リレーエッセイ

きっかけ (高田 剛)

 木彫りの世界に入ったきっかけ、源流は幼稚園の先生にお手紙を出した事から始ります。当時、私の通っていた幼稚園で、クラスの先生ではなかったのですが、お世話になった先生が山形県に行かれる事になりました。その時、みんなでその先生にお手紙を書きました。それから、はじめのうちは母親に言われてですが、暑中(残暑)見舞いと年賀状をクラスの先生と山形に行かれた先生に出すようになりました。因みに小学校のときにお世話になった先生方にもずっと手紙を出し続けています。

 話は変わりますが、みなさんは幼稚園児くらいの時、将来の夢―自分は何になりたいか―がありましたか? 覚えていますか?
 卒園の記念にみんなの声をレコードに吹き込むという企画がありました。クラスの先生がひとりひとりに「楽しかった事は何?」みたいな質問をして、それにみんなが答えていくのです。その時、「大きくなったら何になりたい?」という質問がありました。園児は単純だから「野球選手!」とか「パイロット!」というような答えを返していましたが、当時ませていた私は「まだ他に自分に合うものがあるはず」と思い、「…わかんない…」と答えました。しかし、まわりのみんなはちゃんと答えているのに自分だけが答えられなかったのがいやだったので、それがずーっと心に残る様になりました。「将来何になるか」

 さて月日は流れ、私は浦和西高の一年生になりました。そこで、同じクラスに期末テストが終わると後日の答案返却、答え合わせをそっちのけで、プラっと旅に出る奴がいました。自分も真似してみたいと思い、その年の冬休みに郵便局でバイトをし、お金を貯めました。そして北に行く事にしました。春にはもう運航しなくなる青函連絡船に乗るのが目的でした。日程は、高校が共通一次の会場になるため授業が一日半休みになる日があったので、それプラス一日半学校をサボっての、木金土日の四日の旅行。函館から帰る途中、先ほどの山形にいらっしゃる先生のところにおじゃましました。先生に会うのは今回で2回目。先生は山形県の天童市に住んでおられます。そこは将棋で有名な町です。この時、将棋の駒作りを実演している所に案内してもらいました。そこでは職人さんが何も下書きしていない、こげ茶に塗られた五角の駒に小刀で"王将"という文字をさくっさくっと彫っていました。それを見て衝撃が走りました。とんでもなくいい物を見つけてしまったという感動。「これだ! これしかない!!」と思いました。

 さてさて、また月日は流れます。大学に行ってみたいと思ったのですがすぐに合格できず、浪人しました。しかも二年も。一年目は新聞奨学生をやりました。新聞を配りながら、一人暮しをし、予備校に通う、予備校のお金と部屋代は新聞屋が出してくれるというものです。私のいた専売所の所長はなにかと部数、部数という人で、営業(拡張)がとてもたいへんでした。この時期に、自分にはこの様な世界は向いていないと思いました。

 二年目は実家から新宿の予備校に通いました。この時、朝のラッシュあかん! 人ゴミあかん!! タバコ吸う奴らのマナーあかん!!! タバコあかん!!!! とあかんことばかりでした。この二年間で、大学を出てから都会に住んで会社で働くのは自分には合わないことを確信しました。

 学生時代、本当に将棋の駒彫り職人になるのは、少しばかり迷っていました。そんな時、びぃーちゃん(平野恭子さん)がくれた「青春漂流」というホンを読んで、自分は職人になるんだという確固たる気持ちになり、前に進むことが出来ました。そして大学三年生の春休みに再び天童に行きました。先生と会う約束の時間の前に着いて、職人さんのところに話を訊きに行きました。そしたら将棋作りの職人は廃業か副業だと言われました。ショックでしたが、"職人になりたい"という気持ちは変わらずでした。
 そして、そして、四年生の夏休み。チャリンコで広島から埼玉に向かう途中、なぜかふっと悟ったような気分になりました。"木で何か作る職人になる! 何とかする、何とかなる!" 
 その二週間後くらいに、自分でも修行させてくれるところを探していましたが、ダメもとで平野先生に知りませんかと手紙で尋ねたら、なんと、今現在私がいる井波の事を知っているという返事が!
 後は運良く、そして人にも恵まれて、今まだ修行中の自分がいるわけです。



(おまけ) 今年の正月に小学校一、二年の時にお世話になった先生と、三年のときにお世話になった先生、二人に会いました(二人の先生は今の職場は違うのですが、交流があるのです)。その時聴いた話なのですが、一人の先生の父上は大工だったそうです。その父上は、台風が来て家が壊れると、自分の家をおっぽり出して、他人の家を直しに行ったそうです。その時どうやらお金は貰ってなかったみたいで、後日、父上の好きだったたばこが届いたそうです。その先生の父上はもう亡くなられたのですが、亡くなった時、その手を見て先生は「ああ、仕事をしてきたんだな」と思ったと言っておられた。
 いい話でした。これでいいのだろうなあ、と思いました。まだまだ勉強勉強。一生勉強の身ですが。
 

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