あづさの世迷言   * た こ *

 愚妹の漫画もどきが本紙に掲載されてお恥ずかしい限りだが、ストーリーの真偽はともかく、我が家に怪猫とも呼べるほどに年老いた猫がいることは事実である。

 1982年4月、母が身重の猫を我が家に連れてきた。妊婦の名前はにゃんこさん。母らしい、迷いのない直球思いっきりなネーミングではある。

 にゃんこさんが産んだ5人の子どものひとりが漫画の主役であるから、かれこれ御歳18歳。本名荒井サリー。あまくチャリーとかチャコとか呼ばれていた娘時代もあったが、可愛気のすっかり失せたいまではチャコから転じて「このタコ」である。おんなが長生きするってむずかしい。

 猫も18年も生きていれば、人語を解する。

 母の入院中、わたしが出勤の仕度に忙しくて猫飯が遅れると、「めしめしめし」とドスのきいた声で催促にくる。ところがいざ魚が焼きあがると、「アジはやだ」だの「焼き加減が悪い」だの「骨とって」だのあれこれ難癖をつけてくるので、朝っぱらからわたしたちはぬうぅぅぅぅとした険悪ムードに突入することになる。あ〜気分悪い。

 毎日のように猫と真剣勝負でけんかする荒井家をルームメイトHは不思議がっていたが、ある寒い晩、我が家に泊まった彼は猫にはっきり命令口調で「ストーブつけろ」と言われたそうだ。お風呂もすませて寝るまぎわなので火を起こすわけにはいかない。「はやくしろ」とすごむ猫。「ごめんね、もう寝る時間だから」とH。すると猫はいまいましそうに舌打ちした。「ったく、使えねぇな」

 わたしや妹なら、ふんぎ〜と逆毛立てて尻尾膨らませて(あくまでもののたとえです)ただちに臨戦態勢に入るところだが、Hは生まれてはじめて成立した猫との会話に感動してしまって怒るどころではなかったようだ。まだまだ甘い。

 猫も18年も生きていれば、病気にもかかる。

 去年の6月、乳癌の手術をした。わたしではない。猫が、である。主治医のはなしでは、最近の犬猫は栄養がゆきわたり寿命が延びたぶん人間と同じような病気にかかる割合が増えてきたそうな。いくら根性のねじまがった老婆でも乳癌とは気の毒だし、そのまま死なせては冥利が悪い。あとあと祟られるかもしれない。手術をお願いした。以下は受付での会話。

看護婦「(ベビートークで)入院される患者さんのお名前をどうそ」
わたし「荒井た…さ、サリー、です」
看護婦「名字もあるんですね。どんなねこちゃんですか」
わたし「としのせいか偏屈で横柄で、むかしはあれでかわいいところもあったんですが」
看護婦「そうじゃなくて、どんな種類ですか」
わたし「ねこ、です」
看護婦「なにねこちゃんですか」
わたし「ふつうねこ、ただねこ、です」
看護婦「じゃあ日本猫ちゃんですね」
わたし「雑種ですから日本国籍かどうかは…」
看護婦「じゃあ、ね、こ、ちゃん、としておきましょう」
わたし「…(もうぐったり)」


 あらためて病院内を見まわすと、たしかにアメリカンショートヘアだのなんだのかんだの純潔種の金持ちそうなハイカラ猫ばかりがうろうろしている。うちのような出自の卑しい庶民猫は、まずいない。おまけに彼らは立派なケージに入っていたり散歩紐につながれていたりする。ぼろタオルにくるまれ、ダンボール箱に詰められている大貧民はうちだけである。動物病院に来てまで貧富の差を思い知らされるとは。

 初診からうちのたこは卑しい出自のダメ押しをしてくれた。看護婦をひっかき、主治医にオシッコをひっかけ、悪態を吐きつづけた。「な、なにしやがる、てめー、あ、いってーな、ばっかやろ、ちきしょ、いて、いてーじゃんか、このヤブ、わ、やめろ、やめろっつーに、いっっっって〜〜〜ぇぇぇ」

 ここは動物病院。猫語や犬語を解する特殊精鋭バイリンガルたちの集う場所である。待合室で待つ母とわたしがどんなに肩身の狭い思いをしたか、お察しいただきたい。

 手術は成功し、猫は2週間で退院した。
 しかし、なぜあんなつらい目に合わなければならなかったのか彼女自身はまったく理解していないから、退院してしばらくのあいだわたしたちは逆恨みされて口もきいてもらえなかった。

 猫界のぎんさん、荒井サリー、19回目の夏がやってくる。


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