その1  畔上 秀二

 今回のツアー報告を畔上・村瀬君・大和田さんが担当します。まずは畔上から

o 出発編 1999年8月15日(日)

 朝目が覚めると私はフィギュアに囲まれていた。自宅からだと那覇行きの便に間に合わないから村瀬君宅に泊めさせてもらってたのでした。あの爆発した髪型からは想像できないほどきれいに片づけられた部屋でした。
 洗顔を済ませたら戸締まりして出発。4時半頃の京浜東北線に乗ると待ち合わせの車両にはかつて三河で一度だけあったことのある人が。これから数日間「どーもー!」を繰り返す坂本君です(そんなに言ってないか)。浜松町からモノレールに乗り換え羽田に到着すると既に出発ロビーは人だかり。ここではさらに二人の参加者と合流予定。一人は5月の三崎キャンプでシーカヤック講師として参加してくれた加藤YOSHIさん、もう一人は"食える魚釣り師"大和田さん(ちなみに"食えない魚釣り師"は村瀬君)。この人だかりのロビーの中うまくおちあえるかと不安になるも加藤さんのひときわ黒く日焼けした肌により即発見。この後、出発口の手荷物検査でトラブル発生、前回問題なく機内持ち込みできたYOSHIさんのパドルが今回はだめだというのだ。あと大和田さんも何かで引っかかってましたね。なんだっけ。虫除けスプレー?まぁ簡単な手続きをすることでここをパス。飛行機を10分ほど待たせて最後に搭乗。ここから二時間だか三時間だかの(う〜覚えてません)空の旅。機内でトイレに入ると備え付けの石鹸が目につく。こりゃいいやっと感心しながら二個ゲット。後で坂本君に話したら彼は四個ゲットしてました。(やるぜ坂本君!)

 石垣島直行便ではないのでいったん那覇空港でおりる。と、空腹な自分に気がつく。機内でマフィンが一個でたけど普通の人なら足りないって。KIOSKと立ち食いそば屋を足して2で割ったような店に入りソーキそばを頼む。スナックのような麺を文句言いながら空腹な体に流し込み一休み。アナウンスに従い今度は遅れることなく石垣島行きの飛行機に乗り込む。このとき時計の針は・・・9時くらい?(記憶力なし)
 石垣島に到着したのが11時過ぎくらいでしょうか?時間は覚えてないが空腹だったのだけは覚えてる。空港から一歩外にでるとさすがは八重山諸島。暑い!となればビールでしょうか。港にタクシーで移動し弁当とオリオンビールを買ったのは私としては当然の行動。西表島行き高速フェリーが出発するまで時間があったので近くのホームセンターまで洗濯挟みを買いにいく。
 高速フェリーは前には室内に座席が、後ろはデッキ上に座席があり荷物が多い我々は後ろのデッキ上の座席に陣取るとこにする。だがこれが失敗、機械の音でうるさいのなんのって。それでも寝不足の体にアルコールが入ったこともありすぐに寝に入る。気がつくと西表島の港に到着寸前だった。

 寝ぼけた目に入ってきたのは我々合流組を迎えにきてくれた三人の酔水会のメンバ、伊藤さん、臼井さん、そして平野さんでした。無理矢理全員を乗り込ませたワゴン車が"星の砂キャンプ場"に到着したのは・・・1時くらい?(途中の買い出ししたときに食べたパイナップルのおいしさしか覚えていません。)
 キャンプ場についた時点ではダイバーズの他のメンバや沖縄シーカヤックセンターの仲村さんたちの姿がありません。まぁそのうち来るだろうということでその日の設営を済ませ、帰りの為に今まで履いていたパンツを洗濯するのでした。

 以上、なんか出発編だけで終わってしまいました。このあと村瀬君そして大和田さんが続く、のでしょうか?

o おまけ

 昔からシーサーを見るたびに考えるのは神社にある狛犬との関係。どっちもア・ウンしてるしきっとどこかでつながりがあるんだろうなぁと思い今回インターネットで少しだけ調べてみました。

 まず「シーサー」。語源は、中国語の獅子からきたもので百獣の王ライオンを意味する。中国−琉球の交流がさかんになった14〜15世紀頃、沖縄にもたらされたと言われている。続いて「狛犬」。狛犬は朝鮮半島から伝わったらしい。どちらも古代オリエントやアフリカのライオンがシルクロードを通り日本や沖縄に伝わったらしい。

 古代オリエントの人々は獅子・ライオンの姿になにか特別な力があると感じとり、それをデザインし造形した。そしてルートによって形が変わり「シーサー」「狛犬」になったようだ。



【1999年西表ツアー報告インデックスへ】 【酔水新聞トップページへ】

ご意見ご感想はこちらまで