1999年11月3日。酔水会恒例の新スポ連主催の全国年齢別水泳競技会に出場してきた。参加者はこのところ日曜日ほとんど必ず泳ぎにくる栗原、松山から浜松に移ったとたん強化練習を続ける羽目になってしまった元事務局長で今月号の表紙を飾っている金澤、事務局長としてこのごろ特に権力を思うがままにして、言いたい放題の荒井、朝日スポーツクラブに通い日々鍛錬に余念がない星野、いつも控えめ、謙虚な生き方が水泳にも出てくる会長平野、そして8月号の表紙を飾った酔水会未来のマドンナ浦商4年原田麻紀の計6名だった。 大会至上最多のの出場者数と言うことでジャクジー付きヘルスセンター化しつつあった辰巳プールは例年に比べて活気に満ちていたようである。 記録は以下の通りであったが、特筆すべきは平野の100b自由形である。中学、高校、大学と正式エントリーでこの種目に出た記憶がなく、これがもしかしたら公式記録ベストかもしれないのである。なんと40才を前にベストをだしてしまうのであった。さすが会長とみなさん尊敬してね。 荒井事務局長はこそくな年齢積み重ね作戦を地道に続けているが(と言っても勝手に歳とっていくもんね)今回彼女の部門の出場者2名しかなく必然的に表彰台であった。そしてなんともう一人に勝ってしまい優勝だったのである。平野はバタフライ50bで優勝だったから夫婦でアベック優勝なのである。マスコミがうるさいだろうなあ。でも気恥ずかしい。 金澤は一昨年の市民大会のことがあるからかとても記録に対して謙虚で100ブレの記録も静かに喜び、どちらかというと練習量が自信を深めさせているというか、今までのように「棚からぼた餅作戦」から「じっくり練習してから記録だそうね作戦」に移行しつつあると平野は見たのであった。栗原はいつものペースでレースと試合の雰囲気とちょっとの緊張感を楽しみ、まことにくりちゃんらしい大会参加態度であった。星野はいつもの「着実に一歩ずつ」の精神を全うさせ、マイペースを崩さなかった。ただ、本人は事の重大さを理解していなかったが、50b背泳ぎで彼の隣を泳いだのがバルセロナオリンピックベルギー代表バンデワーレ君であった。そんなことあるのがこのような大会のいいところで、私だったら是非ともサインと握手で親交を深め酔水会入会を勧めるはずであったが、でも星野は「僕、本調子じゃありませんから」とマイペースであった。原田麻紀は密かにメダルをねらっていたようであったが、さすが彼女のクラス19才はレベルが高く、その夢は木っ端みじんに吹き飛ぶのであったが、彼女のバイタリティーと明るさは酔水会チームを盛り上げてくれたのであった。 エントリーはしていたのだが、当日何と風邪を引いてあの超人成島はお休みであった。残念であった。 参加者数が少なかったのだけれど、つだちゃんからと栗原奈央子さんからのたくさんのお弁当の差し入れ、星野君が自ら作ってきてくれた卵焼き、荒井事務局長のおにぎり…。おなかいっぱい本当にありがとう。 今回はとてもおいしい大会でした。
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