あづさの世迷言   *おんなのみち*

 わたしは主婦である。異論反論さまざまあろうが、主婦である。
 その証拠に、もしいまわたしが犯罪者になったら、マスコミは「狂った家計簿―聡明美人主婦の美しくも哀しい転落の軌跡―湯けむりに妖しく燃えた人妻の柔肌―愛欲のはての定山渓殺人事件」とかなんとかセンセーショナルに書きたてるにちがいない。(みなさん、この一年拙文ご愛読ありがとう。この回で栄えある連載2年目突入というのに、よりによってこんなばかばかしい書出しで申し訳ないとは思っているのです。あきれないで先に進んでください)

 というわけでわたしはライバル主婦らの出版する「主婦本」チェックを怠らない。
 栗原はるみのことで主婦がうまいことやりやがってと歯軋りしていたら、おもしろいものを見つけた。

 新聞の書評で知ったのだが、鳩山由紀夫夫人の鳩山幸がその手のライフスタイル本を出したのである。わたしはそんな本にお金を使う余裕はないので、いつもどおり立ち読みですませた。

 本のタイトルは忘れたが、巻頭は「鳩山家のおもてなし」。お招きを受けたのは林真理子と三枝成章。揃った4人の濃〜い顔ぶれといい、お金持ちお金持ちした鳩山家のダイニングルームといい、ケータリングにしか見えない手料理といい、お客様への高価すぎる贈り物といい、あまりの生活感のなさに思わずへへ…と力なく笑ってしまった。

 鳩山家といったら日本のケネディ家とも称される政治貴族のお家柄。先祖代々こんな生活をしている政治家がリーダーの政党にわしら庶民の痛みがわかるわけないもんね、とこの一冊で改めて納得できる出色の出来となっている。

 それにしても謎なのは、なぜいま鳩山幸が得意満面でこんな本を出すのか、だ。「宝塚出身」「アメリカ留学」は名門鳩山家の嫁としてはハクにはならないはず。政治貴族からは芸人上がりと蔑視されるのがオチだし、いまや帰国子女はぴんきりで掃いて捨てるほどいる。ファーストレディになる日が近いとでもいうのだろうか。

 栗原はるみはみごとに主婦業を金の成る木に変えた。自分のライフスタイルの商品化に成功することでプライバシーを失った代わりに経済力を手に入れた。仕事に対して報酬を受けることがプロとアマのボーダーであるならば、彼女においては「プロの主婦」という逆説が成立する。高収入だけでなく、世のおんなたちからの熱い嫉妬と羨望も手に入る。同性のねたみそねみはいつの世も最高級の賛辞。なんともすんばらしい戦略ではないか。

 彼女の強みは、プロになってもいっこうにプロらしく見えないところであろう。栗原本はどれも、そのへんのフツーの主婦がフツーのことをちょっとおしゃれにしているように見えるべく注意深く編集されている。彼女は売れなくなれば、いまのままの姿で簡単にプロの料理研究家からフツーの主婦にシフトしてしまえるような身軽さがある。村上昭子や小林かつ代ら先駆者たちの「ど〜んと来い、この道一筋ン十年!」という日本のおふくろ的腰の据わり方とは対照的だ。

 もし栗原はるみ人気に刺激されて鳩山幸があの本を出したのだとしたら、ご愁傷さま、読みはまったく外れたと言わねばなるまい。栗原はるみの軽さを前にしては、鳩山家の豪華な邸宅も、趣向を凝らしたおもてなしも、自慢の軽井沢の別荘も、お金をひけらかしているだけの悪趣味に見える。鳩山幸の本は10年早く、バブルの時代にこそ出版されるべきものだったのだ。鳩山幸は、主婦をウリにするにはお金持ち過ぎるしグロテスク過ぎる。「わたしは日本の主婦の代表でっす」と驚愕発言した田中真紀子もそうだが、どこか過剰なのである。政治に関わる人間の宿命であろうか。

 これほどに毛色の違う鳩山本も栗原本も、本屋ではリビング・クッキングの棚に並んで置かれている(ちょっと考えればあたりまえだけど)。わたしは先に鳩山幸の本を手に取ることをお薦めする。濃厚ハイソな鳩山ワールドに浸ったあとに栗原本を手に取ると、まるで温泉に入って肩凝りがほぐれるような、晴れ着を脱いで綿のパジャマに着替えたような、フルコースのあとの海苔茶漬けのようなさわやかさを感じるはずだ。どちらがいいかはともかくとして、時代は確かに栗原はるみに傾いている。

 その後ある雑誌の見出しを見かけたら「心が浮き立つくらい家事が好き、栗原はるみ」だって。

 鳩山にしろ栗原にしろ、どちらもわたしには真似できません。


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