あづさの世迷言   *別れても好きな人*

   わたしはこの歳になっていまだ男と女の愁嘆場を経験したことがないので(よくいえば男運がいい、悪くいえば華のない人生)、来るあてのない手紙を待って溜め息ついてみたり、着てはもらえぬセーターを編んでみたり、冬の日本海をひとり旅してみたり、わら人形に五寸釘刺したり…ということをせずにすんでいる。

 自身が満ち足りた人間は悲しい歌や物語を好むと聞くが、まさにわたしがそうであった。好きな小説や映画は不幸な結末のものが多いし、好きな歌は中島みゆき、なのに自分の人生には不幸の影もない。不幸とはなんなのか、未練とは不条理とはどんなものなのか、自分の知らない世界を追体験してみたくて哀しい歌や物語に惹かれるのかもしれない。
 そんなわたしがいまはじめて、断ち切れぬ未練に苦しんでいる。

 わたしの勤める会社が丸の内から赤坂へ移転して4ヶ月になる。花の「丸の内OL」を生涯貫くつもりでいたわたしにとって事務所移転はまさに青天の霹靂。日本経済が低迷し続けている昨今、よその外資系企業では事務所経費節減のため東京から横浜や神戸あるいは九州!などに移転し、それに伴って社員は単身赴任や退職を余儀なくされるという話も多々聞くから、地下鉄でわずか10分の距離に移っただけのわたしは幸運だと思わなくてはならない。

 そうとわかっているのだけれど、どうにも自分を納得させることができないでいる。愛してやまない街から無理矢理引き離されて抗うすべもなく、現実を受け入れられずに不条理という名の壁にぶちあたっている。

 仕事が変わったわけではないから、打ち合せがあれば赤坂から丸の内近辺の取引先へと出かけて行く。ついこのあいだまでわたしのシマだった場所である。お気に入りだった店、本屋、コーヒーショップ、いつも覗いていたショウウィンドウ…街並みは変わっていないのに、もはやわたしはこの街の住人ではない、地下鉄でやってくる来訪者なのだ。

 とりたてて仕事がない日でも、足は古巣に向かってしまう。知らず知らずのうちに好きだった場所を求めて歩いている。そこは以前と変わらぬやさしさでわたしを包んでくれるが、もはやわたしの居場所ではないのだ。

 行き先を失った愛。幸せだったころの思い出。おさえてもおさえきれない未練。切なさに胸が締つけられるようだ。にじむ涙で街並みもかすむ。

 そんなこんなで、やたら赤坂が憎い。目の前にころがる石ころひとつがいまいましい。赤坂見附駅出口からいきなり広がるパチンコ屋やゲームセンターの騒音と煙草のヤニ臭さ、それに負けじと拡声器で口上を叫ぶファーストフード店各種。朝っぱらから駅前に出現するバドガール。ボーリングのピンの着ぐるみを着たパチンコ屋の呼びこみのお兄さんは足はだし。ビラ配りをしているルーズソックスに超ミニの女子高校生の顔を見れば、年増のニセ高校生。その近くでケータイで立話をしているのはパンチパーマに金のかまぼこ指輪のおじさま。ターバン巻いたインド人が岡持ち下げて自転車で路地から飛び出してくるのに、危うく轢かれそうになったりもする。夕方5時ともなれば目元キラキラメイクの女性たちのご出勤の時間だ。その猥雑さたるや、どれもこれも丸の内にいたら永遠に知らずにすんだことばかりである。

 「あずさ2号」という古い歌をご存知だろうか。
 本命の「あなた」への未練と決別するために、「あなたの知らないひと」とふたりでほんとうなら「あなた」と行くはずだった土地へ旅に出ようとする女の歌である。いままでのわたしだったら、そんなムチャクチャな理屈があるかっ、とグーでパーンチ!するところだが、いまは、そーよねそーよね未練を断ち切るためには場合によってはそんな自虐的荒療治も必要よね、ね、ね、とその女の手をとってうなずき合いたい心境なのである。

 ひとにはときによって断つに断たれぬ未練があることを、わたしはいま男からではなく会社の移転で教わっている。


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