酔水童話 キムナジー酒場

  大通りに面した古びたビルの三階に有るその酒場は、道を行き交う人や車の流れから取り残されたようにひっそりと、しかも南国の空気のように何時も気が付くとそこに有るような確かな存在として、街に溶け込んでいた。旅人はビルの片隅に有る汚れの染み付いた階段を、二階にある定食屋の埃で煤けたウインドウを眺めながら、ゆっくりとのぼって行った。階段をのぼり切り踊り場に立つと、開け放たれた店のドア越しに中の様子を伺うことができた。

 バーの様なカウンターが有り、畳の座敷が通路を通して反対側に広がっている空間は、すべての物が大ぶりに作られているようだった。人気のない店に入り込むと、生暖かく澱んだ空気が包み込み、うっすらと桃色の霧に覆われた店内には、真っ赤に塗られた小太りの河童の木造が店に入ってくる客を睨み付けていた。睨み返すと大きく見開かれた瞳が、笑っているようにも見える不思議な表情で見つめてくる。彼の名前はキジムナー。何処と無く愛嬌があり、悪戯を見つかった子供がはにかむ様な愛くるしさで、囁いて来そうな人懐っこい雰囲気すら感じさせてくれた。

 店の通路に立ち尽くしていた僕は、キジムナーに導かれるようにカウンターの高椅子に腰掛けた。大きめでゆったりとした作りの椅子は、妖しい色をした靄に当てられた気持ちを落ち着かせてくれるのに、充分柔らかな感触で腰の辺を包んでくれた。我に返りカウンターの端に眼を向けると、背中を丸め一心不乱に花札に没頭するおばぁたちの姿が眼に飛び込んできた。客である僕の存在など、霞の中に溶け込んだ空気のように気付か無いおばぁたちが、テーブルに並べられた札を眺めている。開け放たれた窓から、まだ明るい夕暮れの気怠く生暖かい空気を含んだ風が、流れ込んでくる。何回目かの風を感じたとき、カウンターの中に居たおばぁがジョッキに注がれた生ビールをテーブルの上に置いてくれた。何時動いたのだろう。そう言えば、一人のおばぁが回りの様子など頓着なく「クロ。クロこっち来い。」と飼い猫を呼んだ時、カウンターの前を何かが通り過ぎたような気がした。不思議な気持ちになったが、暑さで乾き切った喉を潤すため、目の前に置かれたジョッキをいっきに傾けた。

 乾き切った体に潤いと酔いがまわり、何気なく見上げた瞳に、真っ赤な色をした子供達が森の中を飛び回っている絵が飛び込んできた。その絵は見れば見るほど眺める者を引きつける何かを持っているようだった。描かれている子供の一人一人は、その表情に僅かな違いがあり、大きく開かれた瞳から流れ出る命の迸りが、今にも飛び出してきそうな立体感を持って迫ってくる。僅かに歪んだ空間の中に吸い込まれていくような眩暈を感じた時、一匹の黒猫が足元を通り過ぎていった。

 生暖かい空気が、その後を追うように流れていった。軽い調子の島唄が店の奥の暗がりから聞こえてくる。その歌声は大きくなり、歌っている人の数も増えていった。僅かに聞こえていた声がはっきりと聞き取れるほど大きくなり、歌っている人の姿も闇の中に浮き上がって見える。暗がりの中で朱く綺羅めきを増していく姿は、幾重にも歪み、ぼやけた姿がはっきりとした時、座敷は真っ赤な色をした子供達で一杯になっていた。三線の音色に合わせて踊る子供達。その姿は神々しいほど澄んだ空気に支配され、僅かに甘みを感じさせる生暖かい空間と一体化していった。

 桃色の空間を縫うように掌を動かし、しなやかな流れと共に滑るように動く体に合わせ、三線や太鼓の音色が追いかけていく。酔いのまわったキジムナーたちは次々に踊りに加わり、所かまわず思い思いに舞を舞っている。その数が増えるに連れて桃色が濃くなっていった。そして、桃色は限りなく朱に近付いていった。毒々しい色に支配された空間を妙に清々しさを感じながら眺める。島唄のお茶目な音色と心の奥底に語り掛けてくるような調に合わせ、揺り動かされた体が自然に動き、掛け声と共に阿波踊りのような妙な動きの踊りを踊っていた。何時終わるとも知れない踊りと唄に疲れて腰掛ける。垢抜けない民謡のようだが、調の中に吸い込まれると歯切れの良い清々しさが、心地いい世界に誘ってくれる。変化に富んだ音色が不思議世界を心の中に形作っていった。

 桃色空間を浮遊しながら空になったジョッキを薄暗い空間にかざしてみると、ジョッキを通して泡盛のボトルや花札に興じていたおばぁたちのお喋りをしている姿が歪んで見えた。おばぁたちの姿がキジムナーの姿と重なり合ったとき、隣にいたおばぁが下の市場で買ってきた肉の燻製を差し入れてくれた。差し入れの燻製を齧り、泡盛を注文する。何時の間にか賑やかだった空間が、ひっそりとした時を取り戻していた。そして、キジムナーたちも闇に覆われた入口から絵の中に戻っていった。
 キジムナーとは、沖縄に住んでいる悪戯好きの妖怪で本島北部ではブナガヤとも呼ばれているらしい。
 この酒場にはキジムナーと島唄が持つ不思議な調と、その中に内在する優しさが同居した不思議空間が存在していた。
 ひとりのおばぁが、親しげに僕に話し掛けてきた。
 「もう少ししたら喜納さんが飲みにくるから待ってなさい。喜納さんの唄は何時聞いても良いから。あたしは特に花が好きだ。」
喜納昌吉は那覇でライブがある時は必ずここで飲むらしい。喜納さんのファンのおばぁが、自分に語り掛けるように口ずさんだ唄を聞きながら泡盛をふくむ。

 「河は流れてどこまで行くの
  人も流れてどこまで行くの
  そんな流れがつく頃には
  花として 花として 咲かせて  あげたい
  泣きなさい  笑いなさい
  いつの日か  いつの日か
  花を咲かそうよ 」

 泡盛の透明な輝きが口いっぱいに広がり、花を口ずさむおばぁの唄声が心の中に染み込んでいった。
 沖縄の空間は何処迄も過酷な真昼の熱さが、夕暮れと共に甘酸っぱい空気に覆われ、キジムナーたちの飛び交う陽気な世界に変わっていった。


【酔水新聞1999年1月号へ】 【酔水新聞トップページへ】

ご意見ご感想はこちらまで