あづさの世迷言   *スバラ式節約生活ノススメ*

   新聞によると、アメリカの好景気を背景にマイクロソフト社の株価が上昇をつづけ、ビル・ゲイツ会長の個人資産がついに韓国の国家予算に匹敵するまでに膨張したという。すごいことなのはわかるけど、ケタが大きすぎてどのくらいすごいのか実のところよくわからない。先祖代々の貧乏性が祟って、日々の買物で一円や十円の違いには目くじらをたてるくせに、カンマがふたつもみっつもつくと頭がクラクラしてひとケタやそこら平気で読み違えるわたしには、兆を超えた数字は「とにかくたくさん」という概念でしかない。ビル・ゲイツはそんな大金を持てあまして困ることなどないのだろうか。自家用ジェット機を買うときも、大根一本買うときも、ひとは同じ心の平静さで財布からお金を出せるものなのだろうか。

 このまえ妹に会ったら新しい腕時計をしていた。「千趣会のカタログ見ていたらブルガリにそっくりなのがあったんで、2900円で買っちゃった。いーでしょお、ブルガリだよーん」あっぱれ、おみごと、さすがわが妹、まぎれもなく荒井家嫡流の血を引く女である。

 この爆弾発言の意味がわからない読者のために簡単にご説明申し上げると、ブルガリとはヨーロッパの超高級宝飾品店で、そこの商品は6ケタ以上の値段のものばかり。カンマふたつにひるんでいては顧客にはなれません。銀座にある直営店は、店舗というより博物館のような厳粛な空気がただよい、わたしたち下々の人間を寄せつけない。かたや千趣会とはOL相手の通販会社で、お手軽さが信条だから値段展開はせいぜい数千円、千円しないものもたくさんある。

 そんな千趣会のカタログの中からブルガリに似た商品を見つける、これぞ貧乏人の超絶技巧といわずしてなんとしよう。2900円の腕時計をブ・ル・ガ・リと呼んではばからない豪胆さ、これも貧乏人であるがゆえの天下無敵の無神経といえよう。そしてこれこそ荒井家伝家の宝刀、ザ・アライスピリッツなのである。それにしても、ビル・ゲイツの腕に燦然と輝いているであろう高価なブルガリの腕時計が通販でわずか2900円で買えると知ったら、ビル・ゲイツ、大ショーック!

 わたしとルームメイトHに、共通の家計費というものはない。おさいふは別々。それぞれが必要なものを必要なときに必要なぶんだけ、自分のお金でまかなうようにしている。当然のことながら生活はサバイバルの様相を呈してくる。
 たとえば食生活。お腹すいたなーと冷蔵庫をあけてみると、中はがらーんとしている。そんなとき料理のレパートリーの乏しいわたしは買物に出かけなければならない。一方、Hのほうは、乏しい材料を工夫してなんとか二、三品作ってしまう。これでは要領の悪いわたしがいつも不利である。だがしかし、わたしには猪熊柔の一本背負い(注)のような必殺技がある。食べずにふとんかぶって寝てしまえばいいのだ。

 わたしたちはお金があまっているわけでもないのに新聞を二紙もとっているから、月末の支払いが馬鹿にならない。集金人が訪ねてきたときに家にいたほうがマケ、という弱肉強食の掟に従って毎月スリルとサスペンスを味わっている。二紙とも支払うはめになった月の金銭的精神的ダメージは大きく、数日はまっすぐ歩けないほどだが、反対にわたしの留守のあいだにHが払ってくれたと知ったときの気持ちは、夏の夕暮れのプールのあとの三河の酎ハイのように爽快だ。あるときプールに行こうと自転車をこぎ出したら、うしろから集金人に追いすがられて、逃げ切れずに不承不承わたしが支払うはめになったこともあった。あなどれん、あ○○新聞。

 給料日前などでお財布の中味が心細いとき、わたしは貧乏になったお姫様になったつもりになってみる。今でこそこんな苦労をしているけれど、でもこれは世をしのぶ仮の姿…と不当な運命に虐げられた高貴なヒロインになって我が身の悲運に酔いしれるのである。小公女セーラの「王女さまになったつもり」、あれですよ。哀しいのは、貧乏になったお姫様をやめても、やっぱり事態が変わっていないことに気づくときであるが。うっかり「貧乏じゃない王女さまになったつもり」になると、気が大きくなっていらぬものまで買いこみ、事態のさらなる悪化をまねきかねないので、こちらは自粛している。

 セーラにはめでたく日の目を見る日がやってきた。さて、わたしには?

注・「YAWARA」全29巻、浦沢直樹作、小学館


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