ナクシタキオク



[4]

 スザクが連れて行った場所は学園の北にある森の中だった。表と違って裏手にあるその森はあまり手入れが行き届いてないらしく、日中だというのに薄暗かった。
 道がない。雑草が生い茂る獣道を二人で歩く。膝上まで伸びている草を踏み越えて先に進む。ルルーシュの手首を握ったまま先を歩くスザクに迷いはなかった。
(どこへ行くんだ、こいつは……?)
 そんな疑問が頭を擡げる。だがルルーシュはその疑問を口には出さず、黙ったままスザクの後についていった。
 それからどのぐらい歩いただろうか。前を歩くスザクの歩調が急にゆっくりになった。ルルーシュもそれに合わせ、速度を緩めた。スザクはルルーシュの方へと振り返り、空いている手で前方を指差した。指先を辿り、その先を見れば小さな建物が視界に映った。
「着いたよ」
 スザクは言った。掴まれていたままだった手首が離される。ルルーシュは己の手首を見た。少し赤くなっている。熱をもったそこを軽くさすりながら、改めて建物を見た。
 どう見ても廃墟だ。ルルーシュはそう思った。建物全体に蔦が絡まり元が何なのかさっぱりわからない。
 だが、すぐ隣にいたはずのスザクは草を踏み潰しながらさっさと前に進んでいく。躊躇しているルルーシュにスザクは仕方ないなぁといった表情で笑い、それから手招きした。
「大丈夫。絶対見つからないよ。もし見つかっても、君を抱えて逃げるから。運動神経はけっこういいほうなんだ。ルルーシュも知ってるでしょ」
 スザクは入り口の取っ手を開け、一瞬振り返ってふわりと笑った後、中へ入っていった。残されたルルーシュもここでずっと立ち尽くしている訳にもいかず、一度大きな息を吐くと、意を決してスザクの後に続いた。

 廃墟の中に入ると、ここが以前何の建物だったのかわかった。すっかり外見が蔦で覆われていたため判らなかったが、温室のようだった。放置されて枯れた植物、しぶとく生き抜いている植物、割れた鉢、壊れている棚、シャベルなどの用具もあちこちに放り出されている。それらの上には塵や埃などが溜まっていて、放置された年月の長さを語っていた。
 ルルーシュは前を歩くスザクの後を追った。やがて建物の中心部まで来ると、そこには小さなベンチがあった。古いが埃は被っていなかった。きっとよく利用しているのだろう。
 スザクは人一人座れるスペース分を空けて、ベンチに腰掛けた。そしてルルーシュを見る。
(ここに座れ、ということか)
 特に逆らう理由もない。ルルーシュも同じようにベンチに座った。
「ここは?」
 ルルーシュは訊いた。スザクは小さく微笑み、それに応える。
「なかなかいい場所だろ。今はもう誰も使っていないみたいなんだ」
「よくこんな場所見つけたな」
「う〜ん、そうだね。校内を探検していたら、偶然にね」
「偶然? 偶然でこんな場所を見つけられるのか?」
 驚き半分、呆れ半分、そんな声でルルーシュが言えば、スザクは苦笑いを零した。
「確かにあんまり偶然発見できる場所じゃないけれど。でも校内を熟知している生徒会メンバーの人も知らないってことは、本当に一般の生徒で知っている人は皆無かもね」
 スザクの苦笑いはすぐに小さいものに変わり、それからゆっくりと遠くを見るような表情をした。 透明なガラス張りの天井にも蔓は絡まり、その隙間から柔らかい日差しが地面に落ちている。それが不思議な斑模様を作り出し、ベンチに座る二人にも映っていた。
 海の中にいるようだ。スザクの言葉に耳を傾けながらも、ルルーシュは一方でそんなことを考えていた。誰もいない、静かな海の中。ここが校内だとはとても思えなかった。どこか非日常の空間。森を抜ければすぐにいつもの日常があるというのに。
「偶然と言えばさ」
 スザクは続けた。
「君を見つけたのも偶然なんだ。君が走っていた廊下は裏手の芝生からだとよく見えるんだよ。逃げている方向からまさかあの外階段を使う気なのかな、って見ていたら案の定、ね。困っているようだったから助けたけど……迷惑だった?」
「まさか。助かった」
「そっか、それは良かった」
「いつも助けられてばかりだな」
 その言葉にスザクは微かに目を見開き、ルルーシュの顔をじっと見つめた。何か言いたげな眼差しで、ただルルーシュを見ている。言葉はない。視線を重ね合わせ、静かにときを刻んでいる。きっと何か伝えたい気持ちがあるのだろう。だが、ルルーシュは超能力者ではない。相手の複雑な気持ちまで読み取ることはできないのだ。
「スザク?」
 ルルーシュは微かに首を傾げ呼びかけた。その途端スザクの顔が刹那グニャリと歪み、歯を食いしばって何度か言葉を飲み込み、瞼を伏せた。しばらく経って彼の口から零れ落ちた言葉は、何の脈絡もない唐突なものだった。
「なんでついてきたの?」
 迷いもなくルルーシュは答えた。
「一度、お前とは向き合って話してみたかったからだ」
「そっか。嫌われているとばかり思ってた」
 自分を嘲るような薄笑いをしながらスザクが言った発言に、ルルーシュは驚き、声を荒げた。
「どうしてそう思うんだ?」
「どうしてって…………」
 スザクはまじまじとルルーシュを凝視した。信じられないものを見たような顔だ。
「ねぇ、ルルーシュ、君は本当に………」
 言葉は途中で途切れた。沈黙があたりを包み込む。彼にはその続きを口にする意思はないようだった。ルルーシュから視線を逸らし、今はただ、黙って下を向いている。手を組み合わせているのは溢れる感情を必死に抑えているようにも見えた。
 何故抑える必要がある。
 感情に身を任せ、言ってしまえばいい。
 そうすれば。
 そうすれば?
 何だっていうんだ。
 ルルーシュはハッとしてスザクから視線を逸らした。
 続く言葉は出口がないトンネルに入り込み、どこかへ消えてしまった。自分が一体何を考えていたのかわからなくなり、狼狽した。

 結局、ルルーシュもスザクも沈黙し、二人の間には言葉はなく静寂が満ちた。
 腕時計の秒を刻む音が聞こえる。風が木の葉を揺らす音、そして遠くから校内の鐘の音も風に乗り聞こえてくる。一刻一刻とこの貴重な時間が過ぎていくというのに、どうしてだか喉から言葉が出てこなかった。きっと日常に戻れば、こうやって話す機会など持つことができないだろう。
 しかし、思い切って、
「スザク、お前に聞きたいことが」
 とルルーシュが切り出した途端、校内放送が入った耳障りな音がした。二人の意識はそれ、遠くからではあったが大音量のせいかしっかりと聞こえてくる放送に注意を向けた。
『はあ〜い。生徒会長のミレイ・アッシュフォードです。あと残り10分になりました。今のところルルーシュを捕獲したっていう報告はないってことは、まだ逃げているのかしらね。クラブ活動費アップもルルちゃんへのキスも、ま〜だまだみんなにチャンスがあるわよ。残り10分全力で頑張ってね』
「会長、あの人は全く」
 ミレイの台詞に少し憤慨すると、隣でくすくすと笑う声がした。スザクの肩が微かに揺れている。俯いていた顔をあげたそこには、笑いを堪えているスザクの表情があった。
「面白い生徒会長さんだね。ルルーシュは生徒会に入っているんだよね。会長さんはいつもあんな感じなの?」
「ああ、いつもあんな感じだ。みんな、あの会長に振り回されている」
「ふーん。でも楽しそうだね」
 にっこりと笑うスザクにルルーシュは口を尖らせた。
「楽しいものか。生徒会の仕事は溜めまくるし、いっつも変なイベントばかり考えて、その準備にこちらはてんてこ舞いだ。今回のだってそうだ。単純な鬼ごっこだと判ってホッとしたのも束の間、予算アップはともかく、キ、キスできる権利って何だ。そんな権利欲しい奴がいるものか」
 激昂するルルーシュにスザクは微かに苦笑いを零しながら静かに言った。
「でも、君にキスしたい人はたくさんいるんじゃないのかな?」
「お前もキスしたいのか?」
 大きな緑色の瞳が見開いてこちらを見た。
 ルルーシュはハッとして口元を押さえた。何を言っているんだ、自分は。これじゃあ、まるで………。
「あ、いや、冗談だ。忘れてくれ」
「してもいいの?」
 真剣な眼差しをした緑色の瞳が見ている。
「キス、してもいい?」
 迫ってくるスザクにルルーシュは硬直した。何もできずただスザクの顔を見ていることしかできなかった。いつの間にか肩に添えられた手はいつでも振り払えるだけの軽いものであり、簡単に拒否することができる。それなのに、何故だか身体は凍ったまま動くことはなかった。
 ゆっくりと近づくスザクの顔、波風のない緑色の海の中に自分の戸惑っている表情が見える。どうしてだろう。昔、どこかで? 既視感が何の前触れもなく心に湧き上がる。
 その時、スザクの背後に桜が視えた。満開の桜だ。柔らかい春風にのり、ひらり、ひらり、と舞い落ちてくる。夜。月光。満月の光。明るい空。繋いだ手。視界を覆いつくす桜の花。別れの夜。別れの言葉。
 そして優しくキスをしてくれたのは…………。
「ごめん」
 スザクが放った言葉で夢から醒めた。今、自分は何をしていた?
 息が触れ合うほど近くにあったスザクの顔はすでに十分な距離があるほど離れていて、優しく肩に添えられていた手も今はもうルルーシュから遠のき、スザクの膝の上にあった。
「冗談だから」
 冗談?
 今のあれが冗談なのか?
 あんな表情をしていたのに?
 あんな悲痛な表情が?
 いや、違う。あれは夢? 夢の中のスザクが? スザク? スザクではない? スザクだった? 今のスザクではなく? 昔のスザク? 昔のスザクってどういう意味だ?
 それとも現実ではなかった? あれは現実ではなかった?
 一瞬、混乱した。現実と夢と記憶とが交じり合い、境界線がなくなり、ここがどの次元にいるのかわからなくなった。一体どれが現実なのか、数秒の間に全てが重なり合い、まるで白昼夢を見ているようだ。
「泣かないで」
 現実の声が耳に届く。後悔と悲しみと色んな感情が混濁した眼差しがルルーシュを見つめていた。何を言っているんだと、どういう意味だと問おうとして、口を開けば。
「馬鹿な、泣いてなど……」
 嗚咽まじりの声色だった。それでやっと自分が泣いているのだと気づいた。頬を伝うのは汗ではなく、涙だった。
「ごめん」
 スザクはもう一度言った。先ほどよりも、また少し距離を取って真剣に謝った。
「ごめん、変なことばかり言って。たぶん僕は『また』君と友達になりたいだけなんだ。もうこんな変な冗談は二度としないから」
 その口調はどこか懇願にも似ていた。だがそれはまるで独白のようで、声も徐々に小さくなっていき、最後には囁きに近く、やっと聞き取れる程だった。
「君が―――っても、せめてまた友達になれたらって、あの日からずっとそう思ってた」
「あの日?」
 そう問えば、スザクは小さな笑みを浮かべるだけで、答えは返してくれなかった。その代わり彼が口にしたのは、繰り返される謝罪だけだった。
「ごめん。ごめんね」
 涙腺が壊れたように涙が溢れる。自分の気持ちはとっくに落ち着いているというのに、とても不思議だった。泣いているのは己ではなく、まるで別の誰かのようだ。
 彼の謝罪を聞くのは自分ではない。
 そんなことを唐突に思った。

 制限時間の残り10分はあっという間だった。
 あれからどうしてもお互いに何か喋る気にもなれず、黙ったままベンチに座っていた。気まずいなら離れていてもよかった。建物の外に出ていてもこの場所ならきっと誰にも見つからないだろう。だが、今離れてしまえば、きっともう二度とスザクに近づくことはできない、その想いだけがルルーシュをベンチに留まらせた。
 彼は何気なく離れることができる。最初に言葉を交わした日から今まで、それをわざとしていたのだ。『嫌われているとばかり思ってた』、この台詞がいい証拠だ。
 こんな面倒臭いヤツはほっとけばいい。そう思うのもまた事実だ。だがそれに逆らってでも、隣にいるこいつをここに繋ぎ止めなければならない。そんな焦燥感が自分の中にある。今はその不可思議な焦燥感に従ったほうがいいと感じた。
 校内放送のスイッチが入ったノイズが聞こえた。相変わらず溌溂としたミレイの声がして、それからイベント終了が宣言される。
「終わったね。戻ろうか」
 スザクは腕時計で時間を確かめながら、淡々とした口調でそう言った。
 立ち上がり、廃墟となった温室から出た。草が覆い茂る道なき道を歩く。森を抜け校舎が見えたところで、前を歩くスザクは立ち止まり後ろを振り向いた。ここから先は一人でいったほうがいい、と緑色の瞳はそう語っていた。だが、ルルーシュは首を横に振った。スザクは微かに眉根を寄せたが、そのまま生徒会長が待ちうける広場までルルーシュと共に黙々と歩いた。

『おや〜、やっと麗しの副会長ルルーシュ・ランペルージの姿が見えました。ん。誰かと一緒にいるわね』
 広場に着くとミレイのマイクを通した声がした。木製の壇の上に生徒会長であるミレイと生徒会一同の面々が見える。その周辺にはイベントに参加していた大勢の生徒らが集まっていた。ミレイの台詞にみんなが一斉にルルーシュたちのほうを向いた。
「あ、スザクじゃん、あれ」
 リヴァルの叫ぶ声が響いた。その声を受けてミレイがさらに言う。
『お〜〜〜っと、どうやらルルーシュを捕まえたのは同じクラスの子みたいね。さ、早く二人ともこっちに来て』
 呼ばれルルーシュとスザクは渋々と壇上へと上がる。
 ミレイはスザクへと視線を向け、にこりと笑った。
「で、君がルルちゃんを捕まえたのね」
「いえ、僕は」
「そうなんですよ、会長。階段から飛び降りて油断していたところを、見事に捕まってしまいました」
「……ルルーシュ……」
 口を挟んだルルーシュにスザクは目を瞠った。
「それで、スザクくんって言ったかしら。さっきリヴァルから聞いたんだけど、転校生なんですって? じゃあ、クラブとかはまだ決ま」
 決まってないのかしら、とミレイは続けようとしたが、ルルーシュが遮るかのように言う。
「枢木スザクは」
 ルルーシュの発した声に周囲の視線がいっせいに集まった。それに臆することなくルルーシュは全生徒に宣言するかのように言い放った。
「枢木スザクは……生徒会所属です。よって今回の懸賞金は生徒会のものとなり、次回のイベントの準備資金へと当てられます」
 言った途端、周辺からブーイングが起こる。特に運動部関連からだ。どうもスザクの抜群の運動神経のよさを狙って、クラブに勧誘していたらしい。
「ごちゃごちゃ言うな。こういうのは早い者勝ちだ」
 未だにブツブツと湧き上がる文句にルルーシュはピシャリと言い放つ。

 そんな一方的な宣言の中、視界の隅に映るスザクの困惑した顔だけがルルーシュの瞳に焼き付いていた。




[2010/05/12]

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