頭上で行き交う音の羅列を意味もなく聞いていた。
 音には意味があり、それは文となり、会話になっているようだったが、今の少年にとってはどうでもいいことだった。この下らないやり取りが早くすぎてくれ、と祈るだけだった。
 自分がしでかしたことの意味はわかっていた。精神状態はまともで、錯乱しているわけでもなく、記憶障害を起こしているわけでもない。気分は多少高ぶっていたのかもしれないが、それによっておかしくなっていた訳じゃない。自分が何を考え、何をして、その結果どうなったのか、きちんと理解しているのだ。
少年は俯いて椅子に座っていたが、目線を僅かに上にあげ、自分の周囲を囲む大人を見た。皆一様に難しい顔をして、怒鳴るまでいかなくてもそれに近い声を出していた。
「―――病院―――てみたら」
「いや、これは――――――だと」
「全く―――をしでかして―――」
「揉み消すには――――――ならない」
「だが、――――――の息子だ、何とかならないのか」
「――――――に」
 不意に少年は二年前に別れた友人のことを思い出した。鮮やかな紫色の瞳と艶やかな黒髪を持った綺麗な少年だった。日に焼け泥んこになって遊びまわっている自分とは、住む世界が違う人間だった。上品な佇まいはとても同じ歳とは思えなかった。
 少年は微かな笑みを零した。
きっと自分はあの子とはもう会えないんだろう。『必ず会いに行くから』と約束したのに。そしてあの子も『ああ、きっとだぞ。待ってるからな』と返事をしてくれたのに。だが、それも二年前のことだ。あの子が自分との約束を覚えているのかわからない。こんな極東の島国のことを、世界の三分の一を占める大国の皇子が覚えているなんてとても想像できなかった。それでも少年は行くつもりだった。あの子が忘れていても。
(でも、もうそんなことはできないよな)
 少年は再び俯き、己を手を見た。ひらいては握り、またひらいた。何度も繰り返し手の感触を確かめる。少年の手はあくまでも成長途中であり、まだ大人のそれではなかった。それでも少年の手は武道を極めようとしている力強い手だった。いざとなれば人を殺すこともできるほどの。
その時少年の両肩に優しく触れた手があった。少年のものとは比べられないほど力強く大きく、そして大人の手だった。その人物は少年の背後から両肩をしっかりと掴み、まるで少年の意志を代弁するかのように、周囲を取り囲む人達に言い放った。
「正当防衛です」
「だが藤堂くん」
「正当防衛です。殺されそうになったんですよ。備え付けられていた防犯カメラの画像からでもそれは明らかです。誰だって銃で撃たれそうになったら、阻止しようとしませんか?」
 疑問に対する答えはない。そしてそれを言ったほうも返答を期待していなかった。先ほどまで五月蝿かった大人たちは水を打ったように静まりかえっていた。藤堂と呼ばれた男は、視線を一周した後少年の肩を軽く二回ほど叩き、主張した。
「何度も言いますが、これは正当防衛であり、もみ合いになった末の銃の暴発です。彼に罪はない。暴発した銃がたまたま犯人の急所に命中しただけです。そもそも日本政府は」
「藤堂さん」
 椅子に座っている少年が初めて口を開いた。
「ありがとうございます。でももういいです」
「何を言っているんだ。馬鹿なことを言うんじゃない」
 藤堂は怒鳴った。藤堂にとってこの少年は、日本における重要な一族の嫡男であり、日頃お世話になっている人の息子であり、武道を教えていた大切な生徒でもあったのだ。この少年の窮地を助けるのは当然のことであり、そもそもこれは正当防衛なのだ。少年に罪はない。罪があるとしたら、少年を助けようとしなかった日本政府にある。
 少年は再び黙り、頭上で飛び交う大人たちのやり取りに耳を傾けることしかできなかった。日本政府の落ち度や藤堂の力説もあって、何とか罪に問われることはなさそうだが、情報封鎖されていても、少年にとって日本という国は居心地が悪いことには違いない。少年は一度日本に捨てられたのだ。この絶望を払拭させる術は藤堂にもなかった。
 少年の処遇がとりあえず決まり、室内には藤堂と少年だけが残された。
 俯き微動だにしない少年に藤堂はある提案を持ちかける。
「日本を一度離れてみるほうがいいかもしれないな」
「藤堂さん………」
「このまま日本にいても、君が辛いんじゃないか?」
 少年からの返事はなかった。だが藤堂はさらに言い募った。
 情報封鎖され、この事件のことは公になってはいない。だが秘密というのはいつか必ず漏れるものだ。少年が日本にいる限り、日本国首相の嫡男、枢木一族の跡取り息子というのはどうしても目立つ存在だ。漏れた秘密が少年を脅しにやってくるかもしれない。その前にどうしても逃がしてやりたい気持ちがあった。海外にいればその存在感も薄くなり、秘密を暴こうという人間も少なくなるかもしれない。
「取り敢えず留学、という形でもいい。日本を出るべきだと思う」
「留学……」
 呟きのような返事に藤堂は頷いた。
「手配はすべてこちらでしよう。君は自分のことだけを」
「藤堂さん」
 台詞を遮るように少年から発せられた呼びかけに、藤堂は嫌な顔一つせずに耳を傾ける。促すように「なんだい」と言えば、多少の躊躇を示しながらも少年ははっきりと言った。
「俺、ブリタニアに行きたい」
「ブリタニア……」
 藤堂はハッと目を瞠った。
 ブリタニア、その正式名称は神聖ブリタニア帝国、全世界の三分の一の領土を誇る超大国であり、皇帝を頂点とした絶対君主制国家だ。日本とはまだ今のところ戦争するような緊張関係はないが、それでも口が裂けても良好な関係だとは言えなかった。圧倒的な軍事力は脅威であり、特に現皇帝シャルル・ジ・ブリタニアになってからその力は増すばかりだった。
 藤堂は眉根を寄せた。じっと少年を見つめる。
 少年の緑色の瞳は澄み、明確な意思が感じられた。
 藤堂は大きく息を吐き出すと、少年の肩を軽く叩いた。
「わかった。何とかしよう、スザクくん」
「ありがとうございます」
 スザクと呼ばれた少年は藤堂に対し、深々と頭を下げた。
 脳裏に二年前別れた紫色の瞳をもった少年の姿が浮かぶ。

 ああ、待ってて。
 ブリタニアに行くから。
 すぐに行くから。
 待ってて、俺の、俺の、俺、僕の…………皇子さま。








I'll Be Waiting




[日本国首相枢木ゲンブの嫡男、枢木スザク誘拐事件に関するあらまし]
20××年7月5日、夕方、中学からの帰宅途中の枢木スザクが拉致、誘拐される。
同日、日本国政府、首相枢木ゲンブ宛に脅迫電話が入る。
犯人は日本民主主義解放戦線と名乗り、枢木ゲンブの嫡男枢木スザクを誘拐を盾に収容所にいる某政治犯の解放を要求。
日本国政府、これを拒否。同時に枢木スザクに関する事実関係を確認後、捜索開始。
24時間経過後、犯人より入電。
24時間以内に政治犯解放を要求。その要求に従わない場合枢木スザクの殺害を決行。
日本政府、これを拒否。逆探知不可、電波探索失敗。
事件発生から52時間。××県××の住民より通報。××山中にて拳銃の発砲音。地元警察捜索。××山中の山小屋にて枢木スザク発見、救出。犯人4人、全員銃による死亡が確認。監視カメラの映像により被害者と犯人とのもみあいにより銃が暴発と断定。なお監視カメラは被害者の監視および逃走防止用につけていたと推測。
事件および被害者の特殊性を考慮し、この件に関する全ての情報を封鎖し公開しないとする。



 藤堂より渡されたメモを一読した後、手のひらでグジャリと紙を丸めた。書いてあったのはたった十数行の言葉の羅列だけだった。地獄の三日間も行数にすればたったこれだけしかない。あの惨劇も未だ手に残る銃の感覚も、ほんの僅かな出来事にされてしまうのだ。
 枢木スザクはゴミになった丸まった紙を灰皿の上に置いた。マッチを擦って火をつけ灰皿の中に落とせば、ゴミとなった紙が燃え上がり、そしてすぐに灰になった。
 このメモは日本政府の記録だった。藤堂に政府のコンピューターにハッキングをかけ今回の事件に関するデータを消去してもらう時、どんな内容だったか知りたくてわざわざ一枚だけ紙にコピーしてもらったのだ。政府の機密文書の紙だ。危険な紙だ。だがその一方でたったこれだけ、くだらない、とも思うのもまた事実だった。
 スザクはガラスの灰皿の中で白い灰になってしまった紙を見つめた。この中には感情が一切ない。日本政府に要求を拒否された時の絶望感も、人の命を奪った引き金の感触も、犯人である4っつの死体を茫然と見るしかなかったスザクの心情も、なにもない。
 事実の羅列。だがそれでも隠されていることがある。一体目の死体は確かに銃の暴発だった。だが二体目、三体目、四対目はどうだ。正確に心臓を撃ち抜かれている死体を銃の暴発と片付けられるのだろうか。だがこの文面を見る限り、きっと強引に片付けたのだろう。
 あの時、反射的に身体が動いた。手とか足とかを狙って戦闘不能にさせることなど考え付かなかった。気が付いたら生存者は自分しかいなかった。血まみれになった四つの死体に囲まれ、助けがくるまで数時間、その間の記憶は曖昧だ。目を見開いたまま物言わぬ物体に成り下がった人間を見ながら、自分は一体何を考えていたのだろうか?


 スザクは灰皿があるテーブルから立ち上がり、窓辺に向かって数歩歩いた。一歩踏みしめる度にくすんだ色のフローリングは軋み、建物の古さを感じさせる。四角い窓の向こうに目をやり下を覘けば、緑豊かな公園が視界を占めた。日本のそれとは違い、変な遊具などは一切なく、大地を覆う青々とした芝生と所々にある大木があるだけのシンプルな公園だ。その風景がスザクに突然とここは外国なのだという事を実感させた。
 神聖ブリタニア帝国帝都ペンドラゴン、帝都内でもはずれにあるこの地区は駅からも幹線道路からも離れ、やや不便な場所にある。その代わり緑が多くそれほど高い建物はない。スザクが引っ越してきた、公園に隣接している五階建てのアパートメントも2DKの割りに賃料は安めだ。スザクの部屋はちょうど三階の角部屋で公園の緑がよく見える。
「ブリタニア。本当に来たんだ」
 スザクは呟いた。
 あの事件から一ヶ月。藤堂の迅速な対応のおかげでわずか三週間ほどでブリタニアへの留学手続きを終え、そしてつい三日前にブリタニアにきたばかりだ。荷物はほとんどなく、後で大事なものだけ日本から空輸してもらう手配になっている。それだってほんの僅かだ。生活に必要なものは現地調達したほうが早い。だがほとんどの家具は備え付けになっており、大きなものを買う必要はなかった。

 結局、あの事件後、スザクは一度も父親である枢木ゲンブと会うことはなかった。元々、それほど仲の良い親子ではなかった。母親がいなかったせいか家族のつながりは希薄であり、二人の関係は殺伐としていた。それでも。
 スザクは思った。
(それでも、あの時は細いつながりに期待していた)
 何とかしてくれるんじゃないか。どうにかしてくれるんじゃないか。細くて切れそうな親子のつながりに期待していた。だが、ゲンブにとっては日本国首相という強固なパイプがあり、それを裏切ることはなかった。
 日本国首相としては当然の選択だ。スザクだってそれぐらいのことはわかる。こんなことの度に政治犯を解放していたら、模倣犯が後を絶たない。頭では理解しているのだ。当然の選択だということを。それでも全身を襲った絶望感を拭い去ることはできなかった。自分は見捨てられたのだ。そして死んでしまったのだ。あの事件の時に。
 そんな時無性にあの子に会いたくなった。二年前に別れた綺麗なブリタニアの皇子に。どこか別次元の世界から来たような雰囲気を持ったあの皇子に。小さい頃から政治家の息子、枢木家の息子として周囲の子供たちからどこか一線を引かれていた自分に、遠慮ない物言いをし、心の中に入り込んだ異国の皇子。あの子に会いたくてたまらなくなった。
「ルルーシュ」
 スザクは宝物に触れるかのように優しく言った。
 あれから二年、君は僕のことを覚えていてくれるだろうか?
 窓辺から離れ、部屋の片隅に置かれたダンボールに寄った。中身を取り出し、二、三回軽く叩き、ハンガーにかける。黒い詰襟の制服。銀の刺繍が施されているそれは、ブリタニアの中でも名門中の名門と呼ばれる私立アッシュフォード学園中等部のものだ。この学園は貴族や裕福層の子供たちが通うことで有名で、一部の皇族らも通っているという。そして、スザクの調べたところによると、ルルーシュもここに通っているらしい。
 ブリタニアに留学すると藤堂に言った時、どうしてもこの学園に通いたいと頼み込んだ。無理かと思われた頼み事は日本国首相の息子と枢木家のコネという、スザクが最も嫌っている手段で実現された。
「ルルーシュ。ブリタニアに来たよ。もうすぐ会えるから。待ってて」
 スザクはもう一度窓に視線を向けた。力強い夏の日差しが入り込んでくる。あと一ヶ月もしないで九月がくる。ブリタニアでの新学期がもうすぐ始まる季節だった。


 日本から空輸便が届いたのは、それから一週間後だった。使い慣れた道着や竹刀などの一式、ブリタニアではなかなか手に入らなそうなものを送ってもらった。藤堂からは普段の鍛錬の仕方などの指南書が一緒に同梱されていた。
 スザクはすぐにパソコンを立ち上げ、藤堂にお礼のメールを送った。それからすでに日課になってしまった、ブリタニア皇族関連のニュースサイトなどを全てチェックする。だがいくら隅々まで眺めても、ルルーシュに関する記事は全くなかった。
「今日も収穫なしか」
 そう言いながらスザクはパソコンの電源を切った。
 ブリタニア皇族でフロントに出てくるのは、皇帝であるシャルル・ジ・ブリタニアと第二皇子であり帝国宰相であるシュナイゼル・エル・ブリタニア、この二人のものがほとんどだった。テレビでもネットでもこの二人が主であり、時々第二皇女コーネリアと第三皇子クロヴィスが出るくらいだった。ルルーシュは確か第十一皇子だったはずだ。そのあたりになるとメディアへの露出はほとんど皆無と言ってよかった。だが、それでもスザクはこうやって何か出ていないかと、ルルーシュの記事を探しているのだった。
 スザクは立ち上がり、まだ使い慣れていないアパートメントの鍵と財布を手に取った。ここ最近はファストフードばかりだったがそろそろ自炊しなければと思い、今日は日常品を買いに行く予定なのだ。そういったものは新学期が始まる前までに整えていたほうがいいだろう。
 鍵を閉め、アパートメントのエントランスを抜け、外に出た。カラッと乾燥した夏の空気が心地よく感じ、スザクは勢いよく歩道へと一歩を踏み出した。

 買い物は二時間ほどで終わり、そろそろ帰宅しようかという時スザクは立ち止まった。そして顔を上げた。
 スザクがその場所で足を止めたのは、聞こえてきた声が普段よく耳にするものだからだった。特徴的な口調と声はブリタニア帝国民だけでなく、全世界で知られていると言っても過言ではなかった。街頭に設置された大型モニターに映し出される顔は、この国の頂点に立つ皇帝シャルル・ジ・ブリタニアだった。そんな皇帝の顔を見ながら、スザクはネットで目にした記事を思い出していた。
 スザクのブリタニア語は完璧ではない。日常会話やある程度の記事を読むぐらいはできるが、専門用語が出てきて咄嗟理解できるほどブリタニア語に堪能ではなかった。ゆえにネットで見た記事も、本日皇族関連の式典があるというのはわかったが、それが一体何の式典なのかまではわからなかった。
 画面の端にLiveという表記がある。ということは今現在行われているということだ。これがきっとネットで見た例の式典なんだろう。一見しただけじゃ何の式典なのかよくわからない。だが、映像でみる限り、皇帝はもちろんのこと背後にいる人も皆きちんとした盛装をしている。ということはマイナスの要因ではなくプラスの出来事に違いない。
 スザクは身体の向きを変え、画面に対し向かい合った。モニターに目をやりながら皇帝の聞き辛い巻き舌口調に集中して、何を言っているのか聞き取ろうとする。その時カメラの位置が変化し正面からサイドに移り画面が変わった。そのとたんスザクは目を見開き息を呑んだ。
「ルルーシュ………」
 人が行き交う雑踏の中、スザクは一人、彼の名を呼んだ。
 間違いない。彼だ。
 画面の右上のほうに映っている黒髪の少年。薄い水色を基調にしたジャケットを着ている彼は見るからに皇族然としている。テレビの中の煌びやかな世界に違和感なく溶け込み佇んでいる姿は、彼がまさしく世界の3分の1を占める超大国の皇子だということを実感させた。
 変わらない。
いや変わった。
 昔より顎のラインがシャープになり、大人っぽくなった。髪型も少し変わったように思えた。変わらないのはあの涼やかな眼差し。きっとそれは変わらないんだろう。
 スザクはずっと見ていた。画面が次のニュースになっても動かず、ただそこに立ち尽くした。一瞬だけ映った彼の姿。それを何度も脳裏で再生する。日本で見てきた彼とは違うブリタニア皇子の姿の彼を、本来のルルーシュの姿を、繰り返し思い返していた。
 突然、右手が疼いた。
 嫌な汗が背中を襲う。いや、これは悪寒だ。
 右手に甦る冷たい銃の感覚。手に圧し掛かる重さ。発砲した時の腕に伝わる衝撃。そして顔にかかる血飛沫。襲い掛かる血臭。躊躇いなく引き金を引いた右手。
 スザクは走り出した。わき目も振らずにただ一心に逃げ帰った。
 アパートメントのエントランスを通り抜け、部屋に飛び込み、トイレに駆け込んだ。
 吐いた。胃の中にはそれほど多くものがあったわけじゃないが、吐けるだけ吐いた。カラッポになって何もなくなってから、やっとベッドの上に横になった。
 ダメだ。
 絶対にダメだ。
 どうしても無理だ。
 会うことはできない。
 どうしても会えない。
 会ってはいけない。
 そんなことできるはずがない。
 会いたいなどと、何故そんなことを考えた。
 自分にそんな資格があるとでも思っていたのか。
 今のままじゃ、絶対に無理だ。
 ブリタニアの皇子として毅然としているルルーシュの姿を目にし、スザクは自分の中に湧き上がってくる自己嫌悪感と相反する自己顕示欲が入り混じり、どうしょうもなく狼狽した。頭の中では色んな思考がぐるぐると回転しながら上下に左右に回り混乱していたが、それでもどうしても今すぐにやらなければならないことがある。そのことを理解していた。
 スザクは起き上がった。数歩歩き電話の前くると、躊躇なく受話器をあげた。何度か相手に対し軽く頷いた後、ゆっくりとした口調で自分の用件を口にした。
「枢木スザクです。アッシュフォード学園の留学の件でお話したいんですが」

 スザクのもとに電話がかかってきたのは、それからきっかり一時間後のことだった。ディスプレイを見なくてもわかる。誰からかかってきたのか。日本は今何時だろうか。きっと午前中ぐらいだろう。朝から申し訳なかった。
 受話器に手を触れた。これから言われるにちがいない事に対し、少しだけ苦笑いを浮かべながら、受話器をあげた。「枢木スザクです」と言えば、予想通りの怒鳴り声が聞こえた。


 九月、枢木スザクはある大きな建物の前にいた。周囲を見渡せば、様々な人種の人間が建物へ吸い込まれるように入って行く。人種も年齢もばらついているが、一つ共通点があるとしたらみな目が異様にギラついていることだけだ。スザクは建物の前にある大きな黒い門の脇にある門柱につけられている文字を見た。「神聖ブリタニア帝国軍属士官学校」今日からスザクが通う学校だった。
 藤堂とは揉めに揉めた。電話じゃ埒があかないと言ってブリタニアに来ようとした藤堂を、電話口で何とか説得した。
 確かに迷惑をかけたと思っている。スザクを名門アッシュフォードに留学させるのは苦労したことだろう。それを勝手に辞めたと言ったのだ。怒るのも無理がない。だが藤堂の怒りはそれだけではないことはわかっていた。スザクがブリタニアの軍属学校に行くことに対し、猛烈に怒っているのだ。
 スザクが
「でも日本じゃ僕を士官学校に入れてくれないでしょう?」
 と言えば。
「当たり前だ。君は枢木家の人間なんだぞ」
 と怒鳴り声が飛んできた。
 だからブリタニアにしたのだ。ちょうどブリタニアに住むことになっていたし。引っ越さないで済む。都合がいい。
「スザクくん、君は理解しているのか。君はブリタニアでは外国人なんだぞ」
 藤堂の指摘に関しても、スザクは十分すぎるほどわかっていた。自分はブリタニア人ではない。だから軍属学校といってもブリタニア人が通う士官学校ではなく、外国人部隊に入る為の傭兵養成所みたいなものだった。期間もブリタニア人が通う士官学校は三年だが、こちらはたった一年。本当に実戦に必要なものだけを教えるのだ。卒業後すぐに現地に飛ばされることになっている。最低十年はブリタニア軍に所属し、前線に配置されることが義務付けられている。退役後も色々と制約はあるが、その代わり学費は免除、給料も高い。ブリタニア人でもわざとこちらに入学する人間もいる。十年生き残れば何とか暮らせるくらいのお金が手に入る。それほど高給取りだ。そしてその分死ぬ可能性は高い。
「君は友人に会いたくてブリタニアに来たんじゃないのか?」
 その問いかけに応えることはできなかった。最初はそういうつもりだった。でも今はもう会うことはできなかった。藤堂の言葉にスザクは「すいません」としか言うことができなかった。謝るのは簡単だ。自分の気持ちを説明するほうが難しい。
 スザクは門柱の前まで来て立ち止まり、改めて「神聖ブリタニア帝国軍属士官学校」と書かれた鋳物の表札を見た。生きるか死ぬか、その分かれ道がここにあるような気がした。右手を握り締め、ひらき、また握り締めた。右手の疼く感覚を払拭するように力強く握り、そして校内へとその一歩を踏み出したのだった。

 士官学校でのスザクに対する周囲の視線は冷ややかだった。年齢が最年少ということもあったが、ひとつの理由としては彼が日本人だからだろう。一般的に日本はサクラダイトという資源のおかげでお金持ちの国と見られているのだ。実際はもちろん格差社会だが、それでも他の発展途上国から見れば十分潤っているとみなされる。だから何故日本人が?と思われたようだ。だが、貧困を理由にわざわざ外国人部隊に入るブリタニア人もいるほどだ。日本人がいたっておかしくはない。ゆえに、スザクが周囲から孤立しているのは、九割方スザク個人が理由だったといえる。そう、彼はこの場にいるのは不思議なぐらい清澄に見えたからだ。やさぐれたところが一切なく、佇まいも清冷さがあった。ルルーシュに比べればガサツに見えた仕草も、枢木家の一族に生まれたのだ、ここにくれば上品に見えた。
 そんなように士官学校で浮いていたスザクだったが、時間が経つに従ってその評価は一変する。スザクがいるこの場所は軍属学校だ。評価されるのは人種、生まれ、育ちではない。強さだけが唯一評価される対象なのだ。スザクの人並外れた身体能力、磨き上げられた体術を一目見ただけで彼に対する評価は変わった。周囲のあからさまな態度の変化にも全く気にせず淡々と訓練をこなす様子は、ますます好意的に捉えられ、スザクはいつの間にかこの場所で中心人物の一人になっていた。
 だが居心地が良くなってきた士官学校とも一年でお別れである。その期間はあっと言う間にすぎて行く。今スザクの手元にあるのは卒業後どこに配属されるかを記入した書類だった。椅子に座りながらじっとそれを見つめれてれば、隣に誰か座る気配がした。目だけを横にやれば、同期の男が手元を覗き込んでいた。
「おっ、すげぇじゃねーか。ブリタニア本国配置かよ。お前は成績良かったもんな」
 男の言い草に苦笑いを零しながら、スザクは応えた。
「本国って言っても、帝都からは遠いよ。太平洋側だし」
「んなこと言うなよ。オレなんかエリア6だぜ。辺境だな。人はいんのか、こんな場所」
 猛獣とでも戦えばいいのか、と嘆く男にスザクは笑った。
「なぁ、それ癖か?」
「え?」
「時々やってるじゃないか、それ。手をひらいたり、握ったり、何度も繰り返してさ」
 男の指摘にスザクはハッとして動きを止めた。そして己の手を見る。無意識にしていたのか。あの行動を。まだ右手は疼いているのだろうか?
「人を殺したことがあるか?」
 スザクは唐突に聞いた。男は平然として応えた。
「あるぜ、昔な。オレの国は戦争中だったし、生きるか死ぬかの瀬戸際だった。お前は?」
「僕も同じかな」
「日本で? 生きるか死ぬか?」
 男は笑いながらそう言った。
「うん。そういう状況だった。4人殺した。でも本当は自由を奪うだけで済んだんだ。殺す必要はなかった。今でもその時の感触が手に残ってて。その償いをしなければ、会えない気がした」
「会えない?」
「うん。会ってはいけない気がした」
 そう。彼に会う資格はない。この気持ちを清算しない限り。
 男は片眉を上げながら、ふーんと呟いた後、こう言った。
「じゃあ、何か、スザクはどの子かわからんが、その子に会いたい、でも償いをしないと会えない。償いをする為に軍に入った、ってこういうことか?」
 スザクは頷いた。
「誰かを命がけで守って、命に対する償いをしてからじゃないと、会える資格がない。自分の罪を隠したまま正面から向き合うには眩しすぎるんだ、彼は」
「命がけでねぇ〜。価値ある命を………か。スザク、いいこと教えてやろうか。この国はな、ちょっと前時代的なところがあってよ、騎士制度っていうのが存在する」
「騎士制度?」
「皇族が指名できる専属ボディガードみたいなもんかな。価値ある命を守る。皇族だからな、まっ一般人とは違うわな。そういったものになってさ、その人を命がけで守れば、お前も納得できるんじゃねぇーの?」
 男は笑ってそう言った。それから付け足す。
「会いたい奴には会っておいたほうがいいぜ。死ぬ前にな」
 スザクの肩を軽く叩き、ニヒルな笑顔を浮かべながら立ち去った男の訃報を聞いたのは、それから半年後のことだった。紛争地帯での爆弾テロに巻き込まれたとのことだった。その知らせを聞いた時スザクは思った。あの男は死ぬ前に会いたい人に会えたのだろうか?そして自分も死ぬ前に会いたい人に会えるんだろうか?
 ブリタニアの騎士制度についてはその後調べた。聞いたとき、彼を命がけで守ることができたなら、と期待したがそれは不可能だということが分かった。皇族選任騎士になるための絶対条件として、ブリタニア人でなければならないからだ。身体能力やKMFの操縦技術に関しては努力しだいで何とかなるかもしれないが、ブリタニア人になることに関しては相当ハードルが高かった。特例もあるにはあるが、その中で一番可能性のある「ブリタニア軍に所属しKMFのパイロットである」という条件は、外国人部隊に所属しているスザクにはかなり厳しいものだった。KMFの基本的な操縦に関しては軍属学校で習うことは習ったが、まず実戦で乗ることはなかった。基本的にKMFはブリタニア人しか乗れないことになっているからだ。せいぜいいいところ民間用KMFを使って瓦礫処理をするときに乗るだけだ。これではKMFのパイロットとは言えない。きっと条件に当てはまるKMFのパイロットというのは最低でも第五世代KMFのことを指すのだろう。
 一瞬でも期待した分、諦めるというのは難しい。だからといってどうすることもできないのも事実だ。
 スザクは彼に思いを馳せた。何故こんなにも彼に執着し、会いたがり、そして会えないんだろうか? スザクは考える。好きなのか? 男同士だというのに? それだけじゃない気がする。性別とかそういった括りは超えてしまっている気がする。愛しているんだろうか? そんな言葉では表現できない気がする。たぶん、本当は分かっている。あの子供の頃に出会って、心を触れ合わせて、そして彼はスザクの全てを奪ってしまったのだ。一ミリも残さずに連れて行ってしまった。優しい笑顔と共に。これこそ正に心奪われるだ。そして、あの誘拐事件の時に一度死んでしまったスザクを生き返らせることができるのは、おそらく彼だけなのだろう。スザクの全てを持っていってしまった彼だけが、もう一度スザクに生命を吹き込むことができるのだ。きっともう、彼の前だけでしか生きることができない。そしてスザクはもう一度生きてみたいのだ。
 あの街頭に設置された大型画面で、彼の姿を見てからもうすぐ二年がすぎる。あれから一度も彼の姿を見たことはない。公務についてない皇子だ。メディアにはほとんど映らない。当然といえば当然だが、時々どうしょうもなく会いたくなる。






 正式にブリタニア軍外国人部隊に所属してから一年が過ぎようとしていた。すでに同期の何人かはこの世にはいなかった。十年経つ頃、生き残っているのは3分の1程度になるという。その中に入り込めるんだろうか、スザクは思った。
 だが、そんなスザクの心配とはうって変わって、外国人部隊におけるスザクの評判は鰻登りだった。恐ろしいほど高い身体能力は言うまでもないが、その体術が目を引いた。それは幼い頃より要人の息子という立場から、暗殺対策や誘拐対策の一環として武道を嗜んできたせいだった。藤堂から教えられた武道は非常に実践的で効率的であり、またその一方で枢木一族に伝わる神事で習う剣舞は優雅さがあり、その両方を極めていたスザクの動きは一種独特なもので、真似ようとして真似できるものではなかった。
 その評判が理由なのかはわからないが、スザクは帝都ペンドラゴンに呼び出されていた。詳しい内容は命令書に記載されていなかった為、一体何の用事なのか知ることができなかったが、スザクは久々に味わう帝都の雰囲気を満喫していた。だがそれは一瞬のことで、嵐の前の静けさに過ぎなかった。
 久しぶりに訪れたブリタニア軍事施設内で食事を取っていた時、それは起こった。
 最初に感じたのは周囲のざわめきだった。けれどここは軍の食堂施設だ。騒がしくてもおかしくはない。スザクはそのまま気にせず、目の前にある食事をし続けていた。最近はめっきり自炊をしなくなった。仕事が忙しいせいもあるが、落ち着いて料理を作る気分になれないのだ。ほとんどをこういった軍の食堂で済ましている。
(たまには何か作ろうか。腕が錆びつくし)
(多少の休暇、取れないかな)
(そういえば、士官学校の入学で揉めた後、藤堂さんに連絡取ってないな)
(久しぶりにメールでも………ん?)
 突然、自分の前に影がさしたのを感じだ。訝しんで顔をあげれば、白い色が視界を覆った。さらに顔を上げれば、こちらを見つめる青い瞳に出会った。表情は笑顔だがどう見ても何か企んでそうな顔つきだった。先ほどの白は彼が着ている白衣に似た洋服だった。
「キミが枢木スザクくんかな〜?」
 問いかけにスザクは頷いた。
「じゃあ、はい、付いてきて〜」
「ちょっと待ってください。急に何ですか?」
「あれ〜わからない? 僕がキミをペンドラゴンに呼んだんだけど」
 軽い口調に反して言われた内容の重大さにスザクは目を見開いた。
「え、じゃあ、特別派遣嚮導技術部の?」
「そうそう主任のロイド・アスプルンド。短い付き合いになるか長くなるかはわからないけど、よろしく〜。さあ、立って。時間より早いけどね。こっちの準備はもう終わったから、早く実験したくてねぇ〜迎えに来たんだよ〜」
 銀髪に眼鏡、服装は科学者っぽい白、口調は軽く、独特なものがある。
 スザクは何となく嫌な予感がしたが、逆らうことなく付いて行った。その予感は見事に的中し、スザクはロイドの永遠とも呼べる実験に付き合わされることになるのだった。もちろん拒否権はない。のちに、ロイドの部下であるセシルによれば、スザクが叩き出した実験データの数字が飛びぬけて良かったので、調子に乗ったロイドがここぞとばかりあれこれと試したという。
 全ての実験が一通り終わったのは五日後のことだった。データの解析や記録処理はあと二日間かかるらしい。泊り込みだった実験も終わり、スザクは着替え、帰ろうかと支度をしている時だった。ロイドに話しかけられたのは。
「スザクくん、キミさ〜、これが何の為の実験だか薄々気が付いてんじゃない?」
「KMFのパイロット選考、ですね?」
「すっごい機体を作ったはいいけど、誰も乗れなくてねぇ。軍のデータベースにアクセスして身体能力が高い人間を呼び出しては実験してたんだけど、なかなか上手くいかない。そんな時キミの噂を聞いたんだよ。外国人部隊にすごい子がいるって」
 ロイドは何を考えているかわからないような笑みを浮かべながら、続けた。
「スザクくんはさ〜、KMFを操縦したことはあるの?」
「ないです」
「だよね〜。確か僕の記憶によれば、軍の規定でブリタニア人しか乗れないことになっているんだよねぇ〜。民間のKMFは別として。それにしては、模擬実験の時、操縦マニュアル必要なさそうだったねぇ」
 ロイドはじっとスザクを見つめた。返事を要求している。
 スザクは小さく息をついた後、それに応えた。
「KMFを操縦したことはありません。でも独学で学びました」
「どうして?」
「乗れる機会が来た時、それを無駄にしたくなかったからです」
 ロイドは笑った。ずれた眼鏡を直しながら面白そうに言う。
「いいねぇ〜、そういうの。野心が渦巻いている台詞だよ」
 ロイドは脇に持っていた書類をスザクに渡した。
 眉根を寄せながらもそれを受け取った。封筒を開けて中身を見て、思わず絶句する。
「その書類、サインして二日後に持ってきてね。九割がたはキミに決まったも同然だからさ」
「……これは……」
「さっきも言ったけど、KMFはブリタニア人しか乗れないことになってるんだよ。軍の変な規定のせいでね。というわけでキミにはブリタニア人になってもらうから。せっかく見つけたランスロットのパーツを失いたくないんでね。ああ、大丈夫大丈夫。この書類は特例処置と僕の名前で簡単に通るよ」
 ロイドは、また二日後にね、と軽い口調で言った後その場を後にした。残されたスザクは書類を見つめながらまだ動けずにいる。
 ブリタニア人になれる。
ブリタニア人になったら………君の――になりたいと。
そして命がけで君を守ることができたのなら……。
遠い昔に諦めていた願望が頭を擡げた。
 何度望んで、何度諦めたことだろう。それが、もしかしたら叶うかもしれない状況になった。日本人を捨てるのに躊躇はない。むしろそれを望んでいた。
 降って湧いたような僥倖にスザクは遠ざかるロイドの背に向かって頭を下げた。
 二日後、逡巡することなく書類提出したスザクにロイドは笑顔でさっさと受け取ったが、隣にいるセシルの顔は少しだけ曇っていた。
「本当にいいの、スザクくん? 国が貧しいからって喜々としてブリタニア人になろうとする人はいたけれど、あなたは確か日本人だったわよね。一回国籍を変えると元に戻そうとしても難しいわよ。それにブリタニアはそういったところはかなり厳しいし。ロイド主任を捕まえて書類を奪い返すなら今よ」
「そんな〜セシルくん。ひどいよ。せっかく見つかったランスロットのパーツなのに」
 セシルとロイドのやり取りにスザクは小さな笑いを零し、それからゆっくりと首を振った。
「前からずっとブリタニア人になれればって思ってたんです。だからロイドさんには感謝してもし足りないです」
 スザクの言葉にセシルは息をつき、それならいいんだけど、と言ってモニターに向かい再び仕事を始めた。ロイドは書類を持って、早速手続きしてくるよ〜とリノリウムの床に軽快なステップを刻みながら研究室を出て行った。
 これで終わったわけじゃない。むしろやっとスタートラインに立てただけなのだ。本番はここからなんだ。スザクはそのことを十二分に理解していたが、胸に込み上げてくる嬉しさを押さえることはできなかった。

 書類が受理され、外国人部隊を離れ、特別派遣嚮導技術部所属になり、正式にブリタニア人になったのは年が明けた直後ことだった。真冬の雪が降る日に、軍幹部の方からブリタニア人としての戸籍を貰ったのを覚えている。
 特派に戻り、ブリタニア人の戸籍をみなに見せれば、ロイドが待ってましたとばかりに喜んだ。
「やっと(仮)をとっぱらって、スザクくんをランスロットのデヴァイサーって呼べるねぇ。これからは遠慮せずどんどん予定を入れてくから覚悟しといてね〜。まず早速、月末から中東に行ってコーネリア殿下の元でランスロットを動かすことになってるから。あの地域の攻略が進んでないみたいだから、ランスロットを投入してみんなをあっと驚かせてやろうね、スザクくん。きっとランスロットの動きをみたら驚愕すると思うよ。なんたって、他のKMFとスピードが違うよ。もちろんパワーも圧倒的だし、そもそも」
「スザクくん、これからもよろしくね」
 ロイドのいつになったら終わるのかわからない台詞を遮って、スザクに話しかけたのはセシルだった。
「はい、よろしくお願いします」
 スザクは笑顔で答えた。セシルの後ろで、ちょっとセシルくんひどいよ、と声を張り上げるロイドに、スザクはまた笑った。
 戸籍を受け取った日、ロイドがスザクに対し宣言したことは嘘ではなかった。月末には特派全員で中東に向かい、初めてランスロットを戦場に投入した。動きの早いランスロットの奇襲攻撃は無事成功し、第二皇女であるコーネリアから惜しみない賛辞を頂いた。攻略作戦が終わるまで是非協力して欲しいと頼まれ、中東の駐留が決まった。
 スザクにとってもランスロットは非常に相性がいい機体といえた。一言で言えばストレスがない機体だった。ランスロットに乗ってから、操縦の違いや性能の差、癖などをしるために他の第五世代や第七世代のKMFに乗ってみたが、ランスロットのような手ごたえのよさを感じることはできなかった。他のKMFではスザクの反射神経について来れず、どうしても時間のズレを感じるからだ。ランスロットだとその開きがあまりない。だが、それでも時々は遅く感じてしまうこともあったが。

 中東での攻略作戦が終わったのは、その時の初夏の頃だった。エリア18となった地区から特派は本国へと戻り、次世代機の開発やスザクの反射神経に合うように機体の修正作業などが続いた。だがデヴァイサーであるスザクはその作業に加われる訳がなく、時々実験のときに呼び出される程度だ。これまでの激務に対しポッカリと空いてしまった時間を持て余していた時、ロイドから一つの仕事が回ってきた。書類を目にし、スザクはハッと息を呑んだ。
「ブリタニア皇族の式典の警備、ですか」
「う〜んそうなんだよ。コーネリア殿下の要請でね。どうしてもって言われちゃうと断れなくてねぇ〜」
 ブリタニア皇族の式典。そして今の季節は夏。
(まさか)
(この式典は)
 スザクの脳裏に一瞬で三年前の出来事が甦った。街頭に設置された巨大なテレビ画面から見た中継を。足を止め見ていれば、束の間テレビに映し出された彼の姿。ブリタニア皇族として初めてみる彼の威容がそこにはあった。
 スザクは思わず右手を握った。疼く感触はなかった。これはどういうことなんだろう。償いは終わったということか。それとも己の命をかける相手を見に行けということか。
「スザクくん? どうしたのかな? あ、もしかして断りたい?」
「いえ、なんでもないです。式典の警備、喜んで受けたいと思います」
 命令書を受け取り、スザクは敬礼した。

 彼に会えるかもしれない。その可能性を目の前に示された時、スザクは歓喜とともに狼狽していた。どうしても会いたくなって眠れなかった日もあるというのに、実際会えるとなったら、喜びだけではなく不安が心をよぎる。再会を手放しで喜ぶことはできない。そんな子供ではなくなってしまった。その事に対しスザクは少しだけ安堵した。
 彼に再会してしまったら、きっと自分の運命を突きつけられることになる。そのことがスザクには分かっていたのだ。真綿のような優しさで雁字搦めに彼だけに心を縛られるのは恍惚とするが、それと同時に………。それと同時にきっと自分は、嵐のような激しさで彼を絡め取り、四肢を拘束し、自分しか見れないように目を潰し閉じ込めてしまう、そんな予感がする。
スザクは己が怖かった。彼と再び心の邂逅をした時、激情に駆られて何をするかわからない。それが手放しで喜べない理由だった。自分が彼に囚われるのはいい。それはある意味当然だ。その後自分の感情を抑えられるか。その問いに肯と言える自信が今は持てなかった。だが受け取った命令書をつき返すわけにはいかず、またその気にもなれず、悩んでいる間に一刻一刻と時は過ぎ去り、式典の日はすぐそこまで迫ってきていた。





 天気は快晴だった。最もこの季節、神聖ブリタニア帝国帝都ペンドラゴンの気候は安定しており、ほどんど雨が降ることはなかった。乾燥した空気は肌に心地よく、爽やかな風が街の間を通り抜けた。式典の日の今日もいつもと変わらず、心地いい夏の日だった。
 スザクはランスロットに乗り、会場の前の広場の警備に当たっていた。広場の前には車を停めるロータリーになっていて、ここで車を降り、長いカーペットを歩いて会場内へ入るようになっている。スザクは中央にひかれたカーペットからやや左手後方の位置に待機していた。
 スザクはこの場所に立って、第二皇女コーネリアが警備を依頼し、その立ち位置まできっちり指定してきた理由を悟った。この場所は目立つ。しかもランスロットの外見は他のKMFと比べ、白が基調であり派手だ。目立つことこの上ない。そしてスザク自身はあまり自覚はないがランスロットは中東攻略における立役者だった。つまりどういうことかといえば、コーネリアの中東平定の象徴に利用された、というわけだ。テレビ中継される式典でここぞとばかりそれを主張するつもりだ。
(まいったな)
(そんなつもり全然なかったのに)
 だがそう思っても後の祭りだ。いまさら警備位置を変更できるはずもなく、大人しく式典が終わるまでここにいるしかない。モニターに映る華やかな皇族らの歩く姿を見ながら、スザクは人知れずため息をついた。
 それからしばらく経った時、ひときわ大きな高級車が音もなく優雅に停車した。前後の車から護衛の者だと思われる人間が降り、中央の車のドアを静かに開けた。中から堂々とした立ち振る舞いで降りたのは、スザクでも知っている有名なブリタニア皇族、第二皇女コーネリア・リ・ブリタニアだった。印象的な赤い髪と鋭い眼光に見覚えがある。いつもの軍服姿とは違い今日はドレスを身に纏っていた。
 スザクはコーネリアと実際に会ったことはなかった。だが中東攻略の場でモニター越しに何度か謁見したことがある。モニター越しではわからなかったけど身長がかなり高いんだな、とスザクは思いながらコーネリアを見ていたが、続いて降りた人物に目が釘付けになった。遠目からでも見間違えるわけない。コーネリアに続いて降りたのは「彼」だった。黒い盛装を身につけた彼は、コーネリアと何か話しながらカーペットをゆっくりと歩いている。
 スザクはパイロットスーツの胸を掴み、詰めていた息を吐いた。
 大丈夫だ。意外と落ち着いている。
 会いたいという走り出そうな感情も、暗い欲求が満ちる激情も、あることはあるが自制できている。落ち着いて見ていることができる。
(ルルーシュ)
 スザクはモニターの標準を彼に合わせ、拡大調整した。
 街頭の巨大テレビで見た以来、三年ぶりの姿だった。
 日々曖昧になってゆく記憶の中で彼だけは特別だった。はっきりと覚えている。
 高くなった身長、相変わらずほっそりとした身体つき、三年前より大人っぽくなった顔の輪郭、そして変わらない紫の瞳。彼を形成する何もかもが懐かしく、愛しかった。
 右手に疼きはない。精神を蝕む後悔は微塵も沸いてこない。
 きっと今ならば………。
 スザクは彼を見つめ続けた。会場の入り口近くで二人は立ち止まり、話し込んでいるようだった。しばらくしてコーネリアがふと手を上げ、ランスロットを指差した。その軌道を辿り彼が振り向き顔を上げた。画面越しに彼と目が合う。錯覚だとわかっていても、実際はただランスロットを見ているだけだと理解していても、早鐘を打ち始めた心臓を止めることはできなかった。彼はしばし白い機体を見つめた後、再びコーネリアに顔を向け、それから会場へと入っていった。時間はほんの三十秒にも満たなかっただろう。
 スザクは茫然として入り口を見ていた。
(ルルーシュ)
 心の中でそっと呼びかけた。
 右手に疼きはない。後悔は微塵もない。むしろあの惨事は必然だったと思えるほどだ。
 今なら、きっと今ならば君に会いに行ける。
 そんな気がした。

 だが、そんなスザクの三年ぶりの決断とは裏腹に、時間は無常にも過ぎていった。すでにあの夏の式典がずいぶん経っている。季節はもう秋といってもよかった。
 スザクは己を嘲笑った。会いたくてもそうそう会える人間じゃないとわかっていたはずなのに、どこか楽観視していた。馬鹿だ、自分は。枢木家のコネは使えない。当たり前だ。もう日本人ではないんだ。それなのにそんな所を頼ろうとするのは虫が良すぎる。ではどうする? 今も通っているかどうかわからないが、アッシュフォード学園に押しかけるか? だが、それもあまりいい案とはいえない。警備員に目をつけられ、捕まったりしたらそれこそ大問題になる。軍属である自分がそんなことをしたら絶対に処分されるに違いない。そうしたら折角ブリタニア人になったのに、全てが水の泡だ。
 スザクは考える。何かいい方法はないだろうか? それともいっそのこと待ってみようか。いつかまた偶然に会える日を。自分が彼と何らかの運命で繋がっているのなら、きっとこの先出会える日が来るはずだ。


「よくないねぇ〜」
 特派の研究室で色んな数値が並んでいる画面も見ながら呟いたのは、ここの主任であるロイドだった。くるりと椅子を回し、背後に立っていたスザクを見上げる。隣にいるセシルもどうやら同意見のようで、スザクを見る目が少し心配そうだった。
「どうしちゃったの、スザクくん? 自分が調子を崩しているって自覚ある?」
「え? どこか悪いんですか?」
 思わぬことを言われたスザクは戸惑いながら逆に聞き返した。
「やっぱり自覚ないみたいだね。少しずつだったから立ち直るかなって思って何も言わなかったけど、どうも自分一人じゃ立ち直るどころか、自覚もないみたいだし」
 ロイドはキーボードを操作し、モニター画面にあるグラフを表示させた。適合率、起動可能範囲などの数値が細かく日付順に映し出されている。数字を見れば一目瞭然だった。徐々にだが下がってきている。
 それを見て塞ぎこむスザクにロイドは何の脈絡もなくとんでもないことを口にした。
「ルルーシュ殿下に恋でもしちゃった?」
「…………なっ!!!」
「あれ、ホントに図星?」
「ちょっとロイド主任、こういうことはデリケートな問題なんですから、もうちょっと言い方があるんじゃないですか」
 セシルがすぐにロイドを咎めるが、スザクはそれどころじゃなかった。ロイドの発言で一瞬で思考が粉々に砕け散り、何も言うことができなかった。例え何か言える状況であっても何を言えばいいのか、肯定か否定か、それさえもわからなかった。
「キミの様子が、まぁ数字のことだけど、変になっていったから、ちょっとランスロットの視覚モニターをチェックしてみたらさ〜、ご覧の通りだよ」
 ロイドは再びキーボードを操作し、今度はランスロットの視覚モニターの録画を見せる。そこに映し出されたのは、あの夏の式典の様子で、彼の姿が大きく映し出されていた。
 スザクの顔面にカッと朱がさした。
「ま〜ね〜、ルルーシュ殿下はあの見た目だし、スザクくんが一目ぼれしちゃうのもわかるけどねぇ〜」
「ちっ、違います。誤解です。僕とルルーシュは」
「ちょっとスザクくん。呼び捨てはまずいわよ。どこで誰か聞いているかわからないんだから。ちゃんと敬称をつけないと」
 セシルの指摘にスザクは素直に、はい、と頷きそうになったが、問題はそこではないと気づき、慌てて軌道修正した。だがいくらスザクが口で違うと言い続けても、ロイドとセシルは全くと言っていいほど信用せず、仕方なくスザクはかなり大雑把に説明した。彼が昔日本に留学した時に友人になったことを、そして「偶然」夏の式典で見かけたことを、できれば会って話したいということを。もちろん、自分が日本国首相の息子だとは匂わせもしなかった。スザクの説明にセシルは納得したようだったが、ロイドの眼鏡の奥に光る瞳は何かを薄々と気づいたように細められた。
「スザクくん」
「あ、はい」
 今日の仕事が終わり、パイロットスーツから着替えようとしたときに、ロイドは更衣室に現れスザクに話しかけた。そして問う。
「ルルーシュ殿下に会いたい?」
「え?」
「会わせてあげようか?」
 ロイドの言葉にスザクは目を瞠った。
「こ〜〜んなことで大事なランスロットのパーツの調子が狂うのは、僕にとっても困るんだよね。折角中東の活躍でその実力を示せたっていうのにさ。開発費だって上乗せしてもらったのに、次の出撃の時散々だったら、パァだよパァ」
 ロイドは首をすくめて言った。そんなロイドの姿をスザクは真剣な眼差しで見つめる。
「本当に会えるんですか?」
「こう見えても人脈はあるほうなんでねぇ〜。ルルーシュ殿下のご母堂様である、マリアンヌ皇妃とは直の知り合いなんだよ。『枢木』スザクくん」
 ロイドの台詞にスザクは、ああやっぱり、と思った。
 彼の母親と知り合いだという台詞にも驚いたが、その後に付け加えられた言葉にスザクは、ロイドが自分のことを気づいたのだということを悟った。
『枢木』スザク。わざとそういう風に呼び、スザクに悟らせた。
 日本国首相枢木ゲンブの息子である枢木スザクだということを。
 スザクがそういった存在だということを。
 それに気づいたが、言わないでおいてあげるよ、ということを。
 スザクはロイドを見た。飄々とした表情を浮かべている様は、普段と変わらないように見えた。
スザクは頭を下げ、
「では、よろしくお願いします」
と頼み込んだ。
それに対し、ロイドはニヤリと笑い、
「そうこなくっちゃね」
と言った。
 それからのロイドの行動は早かった。ランスロットのパーツの一部であるスザクの不調を回復させるために、さっさとマリアンヌに連絡を取り、取り合えずスザクと対面させる段取りを整えた。あまりの素早さにスザクが訝しめば、ロイドはあっさりとその理由を教えてくれた。何でも皇妃マリアンヌは昔KMFのパイロットであり、かつでは「閃光のマリアンヌ」と言われたほどの凄腕らしい。ロイドのKMFの開発にも何度か協力をしてくれたこともあり、何となく縁が続いているのだという。そしてさらに付け加える。
「スザクくんはさ〜、な〜んか僕のことを誤解してるみたいだけど、僕だって貴族の端くれで、伯爵の爵位を持ってんだよ〜」
 ロイドの発言に思わずスザクは穿った視線を送ってしまった。視線の意味を悟り、ロイドからは非難されたが、スザクは笑ってごまかした。


 皇妃マリアンヌにスザクが実際に謁見できたのは、ロイドとの会話から二週間が経った頃だった。特派の研究施設がある建物に高級車が迎えにきて、そこに紹介者であるロイドとともに乗り込んだ。二人が乗ったのを確認すると音もなく車は動き出した。これから皇族の居住地区へと向かう予定になっている。マリアンヌが会う場所を彼女が住むアリエス宮でと指定してきたからだ。
「いらっしゃい、ロイドさん。本当に久しぶりじゃないかしら。それからスザクくんだったかしら? ようこそアリエス宮へ」
 アリエス宮に通され、庭の用意されていたアイアンのテーブルに案内されれば、すでにそこには皇妃マリアンヌの姿があった。長い黒髪とその容貌はどこか彼に通じるものがあり、スザクは瞬きも忘れその美貌に魅入っていた。
「あ〜、本当に久しぶりですねぇ〜。こうして実際にお会いするのは、一年前の起動実験以来ですかねぇ〜、マリアンヌ様。その後お元気にしていましたか?」
「まぁまぁかしら。とりあえず立ってないでこちらに来て座ったら?」
 マリアンヌはそう言って、空席になっている二つの椅子を案内した。
 明るい日差しが降り注ぐ庭の中に置かれた黒いアイアンの丸いテーブルと椅子、三人でそこに座り、メイドがそれどれに紅茶と軽い軽食を用意した後、マリアンヌは改めてロイドに言った。
「それにしてもランスロットのパイロットが見つかった途端、全く連絡を寄越さなくなったわね。現金すぎて呆れるというか」
「はぁ〜、まぁ〜忙しくてですね〜、それどこじゃなかったというか、ほら専任デヴァイサー仕様にランスロットを修正する作業もありますし、何しろする中東のほうへ行かなきゃならない用事が」
「そのことなら聞いてるわ。コーネリア嬢から直に色々聞いたもの。大活躍だったらしいじゃない。夏の時見たわよ、あの白い機体。自慢げに見せびらかしちゃって」
 そこでマリアンヌは言葉を切り、口を閉じたまま黙しているスザクに目をやった。黒色の視線と緑色のそれが交差し、交じり合った。
「で、その自慢の白い機体のパイロットが、私に会いたがっている、って訳ね」
 スザクは改めて頭を下げ、自己紹介する。そんなスザクを横目でちらりと見ながらロイドは付け足した。
「はぁ〜、まぁ〜、正確に言えば、ルルーシュ殿下に会いたいそうです」
 その台詞にマリアンヌは驚いた声を上げた。
「ルルーシュに? あの子に軍属の友人なんていたのね。普段何をやっているのかわからない子だけど、意外と顔が広いのね。…………ってちょっと待って」
 マリアンヌがじっとスザクを見つめた。その目は先ほどまでとは違い、全てを見透かすような鋭いものだった。それはまるでかつて「閃光のマリアンヌ」と呼ばれていた軍人の時のように厳しい顔つきだった。何か思い当たることがあったんだろうか、口元に手を当て少し考えた後、引っ掛かるようにスザクの名を呼んだ。
「枢木スザク………」
 その響きにさらに眼光が鋭利になる。それからハッと何かに気づいたように目を大きくした。
「枢木? ……もしかして枢木家の? ゲンブさんの嫡男のスザクくん?」
 問いかけにスザクはゆっくりと頷いた。
「お久しぶりです、マリアンヌ様」
 実は遠い昔マリアンヌとは一度だけ会ったことがある。ちょうど「彼」が日本へ留学するとき一緒に来日したのだ。一週間だけ滞在し、その後すぐにブリタニアへ帰国したが、その滞在した時に行われた身内だけの晩餐会で会ったのだ。
「あなた、何でこんな、ブリタニア軍なんかに」
 そこでハッとしてマリアンヌはロイドを見た。
「KMFのパイロット?」
「は〜い、そうですマリアンヌ様、彼は優秀なランスロットのデヴァイサーです」
 再度スザクの方を向き。
「何やってんのよ、スザクくん。日本の、確か、藤堂さんっていう方から捜索願が出されるのよ。しかも極秘裏で。公にしてないし、極一部の人しか知らないけど」
「藤堂さんから、そうですか……」
 そういえば藤堂とは全く連絡を取っていなかった。きっと心配しているのだろう。だが、もう戻ることはできないし、戻るつもりもない。すでにスザクのいる場所はブリタニアなのだ。
「マリアンヌ様、僕のことを日本政府に伝えないでくれませんか。日本は僕を捨てた国であり、僕が捨てた国なんです」


 秋の日暮れは早い。皇妃マリアンヌとの謁見は終わった頃にはすでに夕暮れになっていた。エントランスに横付けされた高級車に向かい、スザクは入り口の段を下りていた時、見送りにきたマリアンヌに話しかけられた。
「ルルーシュと会う件は私に任せて。それからこちらが出した条件なんだけど」
「アッシュフォードのことですね。それは大丈夫です」
「軍と学校を掛け持ちさせて悪いとは思うんだけど。あの子、学校を休んでばかりなの。成績がいいから見逃されてるけど」
「殿下のお目付け役、任せてください」
 スザクの言い方にマリアンヌはくすりと笑った。
「頼むわね、スザクくん。あなたのアッシュフォード転入の準備が整いしだい、また連絡するわ」
「わかりました」
 スザクは深々と頭を下げた。顔をあげ、再び車へと向かう。車内にはすでにロイドが乗り込んでいる。最後の段を下り、車の取っ手を掴もうとした時だった。
「スザクくん」
 背後から掛けられた声に振り返った。午後の橙色の陽光が段の上いるマリアンヌに当たっている。アリエス宮の白亜の壁も同様に染まり、目に見える一面全てが黄昏色になる。
 スザクはマリアンヌを見つめた。マリアンヌもまたスザクを見ている。静寂があたりを支配し、どこか遠い世界へと連れて行かれたような感じがした。だがそれを打ち破り、現実へ引き戻したマリアンヌの声がした。
「あなたはルルーシュの騎士になりにきたの?」
 穏やかな声だった。けれどそれだけではない何かを秘めていた。
 彼女は訊いている。
 スザクがブリタニアに来たのは何故か。ブリタニア軍に入ったのは何故か。KMFのパイロットになったのは何故か。ブリタニア人になったのは何故か。
 それは全て「彼」の騎士になりたいがためか?
 二人の間に秋の涼しい風が静かに通り抜ける。
 スザクはその問いかけに首を縦に振り、
「イエス ユアハイネス」
 そう応えてからもう一度頭を下げ、それから車に乗り込んだ。






 それから三週間後、スザクはアリエス宮の居間にいた。メイドが向かいのソファに座っているマリアンヌにそっと耳打ちしている。マリアンヌは頷き、それからスザクへと視線を投げた。どうやら「彼」が帰宅したようだ。
 背後にあるドアに神経を集中する。遠くから微かに聞こえてくる足音が徐々に近づいてくるのがわかる。扉が開き、「彼」が入ってくる気配がした。固唾を飲み込み、その時を待った。
 マリアンヌがにこりと笑いながら、居間へと入ってきた「彼」に言った。
「あら帰ってたの。あなたにお客さんよ、ルルーシュ」
 スザクは「彼」の視線がマリアンヌから自分に移ったのを感じ、それからゆっくりと振り返る。そこには、これ以上ないほど見開いた紫色の瞳が自分を見ていた。

 久しぶりだね。
 五年ぶりに君を間近で見るよ。
 君に会いに来たんだ。
 昔、君を単純に慕っていた頃からずいぶんと遠くにきてしまった。
 その頃の自分はもう死んでしまい、この世にはいない。
 ここにいるのはただの空っぽの屍でしかない。
 そんな僕に君が生命を吹き込んで欲しいんだ。
 君だけにしかできないことなんだ。
 そう、ただ一人だけ、君だけが僕を生き返らせることができる。

 スザクは笑った。そして優しく言った。
「ルルーシュ、お帰り」






END

[2010/03/28]


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