2004-02-14
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* チョコを召しませ? *
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その日もセレストはお祭り騒ぎの市中警護の為にカナンの側に居なかった。
解ってはいるのだ。
自分が文献から見つけて来た他所の国の華やかな催しをしたいと申し出て、国王が許可を出したから、こうなったと云う事は。
好きな相手にチョコレートを渡しつつ、告白をすると云うこの行事をちょっと自分も楽しみたかっただけなのだが、国中を巻き込んでのお祭り騒ぎとなり、彼方此方でコンテストやらダンスパーティーやらが行なわれたようだ。
もともと王国騎士団は警備も担っているので、お祭りの度に駆出される。
はぁぁぁ、とカナンの口から溜息がこぼれる。
この祭には『義理チョコ』なるものも存在し、本命以外にも手渡す事が出来ると聞いて、『義理の振りをして本命を渡す』計画を立てたのが仇となった。
まさか数日前から当日まで、セレストが側から離されてしまうなんて。お陰で隠れる必要も無く堂々と手作りのチョコレートは作る事は出来たのだが。勿論、『義理チョコ』は普段お世話になっている方々に御礼として渡すのだとカナンが先にふれていたので、カナンがセレストにチョコを用意している事を誰も不審に思っては居ない。カナンはリプトン国王やリグナム王子にもちゃんと用意している。これこそ隠れみのだが、感謝の気持ちは詰めたつもりだ。
リナリアに手伝ってもらって、シンプルながらも華やかな雰囲気たっぷりのラッピングを施されたチョコレートはとても喜ばれた。ちなみにリナリアは小さなチョコレートを幾つも用意してお城のバルコニーから撒いて配ると云う事をした。密かにリナリアを慕っている騎士達や国の若者が競って受け止めていたのは云うまでも無い。
兎に角、このばれんたいんとか云うお祭りは大盛況のうちに終りを迎えようとしていた。
カナンを残しては。
「ううううう、まだ帰って来ない」
お忍びスキルが格段に上達している事もあるのだが、こっそり部屋を抜け出しても、城内警備が手薄なので誰もカナンがここにいる事に気付いていない。
カナンは騎士団宿舎に備え付けの薄手だがしっかりとした織で、丈夫で充分に暖のとれる毛布を肩から羽織り、窓の外を見やった。
天空にぽっかりと浮かんだ月がやけに眩しくて、悔しい気分だ。
計画通りなら二人でこの美しい月を見上げているはずだったのに。
何時の間にか少し眠っていたらしい。
カクンと頭が落ちて意識が戻った。慌ててまわりを見回すが、自分の影以外に人影は無い。ほっとすると同時に寂しさが込上げてくる。
「普段は僕が何も云わなくたって、嫌になるくらい世話を焼きたがる癖に、こんな時だけ居ないなんて、職務怠慢な上に唐変木もここに極まれりだぞ!」
虚空に向かって愚痴をこぼす。そうしなければ違うものが零れ落ちて来そうだったから。歯を食いしばって少し上を向く。
「僕はいつからこんなペシミストになったんだ。しっかりしろ!」
云ってペタペタと自分の頬を叩く。こうすると少しだけ背筋が伸びたような気がするのだ。そしてどうして自分がここに居るのかを思い出す。
「セレストがしっかりしていない分、僕がしっかりしてやらないとな」
握り過ぎて溶けてしまわない様に枕の下に隠してあったチョコレートをそっと取り出してカナンは決意を新たにする。その瞳にはいつもの悪戯好きの、気の強そうな光が宿っていた。
ふと、扉の外に大勢の気配がした。
カナンは息を潜めて外の様子を窺う。
無遠慮な足音が幾つかと、疲れたと云う声が重なって近寄って来たと思ったら、更に近付くに連れ、扉の開閉音と共に足音も話声も減っていく。最後に聞き慣れた声が「おやすみ」と云ってカナンの居る部屋の前で立ち止まった。
カナンは身を硬くして尚も様子を窺っていたが、扉の前に立ち止まった人物は一向に部屋に入ってくる気配が無い。どうしたのだろうと訝っていると、扉の外から声がした。
「・・・どなたです?」
「・・・諄いな。誰だと問いたださない時点で誰だか分っているのだろう」
カナンは毛布を肩に羽織ったまま引きずる様にして扉の前まで移動すると、深呼吸をしてから扉にそっと手を掛けた。
「今回は兄上の御許可も貰っているから、追い出そうとしても無駄だぞ」
扉を開ければ、腰に手をあてて今から小言を云おうとしていたセレストが出端を挫かれて口を開けたまま固まっていた。
「カナン様、いつぞやの様に『嘘』と云う事は有りませんでしょうね」
希望的観測でもってセレストが口にすると、カナンは気分を害した様に唇を尖らせる。
「今回は本当だ。お前が中々帰って来ないので労ってやりたいのに、それも叶わないと訴えたら『今夜だけだぞ』と御許可を頂けた」
ちなみにこれは本当の事だ。
国王もリグナムもカナンがセレストにチョコレートを用意していたのも、渡すのも楽しみにしていたのを知っていたし、時間と共にカナンが悄気ていく事にも気が付いていた。この王家の御家族は一番年少の王子にはとことん甘い。
ひとり、年が離れている事もあるが、カナンが楽し気にしている時、城内には笑い声が絶えない。それが沈んでいるとなれば、どことなく城内も活気に欠けるような気がするから不思議だ。そんな状態だったから、誰もがカナンの様子を案じていたのは当然で、カナンから話が出た時、すぐに許可は降りたのだった。
無論、「セレストを困らせない様に、用事が済んだらすぐに部屋に戻る事」と釘も刺されてしまったが。
それでも御墨付きは御墨付きだ。
カナンはにっこりと微笑みながらセレストを部屋に引き込んだ 。
「しかし、予定外だった」
何の事かと思えば、どうやらセレストが市中警備に回されてしまった事のようだ。カナンはさっさとセレストのベッドに腰掛け、セレストにも座る様にと自分のすぐ隣をポンポンと叩く。
「面白い習慣だと思って、思い切って父上に御相談申し上げたが、それがこれほど迄に国中を巻き込んでの大騒ぎになるとはな」
「そうですね、女性は慎ましやかである事が美徳と云われていますからね。最近ではそのような意見は偏見だと云う話も出て来ておりますが、それでも『告白』を女性の側から堂々とできる日となると、はやり特別と云う気がします」
「あまり真剣になり過ぎてもと、予防線も張っておいたんだがなぁ」
「 感謝の気持ちを込めて贈る事も有るというやつですね。お陰で部下の者達も警護中に沢山チョコレートを頂けて喜んでおりましたよ」
もっとも仕事中に食べる事は禁止とされていたので、詰所の方に山と積まれる事になったそうだが、中には本命告白も混じっていたようで、各々自分の物と他人の物と混じらない様に苦労していたようである。
「・・・・・お前も大層貰っていたそうだな」
顔中につまらないと書き記したカナンがセレストを見上げると、わたわたと大慌てで否定する。
「貰うと云っても、ご婦人やおばさんと云った方から通りすがりに渡されたと云いましょうか、押し付けられたといいますか・・・、断り損ねたものぐらいしか受け取ってはいませんよ」
本当はどんな理由であれ、誰からも受け取るつもりなんて無かったのだ。だが、こう云った時の女性の押しの強さは目を見張るものが有る。気が付いたら幾つかは返すタイミングも無く受け取ってしまったのだから。そんなセレストの様子を想像でもしたのか、カナンはガックリと肩を落として大きく息を吐く。
「でも、幾つかは受け取ったんだ。隙だらけの近衛騎士だな」
これにはセレストも面目有りませんと俯くしか無い。
「で、今は勤務時間外で問題はないよな」
放っておくといつまでも落ち込んでしまいそうな勢いのセレストに、カナンは苦笑を浮かべつつその顔を下から覗き込む様にして見上げた。
急に視界に割り込んで来たカナンにセレストは思わず身を引いて仰け反る。
「何ですか?」
セレストの声が僅かに震えているのは、いつもカナンの言動に振り回されてしまう自分を自覚しているからだ。どんなにご無体な事を云われても、結局はカナンに従ってしまう。時に、言葉尻を捕まえて反撃を試みて一応の勝利をもぎ取る事も有るが、その後の展開によっては虚しい結果になる事も珍しく無い。
王家の御家族がカナンに甘過ぎると云って何度か上申したりもしたが、実の所、カナンに一番弱くて甘いのは自分なのだろうと、セレストは思っている。
カナンがすぐ側にいると云うだけで心が高揚し、腕の中に抱きしめてこのまま閉込めて仕舞えたらと思ってしまうくらい、愛おしい存在なのだ。
その愛おしい人が息がかかるくらいすぐ目の前に居て、なんでおびえなきゃならんのかと自分の苦労性の性格を呪いつつ、セレストは身構えたのだった。
まず、カナンの形のよい指がセレストの胸元に伸びて来て、無造作にそのまま服を鷲掴みにした。ぐっと力を込めて引き寄せると、今度は腰を浮かせて全体重をその腕に掛け、勢いのままセレストの上に被さる。
体格で云えばカナンは華奢な方で、力だって一般人と変わらない。だが、いくらセレストが騎士として鍛えていたとしても、座った体勢からいきなり馬乗りになられては逆らえない。セレストはそのままベッドに倒れ込んで、呆然とカナンを見上げた。
「いつもそうだ」
青い瞳がセレストの碧の瞳を捕らえて離さない。
「いつも、お前はそんな風に振る舞うのだな。どうしてそんな風に振る舞える?
僕は何時だっていっぱいいっぱいの気持ちを抑えるだけで、余裕なんか無くって、だのに、お前はいつも平気そうな顔をしているんだ」
悔しそうな声が微かに震えている。泣いているのかと思ったが、月明りだけが射込む部屋は薄暗く、上から見下ろす様にしているカナンの顔は逆光で表情さえまともに見る事は叶わない。だが、その燃えるような青い瞳だけはハッキリと見えた。曇りの一点も無い蒼い蒼い宝石。
「私は・・・・自分が余裕で構えているなんて、そんな風に見えましたか?
私だって自分を抑えるのは大変なんですよ。貴方の姿が見えない時は今頃何をしていらっしゃるのだろうかとか、今日はまだ一度もお声を聞いていないなとか、いつも、貴方の事を考えてしまう。
少しでも時間が空くと、貴方のお部屋の方を見てぼんやりとしているらしく、同僚達にはそんなにカナンさまが心配なのかとからかわれたり。私に余裕なんてこれっぽちもありませんよ」
カナンが上に乗っかったままなので、下から腕を延ばして頬に触れた。すべやかで柔らかな肌触り。極上の絹のようだ。しばらく、その感触を楽しむ様に掌を滑らせる。カナンは抵抗するでもなく、セレストの好きにさせていたが、ポトンとセレストの胸に頭を落として来た。
「まったく狡い奴だ、お前は。お前に久々に会ったら、文句をもっといっぱい云ってやるつもりだったのに、忘れてしまったぞ」
「私も貴方にお会いしたら、報告したい事が沢山あったはずなのですが、忘れてしまいました」
くすりと口から笑いがこぼれる。すると胸に顔を埋めたままのカナンの肩が震えた。笑っているのだ。
「「 なにより・・・・・・」」
「貴方に」
「お前に」
「「会えた事が嬉しい」」
久しぶりの恋人の時間に酔おうと、セレストがカナンの髪に指を絡ませようとした時、ご無体は恋人はその身体を自分から引き剥がしてしまった。先程迄の温もりが急に逃げてしまった事が怨めしくて、気が付いたらその腕を掴んでいた。
どうしたいとか、考えての行動ではなかった。
ただ、離れ難かっただけなのだ。だが、その気持ちはカナンにもすぐに伝わった。いや、カナンも同じ気持ちであったのだろう。だが、
「兄上に、約束をしてしまったからな。今日は大人しく帰る」
残念そうな顔でそう告げられてはセレストも引き止める事は出来なかった。名残惜し気に捕まえていた腕から己の指を解いてカナンを解放する。
「今日は遅くまでお待たせして申し訳ございませんでした。明日からはまた、お側に上がらせて頂きます。どうか、窓からお出かけになど為さらないで、ちゃんとお待ちになって下さいよ」
折角おやつを載せたトレイを持っていっても、何時の間にか部屋から姿を消してしまう主人に対して苦言をして日常に戻る努力をする。途端、カナンは眉間に皺を寄せて不満の意を露にした。
「まったく、本当の唐変木だな、お前は」
それまで羽織っていた毛布を外してセレストに頭から被せ、ついでにとばかりにポカポカと頭の辺りを適当に叩く。毛布の下からくぐもった声で「痛いです、カナンさま」と講義の声が上がるが、自業自得とカナンはあっさり無視をした。
こんなにしても無抵抗なセレストに、カナンは苦笑を浮かべつつ、自分が許容されている範囲の大きさに慶びを感じた。毛布で目隠しをしたまま、今度はそっと頭を抱きかかえる。
「こんな時間まで御苦労だった。明日からはいつもの様に僕の側に来るのだろう。だったら今のうちに精々身体を休めておけ。それから、肝心の物を忘れる所だった」
ゆっくりとセレストから離れると、ベッドの上に忘れられていたチョコの箱を取り上げる。カナンから解放されたセレストは、毛布を剥いでカナンの姿を探す。カナンはセレストのすぐ隣に立っていた。
ついと、小箱を突き出している。
「姉上に教えて貰いながら作ったから、形は悪いかもしれんが、味はそれなりに良いはずだ。皆には『セレストに感謝の気持ちを込めてだ』と云っておいたが、勿論僕は『本命』のつもりで作ったぞ」
勿論、セレストは知っていた。人伝にカナンが自分の為に調理場で何やら格闘しているらしいと、数日前から知らされていたのだ。カナンが何か企画を思い付いて王様に許しを請うのは、自分も参加したいからだ。きっと今回は、イベントに乗じて自分にチョコを渡す為に企画されたのに違い無いと思うから、愛しさは増すばかり。
「有難うございます」
自然に微笑みが浮かぶ。本当に幸せそうに微笑んだセレストは、今手渡したチョコレートの様に蕩けてしまいそうで、見ているカナンの方が恥ずかしくなってくる。
「どうでもいいが、お前、そんな恥ずかしい顔をしてあまり出歩くなよ」
え?と、セレストの口から声が漏れる。
「私、恥ずかしい顔、してましたか?」
恥ずかしい顔、というのが良く判らないが、頬を叩いて表情を引締めてみた。
「恥ずかしいと云うか、見ている方が恥ずかしいと云うか、あまりにへらと弛み切った顔で出歩くな」
「弛み切った・・・・・・。それはカナン様から頂けた嬉しさ故です。普段から弛んでる訳じゃないですよ」
話してる内容に、お互い照れくさくて顔を赤くしてしまう。
「・・・・・で、僕の気持ちは受け取って貰えたのだよな・・・・」
気恥ずかしさから早く逃げ出したくて、カナンはそう切り出した。勿論、セレストはにっこりと微笑みながら肯定する。
「はい、有難く賜りました」
セレストの応えにカナンは満足そうに頷くと、いつもの悪戯好きの王子の顔になっている。
「実はな、このイベントだが、『女性から告白をする』と云うのは極一部の地方の風習らしい。本来は男女の関係なくプレゼントをするのが本式のようだ。
『感謝の気持ちを込めて』プレゼントする風習もちゃんと有るにはあるが、所によっては『プロポーズの日』とか呼ばれているそうだ」
突然切り出された話に、セレストは困惑しながらも聞いていたが、カナンの最後の言葉につい、反応してしまう。
「プロポーズ・・・・の日、ですか?」
ふふふふと、カナンの機嫌良い時の笑いが零れてセレストは背中に冷汗が流れるのを感じた。
「返事はいつでもいいと云ったが、僕が何時までも大人しく待っていると思うなよ。だが、お前が早く決心して着いて来てくれるのが一番良い。
今回のコレはその予告だと思え」
返事とか、着いて来るとか、以前引き伸ばした返答を待っているのだと明言されて、セレストはがっくりと肩を落とした。まだ諦めてはいないのだ、このお方は。その上で自分が着いて来てくれると信じて、それでも待っていてくれている。嬉しいが、将来を思うと不安材料が多過ぎて複雑な気分だ。
「心が決まったらいつでも来い」
「あの、それ、なんだか私に嫁に来いと云ってる様にも聞こえますね」
半ばやけくそでそう答えると、カナンが当然とばかりに胸を張って答えた。
「入り婿じゃ無い事だけは確かだな」
否定はされなかった。
カナンは用事は済んだものと、上機嫌な様子だ。結局、セレストに返事を強要する事はしないが、期待はしていると伝える事が目的だったのか。本当は答は胸の内で決まっている。だけど、それを今伝える訳にはいかないのだ。
その時まで、自分は従者としてカナンを諌め、窘め、出来る限りの抵抗を試みるだろう。最後の最後に取る行動が決まっていたとしても。
セレストは頭を抱える振りをして、その指の隙間からちらりとカナンを覗き見た。
完敗ですよ。
心の内でそう告げる。口では云わない。
だのに、カナンは大きく一つだけ頷いて、踵を返した。
「今日の所は引き上げる。お前がいくら僕を引き止めようとしても、諦めたりしない。僕は諦めが悪い上に、欲張りなんだ。覚悟をしておけ」
そう言いおいて、部屋から出ていく。カナンの自信に満ちた後ろ姿がセレストの目に焼き付けられ、口元に苦笑が浮かぶ。
一体誰がバレンタインは愛の告白の日だなんて云ったんだ?
これはれっきとした宣戦布告じゃないか。
いいでしょう、受けて立ちますよカナン様。
例え勝つ事の叶わない戦いと知っても、最後の最後まで抵抗してみせますからお覚悟を。
戦いましょう、愛ある限り!