あづさの世迷言   *違いのわかるひと*

  ずうっと以前から目障りでしかたなかったテレビコマーシャルが、違いのわかるオトコの、ネス○フェ○ールド○レンド(なんだか懸賞クイズみたい)であった。

 登場するのはふるくは遠藤周作から新しくは和泉元弥まで、年齢にばらつきはあるものの、みんな文学や芸術の分野で功成り名を遂げた男たちで、得意満面でうんちくを傾ける傍らに、いつも女が笑みを浮かべて寄り添っている。女たちはみな若く美しくそのくせ無個性な感じで、男を押しのけて自分が目立つようなことは決してしそうもない、まさに日本男子の見果てぬ夢、「大和撫子」である。

 わたしはこのコマーシャルの陰に女の絶望と怨嗟の声を聞く。
 仕事にどんなに愛着ややり甲斐を感じていようが、逆にどんなに暗澹とした思いでいようが、誰からも関心を持たれず、職場のすみに置き去られている女。自分の可能性を探るすべもなく、組織の階段を軽々と登っていく男たちを定点から見上げるしかない女。

 夫や子供は、家に帰れば部屋が片付いていて、お風呂が沸いていて、あたたかいご飯ができているのがあたりまえだと思っている。汚した衣類はいつのまにか洗われて、たたまれて、箪笥の中に納まっている。誰がそのために心をくだいて時間と労働を提供しているのか、省みられることはない。まるで家具の一部のような女。

 コマーシャルは美人モデルを使って幸せに満たされたような女を演出しているが、実はモデルが体現しているのは胸の奥底にそんな虚無感と怨念をためこんだ女たち、あるいはその予備軍だ。感謝されない、評価されない、関心すらもたれない、しかも終わりのない作業を誰が好んでやりたいと思うだろう。そんな仕事を笑顔でやれ、美しくあれ、男をたてろ、と無理難題をふっかけているのが「違いの分かるオトコ」たちなのである。

 こんな馬鹿馬鹿しいメッセージを何年にもわたってテレビで垂れ流すから、世迷言5「愛されない理由」の男のようなヤツが絶滅しないのだ、ふんっ、とぷりぷりしていたら、驚いたことにある日この「違いのわかるオトコ」シリーズが終わっていた。

 代わって登場したのは版画家、山本容子である。仕事は一流だし、容姿はきりりとテレビ映りもいいし、まあ適切な人選と言えよう。だけど一緒に談笑している若い男は何者? ま、いっか、細身のヤワそうな男はわたしの好みだし、年下の男はいまやトレンドだし、サラサラヘアで家事が得意ならなおけっこう。…と、女と男の立場が逆転するととたんにマッチョ化するわたし。逆セクハラ?だからどうした。わたしはただ、長い年月男が女にたいして踏み倒し続けてきた膨大なツケのほんの一部をとりたてているだけのこと。

 これからシリーズになって、いろいろな「違いのわかるオンナ」が登場するのだろうか。大嫌いだったコマーシャルが急に楽しみになってきた。しかし女なら誰でも歓迎というわけではないぞ。人選にはくれぐれも気をつけて、ナイーブなわたしの神経を刺激しないでほしいものである。

 それにしてもインスタントコーヒーの違いがわかったところで人生何になるというのだ? 珈琲豆屋の薫り高いコーヒーを飲みながらうそぶく二代目酔水会事務局長であった。
 


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