あづさの世迷言   *さわぐなニッポン*

 中学時代、剣道を少々かじったことがある。
 腰まで伸びたみどりの黒髪をひとつに束ねて胴着をまとったその姿はさながら姫様剣士(悲しくも自称)、ぶいぶいいわせたものである(悲しくも自己申告)。

 あんなにしっかりした防具をつけるのだからぜ〜んぜん痛くないのだろうとナメてかかったら、痛いの痛くないのってめちゃくちゃ痛いのであるこれが。手加減なし問答無用の上級生男子に襲われて、小手を取られては竹刀を取り落とし、面を取られては脳震盪、胴を取られては道場の外まではじき飛ばされ…もうさんざん。中学生だったから突きがなくてよかった。喉を突かれていたらまちがいなく死んでいた。手はいつも血マメだらけだし、身体は汗疹でぐずぐず。な〜んもいいことなかった剣道時代。

 バレーやバスケはきらいではないのだが、チームプレーにつきもののレギュラー争いや、ゲームに負けたときに漂う「あのときのあいつのあのエラーがなかったら…」という責めの空気がどうもなぁ…で敬遠した。テニス? 新体操? ひとには柄ってものがあるでしょ。というわけで高校では消去法で水泳を選んだ。

 やってみたら水泳ってすばらしい。

  1. 痛くない。怪我しない。
  2. 設備投資は水着一枚。
  3. 敵と交わらない。
  4. 勝敗はタイムで決まる。
  5. 責任転嫁のしようがない。


 なにからなにまでわたし向きなのである。思えば遠回りしたものだ。もっとはやく水泳に出会っていればよかった。

 しかしながら千葉すずや小谷美可子ら一流アスリートのみごとな流線形の体型を眺めるに、幼少のころから水泳に入れ込むっつうのもなんだかなぁ…という気分になることも事実。イルカ化。実際、引退後の小谷は海でノーブレでイルカと泳ぎまくっているという話だ。半魚人。

 先日テレビで小谷がインタビューを受けるのを見た。いまはJOCやIOCの仕事をしているそうで、長崎宏子並に頭の出来はいいらしい。それにしてはアトランタのレポーター役が惨敗だったのは何故かという疑問が残るが、ま、不慣れな仕事だったということにしておこう。千葉すずも、先日のスポーツ裁判では毅然とした態度と言葉遣いで、古橋水連会長よりよっぽど人物が大きく見えた(かつてのトビウオからいまやシーラカンスと化した妖怪古橋をなんとかしないと日本の水泳界は危うい、とわたしはみた。浦和市民大会がせいぜいの素人スイマーには水連なんてどうでもいいことだが)。千葉は判定に負けて逆に株が上がったという評価もある。この様子では小谷も千葉も引退後の仕事も順調にいくことだろう。でも選挙には出ないでほしいな。せっかく上がりかけた株を落とすだけ。

 常々思うに、もと一流アスリートが選挙に出るとそろいもそろってマヌケに見えるのはなぜだろう。知名度を買われてお神輿に乗せられているだけで政策なんてあるわけないし(練習漬けで政治なんて考えたこともない)、お神輿を担ぐ党も浮動票集めの広告塔としての効果しか期待してない(なまじ頭よすぎると使いにくくて困る)、というのがまるわかりの人選だからか。橋本聖子なんて、議員になって産休とった以外に何をしたんだか。田村亮子は絶対に選挙にでる!といまから予言しているひとがいるが、わたしも同感。伊藤みどり? 本人は選挙好きそうだが、まずはあの化粧法をなんとかしないかぎりどこからもお声はかからないでしょう。アスリートを選挙に出る出ないで品定めするのは、オリンピックの新しい楽しみかたとしてこれから流行るかも(んなわけないか)。

 それにしても年々オリンピックのオーラが薄まってきていると思うのはわたしだけだろうか。回を重ねるごとに有難味が薄れていく。これぞサマランチ効果か。いまだにオリンピック誘致に村おこし効果を夢みる日本の役所のおじさんたちの精神構造もわからん。長野県民の苦しみを無駄にしてはいけない。

 スポーツの神聖化や精神主義といった軍国調もごめんだが、マスコミ先導の空虚な熱狂にも腹がたつ。「感動」の押し売りや「がんばれニッポン」の絶叫にはもううんざり。トップアスリートの極上の技を極上の解説で静かに堪能したい、と願うのは許されないことなのだろうか。


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