酔水日記1999年6月

−いい人になろう−

いい人になろうと思った。

 私は感情の起伏が激しく、人から「ごうまん傲慢だ」とか「わがままだ」とか、よく言われる。その言葉にひるんだというわけではなく、ある出来事が、私の職場で徐々に培われた私の感性が、私の考えを、いや心構えを変えるに及んだのである。
 私の職場は定時制高校。そこに集まる子ども達はとても純で、自分の気持ちに正直に私たち教師に向けてくる。
 例えば、珈琲豆屋の田中君などは、学校に来ない時期、私と心が通い合わなかった時期、きぜん毅然と学校と教師を拒否していた。
 ふつう、自分の心を少しねじ曲げ、学校、教師におもねる時もあるのに、彼は毅然としてりん凛として私と学校に対していた。その彼から学んだのは、彼の持っていたこまやかで鋭い感性だった。正確に言うと、私が教わったのは、感性を知らなかった、見つけることのできなかった、私の至らなさだった。

 様々な重石を背負い、定時制高校に学ぶ彼らに私は頭が下がるばかりで、時として感情に先走る私は反省させられ続けた。
 単に学校に行くことができないことを嘆くより、いらだつよりも、その背景の事実を見極める大切さを学び続けた。
 それは、ふつうの生活でも同じことだ。常に怒り続ける私は結局のところ怒る自分にとうすい陶酔していたのではないだろうか。そう薄々感じ始めていたのでもある。
 そんな時に彼女は泣いた。
 田中君と同じく、私のクラスのSさんは、中学時代、学校に行かなかった。何が原因か未だに私は知らない。しかし私たちの学校に来てから昼間の仕事を支えに時に休むこともあるけど、けなげに学校に通い続けていた。
 一時期、珈琲豆屋でアルバイトをしていたこともあった。
 その彼女は今年、私たちの学校の卒業式実行委員長に名乗り出た。正直言って、どんな経緯で彼女がそこに立ったかは定かではなくなっているのだが、彼女は、卒業する4年生のために、一肌脱いだ。

   この卒業式は生徒達の手作りである。
 司会も進行も生徒の手によるもので、送辞にしろ答辞にしろ、ありきたりのあいさつではなく、在校生が、卒業生が、学校への思い、卒業生ヘの思い、在校生への思いを吟味して作り上げる。だから、今年で言えば、送辞は劇形式で、中に和太鼓の演奏、生徒会長あいさつ、実行委員長あいさつ、詩の朗読と8ミリ映写(この詩の朗読は田中君が感動的なうまさでこなした)が入り心のこもったものになったし、答辞においても、芥川龍之介の「さるかに猿蟹合戦」をたたき台に学校への思い、在校生へのメッセージを織り込んだ、劇を作り上げる。  だから、彼らはひとつひとつにこだわりを持ち、教師が当たり前に通り過ぎるところに立ち止まる。

   その一つに卒業証書授与があった。
 卒業証書は担任からもらいたい。彼女らはここにこだわった。ここ数年つづいているこだわりだった。しかし、校長は首を縦には振らない。教頭が代案を持ってきた。クラスの代表者に渡し、後で、担任が一人ずつ渡していく。
 それをSが委員長を務める卒業式実行委員会へ私が、持って帰る。
 「でも・・・」彼女らはやはりはじめから担任の手から受けとることにこだわった。
 「4年生は昨年、ここにこだわった。だから私たちもその思いをつなげたい。それとともに、私たちの一年後、自分たちの卒業式を思いながらを考えて、そうしたい。」彼女たちはそう主張する。
 「校長に4年生(卒業生)に対する思いがあるのかな、それを見極めたい。」そんなSの言葉で校長、教頭と、実行委員会執行部の話し合いはもたれた。そうやはり私が間を取り持って。
 校長はじょうぜつ饒舌だった。「私はこの一年、様々な行事に参加した、そして、たくさんのことを生徒から学ばせてもらった。だから四年生に卒業証書を渡したいという思いがある。」その言葉に執行部の子ども達はうなずいていく。
 しかし、Sは、首を傾げ納得がいかない様子だった。けど、ついに首を縦に振る。「あなた達が納得したのだから」と私は教頭案でまとめる役になった。そうここでも私は人の心を包み込むことができなかった。
 その直後の執行部会だった。彼女の瞳から涙がこぼれ続けたのは。
 私はその理由がわからず、隣に座っているだけだった。

 放課後、彼女を家まで送る車の中、彼女は言葉を選びながら私に言った。
 「私は校長先生が本心であのように言っているとは思えなかった。そんな私は嫌な子なのかな。」
 私はなんてひどい教師なのだろう。この子の心をどれだけ傷つけたのだろう。
 その後悩み続けた。
 教師は子どもの味方のはずである。彼女の涙で私は、彼女らのそばにいるつもりで心は、大人の論理で埋まっていた自分に気付かせてもらった。なんてひどい教師だったのだろう。いっぱしに子どもの味方の教師づらしていたのが恥ずかしかった。

 「いい人になろう」そう決めたのは、こんなことがあり、ちょうど当時はやっていたインフルエンザにかかり床についていて熱にうなされていたときだった。
 どう私の思考がつながったのか自分でも理解できない。ただSの涙が私を変えてくれたのは確かである。そして、「いい人であろうというその思い」をクラスで話した後、生徒会長で、卒業式実行委員会副会長のTさんが言ってくれた「私、今学校に来るの楽しい。」といった言葉が私の思いをより一層固めてくれた。彼女もまた中学時代、学校には行かなかった。
 でも、「いい人」は難しい。「いい人」にはなりたいけど、「物わかりのいい人」にはなりたくない。原則を崩す側には組したくない。
 だから本当の怒りを持ちつつ、「いい人」になろうと思っている。
 そんな私を変えてくれた子ども達、いつでも出会える教師って、本当にいい仕事だと感謝している。

   この酔水会にもたくさんの生徒がいる。元生徒がいる。


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