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「見事な演説でした」 そう声をかけられ振り返れば、見知った顔が廊下に佇んでいた。 「ジェレミア卿、いらっしゃっていたんですか?」 「はい」 頷きながらそう答える男に視線を向けた。深い夜空のような髪を短く切りそろえ、左の眼球の上にある、まるで仮面舞踏会にかけるような仮面が印象的な男だ。以前はいかにも貴族然とした服装をしていたが、オレンジ農場を始めたせいなのか、今は少しだけ印象が違って見える。 にしても前皇帝の側近だからといってもよく自分のところまで、と考えていると、こちらの考えを感じ取ったのか、ジェレミアは言葉を続けた。 「みなが通してくれたのです」 「そうですか」 そう言って言葉が切れた。目の前にいる男はかつて同じ主を仰いだ仲間であったが、それほど個人的に親交があった相手ではない。こうして訪ねてくるとは予想外のことだった。それとも不測の事態でも起こったのだろうか? 「あの時以来ですね、こうしてお会いするのは」 「またお会いできるとは思っていませんでした」 「私もです」 ジェレミアは同意しながら微かに笑った。 あの時――そうゼロレクイエム以来だった。突如起こった混乱の中、ブリタニア軍をまとめ、撤退させ、群集との衝突を回避したジェレミアの手腕を思い出す。おそらくジェレミアがいなければ、彼の遺体も民衆によって八つ裂きにされていたのだろう。 そこまで考え、ふと疑問が過ぎった。あれ以後、彼の遺体はどうなったのだろうか? 彼の希望通りになったのだろうか? 「ジェレミア卿」 「はい」 「あの後、彼の遺体は……どういうふうに?」 「全てあのお方の指示通りに。荼毘に付し、全てを海に撒きました」 「そうですか……」 「ご遺体は……とても綺麗でした。あなたのつけた傷以外はどこも損なうこともなく」 そう言うジェレミアに、微かに俯いた。 彼は死後の自分の身体のことを気にしていた。本当なら民衆の感情のまま八つ裂きにされても仕方がないと思っていたようだが、「ナナリーの前でそういった場面を見せるのは酷だろう。できれば素早く回収してくれ」と警備担当のジェレミアに頼んでいた。 上手くいったのか。 そうか、彼は綺麗なまま……。 彼の身体に唯一残ったのは、この手でつけた傷だけで……。 「ゼロ、一度私の屋敷まで来て頂くことはできないでしょうか?」 「え?」 予想外の申し出に思わず目を瞠る。そんなこちらの様子にジェレミアは苦笑いし、さらに続けた。 「ご存知かもしれませんが私は今オレンジ農園をしていまして。とてもいい場所なんです。太陽は燦燦と輝き、屋敷周辺は見渡す限りオレンジの木だけです。誰の目もありません」 「ジェレミア卿」 「ゼロ、あなたに来ていただきたい」 力強い口調に、一瞬だけ眉根を寄せた。ジェレミアは何かを訴えるように見据えている。 「わかりました。いつかお伺いしましょう」 現在の世界情勢をみれば実際に行けるとは思えなかったが。ジェレミアの熱意に押され、社交辞令でそう応える。だが、そう応えてもジェレミアの視線は濃さを増すだけだった。 「必ず近いうちに来てください。きっと今のあなたに必要なものがあるでしょう」 今ならばわかる。 ジェレミア卿の訴えが。 きっとあの当時、ジェレミア卿の屋敷にコードをもった彼が隠れ住んでいたのだ。 だが、それを決して口には出せなかったのだろう。 それでもどうにかして、自分たちを会わせたかったのだ。 あの頃、もしコードを持った彼と再会していたなら、自分は一体どういう行動をとったのだろうか? 約束が違うと怨んだだろうか? それとも力の限り抱き締めただろうか? ***
SILENCE 柔らかい風が吹いた。 枝についている幾万の葉が揺れて擦れあい、カサカサと音をたてている。今さっき口にした言葉さえその風に乗り、どこかへ消えてしまったように感じた。 消してしまえるのなら消してしまいたかった。だが、口に出したそれはどうしょうもないぐらい現実だった。 枢木スザクと名乗っている自分は、本当は枢木スザクではない。完璧な擬態を演じていたため、いつの間にか本当に自分が枢木スザクだと信じ込んでいた。けれど彼に乞われたあの瞬間、自分を覆う枢木スザクが粉々に砕け散ってしまったのだ。 ―――俺と一緒に永遠を生きて欲しい――― あれはスザクをバラバラに壊す魔法の呪文だった。 「本当に破壊力あったよ。甘い誘惑から逃れるために一ヶ月もかかった。もし彼の言葉に従っていたのなら永遠に後悔するところだった」 それは恐ろしいほどの地獄だ。 スザクは空を見上げた。高い建物の間から切り取ったような青が見える。だが日差しは四方を囲む建物にに阻まれ、スザクのところまで届くのはわずかだった。 スザクは目を眇め、しばらく遥か頭上にある空を見ていた。 ***
―――枢木スザク――― それは自分の双子の兄の名前だった。 顔も気性もそっくりで、両親以外は見分けがつかなかったほどに二人は似ていた。 そんな兄が亡くなったのは、まだ十歳になるかならないかの頃だった。 兄は小さい頃から不思議な夢を見るといって自分によくその内容を教えてくれたが、お互いにまだ子供だったので要領が得ない部分もあり、今ではひどく曖昧な印象しか残ってはいない。そんな中で記憶に残っているのは、「すっごい綺麗な異国の皇子さまが出てくるんだぜ」といった無邪気な声だった。 兄が話す夢の内容は当時の自分にとってとても魅力的に思え、こんなに兄とそっくりなのに何で自分は見ることができないんだろうと、少しだけ不満だった。だがそれは兄が亡くなると同時に自分の手元に落ちてきたのだった。 兄は病死だった。自分と瓜二つの存在が徐々に衰弱しやつれていく姿は、とても奇妙な感覚であり、胃の底からわきあがる恐怖を覚えた。兄が自分から離れ別の存在へとなりかわっていく。あれほどそっくりだと言われた顔も、頬がこけ、肌は青白く、目に光はない。 兄は亡くなる前、両親が席を外した僅かな隙に『コレ』を渡してくれた。クリーム色の優しい色彩をした病室、カーテンが大きく開けられた向こうに見える澄んだ青い空、清潔なベッドの中に横たわる兄。彼は肉付きの薄くなった手を差し出し、こう言ったのだった。 「これ、お前にやるよ」 兄の顔と手を交互に見た。 「俺はもう、ちょっと無理そうだから」 自嘲したように笑う表情が痛々しかった。 「俺の代わりにあいつを探し出してくれよな。きっとこの世界のどっかにいるはずなんだ。だって『俺』が存在してるんだぜ。あいつもきっとどこかにいる」 差しだれた手にそっと触れる。その途端どこにそんな力が残っていたのかと思うほど、力強く握られた。その戸惑いを表す間もなく、流れてくる記憶の渦。気持ちのカケラたち。全てが終わり、茫然と佇む自分に。 「頼むな」 と兄は静かに言った。 そしてその瞬間から自分が『枢木スザク』となったのだ。 ***
「僕と兄は一卵性双生児で、だからかな、本当に違和感なくこの能力を受け取ることができた。きっと魂は同じものからできているんだろうね」 兄が亡くなったのは十歳ぐらいの頃だった。そのせいなのか、兄から受け取った過去の記憶もちょうどその頃までしかなかった。ブリタニアとの戦争が始まる直前までの楽しい記憶だ。そしてこの力を受け継いで自分が最初に視た過去、それは枢木ゲンブを刺し殺すところから始まる。その衝撃は今でも忘れられない。泣きながら目を覚まし、その後数日寝込んだ。 「親父とゲンブさんは似ているところがひとつもなかったから、まだ立ち直ることができた。所詮夢の中の話だと、現実ではないと、これは自分じゃないって割り切れたんだ」 それから15,6歳まで見た過去の記憶に、彼は一切出てこなかった。ブリタニア軍の中での悲惨な生活ばかりが繰り返し繰り返し飽きることもなく記憶にあわられ、その頃は実際の生活も荒れた。やっと彼が記憶の中に姿を見せた時、思わず泣いてしまったほどだ。 「もうその頃にはこれがなんとなく過去に起こった出来事じゃないかな、と検討はつけていたんだ。これから未来に起こる出来事だったら悲しすぎるし、ブリタニアが遥か大昔、絶対君主制だったというのは有名だからね。でもこの記憶が過去だと確信したのは、世界史の授業に彼が……、彼の名前が出てきたからだ」 それからだ。自分が対外的に枢木スザクと名乗るようになったのは。二十歳を超え、戸籍にある名前も枢木スザクに直せば、正真正銘、己が枢木スザクになったような気がした。そして教育実習のときに彼に出会い、日本からはなれブリタニアの地で再会したその時ですら揺るがなかったというのに。 「不思議だね。彼と一緒に生きる、ということを考えた瞬間、全てが崩れ落ちた気がしたんだ」 自分を覆う枢木スザクという存在が剥がれ落ち、ナイトオブゼロである枢木スザクすらかき消して、一番最初の自分になってしまったような気がした。今ではもう誰も知らない元々の自分に。 「もう完全に枢木スザクになったと思ったのに……ね」 まるで振り出しに戻ったようだ。 だが、その時はっきりと気づいたことがある。 「僕は彼に自分の名前を呼んで欲しかったんだ」 今ではもう元の名前を知る人はいない。 数十年前に捨てた名前だ。自分自身ですらもう滅多に思い出さなくなっていた。 そんな誰も知らない自分の本当の名前、それを彼に呼んで欲しかった。 けれどきっと、彼にとって枢木スザクではない自分は必要ないのだ。 ***
彼と決別した後、予定通り西海岸を本拠地とする部隊へと移動した。規律も習慣も何もかも異なり、また新しい人間関係に慣れるまで何も考えられないほど忙しかった。けれど、徐々に時間が経つにつれ、それらにも慣れ少しの時間の余裕が生まれれば、まるでスイッチが入るように彼のことを思い出した。 遠い歴史の中にいる彼と自分のことではない。 振り返れるほどの過去、ほんの数歩だけ後ろに過ぎ去っただけの時間、実際に自分が体験した彼との出来事、それを静かに思い出す。 他のどのスザクでもない、自分だけの出来事、自分だけの記憶。それはとても甘く苦いものだった。でもそれを手放そうとは思わない。きっと命ある限りそれを抱えて生きていく。何度も反芻し、大切に抱き締めながら。 ***
「うん、わかってる。わかっているんだ。兄と自分はもともと一つだったわけだからね」 自分が死ななければ、新しい枢木スザクは転生できない。枢木スザクの魂の一部を自分が持っているからだ。自分が死んでやっと枢木スザクは輪廻転生の流れに戻れるのだろう。 前線には何度も志願した。何度も最前線で戦った。 「でも彼の希望を叶えることはできなかった」 彼はきっと待っているのだ。次のスザクに出会えるのを。 あの当時、数ヶ月一緒に暮らしているうちに、彼の言動や態度から、彼はもう何度もこういった転生したスザクに会っているのだろうということが推測できた。 「ごめんね。まだ少し時間がかかるみたいなんだ」 この肉体が死を迎えるには。 「もう少し待っててね」 その時こそ、必ず一緒に逝くから。 ***
日本へ帰国してしばらく経った後、一度だけ彼の携帯に電話した。繋がった事実に安心し、呼び出し音がワンコール鳴ったところで、静かに電話を切った。そして彼の携帯番号が記してある黄ばんだ紙を丸め、屑籠にそっと捨てた。 END [2011/02/05] |