すがるみ子ニュースNo.21 2004.夏(季刊)

女性の声、生活者の声を議会へ

追悼
松下竜一さん 67歳

2003.5月大地にて 宇井純ご夫婦と元気な頃の松下さん。

松下竜一さん 六月十七日午前四時、宿病だった肺よう胞の出血ショックで村上病院にて永眠されました。
 葬儀は故人の遺志により密葬とされました。

 八月一日、午後2時より中津市文化会館大ホールにて、草の根の会主催で「松下竜一さんを偲ぶ会」開催。同時に小ホールにて、松下竜一その仕事展の写真パネルを展示します。
『豆腐屋の四季』から反公害、脱原発、人権、平和をテーマにしたノンフィクション、代表作講談社ノンフィクション受賞作「ルイーズ父に貰いし名は」や、「まけるな六平」などの児童文学、「底抜けビンボー暮らし」などの身辺生活のエッセーなど、多分野にわたって巨大企業に対しては鋭い視点と、小さな者へのやさしい眼差しは文学の上でも、日常生活でも全く変わりませんでした。環境科学者、宇井純氏は「今こそスローライフと言うようになったが、松下さんは30年前に『暗闇の思想を』(火電阻止運動の論理)で同じことを言っている。そういう先駆性は大変なもの。文学作品としても、貧乏な暮らしに決してつぶされないユーモアのある作品を書いてきた。」と語っていました。下関市立大教授、坂本紘二氏は「松下さんは接する誰をも恐ろしいほど的確に見抜くと同時に、その人の想いを自身の表現の場に誘い出だすのが巧みだった。圧倒的な権力に押しつぶされそうになりながら、果敢に立ち向かっている人間の強さと弱さを、人間の尊厳において直裁に書き記してきた松下さんの仕事は充実していた」と6月25日毎日新聞にて語っていました。
 私は三十年前、中津で始めての住民運動の豊前火力発電所建設反対運動の中で出会いました。松下さんはこの運動を伝える為に月刊ミニコミ誌「草の根通信」を31年間一度も休まず発行し続けました。ここに親友の梶原得三郎さんの終刊に寄せた言葉があります。
 「『草の根通信』は終わるけれど、彼が育て続けれど、彼が続けた『草』は全国に種を飛ばし根を張っている事でしょう。ひとりひとりがそれぞれの『場』でセンセがくれたものを育てていきましょう。『闘う』ことの意味を自分のものとして生きて行きましょう。」
 私にとっては精神において、行動においても人生の師でした。自分がどんなに体が苦しくても、まず他人の孤独や苦しみに寄り添う事を優先した松下さん。その考えを受け継ぎ、中津での活動を続けていきます。
 私が五年前、初めて市議に立候補を決意した時は、松下さんからは「るみちゃんには中津は文化行政が貧しいから取り組んで欲しい」といわれました。
 中津の自然を愛し、家族を愛しこの町に67年間住み続け、時代と真摯に向き合い、行動した作家松下竜一さんの足跡を私は中津の多くの市民に知っていただきたいと思います。毎年6月に新博多町交流センターにて写真展「松下竜一その仕事」を実施していきます。