あづさの世迷言   *ハイライフを夢みて*

 ひとには分相応というものがある。貧乏人が背伸びして孔雀の羽で飾ったところですぐにお里がしれて世間さまに笑われるだけだから、身の丈に合った生活をしなさい、とわたしは親から教わった。貧乏人が細く長く生きていくためのいじましい処世訓であり、重く悲しい真実でもある。だからわたしは、百歩譲って「マイ・フェア・レディ」は許せても「プリティウーマン」のお気楽さは許せない。

 大野晋は東京下町の商家に生まれ、中学高校と進学するうちに級友たちの家庭のあまりのハイソぶりに打ちのめされるが、その無力感を万葉集との出会いに救われて、それがのちに国語学者として大成するきっかけとなったという。強靭な精神の持ち主は負け戦から勝機をつかむ。

 幸か不幸かわたしは失意のどん底に突き落とされるほどの社会的格差に打ちのめされることもなく、天性の忘れっぽさとあきらめのよさも手伝って、貧しいながらものほほんと生きてきた。だがよくよくあたりを見渡してみれば、わたしのすぐそばにもお金持ちのワンダーワールドはあったのだ。

 たとえば酔水会のみなさんもご存知、あの山中湖のヴィラ。富士山ビューの室内プール付き別荘なんて、日本のサラリーマンががんばって働いてもなかなか買えるしろものではないが、我が社の支店長の場合、専業主婦の奥さまがお小遣い稼ぎに株を転がしていたらちょっと儲かったので買っちゃったのだそうだ。いま、おふたりはコロラドの農園で隠居暮らし。収穫物は地元の教会のチャリティーに出しているという。

 あるマネージャーがホームパーティーを開いたときのこと。わたしは「ど庶民」代表として、スターのお宅拝見みたいな野次馬根性まる出しでうきうきわくわく出かけて行った。

 東京のこととて土地家屋は驚くほどの広さではないが、贅を凝らした家具調度は期待にたがわずさすが外資のエグゼクティブ、ヨーロッパとアジアのテイストをほど良く組み合わせた上品なコロニアル風。ハイソの証明、暖炉はやっぱりはずせない。

 部屋の隅にはその日のために臨時の鮨バーが出来ていて、出張の鮨職人が立っている。 ブッフェテーブルの上に山と積まれた取り皿はロイヤルコペンハーゲンの手描きの青い花模様、一枚6000円也。わたしがパン屋の「アンデルセン」のクーポン券をしみしみ集めて15年計画で2枚もらおうと思っているのと同じモノである(目標まであと5年)。でもこんな高価なお皿をこんなにたくさん、誰が洗うんだろ。

 ご不浄を拝借すると、まっしろな揃いのハンドタオルが籐のバスケットに山盛り。客がトイレを使うたびに洗濯物が増えていくしくみ。こんなにたくさんのタオル、誰が洗うんだろ。

 彼にバリ島旅行の相談をしたら、最高級ホテルのプライベートプール付き・プライベートビーチ付きヴィラを勧められて、てんで話にならなかったことがある。そんなお金があったら、わたしなら世界一周するね。彼の辞書に「格安ツアー」の文字はない。

 引退したいま、彼は南の島にコテージとヨットを買って優雅なリゾートライフに浸りつつ、インターネットによる投資でさらなる財テク中とか。庶民には手の届くはずもない夢のハイライフだが、これが某大手有名企業の社長夫人(なぜかこんなひとも我が社の社員だったりする)にかかると「ほっほっほ、日本と違ってあちらは物価がお安いのよ。」ふう〜ん、そういう問題なのか。

 わたしより少ないお給料のはずなのに、わたしには到底手の届かない高級ブランド品で全身をがっちり固めたお嬢さまは毎日が「25ans」。毎朝巻き髪を作るって、たいへんじゃないのかな。毎朝ハンドバッグ取り変えて、忘れ物しないのかな。ど庶民の疑問はかくも素朴だ。寿退社なさったとき、お祝いのお届け先の港区白金の住所には所番地だけでマンションの部屋番号はついていなかった。ハネムーンは海外をぶらぶらと半年くらい遊んで暮らすそうだ。

 こんなお大尽たちに囲まれてカーストの最下層に属するわたしなのに、ぐれたりいじけたり犯罪に手を染めたりすることもなく、地道に働く自分の小市民ぶりがとってもいとおしい。これも両親の教育のおかげ、と感謝している。

 でもいまのうちに彼らのハイソなライフスタイルを学び、来るべき将来に備えることにしよう。どんな将来なんだか。


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