あづさの世迷言   *在北京最新生活事情報告*

   北京へ行くなら9月にかぎる。日本の5月か10月のような晴天が毎日続き、大陸の乾いた風が東京の残暑でへばった身体と心を癒してくれる。今回の旅は、友人が北京郊外に新居を買ったというので遠慮なくお世話になることにした。持つべきものは友。

港北ニュータウン
 北京市街から車で45分。着いたのは6階建てのマンションが立ち並ぶ広大な新興住宅地。柳の並木道と赤レンガの花壇が美しい。敷地内にはショッピングセンターも美容院もジムも室内プールも揃っている。さらに車で10分ほど行けば、温泉の出る保養地もあるという。至れり尽くせり。ここに住むのは中流より上の30〜40代のエグゼクティブ世帯が多いそうだ。それってこのまえテレビで見た横浜の港北ニュータウンのことみたい(「平均」世帯は30代で年収900万円とか)。わたしの友人は2年前にある台湾企業の北京代表のポストにスカウトされたエリート、夫は国営企業の高級技術職。おそらくふたりの収入は北京版港北ニュータウンレベルを楽々クリアしているのだろう。

 彼らの家は4階、約130平米の4DK。平均的日本人から見れば、夫婦ふたり、犬一匹の暮らしには広すぎるほど広い。完璧にコーディネイトされた内装は上品なイタリアンテイストで、う〜んゴージャス、あんたってこんな趣味だったの、と長いつきあいのわが友を改めて見直したほどである。

夫持つなら中国人
 キッチンからいい匂いが漂ってくる。油のはねる音がする。友人の夫が夕食の仕度をしているのだ。彼は、たとえていうなら20年前の日本の新人演歌歌手のようなかっこよさ(ほめている)。そのハンサムな男がネイビーブルーのシルクのパジャマ姿でキッチンに立ち、わたしたちのために料理の腕をふるっている。う〜んゴージャス。出てきた5品(魚料理、肉料理、野菜料理2品、肉団子スープ)はどれもプロ並みのおいしさ。妻と妻の友人のために手料理を取り分け、ビールを注ぎ、会話を盛り上げ、食事が終わるとさりげなく寝室にひきあげて女だけでおしゃべりさせてくれる心配り。中国の男ってすばらしい。あんたって仕事ができるだけじゃなくて、男見る目もあるのねぇ、とまたまたわが友を見直してしまった。

 聞けば中国でも古典的亭主関白型の家庭も多いというが、わたしの友人たちに限っていえば、全員が夫にご飯を作ってもらっている。「だって彼のほうがわたしよりお料理上手だし、わたしは家事が嫌いなんだも〜ん」とはわたしを含め女たちに共通したセリフ。家事嫌いに国境はない。これを「類は友を呼ぶ」という。

 ただメシのお礼にせめて皿洗いでも…とわたしがテーブルを片づけはじめると、「そのままでいいのよ。明日メイドにやらせるから。」まさか冗談だろと思っていたら、翌朝ほんとに通いのメイドがやって来た。う〜ん、こいつらどこまでゴージャスなんだ。わたしの友人はすべてのラッキーカードを手にしているらしい。

中国の明と暗
 北京の銀座、王府井(ワンフーチン)でショッピングを楽しんだあとは、わたしの愛する北京ダックの専門店でお夕飯。最初のひとくちで「これこれ、この味!」とケンタCFの村上リカコ状態に突入。北京ダックだけで満腹になるなんて日本では絶対実現不可能だから(おもに経済的理由による)わたしは中国ではここぞとばかりに死ぬ気で食べるが、それでもお持帰り箱を頼むほど余ってしまう。

 妊婦のように膨らんだ幸せなお腹を抱えて郊外行きのバスに乗る。タクシーも公営バスもあるのだが、お百姓さんが裏稼業でやっている格安の闇バスもあって、何事も経験よね、と乗り込んでみた。時刻表は存在しない。席が埋まって運転手がよっしゃと思ったときが出発時間だ。「早く出せ」「いや、まだまだ」と客と運転手のあいだにひと悶着あって、ようやく走り始めたと思ったら夕方の渋滞に巻き込まれてしまった。しばしのろのろ運転が続く。突如、車内のムードが険悪になったかと思うと乗客が口々に罵声をあげ始めた。わたしの友人も隣でなにやらわめいている。なんだなんだ。暴動か。バスジャックか。サリンか。友人いわく、この先も渋滞が続きそうで商売にならないので、もうやめた、みんなここで降りてくれ、と運転手が言い出したのだそうだ。そんなバカな。運転手vs乗客の怒鳴りあいがしばし続いたが(おとなしく座っているのはわたしだけ)結局全員降ろされることになった。頭にきた乗客達がまだ中学生くらいの小姐車掌を取り巻いて、カネ返せ馬鹿野郎、とすごんでいる。みんなガラ悪くてすっごくこわ〜い。小姐も負けずに抵抗していたが、多勢に無勢、集金袋を取り上げられてしまった。わたしの友人も二人分しっかりむしり取ってきた。そのあとわたしたちは埃だらけのでこぼこ道を30分かけて歩いて帰った。

 港北ニュータウンで優雅に暮らすエリートも、一歩街に出ればサバイバルライフが待ちうけている。これぞ中国。でも取り戻したお金って、日本円で26円だったんですけど。

2008年北京奥林匹克
 たしか昨日か今日あたりシドニーオリンピックが始っているはず…と思うのだが、ここでは話題にもならない。もしかしたら中国人12億人のうち10億人くらいは奥林匹克(オリンピック)ってなぁに?状態なのかも。2008年のオリンピック開催地が北京に決まれば、東京オリンピック(1964年)や大阪万博(1970年)を契機に高速道路や新幹線ができて日本人の生活や価値観を根こそぎ変えたように、中国でも一大転換期になる可能性は大きい。
 ナガノの苦い経験を省みず、いまだオリンピック誘致に血まなこになっている日本の役所のおじさんたちが大嫌いなわたしは、もしも大阪が勝ったらわたしの血税がまたまた湯水のように無駄遣いされて腹立つだけだから、アジアでやるならぜひ北京で、と思っている非国民である。

中国人なんて大嫌い
 わたしの旅は北京から大連へと続く。以下は北京空港でのわたしの搭乗手続きのようすである。

わたし「チェックインお願いします」
小姐「あなたの名前はコンピュータの名簿に登録されていません。この便にあなたの席はありません」
わたし「そんなバカな。ちょっと小姐、もっとよく調べてよ。ほらほらこのチケット、便名とわたしの名前が書いてあるでしょ。よく見て」
小姐「調べました。満席です。あなたの席はありません」
わたし「もっと、よお〜く、見て」
小姐「ないものはないんですっ、ぷんっ」
わたし「ちょっと小姐、あんたのその態度はなによ。すんごい感じ悪いわよ」
小姐「あなたの英語はわかりません」
わたし「さっきまでぺらぺらしゃべってたくせに急に何言ってんの。じゃあもっと英語のわかるひとに代わりなさい」
小姐「いませんっ、ぷんっ」
わたし「うっわ〜態度悪い。もうあったまきた。あんたの上司に代わりなさいっ」
小姐「いませんっ、ぷんっ」
わたし「上司を、出しな、さいっ」
小姐「…(ぷいっ、と思いっきりそっぽ)」
わたし「客を無視するな、こら」
小姐「…(ムス〜)」
わたし「なんとか言え、こら」
小姐「…(ムッス〜)」
わたし「キィーーーーーーーーッ!」


 ふてくされた中国人を相手にケンカするのは、万里の長城を金づちひとつで破壊しようとするに等しい。わたしはこの瞬間、中国四千年の歴史と12億の民を心から呪った。このまま大連へも飛べず東京へも帰れなくなって北京に留め置かれ、数十年後にようやく日本の地を踏む老いさらばえ変わり果てた自分の姿が脳裏に浮かんでめまいがした。

 結局わたしは日本の旅行社が発券した正規のチケットを持ちながら屈辱的にもキャンセル待ち扱いにされて、出発時刻の10分前までいらいらさせられたあとにようやく空席ができたことを知らされたのであった。

 これが2000年9月現在の中華人民共和国の空の表玄関、北京国際空港におけるサービスの実態である。わたしは声を大にして言いたい! 2008年オリンピックはぜひぜひ北京で開催してもらいたい! 外国人観光客が大挙して押し寄せ、世界が求めるサービスの何たるかを知らしめ、はなはだしく適性に欠ける空港業務員約1名(おまえだ、小姐)を即刻解雇してもらいたい! 

キィーーーーーーーーッ!


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