うつけ初体験紀行  榎 玲子

 5月1日はれ

初めての子連れキャンプ、初めてのうつけということで、長時間ドライブ対策、寒さ対策、うつけ対策など練っているうちにあれやこれやと荷物が増え、ステーションワゴンは運転席を除くすべての空きスペースが埋まってしまった。「ルームミラーで後ろが見えないと私は運転できないよ」と荷物をせっせと積んでいる榎くん(ダンナをそう呼んでいる)に言ってはみたが、運転したくない私はそれを期待していた。

今回のキャンプでは私たちが1番乗り。うつけの利用方法が記載してある酔水新聞4月号を片手にトイレを確認しブレーカーをonにして冷蔵庫を冷やし・・・と簡単な作業そうだが勝手がわからず四苦八苦。テントもほぼ張りおえて、あとは水の確保。おとなりさんの「のんぼけ山荘」へ行った。
 住人はいないようだった。秀斗、海星と一緒に水道管の栓を探して外にある水道の蛇口をひねってみたが、水の出る気配がない。榎くんも確認して途方にくれた。まさか、水が出ないなんて・・・。やばい、とってもやばい。私の頭の中は「豆屋だ、伊藤さんだ」でいっぱいだった。
電話での指示どうりに近くの川へ行ってみることにした。子供たちは探検気分で大張り切り。だが私の心は暗かった。だって川が枯れていたんだもん。夫婦して途方にくれて平野氏に電話。すぐ人に頼ってしまうのはキャンプの自主自立の精神に反するが、そんなことは言ってられない。あると信じていたものがないのはとっても焦る。実は平野氏は豆屋にいて、伊藤氏とのやりとりも聞いているはずで、さぞかし笑っていたに違いない。(私だったら笑っている)
その平野氏によれば、目的の川は枯れているのとはまた違うようだった。ちょっと希望をもってまた探検。確かにもうひとつ川はあった!が、ちょろちょろ!今度はあきらめずに上流へ向かったが、下流でちょろちょろなのに上流へ行ってもだめだという初歩的なことに気付かなかった。それでも流れがちょっとあるところを見つけて、榎くんと秀斗はタンクを抱えて小川までの急でぬかるんだ斜面を降りていった。
なんとか水を汲めたらしいが、ふたりともすねまでドロンコ。あ?あ?それでも汲めただけいいかってなもんでうつけのデッキに戻った。そこへ霞家のワゴンが到着。ことの顛末を聞き「それはそれは!」とねぎらってくれたが、内心「その騒動に巻き込まれなくてホッとした」と少なくとも恵さんは思ったであろう!
霞家は縁ちゃん(ゆかりちゃんよ)の小学校が終わってからの出発だったので、お日さまが山間に沈むまでにテントを張るぞ!とお父さんが頑張っていた。
結局、私を除く榎の面々が水の買い出しに行くことにした。初めからそうすりゃあ良かったんだ!水を買うという概念がなかったせいかな?それとも節約の精神か?
そうこうするうちにあたりが暗くなってきた。水騒動と霞家の夕方の到着で晩御飯の用意を始めるのがすっかり遅くなってしまい、食べ始めたのは8時を過ぎていた。山の中は予想通り寒く、あつあつに作ったスパゲティがあっという間に冷めてしまった。
霞家はうつけ2回目、榎家は初回という情けない状況では「寒くなったらたき火」なんて到底思い付かず、ひたすら寒さに耐え、豆電球とランタンの明かりで夜を過ごしたのでした。大人たちの侘びしさとは対照的に、子供たち5人は楽しそうで嬉しそうでワクワクしているようだった。
子供たちと私がテントで寝付いたころ臼井氏が到着。その後続々と到着したらしいが私は熟睡中。トイレに行きたくなって起きたのは何時だったろうか、デッキに平野氏、小松田くん、内村くんが暖かそうな火を囲んでいた。

 2日はれ

普段から早起きの霞家、榎家の子供達であるが、早い日の出と「ほーほきぇきょ、きぇきょけきょ」の声に促され、さらに早く目覚めた。深夜着の面々はもちろん睡眠中。しゃきしゃきはりきりのキッズのかたわらでボケーっとするその親たち。いつもの生活ならボーっとする暇がないほど朝は慌ただしいはず。このボケーがキャンプならではでいいんだなあ。そのうち1人、2人と顔合わせ。臼井氏と内村くんは早速港のほうへ魚貝類の買い出しに出かけていった。収穫がとっても楽しみ。
「朝食はヘビーでなくっちゃ!」という霞家は昨夜から仕込んでおいたカレーライスを食べていた。聞くところによると朝食にてんぷら、からあげも食べるとのこと。朝からたっぷり食べることより、朝からそれだけ作ることのほうが私には脅威だ。

さて、お腹も満足したころにへんなオヤジがポケットに手を突っ込みながらやってきた。なにやら怒鳴っている。要するに「公的な林道上にテントを張るな!」ということらしい。いったいあのオヤジは誰なんだ!とにかくエラソーな態度。土建屋風。なんだかわからない私達は返答のしようがなくただ「この事態の収集はどうすればいいの?」と途方にくれるばかりであった。「そうだ、平野先生だ!」ここでもまた人に頼る私、テントで熟睡している平野氏を起こした。
「いやがらせだ!」そう言い残して、平野氏はとなりののんぼけ山荘に殴り込みに行った。のんぼけのオヤジだったのか。「おい!」という怒鳴り声が山合に響く。すかさず伊藤氏も同行、福田氏もあとに続いた。しーんと静まりかえるのんぼけ山荘。大丈夫だろうか、やられてはいないだろうが心配だ。デッキにいた小松田くん、買い出しにいった臼井氏がこの殴り込みに加われば鬼に金棒だなどと思いを巡らせ、帰還を待った。結局地主さんまで巻き込んでの話し合いになり、私たちは林道からテントを移動することになった。「もう水なんかもらわねーぞ!」「のんぼけの水道のパイプを切ってやる」「少しでもウルサクしたら怒鳴り込んでやる」などなどいやがらせの案が次々出てきて盛り上がるかたわら、「今度来るときは水タンクをもっと買ってこなくちゃ」と冷静に考えている私でした。

臼井氏が買い出しから帰ってきてなにやらカクテルのようなものを作り始めた。確か、ラム酒&グレープフルーツジュース&豆屋のコーヒーだったと思う。「沖縄ほにゃららなんとか珈琲豆屋スペシャル」ではなかったか?それを飲み始めたころからモンスターに変身していったらしい。臼井モンスターについては先月号に詳細が記載されておりました!あんなに酔っていても子供にやさしいのは、心底子供が好きだからなのだ!と思わずにはいられませんでした。

お昼御飯は福田氏特製のペスカトーレ。臼井氏の買ってきた魚貝類がたっぷりでうまみタップリ。ほんと美味しかった!満腹感に酔いしれて家族連れはお風呂に行った。 その間にまた続々到着。夕御飯時には20人以上そろった。バーベキューサイトに全員集合、目の前の鉄板に巨大お好み焼きが出現した。そして、小麦粉を水で溶いた液を小さい穴を開けたペットボトルに入れてなにやら鉄板に文字を書こうと四苦八苦している伊藤氏。「うすいさん おたんじょうび おめでとう」であった。お好み焼きに荒井酔水会事務局長が特別に用意したというロウソクをたてて、ハッピーバースデーの合唱。プレゼントはキャンプなどでよく使う、ナイフやら栓抜きやらなんだかいろいろくついているヤツ。なんていう名前だっけ?それを受け取った臼井氏は突然のおめでとうに嬉しそうでした。

そしてバーベキューのはじまり。特注カルビは厚味があり、やわらかくてウマイ!2歳から40?歳までの争奪戦だった。そして大釜で炊いた御飯。私の微かな記憶ではその大釜に「おおわだ」と名前があったように思いますが、大和田さん、マイお釜だったのでしょうか?なんで持ってるの? 楽しい会話をもっと聞きたいところだったが、明日のためにも子供を寝かせる必要があり私は退散。あとのことをここに記載できず残念です。きっとさまざまな酔っ払いが出現したのでしょう。空にはたくさんのお星さまがまたたいておりました。

 3日きょうは曇り

今日も朝早く起きたのに、デッキにはたくさんの人がいた。昨夜は夜更かししなかったのかなあ。しかし、キャンプでの早起きは気持がいい。5時に起きても苦にならない。家ではこうはいかないなあ。
榎家4人は福田氏の車に夢中。中がすっかり手作りで改造されており、ガスコンロでお湯を沸かしてコーヒーを飲むなど生活仕様、仕事仕様だ。次男の海星は車内にあったイカソーメンと午後の紅茶を勝手に飲み食いして御満悦であった。

朝のひとときをのんびり過ごしている間に、伊藤氏は昨日自ら取ってきたタケノコでおみそ汁を作っていた。「たけのこを取る伊藤氏」が昨日に限ったことでないのは、先月号を読んだ方なら御存じでしょう。翌日はうつけ者となって収穫されたそうです。そんな伊藤氏特製あついおみそ汁に昨夜の冷えた御飯をまぜて食べる朝食はキャンプならでは!でした。 「帰ります」とデッキに上がってきたのは畔上さん。1人用のテントを持っているあたりただ者ではないなと思っていたが、これから歩いて帰ると言う。リュック一つ背負ってさよならした。なんてタフな人なんだろ、人は見かけによらないなあと感心したが、後日聞いた話では、うつけに向かう途中で事故だか故障だかとにかく車が使えなくなり、いまでもいわき市内で修理中と言う。それで徒歩帰宅を余儀無くされたわけか・・・。また意外な一面を見たような気がした。
そして、今日は仕事があるという恵さんとその一家は早々に片づけをはじめ、帰路についたのでした。私達も帰り仕度をのんびりはじめ、薪作りに汗を流している仲間を横目に帰ったのでした。
(子連れでうつけに行こう!と思われている方、コツをお教えします)


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