あづさの世迷言   *スバラ式節約生活ノススメ その2*

  秋に勤務先の会社が赤坂に引越したおかげで、今年の冬はバーゲンに乗り遅れてしまった(このごろは悪いことはなんでも会社移転のせいに思えてくる)。気がついて出かけたときにはすでに時遅し、街は残飯整理状態でめぼしい獲物はみつからない。気持ちは「買いたいっ」モードなのに買いたい商品が見つからないというのは、なかなかにフラストレーションのたまるものである。

 しかしながら、商品を見ないうちから気分で何か買いたいという心理状態は、まこと自由経済を象徴しているというか、商業主義に毒されているというか、とにかく共産圏の人々には起こりえないことであろう…とふと経済学してみたりする。

 というわけで今年の冬、買物はしないのに、家の押入れを物色しての古い衣類やガラクタの処分は続けているので、モノが減る一方の我が家のクローゼットはたいへんに使い勝手がよろしい。

 モノを持ちすぎないこと、これは節約生活の基本のキ。モノが少ない生活は気分も軽い。軽い気分でまた捨てる。すっきりするからうれしくなってまた捨てる。こうして、捨てる→すっきり→うれしい→捨てる→すっきり→うれしいの循環の法則が確立される。そのうち次第に「探してでも捨てたい!」「なにがなんでも捨てなければ!」という強迫観念にハマっていくのである。

 ルームメイトは必要なものまで捨てられるのではないかと、わたしの捨てっぷりのよさに内心ひやひやしているらしい。しかし、捨てられても気がつかないものは所詮いらないものなのだ、という理論でわたしが彼個人のモノにまで目を光らせていることを彼は知らない。

 先日、買いたいモード出力全開で歩いていたらなべを見つけた。
 な、べ、です。
 ステンレス製の4個でひと組。なにがわたしを惹きつけたかというと、取っ手がワンタッチで取りはずせて4個が入れ子になってすっきり美しく収納できるのである。

 そういえば台所の流しの下のなべ置き場は大小のなべの取っ手が邪魔しあってごちゃごちゃしていたのではなかったかそういえばわたしは長いことなべの収納に悩んでいたのではなかったかそんなわたしにこのなべはぴったりではないか日頃衝動買いはすなわち無駄遣いと自戒しているものの見れば最後のひと組みだし美しい収納という大義名分もあることだしこれは正しい買物なのだ神のお導きなのだ買っちゃえ買っちゃえなのだ…

 わたしの頭のなかで、あらゆる事実関係および問題点がすばやく確認され、しかるべき対応策がすみやかに検討され、慎重かつ大胆な判断ののちに即刻購入を決意した。世間ではこれを衝動買いと呼ぶ。

 鼻息も荒く家に持ち帰ってさっそく棚に並べて見れば、ジャジャ〜ン、期待どおり4個のなべはきれいに重なって美しい収納を実現したのであった。う〜ん、大満足。
 だがしかし、わたしは重大なことを失念していた。収納よりもなによりも優先してなべに求められるべきは使い勝手のよさなのである。そして我が家では、収納を考えるのはわたしであるが、なべを使うのはわたしではないのである。案の定、なべ使用担当者は憤った。そんなに大事な買物をぼくにひとことの相談もなしに決めるとはなにごとだ毎日このなべを使って料理するのはいったい誰だと思っているのだおまけに4個も買うとは言語道断…まるで相談もなしに家一軒買ったかのような激しさでなじられてしまった。

 いまは返す言葉もないわたしであるが、はたしてこのなべはほんとうに無駄な買物であったのか、それはのちほど担当者の感想を聞いたうえであらためて報告したいと思う。
 それにしてもわたしはなぜなべを衝動買いしたのだろうか。
 なぜ、な、べ、なのか。
 思い当たるふしがないわけでもない。

 このまえ新聞で、大中小のボール3個をなべ代わりに使っているという女性の投書を読んだ。たとえばポテトサラダを作るとき、まずはなべとして使ってじゃがいもをゆでる。ゆでこぼしたらそのままボールに早代わりして野菜を混ぜ合わせる。ボールひとつでできるし、取っ手がないから収納もすっきり、ほ〜んと便利。

 わたしは暗示にかかりやすいのだ。


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