汚染を除去することは大変困難な作業となっています。

 

 福島第一原発、事故処理も本格化せず

 

 原子力事故そのものの問題解決の道は遠く、使用済み燃料プール内に貯蔵されていた大量の燃料棒の安全な取り出しやメルトダウンしどのような形状であるかも分からないウラン燃料体の取り出し処分、原子炉本体の解体といった大変な危険を伴う未知の困難な作業は、まったく手が着いていません。

 緊急には、建屋の深刻な打撃を受けた4号機使用済み燃料プールの安全作業の前提となる燃料プール本体の保全処置と万一の事態に対する準備措置を二重三重に講じておく慎重さが問われています。

 汚染水は、敷地内に造られたタンクに24万t(2012年10月末)溜まり、毎日400t増え続けています。これらを処理し、汚染水を増やさない対策も出来ていないのが現状です。

 

 

  
   
 
第11回調査までの歩み
南海トラフ地震の姿

第11回耐震調査都道府県結果

10年で急速整備された日本の地震観測システム

吹田市の耐震化の遅れの原因は

 

 

深刻だった福島第一原発事故 燃料体500トン

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