またいつか出会えるその時こそ、必ず、必ず。
 今度こそ。

 今度こそ必ず君と一緒に逝くよ。


SILENCE


 そう切り出されたのは食後のコーヒーを出された時だった。
「それにしても、いやいや、本当に残念だよ」
 と大げさに溜め息を零しながら、そう言ったのはトーマス・ジェイソンといった。恰幅のいい身体に無理やり着せたようなスーツがどこかコミカルに見え、人の良さが感じられる。
 スザクは軽く首を竦め、それに答えた。
「急に決まったことだからね、仕方がないよ」
 コーヒーが入ったカップを下ろし、スザクはそう言った。
 大きなカラス張りの天井からは、正午過ぎの太陽の光がこれでもかというほど落ちてきて、白い内装でまとめられているレストランがますます白く光っている。店内はほぼ満席で、一つ二つ空席があるだけだった。
「実家の道場を継ぐ人が誰もいないんだ。かといって誰にでもできるものでもないし。そこで白羽の矢がたったのが僕だったというわけだ」
「ドウジョウ?」
 トーマスの少し外れた発音がおかしく、スザクはくすりと笑った。
「道場だよ。お稽古ごとや習い事みたいなものだね」
「そこでお前がジュウドウやらケンドウやらカラテを指南するってワケかい?」
「そう。子供たちにね。今はエクササイズとしても流行っているようだから、ご近所の奥様方もいらっしゃるようだね」
「ガキとオンナか。そんな所でガキどもに教えるぐらいなら、私としては是非軍で後輩の指導に当たってほしかったね。お前が前線を退いたら是非教官としてきて欲しいと、手をこまねいて待っていた私はどうなるんだ」
 大げさなジェスチャーを交えながら話すトーマスの仕草はどこか昔の同僚を思い出させた。鮮やかな金髪、スカイブルーの瞳、それ以外は似ても似つかないというのに。
 スザクは笑った。
「それはすまないね」
「ああ全くだ」
 わざとらしい言い方にスザクの笑みは深くなった。トーマスも一緒に笑ったが、急にそれを引っ込め僅かにスザクの方へ顔を寄せた。それからやや声を潜める。
「ところでスザク、誰か連れて行くのか、それともジャパンで決まった相手でも?」
「はぁ?」
「いや、ほら、キャシーがそれをすごく気にしていてな。探りをいれてこいって五月蝿いんだよ」
「キャシーが?」
 思わぬ名前を出され、スザクは意外そうな顔をしながらその名を呼んだ。黒髪の豊かな長い髪、目の前にいるトーマスと同じ青い瞳を持った女性の姿が脳裏に浮かぶ。彼女はトーマスの従兄妹だった。5年ほど前、あるパーティーの席でトーマスから紹介された。それ以来友情が続いている、数少ない女友達の一人だった。
「あいつはお前に気があるんだ」
「馬鹿な。僕とキャシーは一回りも離れているじゃないか」
「恋愛に年齢は関係ないだろう」
 トーマスは屈託なく笑った。
「お前はもてるのに特定の相手は結局最後まで作らなかったな。だから皆、ジャパンに決まった人がいるんだとよく噂していたぜ」
「まさか。そんなのいるわけないだろう。若ければともかく、もうこの年齢にもなって。特定の相手を作らなかったのは、ただ単に誰にも心が動かなかっただけだよ」
 そう、彼以外誰にも。
 何も感じることができなかった。
「それだけか?」
 疑いの眼差しにスザクは一拍置いた後、静かに微笑み。
「それだけだよ」
 と答えた。

 レストランでのランチが終わり、トーマスは別れ際に言った。
「またブリタニアに来る時には声をかけてくれよな」
 スザクは小さく微笑み、それに対してYesともNoとも答えることはしなかった。軽く手を振り、別れの言葉を口にする。トーマスが頷き、彼もまた手を振った。どこにでもある簡単な挨拶を交わし、スザクはトーマスの小さくなる後姿を見送った。
 トーマスはブリタニア軍の同僚で、軍人とは思えないほど穏やかでいい人だった。だから嘘はつけなかった。ゆえに彼の言葉に答えることもなく曖昧に笑ったのだ。明日の飛行機で日本に帰れば、スザクはブリタニアに足を踏み入れるつもりはない。もう二度とこの地に来るつもりはなかった。だがそれをわざわざ彼に告げる必要はない。自分だけの決心なのだ。
 スザクはもう見えなくなってしまった同僚の後姿に別れを告げ、ゆっくりと反対方向へと歩き出した。行き先は決まっていた。最後にふらふらとブリタニアという国を気ままに歩いても良かったが、この国を離れる前にどうしてももう一度行きたかった場所がある。それは首都ペンドラゴン旧市街地、かつての自分が作り上げた街だった。



***



「本当に何もなくなってしまったのですね」
 大きなクレーターがあき、全てが消失した大地を見渡しながら彼女は言った。
 本当は止めたかった。舗装されてない道は車椅子の彼女にとって危険だろうし、目が見えるようになった彼女にその荒涼とした風景は心に深い傷を負わせることになるだろうと分かっていたからだ。ただでさえ、彼女はつい先日心に大きな消失を負ったばかりなのだ。それでも彼女は言った。結果を見たいのです、と。自分がしてしまった結果を、そこから目を逸らしたくないのです、と。
 結局、真っ直ぐに見つめるその紫色の瞳に異を唱えることができず、ここに連れてきてしまった。
 フレイヤの威力は知っている。その凄まじさを最初に世界に見せ付けたのは他ならぬ自分だ。一瞬で全てを無へと返すのだ。ダモクレスから発射されたそれは、自分が撃った時のものよりも改良され、威力は数倍に跳ね上がっていた。
 何も残っていない。見渡すかぎり焦げ茶色の焼けた土と、その向こうにある真っ青な空だけだ。何も残ってはいないのだ。人も物も建物も木々も、そして思い出も。
「ここに連れて行きたかった人がいたんです」
「え?」
「そう言うと語弊があるかもしれませんね。正確に言えば……みんなで一緒に行きたかったんです」
 車椅子に座る彼女を静かに見下ろした。彼女は剥き出しの大地を遠い眼差しで見つめている。彼女の瞳には今、何が見えているのだろうか?
「ゼロ」
「はい、ナナリー陛下」
「私は幼い頃帝都ペンドラゴンで育ちました。皇族が住むエリアの中にアリエス離宮というのがあって、その小さな箱庭で私達は過ごしてきたんです」
「そう…ですか」
「一年ほど前皇族に復帰しても、私の目は見えないままでした。やっと見えるようになったのに、もうなくなってしまったんですね。三人で一緒にあの庭を散歩したかったです。小さい頃ここでどんな遊びをして、私がどんなにお転婆だったか、お話したかったのに」
 彼女はふいに顔あげ、こちらを見上げた。
「一度でいいから、三人で同じ風景を見たかったです」
「ナナリー…陛下」
 一瞬、敬称を付け忘れそうになった。彼女の瞳が仮面の奥の奥まで見えているような、そんな感じがしたからだ。
「せっかく目が見えるようになったのに、そんな機会はもう訪れることはないのですね」
 そう言って小さく笑う彼女は誰よりも綺麗に見えた。



***



 カツカツと古びた石畳に規則正しく響く革靴の音がした。
 ブリタニア共和国首都ペンドラゴン旧市街地、スザクは文化遺産にも指定されているその街中をゆっくりとした歩調で歩いた。昔に比べればすいぶんと色あせ古ぼけてはいるが、それでも面影はしっかりと残っている。自分がゼロになってすぐに手をつけたのが帝都ペンドラゴンの復興だった。あの頃、全てを振り切るようにがむしゃらに働いた。
 今のペンドラゴンの中心はここではない。首都機能は南下し、そちらが政治経済の本拠地になっている。ここはすでに昔を知るための観光地になり、平日は人もまばらだった。
 スザクはかつて訪れたことのある教会の姿が目に入ると、微かに息をついた。
「十数年来なかったけど、意外と覚えているもんだね」
 そう感想を述べ、少しの間歩みを止め、ひっそりと佇む教会の全貌に見入っていた。それから再び歩みを再開し教会の前まで来ると、錆付いた門を開けた。墓石に挟まれた小道を歩く。まるで時が止まってしまったかのように、そこには何の変化はなかった。そして自分もまた、昨日もここに来たかのように記憶に遜色がなかった。
 覚えている。
 あの二人が眠る場所までの道順。
 あの時彼は、スザクの存在に困惑しながらも教えてくれた。
 その道を今また辿る。
 小さく質素な二つの墓石。
 十数年の年月など存在しなかったかのように、それはただそこにあった。
 手を合わせ黙祷をささげた後、スザクは目を開いた。
「久しぶり」
 第一声がそれで正しいのかわからないが、そんな言葉がするりと喉の奥から零れた。
「本当はもう二度と来るつもりはなかったんだけどね。でも、明日ブリタニアを発つ前にもう一度ここに来たほうがいいと思って。これで……、今度こそこれで最後だ」
 そう言ってスザクは笑った。



***



 打ち破る時は意外なほど簡単だった。ギアスだのなんだのと考えている暇さえなかった。ただ彼女を守りたかった。それは彼から託された使命でもあったのだ。彼はなんのために世界を壊した? それはただ一人の妹、彼女のためではなかったか?
 大きなホールでの独立記念式典を兼ねた立食パーティー。かつて悪逆皇帝に刃向かい立ち向かった人たちが大勢集まっている。和やかな空気の中、会場のどこかでその調和を乱している気配に気づいた。殺気だった。それが誰に向かっているかに気づき、とっさに身構えた。世界の英雄である自分ではない。そうだ、殺気の先は隣にいる彼女を狙っていた。
 弾丸が発射される。身体が勝手に動く。その後自分が待ち受ける結果などどうでもよかった。
 衝撃に身体が熱くなる。意識が朦朧とする。けれどまだしなければならないことがある。背後を振り返った。驚きに見開いている紫色の瞳がある。無事だ。彼女に傷はない。
「良かった」
 その呟きは声に出てしまったのだろうか、彼女の大きな瞳がますます見開いた。
 身体が床へと崩れ落ちそうになる時、犯人だろう男が警備員に取り押さえられるのが見えた。銃が犯人の手から離れるのを確認すると、急に身体から力が抜けるのを感じた。
「ゼロッッ!!!!」
 空気を切り裂くような悲鳴が聞こえた。その声がした方を見れば、不思議と彼女の顔が自分の頭上にあった。そこでやっと自分が倒れていることを知る。
 体温が急激に下がっているのを感じる。視界が薄暗くなり、世界が閉じるのがわかった。最後まで足掻き続けた聴覚には彼女の嗚咽が木霊している。
 ああ、そんな悲しまないでくれ。
 これは悲しいことではない。
 君のお兄さんのところに逝くだけなのだ。
 それは別に不幸なことではない。
 むしろ、それは……。

「やっとルルーシュのもとへ逝ける」



***



 二人の墓石を目にして、様々な思い出が脳裏を過ぎった。
 これを思い出と呼んでいいのかもわからない。でも、これまでのスザクの生き方に関わる重要なカケラだった。例えそれがこの身に実際に起こった出来事じゃなくても。
 スザクは静かに語りかけた。
「ナナリー。一つだけ聞いて欲しいことがあるんだ」
 懺悔を。
 彼に打ち明けられなかった言葉を。
 きっとそのせいで必要以上に彼を傷つけたのかもしれない。もし真実を伝えていれば彼はあんなことを言い出さなかったかもしれない。一緒に生きて欲しいなんて、口にもしなかっただろうし、考えもしなかったに違いない。
 彼のことを思うならば、せめてそれだけでも彼に伝えるべきだったのだろうと今では思う。けれどどうしてもあの時は言えなかった。
「ナナリー」
 スザクは自嘲した笑みを顔にのせ、それから告げた。

「僕はね、本当は枢木スザクじゃないんだよ」







[2011/01/14]


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