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ナクシタキオク [6] 静かな声だった。それは失った何かを懐かしむようにも聞こえ、それでいて同時に無感情にも聞こえる、不思議なトーンの声色だった。 ルルーシュは固唾を飲み込んだ。それからスザクとの距離を保ったまま問いかける。 「………どういう意味だ?」 忘れた、ということは過去にどこかで会ったことがあるということなんだろうか。頭の中に収められている膨大な記憶のページを捲る。どこだ、どこで会った。 スザクは質問に答えず、そのまましばらくお互い見つめ合っていたが、ふいにスザクは何かに気づいたように視線を外した。ルルーシュもそれを追って、彼が視線を投げたほうを見れば、数人の生徒が廊下の奥からこちらへと歩いている姿があった。 「やめよう。こんな話、ここでする類のものじゃなかった」 「………スザク」 「ごめん。軽率だった。大丈夫。誰にも言ってないし、誰にも言うつもりはない」 スザクはそう言って話を終わらせ、生徒会室へと急いだ。戻った先でも態度の変化は全くなく、いたって普段の様子だった。ミレイと下らないことを言い合い、時おりルルーシュにも話を向け、からかったり、関心したり、それは誰がどうみても日常の風景だった。 ルルーシュは背筋が寒くなるのを感じた。自分はこの青年を見誤っていたのかもしれない。穏やかでいつもにこやかな好青年。だが彼の内面はもっと複雑に絡み合い、自分と同様に、何かを抱えているのかもしれない。 その後、ルルーシュは密かにスザクを観察したり、また細心の注意を払って情報が漏れていないか探ってみたが、彼は約束した通り、本当に誰にも話していないようだった。だが、だからといって安心できるわけではない。喉元にナイフを突きつけられている緊張感がいつでもそこにあった。 自分が元ルルーシュ・ヴィ・ブリタニアだと知っている人間はそう多くない。極限られた人間だけだ。本当にどこかで会ったことがあるんだろうか。自分がまだブリタニア皇族だった頃に。スザクのような印象的な人物を忘れるはずがないのに、いくら記憶のページを捲っても彼の存在が出てくることはなかった。 そうなると可能性はただひとつ。誰かがスザクに自分のことを話した。この可能性しかない。この場合、何の目的で、というところが重要になってくる。表舞台に全く出てこないまま、皇位継承権を放棄し、そして市民になった元皇族。そんな存在、今更何かに利用しようとしても全く意味がない。公式には、すでにブリタニア皇室とは全く関係ないのだから。ならば目的は………。 一番あり得そうなものが濃厚に浮かび上がってくる。皇妃の誰かに、皇帝が月に数度母親の元へ来るのがばれたのだろうか。もしそうならば、スザクの存在は警告の一つなのかもしれない。 ルルーシュはかつてアリエス離宮で起こった爆弾テロのことを思い出した。あんなことはもう二度とごめんだった。床に広がる血みどろの光景が今でも目に焼きついている。 様々なことを考えた。そしてそれに伴い次から次へと最悪な事柄が頭に浮かんだ。悪夢への思考の連鎖は止めようと思って止められる事はできず、雪だるま式に膨らんでいく一方だった。それでもルルーシュは決定打になる最終手段をとることができずにいた。 本当に枢木スザクを疑っているならば、もっと簡単に調べることができる。そう、本当はもっと簡単だ。アッシュフォード学園のコンピュータにハッキングをかける。少なくともそれで枢木スザクが何者なのかわかるはずだ。そこから素性を割り出し、ブリタニアとの関連を探ればきっと問題は解決する。 さらに簡単で短時間で済む方法がある。母親の友人で辺境伯であるジェレミア卿に頼めば、きっと小一時間で調べ上げてくれるだろう。 だが、ルルーシュはパソコンの電源を入れることも、ジェレミアへ電話をかけることもできなかった。事実が明るみに出て、白黒はっきりしたらどうなるんだろう。最悪な結果になったら、必然的にそれに対処をしなければならない。それを考えるのが非常に怖かったからだ。 ルルーシュは暗い気持ちに陥っていた。 スザクをどうしても疑心暗鬼の目で見てしまう。この事実がルルーシュの心に深い影を落としていた。 「どうしたの。二人とも? 何か変じゃない?」 生徒会室で通常の仕事をこなしている時、突然シャーリーがそう声を上げた。部屋にいる生徒会一同はいきなりの発言にみなシャーリーのほうを向いた。だがシャーリーはそんな皆の視線など全く気にせず、テーブルの向こう側に座る二人だけを見つめた。 「そうなのよ。この前がらちょっと変なのよ。私が何かしちゃったのかしら?」 そういって横から口を挟んだのは生徒会長のミレイだった。 「会長……。会長も気づいてたんですか?」 「あったりまえよ」 シャーリーの言葉にミレイは胸をドンと叩きながら、自信ありげに答えた。それから無表情でこちらを見る二人のほうへと視線をやった。 「ルルーシュもスザクくんも、もしかしてこの前のことで……何かモメちゃった?」 「会長、この前のことって?」 尋ねるシャーリーにミレイはちょっとねと笑って誤魔化し、それから仕方ないわねーとばかり大きな溜め息をついた。それからしばらく何か考えているようだったが、いい案が浮かんだのか、ポンっと手を打ち、提案した。 「そうだわ、スザクくん。もうあと二週間もすればルルちゃんの誕生日なのよ」 「え」 とスザクは声を出し、それから隣に座っているルルーシュへと顔を向けた。 「スザクくん、ルルちゃんの誕生日にな〜んかとびきりいいものを渡して、ご機嫌直してもらいなさい。理由はわからないけど、ただ拗ねているだけなんだから」 「会長………」 そんなスザクとミレイの様子を引きつった顔で見つめ、頭を抱えながら口を挟んだのはルルーシュだった。 「そういう話を本人の目の間で会話するのはいかがなんでしょうか、ミレイ会長?」 「まぁまぁいいじゃない。きっとちょっとしたことなんでしょう、二人とも? 仲直りしておきなさい」 それからミレイは一人勝手に納得したように深く頷き、にっこりと笑顔をみせた。こういった表情を彼女がする時、なにかよからぬことを企んでいる場合がほとんどだったが、誰もミレイを止めることはできなかった。 「よーし、ちょっと早いけど、この私が二人が仲直りするために、ルルちゃんの誕生日パーティーを開いてあげるから」 「あの、それってただ単に会長が騒ぎたいからじゃ……」 「余計なことはいわなーい、スザクくん。あなたはルルーシュの誕生日プレゼントのことだけを考えなさい」 「………はい」 ミレイにピシャリと言いつけられ、スザクはしゅんとしながらもそれに従い、別の話題を持ちかけた。 「じゃあ、プレゼント選びの参考として聞きたいんですが、ルルーシュの好きなものって何ですか?」 「ルルちゃんの好きなもの、そうねぇ」 「会長、やっぱりあれじゃないですか」 シャーリーが口を挟む。 「あ〜あれね」 「そうあれです」 「あれ?」 「「プリン」」 「ルルーシュ、君、プリンが好きなの?」 こうしてスザクの態度を見ていると、おそらく自分が懐疑心を抱き過ぎているだけなのだ、ということがわかる。きっと彼は九十九パーセント、本当に過去どこかで会っただけで、皇族の陰謀や姦計とは全く関わりないんだろう。けれど、残りの一パーセント、それがどうしても消えず、スザクへの疑いを晴らすことができずにいた。 (スザクが……) (そうだ、スザクが言ってくれればいいんだ) (いつどこで会ったということを) そうすればすぐに疑いが晴れるというものを……。 「ルルーシュ?」 「知るか、自分で考えろ」 ガタンと盛大な音をたてながら立ち上がり、生徒会室を出て行こうとするルルーシュに、シャーリーが慌てたように声を掛ける。 「どこ行くの、ルル?」 「飲み物を買いに行ってくるだけだ」 ルルーシュは廊下の壁によりかかり小さく溜め息をついた。先ほど買ったばかりのペットボトルを開け、半分ほど飲み干し、喉を潤わせた。ほんやりと窓ガラスの向こうにある緑を見つめ、意識を遠くに飛ばした。 あれから幾度も聞こうとした。 過去、いつ、どこで、出会ったのか。何度も何度も聞こうした。 だが、聞くことができなかった。スザクの周りにはいつも人がいる。そんな中でこんな話できるはずがなかった。どうにかして機会をつくらないと、このままではずっとスザクを猜疑の目で見ることになる。 ルルーシュは俯いた。 調べる手段はこの手の中にある。だがそれを使いたくなかった。できればスザク自身から真実を聞きたかった。もし彼が言ってくれるならば、自分はそれを真実だと信じよう。そう決めていた。 そんなふうに考えていたルルーシュだったが、結局、スザクと二人きりになれる時間は持てないまま、ミレイが主催した誕生日パーティーの日になってしまった。当初ミレイは盛大で豪華なパーティーをしようとはりきっていたが、ルルーシュが断固拒否したので、親しい人だけを呼んだアットホームなパーティーとなった。それでも、何となく気分がすっきりしないまま、こういったドンちゃん騒ぎに参加するのは気が滅入っていたルルーシュではあるが、、自分のためにわざわざ開いてくれたパーティーに不参加することはできなかった。 パーティーはミレイの自宅で行われた。約束通り生徒会メンバーと極親しい人物だけが呼ばれ、本当にこじんまりしたものだった。音楽をかけ、あちこちでゲームをしたり踊ったりして、それぞれが楽しんでいる。 ルルーシュは席を立った。いったん外に出て家族に遅くなると電話しようと、携帯を取り出した時、ふと目に入った光景に足をとめた。 ミレイの部屋に面している小さな中庭にあるベンチに、スザクが一人座っていた。彼はぼんやりと空に浮かぶ満月を見上げている。ルルーシュは彼の周辺を見渡した。どうやらスザク以外誰もいないようだ。これはスザクと話し合えるチャンスかもしれない。すぐさまそう思い、いったん取り出した携帯を仕舞い、誰にも気づかれないように外用の扉から中庭へとそっと歩いていった。 外は晴れていた。空気は冷たかったが、短時間であれば我慢できなくもない。月明かりと外灯、それから部屋から零れ落ちてくる光でルルーシュはスザクの元まで歩いた。 「何してるんだ。お月見か?」 「ルルーシュ。君こそどうしたの? 主役がいなくてもいいの?」 こちらに振り返ったスザクと目が合うと、彼は逆に問い返してきた。 「いてもいなくても同じだ。主役は名目上自分だが、あれはほとんどミレイ会長が主役みたいなものだ」 「ぷっ、確かに。そう言えるよね」 ルルーシュの言い草にスザクは吹き出し、それから同意したように頷いた。 「スザク」 「ん?」 「今、この場所にいるのは二人だけだ」 「え? あ、ああ」 「スザク」 もう一度呼びかければ、スザクはふぅと軽く息をついた。 「君が何か言いたそうに、いつも僕を見ていることは気づいていたよ。ま、君の言いたいこともわかってはいるけどね」 スザクは少し億劫な仕草でベンチから立ち上がり、それからおもむろにルルーシュの正面に向かい合った。逃げることはしない。そんな意思表示に見えた。 「スザク、お前は誰なんだ?」 率直な問いかけに、答えるほうもまた同様に返事をする。 「言いたくない。答えたくもない。忘れてしまったのなら、僕はそれだけの存在だった。そういうことだ」 スザクの返答にルルーシュは奥歯を忌々しそうに噛み締め、腕を伸ばしてその襟首を掴んだ。そして怒気を含んだ声色で言う。 「何故………知っている?」 「………………」 「いいか、教えてやる。このことを知っているのは、皇族のやつら、家族、そしてアッシュフォード家の当主とその娘のミレイ・アッシュフォードだけだ。それ以外は誰も知らないはずだ」 そう言うと、スザクは襟を掴んでいるルルーシュの手首を掴み、痛いほど強く握り締め、どこか縋りつくような瞳でこちらを見つめた。 「ねぇ、本当にそれだけ? 他には? 誰かいないの、君のことを知っている人は? よく思い出してよ。ほかに」 「いるはずがない。いるわけがない」 強い口調で断言する。その時、スザクの一瞬怯んだ隙に、勢いをつけて掴まれていた手を振り払った。そして言い放つ。 「もしいるとするなら、そうだな、皇帝の寵愛が深かった自分たち家族を妬んでいる皇族、そいつらが雇った暗殺者ぐらいか」 呆気に取られたスザクの顔が目に入る。 ひどいことを言っている。その自覚はある。だが、口にしたそれはどうしょうもない事実だった。通常、公務に就くまで、暗殺の危険を背負う皇族は徹底的にその立場を公にしない。故に、公務にも就いたことがない皇族を知る人物などいないのだ。まして庶民となった元皇族を知るものなど、本当に僅かだ。 「君は僕を………。君には僕がそんなふうに見えるのか?」 目に見えて表情が暗くなるスザクに、ルルーシュは力強く首を横に振った。 「見えない。そんなふうには思えない。思いたくない」 スザクはルルーシュを見た。 「だが、お前のことを知らない。いくら記憶を探っても出てこない」 ルルーシュもまたスザクを見つめ返す。 「そういう時はいつでも最悪なことを考える。それに対する対処も」 「ルルーシュ………」 「そうやって生きてきたんだ」 手を握り締める。爪が皮膚に食い込む痛さが感情を制御させる。 「だからお前さえ正直に言ってく」 言ってくれれば、と続けようとしたが、それを遮るかのように携帯の着信音が二人の間に響いた。二人はハッとする。ルルーシュは携帯を取り出した。自分のではない。じゃあスザクのか。 「ごめん。僕のだ。ちょっといいかな?」 「ああ」 出端からつまずいた感じだ。まだ何一つ聞き出していないというのに。 苦虫を噛み潰した思いをしながら、ルルーシュはスザクが携帯を取り出すのを見ていた。 が、携帯の画面を目にしたスザクの表情が強張ったものになったのに気づき、思わず眉根を寄せた。 スザクは微かな戸惑いを見せながら通話ボタンを押し、静かな口調で電話に出た。 「はい、もしもし」 スザクの口から出た言葉は日本語だった。ということは相手は日本人なんだろうか。昔習ったことがあるのでルルーシュも少しはわかる。だが次第に早くなっていく口調に、ところどころしか聞き取れなくなっていった。 時々スザクも何か言っているようだったが、会話の最中、ほとんどスザクが一方的に相手の言葉を聞いている、そんなふうだった。 「ありがとう、神楽耶。うんわかってる。すぐ帰国するから。じゃあ」 スザクはそう言って携帯を切った。最後の台詞だけは聞き取れたが、その意味を理解するにしたがって、ルルーシュは顔を顰めた。今の台詞は一体……。 ハッとしてスザクを見た。だが間髪入れずスザクが言う。 「ごめん。緊急の用ができた」 「スザク?」 「日本に帰国する」 「え?」 スザクはそう言い切ると、早足で室内へと戻っていった。茫然自失の時間が過ぎ、慌てて追いかけると、スザクはミレイのところにいて、用が出来たから帰ることを話しているようだった。あら残念ね、とミレイが喋る声が聞こえる。それに対し謝り、急いで帰ろうとしているスザクを出口で捕まえた。 「ルルーシュ……」 「送る」 「え?」 「車で来てるんだ。送っていってやる。公共機関を使うよりその方が早い」 逡巡しているスザクにさらに言葉を重ねた。 「お前の国はどうだかわからないが、ブリタニアは十六から免許が取れる。大丈夫だ、運転には自信がある」 ルルーシュはさらに言う。 「急いでいるんだろ?」 その台詞がスザクに決心させ、力強く頷いた。 「ごめん。ありがとう。乗せてもらう」 「じゃあ、行くぞ」 「うん」 ミレイの広い屋敷を通り抜け、来客用の駐車スペースまで急いだ。車に乗り込み、助手席に座るスザクに尋ねる。 「どこに行けばいい?」 「取り合えず、必要なものをとりに自宅へ戻るよ。学園前の大通りにある、七階建てのアパートメントなんだけど、わかるかな?」 「ああ、あそこか、赤いレンガ造りのだろ。いいところに住んでるな」 エンジンをかけ、アクセルを踏む。人通りの少ない夜の道を車は滑るように走り出した。 車内でスザクは言葉少なだった。片手に携帯を肌身離さず持っているのは、きっと何か連絡が来たときすぐに出られるように、ということなんだろう。視線を落とし、ずっと手の中の携帯を見つめている。顔色も少し青褪めている。 一〇分ほど走ると、目的のアパートメントに着いた。シートベルトを外し、今すぐに降りようとしているスザクにルルーシュは言った。 「それじゃあ、ありが」 「待ってる」 「ルルーシュ?」 スザクは怪訝な顔をした。 「どうせなら最後まで付き合ってやる。すぐに行くつもりなんだろう?」 「そうだけど」 「どのくらいで来れる?」 「三〇分もあれば」 「じゃあ行って来い。車の中で待っているから」 「ルルーシュ…………。ありがとう、すぐ戻ってくる」 そう言うなり駆け出したスザクの後ろ姿を、ルルーシュは見つめていた。 それからスザクは十五分ほどで戻ってきた。急いで来たらしく、冬だというのに額に微かに汗が浮かんでいる。 「お待たせ」 「ああ、出すぞ」 「うん、よろしく」 ルルーシュは再び車を走らせ、夜の闇に中に飛び出した。 助手席に座るスザクは携帯を操作しながら、時おり打ち込み、何かを考えているようだった。画面を見ながら幾度も考え込み、それから打ち込み、そんな動作を繰り返していたが、やがて乾いた音をたて携帯を畳んだ。そして言った。 「今から五時間後に日本へ行く直行便がある。それを予約した。乗り換えで行く手段もあるけど、色々考えるとこれが一番早い。深夜便だからいくつか空席があったみたい。助かったよ。キャンセル待ちをするのを覚悟してたから」 「そうか」 華やかな繁華街を通り抜け、静かな住宅街を過ぎると、高速の入り口はすぐそこだった。速度をあげる。本線に入る。昼間ならば多少混んでいるが、今の時間帯なら空いている。おそらく国際空港まで、時間通りに着けるだろう。 休息は一度だけした。あとはただ走り続けた。 お互いに無言だったが、車内には張り詰めそうな緊張感が漂っていた。 そんな無言の緊張感を打ち破り、スザクがその重い口を開いたのは、高速を降りてしばらく走った頃、目的の空港まであと少しというところだった。 一般道の信号が青から赤へと変わる。 ルルーシュはブレーキを踏み、車はゆっくりと減速する。通りにはルルーシュたちが乗っているこの車一台、それしかなかった。 誰もいない歩道を見つめ、信号が切り替わるのを待つ。その時、助手席に座っているスザクがポツリポツリと話し始めた。それはルルーシュが聞きたかったことであり、聞きたくなかったことだった。 「父親がね、倒れたんだ。ブリタニアに来る前から持病が悪化しているのはわかってて、それでも普段は割合と元気だったんだよ。本人もまだまだやれるって威張ってたし。だから僕も安心していたんだ」 周辺に民家は少ない。古びた外灯だけが道なりに続いている。そんなぼんやりとした光がスザクの顔に当たり、浅い陰影を生み出していた。 「今すぐどうこうなるような状態じゃないみたいだけど、親一人子一人だから」 目線は真っ直ぐ前を向いている。その目に迷いはなく、すでに何かを決心しているようだった。 「ブリタニアにはもう戻って来れないだろうね。父親の代わりに色々やらなくてはならないことがあるし」 「戻ってこないって……?」 思わぬことを耳にしてルルーシュは思わず口を挟んだ。問われ、スザクはやっと視線をルルーシュへと向けた。頷いてそれに応える。 「うん」 「学園は?」 「やめるよ。あとで日本から手続きする。学園にある私物の処分は………ルルーシュ、君に頼んでもいい?」 ルルーシュは応えることができなかった。その代わり別のことを口にする。 「でも、引越しとかはどうするんだ」 「さっき管理人に頼んだ。部屋に残ったものは全部処分してくれって。家具はもともと備えつきだし、持っているものも少ないから、だぶん大丈夫だと思う。ギリギリ管理人室が開いていたから良かったよ。最初は渋ってたけどね。でも最初から何かあったら対処してもらう、ってことで契約してたし。契約書を見せて、処分費を多目に払うからってことで何とか事なきを得たよ」 「スザク……」 「勝手にしてられる自由時間もここでお終いかぁ。ちょっと短かったな。でもしょうがない。これも人生だし、日本に帰って責任を果たすよ」 雲が月にかかったんだろうか、車内が刹那暗くなったように感じた。 「だが、いくらなんでも急すぎないか。そんな早急に全てをやめなくても。アッシュフォードだって取り合えず落ち着くまでは休学という手が……」 スザクは首を左右に振った。 「何かあったら全てをやめて戻ってくる。これがブリタニアに行くことを猛反対した親を説得した、絶対の条件なんだ。それにさっきの電話でね、神楽耶……僕の従妹なんだけど、その子が、今回のことでちょっと揉めているみたいだ、ということも言ってたし。家を潰すわけにはいかないからね」 暗闇の中、歩行者用の信号が明滅を繰り返している。もうすぐ信号が変わる。 「それからさっきは、答えたくない、なんて言ったけど、このまま言わないで別れてしまうと、後味が悪いから言っておく」 スザクは僅かに俯き、少しだけ笑ったようだった。だがそれは感じがいいものではなく、どこか自嘲が入っていた。 「本当はルルーシュ自身で思い出してほしかったけど、……君の記憶の中には僕がいないみたいだから」 手をぎゅっと力強く握り締めているのがわかった。身体が硬くなっているのを感じる。 「昔ね、僕と君は会ったことがあるんだよ」 「スザク………」 「その頃の君は色々と大変だったみたいで、もしかしたら今でも思い出したくないのかもしれない。あまり記憶に残しておきたくないのかもしれない。そういった君が大変な状況の中で出逢ったから、忘れてしまっても仕方がないのかもしれないね。人の記憶は曖昧だから」 「それは、一体いつの」 「あ、信号、青になったよ」 ルルーシュの言葉を遮りスザクは言った。咄嗟に反応できなかったルルーシュにスザクはもう一度繰り返した。 「ルルーシュ、信号、青になったよ」 こちらへ顔を向けたスザクの瞳が、この話はこれでお終い、と告げていた。 空港に着いたのはスザクの自宅を出てから三時間が過ぎていた。二十四時間眠らない国際空港ではあるが、さすがに深夜の発着は少ないようだった。人もまばらで閑散としている。 スザクの荷物は本当に僅かで、スポーツバッグ一つと使い込まれたリュックだけだ。 空港内に入り、手続きの前にスザクは立ち止まり、リュックの中から茶色い封筒を取り出した。 「そうだ、これ。忘れるところだった」 「何だ?」 「僕が生徒会に入った頃、みんなで写真を撮ったの覚えてる? 以前ミレイ会長に君に渡しておいてくれって頼まれたんだけど、すっかりそのままになっちゃってさ」 スザクはルルーシュへと渡す。 「はい」 「ああ」 受け取った姿を見て、スザクは安心したようにホッと息をついた。 「………ずっと渡さなきゃって思ってたんだ。君に会ったときから。でもタイミングが掴めなくて。いつかどこかで渡すことができたら、って思ってたんだ。でも本当に渡すことができるとは思わなかった」 どこか意味が外れているような台詞にルルーシュは首を傾ける。 「? 写真のことだよな?」 「…………写真のことだよ」 多少間が空いたことが気になったが、そのまま茶封筒を上着のポケットに突っ込んだ。 「それじゃ、僕は行くね。送ってくれてありがとう。本当に助かった」 スザクは一礼をし、感謝の意を表した。そしてルルーシュと向かい合う。 「お別れだね」 スザクは静かにそう告げた。微かな笑みを口元に湛え、ルルーシュを真っ直ぐに見つめる緑色の瞳はどこまでも透明で澄んでいた。 「…………………」 何て応えればいいのかわからなかった。単なる別れの挨拶だ。それなのに言葉が喉の奥に引っ掛かって何も出てこない。簡単に答えればいい。軽く言えばいい。どうしてだ。何か言え。言うんだ。 だが気持ちに反してやはり何も言うことができなかった。本当は知っていたのかもしれない。今、口を開けば嗚咽になってしまう、ということを。 「さようなら、ルルーシュ」 どこかで聞いたことがある台詞だ。何故聞き覚えがあるかさえわからない。でも昔こんな風に誰かと別れたことがなかったか。今、この時のように胸を締め付ける想いをしながら。もしかしてそれがスザクだったのだろうか? スザクはゆっくりと手を差し出した。 「色々あったけど、君に会えてよかった」 それに応え、ルルーシュも手を出せば優しくでもしっかりと握られた。 「ふっきれることができた」 スザクの、若干高めの体温が伝わる。 「本当にありがとう。もう二度と会うことはないだろうけど、元気で」 名残惜しそうに手が離される。手を覆っていた温もりが消える。 一言も応えることができなかった。そんなルルーシュにスザクはただ優しく笑みを浮かべた。そして荷物を手に取り、ゆっくりとルルーシュに背を向けると、彼は静かに目の前から去っていった。 スザクの後ろ姿がだんだんと見えなくなり、彼の存在が目の前から完全に消え去った時、ルルーシュの紫色の瞳から、一粒、涙が零れ落ちた。 [2010/07/17] |