★出発編★

  はっ! と気がつくと、時は10月末、僕は函館から大間(青森の先っちょ)へ向かうフェリーに乗っていました(記憶喪失ではありません)。思えば7月30日、たくさんの酔水会の人たちに三河の前で見送られ、出発してから3ヶ月、いろいろなことがありました。どんなことがあったかはまた後で書くことにして、今回はなぜ、僕がこのような旅に出ようと思った理由から、実際に出発するまでを書いてみたいと思います。

 僕は、学生時代から、日本一周をしてさまざまな人、物を見てみたい、という夢をずっと持っていました。しかし貧乏な僕にはそんな金など有るはずも無く、ついに出来ないままになってしまいました。また、大学を卒業して当たり前に就職し、スーツを着て満員電車で通勤し、年をとって、気がついたら定年を迎えていた、という人生に疑問を持ったのです。それを否定する訳ではありませんが、まだほかにも選択肢はあるだろう、と思いました。そこで、いったん社会人を経験し、それでもその考えが変わらなかったら会社を辞めよう、と考えたのです。働くのがイヤな怠け者なのではありません(たぶん)。 派遣会社に就職し、機械設計まがいのことをお気楽にしながらサラリーマンをしていましたが、その思いは消えることなく、強くなる一方でした。そうこうしているうちに3年経ち、資金もある程度貯まりました。 さすがに会社を辞めたときには、「ついにやっちゃった。」という感じでしたが、後悔は微塵もありませんでした。 普通こんなことを人に話すと、少しおかしいんじゃないかと思われそうですが、幸か不幸か、酔水会には変な人(誉め言葉)が多いので、応援してくれる人が多く、とても励みになりました。

 さて、実際に旅立つとなるといろいろ準備をしなくてはなりません。最初は、住処となる車の調達です。安い1ボックスカーがほしかったので、元酔水会会員で中古車屋さんに勤めている戸倉氏に相談すると数日後、1台の車が見つかりました。外装はボコボコ、内装も真っ黒なハッキリいって汚い車でした。しかも色が赤なんです。しかし、マニュアルミッションで、2輪駆動で、ディーゼルエンジンという、その他の条件は最高の車でした。迷った末にその車を購入し、内部の改造に取り掛かりました。これは、酔水会に福田氏という車上生活(?)のプロがいたので意外と簡単でした。(本当はプロカメラマンです、ごめんなさい。) 次は第1目的地である北海道へのフェリーの予約です。この時点で6月いっぱいで退職してから1ヶ月半かかっていました。8月1日には北海道に上陸したかったので、7月31日の新潟発小樽行きを予約しました。ここで第1目的地を北海道にしたのは、ただ単に1番行きたい場所だったからです。

 荷物の積み込みが終わらないまま、気付くと7月30日になっていました。あせって、無理やりに後ろに放り込んで三河に行き、冒頭の出発式をして、いざ新潟へ向かった訳ですが、グズグズしていたおかげで、一般道を通るとフェリーの時間に間に合わないことに気付き、やむなく高速道路を使うことになったのです。この時点で、密かな目標の1つであった「高速道路は使わない。」、は早くも崩れ去ったのです。夜中の関越自動車道を走り抜け、翌朝無事に新潟港からフェリーに乗り込んだ僕は、北海道・小樽へ向け舳先を向けるのでした。
つづく


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